嘆く人
会話と食事、両方が終わって四人は飯店を出てまた路地へと入る。
料理に舌鼓を打っていたのは郷刷と切り替えが出来ていた趙雲のみ、楽進と周泰は郷刷の話を真剣に考えていた為あまり食が進んでいなかった。
その食事の前の話は二人には衝撃的なものであり、今の世の中は戦わなければいけないと言うそんな固定概念が有ったのが原因。
勿論それが出来る出来ないの問題もあるが、今の袁家には敵と対峙して得物を振るう戦いをやる必要が少ない状況でもあった。
豊富な財力、それに裏付けされた潤沢な物資、そしてそれらで補強される無数の兵士。
今の時点で袁家と正面からやり合える諸侯などどこにも居ない。
それはつまり最も強いと言う事であり、牽制するどころか威圧を掛けて武器を持って戦うまでもなく相手を屈服させる事も出来るという事。
今の地位から転げ落ちることを認められない者であれば、戦う事も選ぶだろう。
しかし真に民の事を思うのであれば、袁家の幕下に加わる者も出てくる。
現に袁家が治める領地は他の追随を許さぬほど繁栄し、庶人の顔には笑顔が自然と浮かぶ状況。
それであるなら郷刷が言う通り、争いの無い大陸にする為に争いを避ける事に反していなかった。
勿論それは武器を持って戦う方の争いであり、以前の宮廷で行われていたような謀略などの争いではない。
そうであっても流れる血は激減する、毒などによる謀殺で死んでしまうのは権力者であるからだ。
無論その後に権力を握った者が暴政を働く、と言う事も十分に考えられる。
しかし袁紹、そして郷刷が蹴落とされない限り続く太平は、庶人にとって歓迎すべきモノなのかもしれない。
ならば強欲に溺れ仕掛けてくる謀略を防げる者が居たら? あるいは欲望に狂った凶刃から守る者が傍に居たら?
「……だったら」
呟いたのはどちらか、そして頭を振ったのもどちらか。
それは毒ともなる甘すぎる蜜、それぞれの諸侯が掲げる理想の遥か上行く幻想。
「お二人とも、どうしました?」
「……なんでもないです」
振り向いた郷刷と趙雲、遅れていた楽進と周泰に掛けた言葉に返す二人。
語られたのは今すぐ乗ってしまいたい理想、だがそれはあまりにも脆い幻想。
「……ッ!」
そうして気が付く、それは全身全霊、自分の全てを賭けて全うすべき事であり。
それに対して尻込みしている事、そしてその理想を掲げたのが自分の主で無い事に。
抱いた気持ちは落胆、もっと早く、忠誠を誓った主よりも早く出会えていれば迷わず支える事を決めていた。
だが自分は信じたのではなかったのか、主が太平の世を作り上げると。
気が付きたくなかった矛盾、戦う兵ももとは庶人。
志願したか徴兵されたか、そこに違いはあれど、こんな世の中じゃなければ武器を持って軍の一兵になっていた者はどれだけ居るのだろうかと。
そして自分は? 己が持つ武を鍛えていたか? 今の主に出会って仕えていたか? 今の自分が変わらぬそのままで居たか?
「大丈夫ですか?」
見上げたのは二人、楽進と周泰、殆ど変わらぬ身長の二人は郷刷を見上げた。
己を支える根本、基礎に皹を入れた男。
今すぐここから離れ、主が居る場所に帰りたくなった。
そして聞きたくなった、戦乱の最中に失われる命を是と答えるか、否と答えるか。
恐ろしくなったと言うべきか、戦いで死ぬ事とは別物の恐怖。
持っていなかった恐怖を沸き立たせた郷刷、その言葉に自分が揺さぶられるのが怖かった。
自分は本当の居場所はどこなのか、自分が真に望む事を実現してくれる者は誰なのか。
そうして口を開いた。
「……玄胞様、自分は……」
苦しげに呟いたのは楽進、隣の周泰も苦しげな表情を浮かべている。
「お二人が信じた主、その思いが揺らぎましたか?」
「!」
路地の一角、隣り合う楽進と周泰、それに対して向き合う郷刷と趙雲。
驚きの表情を浮かべるのは楽進と周泰の二人だけ、郷刷と趙雲はただ真剣な眼差しで二人を見ていた。
「……私は貴女方御二人が何かの理由を持って送り込まれたと知っています、その上で私の気持ちをお話しました」
それを聞いて二人はめまぐるしく視線と思考を回す、逃れられないよう内側まで誘い込んで捕らえるつもりだったのかと。
あるいはこちらを騙し、身動きを封じる為の……、そう考えて打ち明ける理由がそれで無い事に気が付く。
「ここは身分を捨て置きましょう、本初様の、曹操様の、孫策殿の、それぞれの配下。 それらを考慮せずに話しましょう」
そう言った郷刷の斜め前、趙雲が一歩足を踏み出そうとするが郷刷がそれを制した。
「必要ありません」
「しかし」
二人の人柄はある程度把握したとは言え、もしかしたら郷刷に危害を加えるかもしれないと警戒した趙雲。
「言ったでしょう? 今ここで陣営の違いなどは関係無いと」
「……甘いですな」
「甘くて結構、でなければ誰も付いて来ませんよ」
郷刷が言うと趙雲が微笑を浮かべる。
「なら仕方が有りませんな」
話し合いに武器を持っていく必要は無い、郷刷は暗にそう言った。
趙雲から視線を二人へと戻し、口を開く。
「始めに、私が先に話したものは本心です。 それだけは理解しておいて欲しいのです」
「………」
「今ここから去るというなら追いはしません、それをやるのであれば最初から招く事はしませんから」
二人の表情は険しくなる、さらに強い警戒の色へと。
だが直ぐにでも立ち去ろうとしないのは迷っている為か、そう見た郷刷は続ける。
「別に曹操様や孫策殿が間違っているとは言いません、どれが正しいのかなど人の身では決して分かりません。 ですから私は私が正しいと信じた道を行くように、お二人も自分が正しいと思う道を進んでください」
「……よく、わかりません」
「ええ、それで良いのです。 一目でそうだと決め付けることは間違いを呼ぶでしょう、迷う事は当然であり悪い事ではありません。 そして他者に自分の理想が無駄だと、無理だと言われようと関係有りません。 千里の行も足下に始まる、決め付けてやらなければそれは決して実現する事は無いのですから」
私が言いたいのはそれだけです、そう言って二人の言葉を待たず郷刷は踵を返して歩き出した。
趙雲は視線を二人に向けたまま、口を開いた。
「……私からは一つしか言えん、どれが正しいのか間違っているのか、それを決めるのは自分、それをゆめゆめ忘れるな。 それと帰りの道中には気を付けるよう、まあ二人の実力やこちらを窺っている細作が手引きするだろうから心配は無用だろうが。 む、二つだったか……。 まあいいか、おぬしらと知り合えてよかった」
ではどこかの戦場でな、と趙雲は郷刷の背に向けて歩き出した。
その後姿を眺める事しか出来ない二人、お互いが言葉を発する事無くその場に佇んでいた。
「……上手く行った、とでも言った方がよろしいですかな?」
郷刷に追いついた趙雲が隣に並んで歩き、口を開く。
「揺さぶりを掛けられたかどうかで言えば上手く行ったと言えるでしょう」
「ふむ、それでどこまでが本当の事ですかな?」
それは核心、楽進と周泰に話した内容が本心かどうかの問い。
「全てですよ」
「……全て?」
趙雲も微妙だったと言える、話した事は実現する事が不可能と言っていいもの。
それは二人を揺るがす為の方便だと思っていた、だが郷刷はその予想を裏切り本当の事だと言った。
「極めて難しい事なのは重々承知しておりますよ、武器を取って対峙する戦いに武器無し兵無しではただ負けるだけなのもわかっております。 むしろこちらから打って出る必要も間違いなくあるでしょう」
「無理だと理解してなお理想とする、その先に有るのが何なのかも理解しておりましょう?」
「だからこその現状、力を溜め込んでいるのですよ」
「……なるほど」
戦わずして相手を屈服させる為の力、それを蓄える為に郷刷は冀州を力の限り栄えさせたとも言える。
そうせざるを得ない、自身を優先させる者ばかりであるから郷刷も力を持たなければいけなくなった。
そうでなければ今回のような他者を牽制するような策略を要する必要も無かった。
「……残念でなりませんよ、手を取り合えるならばあまりにも簡単に安寧の世が来るというのに。 ……いや、自分と他者で比べるのは愚かか。 他者を優先できないからこそ自分を優先する……か、何とも辛い世の中だ」
悲観に満ちた声、先ほどの楽進と周泰に勝るとも劣らない苦しそうな郷刷。
そうして路地から見上げる切り取られた空は、目が眩むほど青く透き通っていた。
結構矛盾しておりますよねー
って次から新章だとおもう、つまり本格的な反董卓連合のやつ




