驚く人
郷刷から放たれた言葉を聞いた一人、周泰は見る目を変えた。
郷刷が言った言葉は楽進と周泰、そして趙雲が理想とする物、しかし三人も馬鹿ではない。
あっさりとそれを出来ると思っていないし、力があっても途轍もなく難しい事だと理解している。
今の世の中ありふれた言葉で、庶人であろうが貴族であろうが誰もが口にしていてもおかしくない言葉。
そして今それを口にした人物は、諸侯の中で最も有力な人物の臣下。
言い換えればより有力にした仕立て人、単純な物事で見れば出来るんじゃないかと思える人物。
「お二人は今の大陸全土に流れる風潮、理解しておられますか?」
その問いに天が乱れている、一言で言えばそう表現できると三人。
そしてそれを治める力は、漢王朝はもう持っていない。
楽進は曹操に、周泰は孫策から、趙雲は黄巾の乱の兆しが見え始めた事から気が付いている。
郷刷も含め四人ともこれから来るのは乱世と理解していた。
だからこそ郷刷が放った一つの言葉が、疑いようの無い一つの目的を持っているのだと嫌でも気付かされる。
「……とても危ない状態だと思います」
周泰が郷刷を見据えて言う、その言葉に含まれた意味は複数あった。
一つはこれから大陸に風雲が訪れ大きな戦乱になること、二つ目は郷刷が大陸を袁紹に平定させるのかもしれないこと。
つまり楽進からは曹操と、周泰では孫策とで袁紹と敵対し戦う事になるかもしれないこと。
「具体的に」
抽象的な周泰の言葉に、郷刷は表情を変えず見据えて言う。
「……戦乱が巻き起こると思います」
「ええ、諸侯が兵を率いて他者の領地へと侵攻するでしょう」
その通りと、たった一言に満足して頷いた郷刷。
「残念ながら……、とても残念ながら戦乱の戦端がそれほど遠くない時に開かれるでしょう。 多くの命が散る戦いなど庶人は望んでいないでしょうに、困ったものです」
はぁ、と溜息を吐きつつ郷刷は三人の顔を順次見る。
「その兆し、今流れている風評が証拠となるでしょう。 お二人はご存知で?」
「いえ、一体どんな?」
「董卓という地方豪族が宦官から帝を助け出した恩に着せて洛陽に押し入り、帝を傀儡にして洛陽で圧政を敷いている、そのような話です」
それを聞いた楽進と周泰がお互いの顔を見合わせた、その浮かんでいる表情は驚きに満ちていた。
「帝も災難としか言えません、専横を働く宦官から解き放たれたと言うのにこの結果。 お陰で袁紹様も皇帝陛下をお助けしようと乗り気です、全く余計な事を仕出かしてくれたと言うのが本音ですね」
「そ、そんなことが……」
楽進と周泰の二人には寝耳に水であった、二人とも南皮に来る前まではそんな話は聞いていなかったからだ。
郷刷が言った通りなら戦いは起こる、皇帝を助け出そうと諸侯がこぞって洛陽へと向かう事になると。
「諸侯が董卓を打ち破っても、逆に董卓が諸侯を打ち破っても漢王朝の崩壊は免れないかもしれません。 無論、流れている風評が事実であるならばと言う仮定の話ですが」
結局は戦乱が来る、確定された未来の大陸に二人の表情が険しくなる。
「何とかしたい、純粋にこの大陸の行く末を心配している方も居られるでしょう」
御三方のように、そう言い切る郷刷。
「とても素晴らしい事です、心から心配して憂う。 それを実行できる方は限りなく少ないでしょう、そこは誰であろうと否定は出来ません」
郷刷を除く三人は真剣に耳を傾ける、話す郷刷も真剣味に溢れていたから。
「ですが、その心と行動は一致しない事もままあります。 この乱れた大陸を治めよう、帝を操って洛陽の民を苦しめる董卓を討とう。 ……言いたい事がわかりますか?」
三人ともそれぞれ間を置いて頷いた。
「乱れた大陸を治めるのも、董卓を討つのも、結局は力尽くの話なのですよ」
各々の主張、大義に沿って動く。
話し合いで解決できないから暴力に訴える、事は単純な話。
「その力尽くを行う際に失われるのは何か? 苦しむのは誰か? まこと綺麗事と言えましょう、ですが一つの事実として確かにそこにある事なのです」
「……戦いで失われるのは命、戦う為の必要な物を生み出すのは庶人」
「ええ、私も、御三方も、そして皇帝も、貴賤に差などなく一つの命に過ぎません。 差が有るのは亡くなってしまった個人に何が出来ていたか、と言う所ですが」
世の中を動かしているのは力ある者ではない、数え切れないほどの凡夫であるからだ。
戦うのも何かを作るのも、ほぼ全てが庶人によって行われている。
「少々理想論で話をしてしまいましたが、戦わなくて済むならそれに越した事は無いと言う事です」
「………」
三人は驚きを表情に浮かべて黙りこくる、郷刷が言った事は争いの無い大陸にする為に争いを避ける。
それがどれだけ馬鹿げた事か、実現するにはどれだけ難しい事か。
隔絶した考えを持つ郷刷に、三人は言葉を失うしかなかった。
「今の状態で見れば難しい事でしょうが、やる価値はあることだとは思いますので」
究極とも言って良い理想、実現など不可能と言っても良い言葉。
愚者、無謀、考えなしと罵られても仕方ない。
何をしようとしているのか本当に理解しているんだろうか、そう考える三人。
「……何故避けるんでしょうかね」
「え?」
その考えを見透かしたのか、郷刷はポツリと呟く。
「諦めた、と見た方がよさそうだ……」
そして勝手に納得する、勿論三人とも要領を得る事は出来ない。
「……玄胞様、一体何のお話なんですか?」
「そうですね、内から変えるより外から打ち壊して新しく作り直すのが簡単だと判断したのかもしれません」
「……?」
「権力を握りたいのであれば漢王朝を立て直すと言うのは愚策、最低限責務を果たす程度に支え、少しずつでも力を蓄える。 そして黄巾の乱から董卓の圧政と立ち上がる時期を待っていた、そんな所かもしれません」
「そんな、違います!」
と椅子を倒しながら叫び立ち上がったのは楽進と周泰、それに郷刷は少なからず驚いた。
確証の無い推論として話していたのに、主がそんな不埒な考えを持っていると侮辱されたと思ったのか。
あまりにもわかりやすい反応を見せた二人に、再度二人が真面目、あるいは純粋なのだろうと思い直した郷刷。
「何が違うのか分かりませんが、今言ったのはただの推測ですよ。 そういう考えを全員が持っていると言った訳ではありません、心の底から世を憂いているが力足らずに、と言う方々も居られるでしょう」
「……あ、いや……」
しどろもどろ、自分の行動がどれ程正体を暴露しているのか気が付いて言葉に詰まった二人。
「まあ座ってください、お二人が真剣に憂いている事はわかりましたので」
「……はい」
倒れた椅子を起こし、しずしずと座りなおす楽進と周泰。
それを見つつ郷刷は自分の懸念は見当違いだったのかと、間諜として二人が仕官してきたものだと思い込んでいた。
報告書にも有った名前、たまたま同姓同名同字である可能性やそもそも偽の情報を掴まされた可能性もあるのだ。
分かった情報を即座に送らせる様にしたのは拙かったか、と後悔する。
こんな一目瞭然な間諜を送り込んでくるほど、あの二人は間抜けではないはずだと郷刷。
「なんにせよ、考えは人それぞれです。 そう考えている方も居るし、未だ何とかしようとしている方も居るでしょう、私の考えもまた一つの道。 まあ出来る出来ないはまた別問題ですが、簡単に諦められる話ではありませんから。 御三方も自分が信じた道を行くのが一番です、それが誰の所為にもする事無く進んでいける一番の方法だと思いますので」
そう選択肢の一つを提示する郷刷は、この二人が仕官してきた理由が間諜だけではない何か別の目的があるのでは無いかと睨む。
二人の人柄は好ましいが、それは警戒を解く理由にはならない。
真意が見えるまで気を付けておく必要があるなと、郷刷は二人を見た。
「……失礼致します」
そうして話が一つ終わり、丁度良く飯店の給仕が頭を下げつつ部屋に入ってくる。
その後ろには料理が盛られた大皿などを持った多数の給仕。
「さて、話も一段落しましたので食べましょうか」
並べられる料理を前に郷刷は落ち込む二人を見て、笑顔を向けて言う。
良い香りだ、そう一言料理を見ながら郷刷は呟く。
「……確かに」
同じように趙雲は料理を見た後、郷刷に視線を向け頷く。
その視線、瞳の奥には好奇心の炎がさらに大きく燃え上がっていた。
二人が真面目で純粋ゆえに郷刷さんが惑わされる、的な事をやりたかったのだ