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大胆過ぎて笑う人

「──様」


 外からの呼びかける声に、郷刷の意識が浮き上がる。

 瞼を開けばいつもの天井、違いがあるとすれば普段起きている時間よりも遅く、既に日は昇っているくらい。

 郷刷はいつもより軽い瞼を何度か瞬き、同じく軽くなっている体を起こそうとして引っ掛かりを覚える。

 一人では少し広く、二人では少し狭い寝台、その寝台左半分で寝ていた郷刷の右腕には別の腕、袁紹が腕を絡めていた。


「……やはり、本初様が……」


 いつもなら夜明け前には自然と目が覚め起きる、だが今日に限っては夢も見ず深く熟睡する事が出来た。

 昔と変わって居ない、自身はあの時から変わらず本初様に寄りかかっているのだろうと一人結論付く郷刷。


「玄胞様、ご起床しておられますか?」


 隣で寝ていた安らかな寝顔の袁紹の顔をもう一度見て、外から掛かった声に返事をする。


「ええ、少しお待ちを」


 ゆっくり腕を抜き、寝台から降りる。

 立ち上がって今着ている衣服、かなり久しく着た寝巻きをさっさと脱ぎいつもの文官服を纏う。

 着替えが終わり、その後に部屋の出入り口、戸へと向かって少しだけ開いた。


「何か有りましたか?」


 対外的には仕事をさせない、と言う立場だがやっていることはやっている。

 と言っても仕事の量は普段の九割九部以上も減っているので、残る仕事も三十分もあれば僅かな失敗の一つも無く終わらせられる。

 やるなと言われてもやる理由は、ただ仕事を割り振っただけで仕事が終わるわけではなく、どうしても監督官、つまり間違いが無いかの最終的な確認をする者に自分を据えているためであった。


「はい、今日の予定なのですが……」


 郷刷の部屋を訪ねてきた一人の文官、彼女はいつもと違う光景にほんの僅かに戸惑った。

 まず一つ、郷刷の部屋の前に護衛の兵が居ないと言う事。

 こと袁家での郷刷の重要性は袁紹に匹敵する、下手をしなくても袁紹より重要な場面は多々あるというのに、護衛の兵が居ないと言うのは困惑せずにいられない。


「……今日は仕官試験でしたね」


 戸は半分以下、三分の一も開いてるかわからない戸の隙間から郷刷は紙の予定表を受け取って呟いていた。

 文官の二つ目の困惑、いつもなら戸をしっかりと開きまっすぐと向き合ってから話すと言うのに、今日は何かを隠しているかのようにしていたこと。

 こちらに関してはその日によって変わるのでよほどのことではなかったが、だからこそ気になる。

 室内が殆ど見えない、見ようによっては隠していると言ってよかった。

 故に普段なら見せない視線、『覗く』と言うことをしでかしてしまった。


「やはり直接見てみたほうが良いですが……、聞いてみなければ」


 一方郷刷は予定表を見て色々考えてそれに気が付かない、ちらりと郷刷の脇から部屋の中を一瞬覗かれた事に。

 彼女から見えたのは寝台、掛けられている毛布から覗くのは足。

 男の者とは違う、女の足。

 文官仕事は基本視力が落ちるようなもの、机にしがみつき一日中書類を片付けるのが主とする。

 それでも一気に視力が落ちるわけではなく彼女も袁家での仕事はまだそう長くしていない、つまりまだ視力は落ちていない故に捉えた。


「………」

「今回は人となりが合う人が居ればいいんですが……、色よい返事がもらえたら顔を出すと伝えてもらえますか?」

「あ、はい!」


 目ざとく、予定表で隠れていた郷刷の顔が見え始める前に彼女は視線を戻していた。


「それでは、失礼します!」


 それを聞いて勢い良く頭を下げた後、足早に立ち去る。

 僅かに頬を上気させハキハキと声をあげて去っていった文官に、何か良い事でも有ったのかなと僅かに疑問に思うがそれは直ぐにかき消された。


「……ん、もうちょっと静かに出来ませんの~?」


 部屋の奥、寝台の上から聞こえてきた主の声に郷刷は戸を閉めつつ振り返る。


「もう大分日が昇っておりますよ、本初様」


 寝台へと近付きながら、寝返りを打った袁紹を見る郷刷。


「あまり寝すぎるのも美容に悪いのですよ、さあ起きましょう」


 寝台に広がる袁紹の長い金髪、寝る前にはしっかりと纏めていたがどうにも寝返りで外れたようだった。

 郷刷は袁紹が自分の髪を踏まないよう掬い上げて、袁紹のうなじ辺りで纏め直す。


「お仕事もあるのですよ、頭領ともあろうお方が率先して仕事を放り出すのですか?」


 寝台に腰掛け、郷刷に背を向けて寝ている袁紹に問いかける。


「昨夜のお話は偽りだったのですか? この程度の事で音を上げていたら、いつまで経っても文開様に追いつくどころか影すら踏めませんよ?」


 声を掛けても起きない袁紹に、郷刷は言葉でくすぐる。

 早寝早起き、仕事を毎日きっちりと仕上げて、兵の調練と自身の武の鍛錬に、多数の学問や用兵術を学び、尋ねてくる客人に欠片の失礼も無いよう相手をこなす。

 これを基礎とし合間に息女の袁紹や郷刷と遊び、突然の用事でも慌てる事無く対処すると言う。

 袁紹の母親はこんな人物でした、と言っても誰も信じないような人物。

 今郷刷の寝台で眠たいとぐずっている袁紹に、その様では無理でしょうなぁ、と郷刷は袁紹の心をくすぐった。


「……わかりましたわ、このような姿をお母様に見せられませんわ」


 ぐぐぐと仰向けになって起き上がる袁紹に、郷刷は手を貸す。


「それでこそ」

 

 上半身を起こした袁紹、寝台から足を下ろして一つため息を付いた。

 郷刷は立ち上がり、袁紹の衣服を用意する。

 少し動きが鈍い下着のみの袁紹に、上着に袖を通させ、スカートの履かせて立ち上がらせる。

 その後腰帯を巻き、髪を持ってから椅子に座らせる。

 郷刷は袁紹が座る椅子の後に立ち、縦巻きの髪形を作る器具に袁紹の髪を巻きつけて型を付けていく。


「……重くは無いですか?」


 時間にして三十分ほど、袁紹の髪には二十個を越える数の器具が留められている。


「確かに重いですけど、他の誰かに無様な姿を見られるよりましですわ」


 縦巻きに拘る理由、十中八九曹操への対抗心。

 近くに居ても居なくても拘る辺り、相当に気にしている事がわかる。

 郷刷としては別に真っ直ぐに髪を流す袁紹も良いとは思うが、袁紹はこれが良いと言っているので口出しをしない。

 それから一時間ほど、きっちり縦巻きの型が髪に付いて何時もの袁紹が出来上がった。


「これでよろしいでしょうか?」

「……ええ、よろしくてよ!」


 満足であるらしく、鷹揚に袁紹は頷いた。


「それは良かった、朝食……時間的には昼食ですが用意は出来ていますので」

「お腹が空きすぎて背中とくっ付きそうですわ」


 夕食から半日以上過ぎている、袁紹が言う通り空腹を感じている。


「本初様、一つお願いがあるのですが」


 昼食を取りに行く前に郷刷は一つ願いを申し出る。


「お願い? 一体なんですの?」

「一日中部屋の中に居るのは少々手持ち無沙汰になってしまいます故、せめて散歩の許可を頂きたく」

「よろしいですわよ、散歩でも食べ歩きでも安景さんがお好きなようになさい」

「ありがとうございます」


 あっさりと認めて郷刷の部屋を出て行く袁紹、郷刷はその後姿に頭を下げていた。






 もう始まっているかと、何時もより足早に城内を進む郷刷。

 目指す先は広場、いつもの武官希望者が集い武を披露する場所。


「おや、ようやくお目覚めですかな」


 広場を見下ろせる階段の端、郷刷が角を曲がるなり声を掛けてきたのは趙雲。


「ええ、久しく安眠できました」

「それは僥倖、お互い好ましい事ですな」


 郷刷は話ながらも斜めに階段を下り、趙雲の隣で足を止めた。

 見れば趙雲は酒を飲んでいるようで、頬が少々上気していた。


「もうすぐ終わりのようですね」

「ええ、私の時とは違い一角の者が居りますから、上手く分けられて早い事早い事」


 趙雲と一緒に広場を見下ろす、そこで武勇を競う二つの影。


「……ほう、これは中々」


 視線を細めて郷刷は見て、その才覚に何度も頷いた。


「やはり分かりますかな?」

「ええ、これは随分と珍しい」

「珍しい? それなりの武を持つ者らではありますが……」


 珍しいと言った郷刷に、どこが珍しいか分かりかねる趙雲。

 一度郷刷の横顔を見て、広場へと視線を戻した。


「武力は勿論ですが、どちらも珍しい類の才を持っていますね。 まあ今ここで見られるかは分かりませんが」

「ふむ」


 二人して広場で対峙する武官志望者を見下ろす。

 郷刷と趙雲から見て左手、くすんだ様な灰色の髪、前は短めで後は三つ編みにして流している少女。

 得物は前腕から肘までしっかりと覆う無骨な手甲、無手から見るに体術を主とした戦闘を成す。

 良く見れば体中に傷跡が見え、腰を落としつつ構えるその姿が歴戦の兵に見える。


 もう一方、右手にはかなり長く真っ直ぐと伸ばした黒髪をなびかせる少女。

 得物はかなり長めの刀、大の男でも少々扱いに困るだろうそれを問題なさそうに握っている。

 こちらの少女はどこか軽い、恐らくは良く動く機動力重視の戦法を取るのだろう。


 灰色髪の少女は完全に足を止め、黒髪の少女は円を描くかのようにゆっくりと周回する。

 どちらも攻め込む機会を窺っていた。


「一進一退だったのですか?」

「そうですな、しかしそれは先ほどまでの話」


 そこで一度趙雲が区切り、一呼吸置いた後に一言。


「動きますぞ」


 趙雲が言った一秒後には黒髪の少女が身を翻した。

 かなり機敏、邪魔になって当然の得物が影を置き去りにするような速度で袈裟懸けに振るわれる。

 風切り音、当たれば鎖骨を簡単に圧し折る一撃を前に、恐れなく足を踏み込んで、左手の手甲で長刀を受け流しながら右拳を引き絞る。

 裂帛の気合、呼気と共に放たれる右拳を軽やかに身を翻してあっさりと避ける黒髪の少女。


「珍しい物が見れますよ」


 灰色髪の少女の終わらぬ呼気に、郷刷が呟いた。

 趙雲はそれを耳にしながら、郷刷に視線を向けずに広場へと注ぎ続ける。

 それは郷刷の言う通りに、滅多に見れないものが現れた。

 瞬く間に四間(約7メートル)ほど離れた黒髪の少女は、驚きに目を向いた。

 灰色髪の少女の呼気が終わると同時に、繰り出された空を切る左の拳に僅かに遅れ、黒髪の少女が突然吹き飛んだ。


「お見事」


 その様子を見て郷刷が素直に賞賛の言葉を呟く。


「……まさか、あれは……氣、ですかな?」

「流石に知っておりましたか」

「聞いた事はありましてな、私は使えませんが」


 灰色髪の少女が放ったのは氣弾、練り上げた氣を左拳に集め、拳を打ち出すと同時に放ったのだ。

 その氣弾に当てられ吹き飛んだ黒髪の少女は困惑しただろう、無手の相手が四間も離れた自分に攻撃を当てるなど思いもしなかったはずだと郷刷。


「確かに氣の放出となれば極めて難しいと言えますが、子龍殿が氣を使っていないかと言われると違うと断言しますよ」

「その理由は?」

「名立たる英傑の皆さんは殆どと言って良いほど氣を使っております、そもそも氣とは生きとし生ける者全てが持っている力ですしね」


 氣の放出は自身が意識して使えるかどうかの話で、体内で氣を使っていないかと言われれば違うと言える。

 趙雲も間違いなく無意識の内に氣を使っている、でなければ一騎当千の実力など不可能と言ってよい。

 そう言った意味で郷刷は氣の放出を出来る灰色髪の少女が珍しい才覚持ちだと言った。


「……なるほど、誰もが氣を持って使っている、か……。 安景殿はそれをどこで知ったのですかな?」


 好奇心に満ち溢れた瞳を郷刷に向ける趙雲、それに対して誰もが確認できる情報源を明かした。


「医療教団五斗米道、彼らは氣の力を使って怪我の治療などを行っていますよ。 氣の応用で体内に潜む病魔などを見極めるらしいですね、私もその治療を受けた事が有りますので間違いないでしょう」

「ふむ、ごどべいどー。 あの治療費を請求しないと噂の医者たちでしょうか?」

「ええ、それと気を付けた方が良いですよ?」


 試験官の一人に郷刷は今戦っている二人の受付書を持ってこさせ、それを眺める。


「気を付ける?」

「五斗米道、呼び方を本人たちの前で間違えれば何度も訂正させられますから」


 郷刷は苦笑を浮かべて趙雲に言った。


「ごどべいどーでしょう?」

「ゴットヴェイドォーです、今のままでは間違いなく訂正させられますよ。 違う! ゴットヴェイドォーだ! とね」

「……気を付けておきましょう」


 苦笑したまま広場を見下ろす郷刷に、可笑しな者たちだと片眉をわずかに上げる趙雲。


「……さて、決着が付きましたね」


 吹き飛ばされた少女は上手く受身を取ったのか、倒れては居ないが膝を着いている。

 一方氣弾を撃ち出した灰色髪の少女は歩み寄り、手を差し出す。

 黒髪の少女はその手を取り、引っ張り起こされながらも何かを話していた。


「……これはまた、どうにも堂々と」

「どうかなさったので?」

「流石にこれはどうかと、まあこれがあの方たちの正道と言う物でしょうか」


 苦笑が絶えず、郷刷が視線を落とす受付書に書かれた名前。

 灰色髪の少女、姓は楽、名は進、字は文謙。

 黒髪の少女、姓は周、名は泰、字は幼平。

 曹操の配下に孫策の配下、こうも大手を振って間諜を送り込んでくるなど予想だにしなかった郷刷は笑うしかなかった。

あと二、三話で次の章



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