失敗に焦る人
簡単に言えば導入部
「大将軍が殺された?」
息を切らして報告をする間諜の伝令役。
郷刷は自室でそれを聞いて眉を顰めた。
「はっ! 十常侍の罠に掛かり、暗殺されたそうです!」
「……油断しましたか、あれほど警戒するべきだと申し上げたのに」
黄巾党の本隊を討った後に領内へと戻り、一月ほど経った時、漢王朝第十二代皇帝、諡号を孝霊皇帝とされた劉宏崩御の知らせが届いた。
そんな悲報が大陸全土に報じられれば、動きを強めるのは諸侯であったが。
その諸侯よりも動きを強めるのは何進と宦官、それは後嗣争いであった。
後嗣争いに関係する袁紹、詳しく言えば郷刷は袁紹を介して何進に献策し優位に立たせようと動く。
その結果が劉弁の暗殺、劉協の擁立であった。
勝利と言っても過言ではない事であったが、宦官を全て廃しては居ないと郷刷は油断するなと具申していた。
残りのする事、宦官の排除の計画を練っている所へ一通の密書が届いた。
それは何進からの手紙であった、内容は黄巾の乱と言う憂いが去った今こそ宦官を廃する為に洛陽へと来いとの命令だった。
郷刷からすれば黄巾党は未だ残っており憂いが無くなった訳ではないが、宦官を廃する機会だとも考えた。
故に宦官を討つための計画までもうすぐだと言うのに、この有様に一つ溜息を吐いた郷刷。
「如何致しましょうか」
「貴方方はそのまま目を見張っておいてください、他に何かあればすぐにでも知らせを」
「はっ!」
その命に頷いた間諜の伝令役は素早く退室していく。
郷刷もこうしては居られないと立ち上がり、早足で袁紹の自室へと向かう。
その途中、選りすぐった精兵を集めさせ、出陣の準備を整えさせる。
そして数分と掛からず郷刷は袁紹の部屋の前、警備兵を横目に扉を叩き郷刷は呼びかける。
「本初様、急ぎ大事なお話がございます」
返事が返ってこない、もう一度扉を軽く叩いて呼びかける。
「本初様、本初様」
やはり返事が返ってこない、扉を押せど鍵が閉まっており開かない。
「本初様は御起床成されましたか?」
部屋には居ないのかと、警備兵に問うが。
「いえ、まだご就寝のままです」
「……剣を貸してください」
時間が無いと郷刷は無礼を通す、郷刷に剣を貸せと言われて戸惑う警備兵。
「……玄胞様、剣を一体何に使うのですか?」
「今すぐ本初様のお耳に入れなければならない事があるのですよ、この過ぎていく一瞬一瞬が非常に惜しいくらいに」
警備兵へと手を差し出し、早くよこせと郷刷。
良からぬ事に使うのでは、と警備兵は邪推するもそれは無いだろうとすぐさまかき消す。
「扉をこじ開けるだけです、それが終わればすぐにでも返しますから早く」
「……はっ」
引き抜かれた剣の柄を郷刷は掴み、剣を上段に構え、一気に振り下ろした。
ガツンと割れるような音と共に、扉の一部と共に鍵が壊れて扉が開く。
郷刷は警備兵に剣を返しつつ、部屋の中を覗くなと厳命して踏み込む。
袁紹の豪華な部屋は値段の張る調度品で溢れかえっており、袁家の財力を示していた。
見慣れている郷刷はそれらに脇目も振らず部屋の奥へと進み、これまた大きな寝台へと視線をやれば。
「本初様」
寝台の上には三人、袁紹と袁家の二枚看板、文醜と顔良が寝ていた。
上に毛布を掛けているとは言え、部屋に落ちている服の散乱事情から見ると何も着けていない事が分かる。
郷刷は素早く膝を着いて頭を垂れ、もう一度声を張って名を呼んだ。
「本初様!」
耳に響くような声、それに驚きながらも三人が目を覚ました。
「……なんですのぉ、うるさいですわねぇ……?」
眠気眼の三人、逸早く意識をはっきりとさせたのは顔良。
「あ、あんけいさん!?」
頬を染め慌てて毛布を体に抱き当てる顔良、勿論頭を垂れたまま床を見つめる郷刷には見えない。
「顔良殿、非常に拙い事がおきましたので、出来るなら二人の意識を覚ましてもらいたい」
「……拙い事?」
「はい、今すぐにでも動きたいのです。 ですから」
「……はい、麗羽様! 文ちゃん! 安景さんがとても大事な話があるそうですから、早く起きてください!」
寝台の上ではてんやわんやの顔良に強く揺らし起こされる袁紹と文醜。
「としぃ、きのうははげしかったんだからもうちょっとねかせてくれぇー」
「ぶ、文ちゃん!!」
他の人に聴かれたくないことをさらりと言う文醜に、顔を真っ赤にして声を上げる顔良。
「……御早く御起床なされよ!!」
一行に進まないこの状況に、耳を劈くような大声で郷刷。
その声にようやく体を起こした二人。
「うぅー、一体何なんだー?」
「静かになさい! まだ日が昇ったばかり……」
「本初様! 大至急お耳に入れてもらいたい事があります!」
軍の出陣の際の激励や、兵の調練の時の挨拶など。
あまり使わない大声に、やっとの事で重要さに気が付く袁紹。
「……はぁ、言ってごらんなさい」
「何大将軍が十常侍に暗殺されました」
「……もういち──」
「大将軍が十常侍に暗殺されました、急ぎ洛陽へと向かい宦官を討たなくてはなりません。 出来るだけ早く出立のご準備を」
袁紹・文醜より頭の回る顔良が事の重要さに気づいて顔を青くする。
「顔良殿、女官を呼んできますので本初様のご準備のほどお願いいたします」
「わ、わかりました! 麗羽様! 文ちゃん! 早く目を覚ましてください!」
郷刷は瞼を閉じて立ち上がり、百八十度踵を返して瞼を開いた後に室内の出入り口へと足を進めた。
袁紹が準備を整えるまでの間、郷刷は自ら全軍の監督官を勤めて進軍の準備を進める。
次々と帳簿を持って許可を貰いに来る他の監督官に、極力素早く確認と許可を出してこれを整える。
そうして半刻の時が経って非常に素早く準備が整い、総大将の袁紹を待つ。
「安景さん! 今すぐ愚かしい宦官を一掃しますわよ!」
「御意に、準備は全て整っております」
文醜・顔良を伴って現れた鎧姿の袁紹は言う、それに対しての郷刷の返事に袁紹は整えられた袁紹軍に下知を与える。
「全軍! 洛陽に出撃ですわ! 不届きな専権を振るう宦官を一掃し! この名門袁家の頭領、袁! 本! 初! が帝をお救いしますわよ!」
そう言っていつもの如く、大きく高笑いを上げた袁紹に袁紹軍兵士が得物を掲げて鬨を上げた。
河北の南皮から袁紹軍は強行軍にて洛陽へと進む。
通常ならかなり時間が掛かる距離であったが、疲れを知らぬ幽鬼の如き進軍であっという間に洛陽へと到着する。
その勢いのまま袁紹軍は宮中へと突入し、兵力を背景にたちまち宮中を制圧した。
「誰であろうと決して殺してはならない! 全て生きたまま捕らえろ!」
袁紹を補佐する郷刷が命じ、宮廷に残る宦官を捕らえた。
怪しいと無闇に切り殺せば、悪評が立つ可能性もあるためにこれを控えさせる。
次々と袁紹軍の兵が宮中の官を捕らえ、郷刷は猿轡をして並べさせた宮中の官を見聞する。
「……十常侍が一人、宋典。 ……十常侍が一人、高望」
数百人と言う宦官の中、顔を記憶していた郷刷は確実に十常侍を見分け、首を切り落としていく。
そうして見分け誅殺して気が付く、二人ほど十常侍が足りないと。
「張讓と段珪が居ない!? 逃げられたか!」
「玄胞様! 陛下が見当たりません!」
拙い、皇帝である劉協を連れて逃げられたと顔が歪む郷刷。
「すぐに追撃隊を組ませなさい! 帝を攫った宦官を決して逃すな!」
声を上げて郷刷が命じる、皇帝を擁して建て直しを図られると非常に拙い。
袁紹軍の進軍を察知した時には、逃げ出す準備を始めていたのだろう。
狡賢い張讓と段珪は自分たちだけでもと他の宦官には知らせず、皇帝を連れて逃げた。
拙い事になったと内心焦る郷刷、だがその焦りは長くは続かなかった。
それは届いた一通の報が致命的な失敗を掻き消した、逃亡中の張讓と段珪の誅殺、それと帝を保護したと書かれていた手紙であった。
その差出人の名は董 仲穎、何進が計画した宦官廃位に召し出された地方豪族。
袁紹と同じように何進から洛陽へと参じよとの命に従い、涼州から洛陽へと進む中で皇帝を連れ逃げている張讓と段珪にたまたま遭遇。
その姿を怪しんだ董卓の軍師である賈 文和が尋ね、張讓と段珪との舌戦となりこれを論破する。
その舌戦の中で賈駆は張讓と段珪が誰を連れているのか見抜き、この二人を兵に捕らえさせた。
そして連れていた人物、幼いながら聡明であった皇帝である劉協に事のあらましを聞き、手紙を使者に託したのだった。
その手紙を読んだ郷刷は助かったと安堵の溜息を吐く事になった。
張讓と段珪を逃してしまったと袁紹の命運を断つ事になりかねない失敗を救ってもらった事に対して、最大の感謝を送らねばと。
洛陽へと向かってきている董卓を出迎える準備を、郷刷は感謝しながら用意を命じるのであった。
まずい、麗羽さんの出し所がよく分からんかった
次回はもっと喋るはず
と言っても連日更新期待している方には申し訳ないですが、年末で忙しくなるんで更新速度落とします