真っ直ぐに問いかける人
「……おや、望まぬ結果になりましたか?」
拝謁が終わり、護衛が待つ一室へ戻るなりの趙雲の一言。
顔に不満が表れていたか、郷刷は首を横に振る。
「何を出してこようと結果は変わりません、私が思うことは別の事ですね」
「袁術殿が統治者の器ではないと」
趙雲は見抜いてくる、見抜けるだけの要素は確認済みであるため当然だったが。
「……知らずの内に期待していたのかもしれませんね、私は」
敬愛する主の従姉妹だからと、まだ取り返しがつくだろうと、確証の無い思いを持っていたことに気が付いた郷刷。
「これなら以前の……」
呟いて口を噤む、そうして頭の中で組み立てていく。
成立すれば袁術が堕ち、新たな主が立つ事になる。
河南の民の事を考えればそちらの方がましだろう、だがそうする事によって組み敷きにくい勢力が現れる事になる。
玉座の間の前で擦れ違った女性が恐らくは孫 伯符、ならば恩を売っておくのも悪くはないと郷刷は考える。
配下の質にもよるが、あれほどの才なら人を惹きつけいつか自らの手で袁術から奪い返すだろう。
「となるとこの案は拙いか……」
一人部屋の戸の前でぶつくさと郷刷は思考に没頭。
郷刷が考えていた賠償とは金や食料、貴重な物などではなく、人であった。
失われた者たちの代わりに河南の人たちを河北に移動させ補填すると言う、後を見越した金と食を得ると言うものだった。
これを実行して街の人たちを移動させたとしよう、袁術はともかく孫家からすれば金や食よりも大事な経済の基盤となる人を連れて行かれたと反感を覚えるだろう。
これでは恩を売っても帳消しになってもおかしくはない、とすれば賠償を諦めて、いや、受け取った賠償を孫家に流して反乱を促すかと考える。
一大勢力になる可能性のある危険な相手ではないかと、そうも考えるが郷刷の見立てでは融通が利く相手だと判断した。
あの女性、孫 伯符が天下に覇を唱えるかと、一遍して疑問に思ったのだ。
勿論絶対に近い主であろうと、家臣の意を汲む必要があり、不本意ながら動かなければならないと言う事態も十分ありえる。
これは接触してもっと観察する必要があるかと、行動する為の根幹である孫 伯符を分析してからでないと難しいと郷刷。
「……ふむ、ここは落ち着いていくべきか」
できれば孫家の家臣も一目でいいから確認しておきたい、今後の動向を予測する必要も有るからだ。
「さっきから一人ぶつくさと、謀略の手管を考え中ですかな」
「そんなところです、まぁ考えるだけで実行するとは限りませんし」
限らないけど実行するかもしれないと、内心思いながら考える。
移動して手頃な椅子に座り、顎に手を当てながら瞼を瞑る。
聞いた事がある話が本当だとすれば、孫家は領地を袁術の手から取り戻したいと考えている。
そう長くないと見ている袁術の統治、だが今現在のその兵力は無視できない大きさがある。
一方今の孫家にはそれほど力がない、実際は隠していたりするかもしれないが抗うにはまだ足りないと言ったところ。
つまり今は雌伏の時、袁術を確実に打ち倒せる機会を狙っているだろうと郷刷は予測する。
「……物資か、単純に狙っているだけか……」
一人唸り呟く郷刷に、郷刷を除く六人の視線が集まるが本人は気にせず考え続ける。
本人に会った、とは言えほんの数秒で詳しい事など何も知りはしない。
ましてや本人かどうかすら分からないが、あの才覚はそこらへんに居るような者とは隔絶している。
あれが噂に聞く江東の虎と謳われる孫堅の娘、母にも劣らぬと噂される者なら郷刷は納得してしまう。
「……考えても埒が明きませんね、ここは尋ねてみますか」
瞼を開いて郷刷は立ち上がる、そのまま視線を他の六人へ。
「恐らく袁術殿は今日中に決められはしないでしょう」
「手持ち無沙汰になりそうと」
「ええ、ですから子龍殿。 少し付き合ってもらえませんか?」
「逢引のお誘いですかな、私は安くありませんぞ?」
「ええ、ですから悪くないだろう体験を」
「ふむ、どういった?」
「江東の虎の娘に会いに行きませんか?」
一方その頃、袁術との話が終わって屋敷へと戻っていた孫 伯符。
馬鹿な相手こと袁術が言ってきた要求を、呉の旧臣を集める事で承諾した孫策。
今後の方針を決め、孫策の親友であり軍師でもある周 公瑾と軍略を決めてた時に孫策に会いたいと客が来た。
「誰よ一体、今忙しいってのに」
孫策は会うと約束した者も居らず、出来るだけ軍略を早く決めて全体の動きを定めておかないといけないと苛立つ。
「はっ、袁紹の臣下、玄 郷刷と」
「玄……?」
「……袁家の支柱? 何故そんな奴が雪蓮に会いに来る?」
その者は袁術の従姉妹、袁紹の家臣。
非常に豊かな領地を経営していると噂の、それを仕掛け成功させた男が何故?
勘ぐる、まさか袁術が送り込んできた? と二人はあの馬鹿が探ってきているのかと考える。
「……そうね、会いましょうか」
「意図を探るか」
「今会いに来るっていうのが怪しすぎる、間違いなく腹に何かを持ってきてるわね」
「でしょうね、あの袁術が頭を使う光景が思いつかないが、何かしらの関係が有ると考えていいでしょう」
「何も無かったら拍子抜けだけど、待たせてるんでしょう? 会うって伝えてきてくれる? 客室に通してね」
「はっ」
孫家の小間使いがもう一度頭を下げて部屋を出て行く。
「さて、内政の極みとの噂の文官は一体どんな奴かしら?」
「さてね、少なくとも大胆な発想をする男とは聞いているが、どれ程のものか」
「会って見れば分かるってことね」
袁紹は袁術に劣らぬ馬鹿で、その馬鹿に仕える存在とは一体どんな奴なのか。
家族の様な繋がり、絆を大事にする孫呉にとって、他所から引き抜いてくると言うことはしないが。
色々聞こえてくる噂に気になる人物も居る、例えば許昌を本拠地とする曹 孟徳など。
その中の一人が玄 郷刷、十年と掛からず河北にあるいくつもの街を栄えさせた内政の雄。
それによって得られた金や糧食は凄まじく、もとより有していた大きな財をさらに肥えさせたと。
街には仕事が溢れ、糧食を得る手段が幾らでも有り、事仕事と食う事には困らないとの噂。
それを目当てで河北へと向う者も多く居ると言う。
そんな一大事業を成功させた存在はどれだけ目を惹き付ける者かと、将来危険な相手になるかもしれない存在に孫策は内心踊っていた。
そう思う内心を隠した孫策とそれを見抜いている周瑜は孫家の客室へと移動する、その一室で訪れた客を待つ。
「雪蓮、迂闊な──」
「分かってるわよ」
周瑜の諫言に、孫策は素早く返事。
言わんとする事は分かっている、伊達に親友ではない孫策と周瑜。
その会話から待つこと一分ほど、椅子に座る孫策とその傍に立つ周瑜。
「孫策様、お連れしました」
「入ってもらって」
外から掛けられた声に孫策が返す。
はてさて、一体どんな男かしら?
そう思い開いた戸に注視し、室内へと入って来た者を目に収める。
現れたのは凡庸な男、見るべき所を探しても無さそうな、街に出ればそこら辺に居そうな男。
目を惹かれるのはその男ではなく、続いて入ってきた女。
少し暗い水色の髪、前は胸元で押さえ、後ろは一束ねにして流している女。
その佇まい、その動きはぶれが無く武事に携わる兵と一目で分かる、しかもかなりの使い手だと孫策は判断した。
入ってくる順番が逆ではないかと思う二人、見るべきところが無い男に、一角の武人と見て取れる女。
「お初にお目に掛かります、我が名は玄胞 郷刷と申します。 こちらは当袁家で客将をしてもらっている趙雲 子龍殿です」
ゆったりと玄胞 郷刷と名乗った男と、神槍と噂の趙雲 子龍は頭を下げた。
それを見つつ、孫策は口を開いた。
「私は孫策 伯符よ、こっちが周瑜 公瑾」
「高名は常々」
「……ふぅん、それで? 約束も無しに行き成り出向いてきたのは何か用があっての事でしょ?」
「はい、一つお聞きしたい事がありまして」
「聞きたいこと? 何を聞きたいの?」
「待て、雪蓮。 まずは座って貰おう、それからでも遅くは無いでしょう」
立ったままでは何なんで、周瑜はそういう意図で郷刷と趙雲は着席を進める。
それに従い、もう一度頭を下げて手近な椅子へと二人は腰掛ける。
「聞きたいことねぇ……、文官の極みに私が答えられる事は早々無さそうだけど?」
孫策は軽い皮肉を掛けてみるが、流したのか気づいていないのか。
少しだけ笑みを浮かべて郷刷は話を続ける。
「いえいえ、聞きたいだけですので絶対に答えて欲しいという訳ではないですから」
「……それで?」
そう言った孫策はこの後に軽く後悔する、この男に会うべきではなかったと。
「孫策殿はいつ袁術様に謀反を起こすので?」
孫策を視界に捉え、郷刷は爆弾を落としていった。
この玄 郷刷! 自信がある!