第1話「壊れた日常」
白い。
目を開けた瞬間、そう思った。
……いや、違う。
たぶん俺は、目を開ける前からこの白さを知っていた。
まぶたの裏にまで焼きつくような、無機質な白。
冷たくて、硬くて、どこまでも感情がない。
天井も、壁も、視界の端も。
何もかもが白くて、まるで“俺”という存在そのものが、塗り潰されていくみたいだった。
冷たい。
背中が、硬い。
金属みたいな感触がじわじわと体温を奪っていく。
動こうとして、気づく。
……動けない。
手首も足も重い。
首すら、うまく動かせない。
何かに、固定されている。
息が浅く、苦しい。
鼻につく薬品みたいな匂いが、肺の奥まで入り込んでくる。
――ピッ、ピッ、ピッ。
規則的で、無機質で、やけに正確な電子音。
理由なんて分からない。
分からないのに、心臓だけが嫌だと叫んでいた。
ここにいたくない。
ここは、駄目だ。
『や……だ……』
不意に、声がした。
幼い声。
震えていて、泣きそうで、壊れそうな声。
『こわい……』
誰だ。
そう思った瞬間、背筋が凍る。
その声は、耳から聞こえたんじゃない。
頭の奥。
もっと深い場所。
俺の中から、響いていた。
違う。
これは、俺の声じゃない。
なのに――怖かった。
その恐怖だけは、痛いほど分かった。
視界の端で、影が揺れる。
白衣。
誰かがいる。
顔は、見えない。
見えないはずなのに、見たくないと思った。
もし見てしまったら、きっと俺は、何か決定的なものを思い出してしまう。
それが、どうしようもなく怖かった。
影が近づく。
『……ごめんなさい』
女の声。
小さくて、苦しそうで、なのに――
なぜか、その声だけが胸の奥に刺さった。
苦しい。怖い。痛い。嫌だ。
逃げたい。
逃げなきゃいけない。
――ここから。
◇ ◇ ◇
「っ……!」
息を呑んで、俺は跳ね起きた。
荒い呼吸が、やけにうるさい。
心臓が嫌になるくらい暴れていて、背中にはじっとりと汗が張りついていた。
……夢。
そう理解するまでに、数秒かかった。
見慣れた天井。
白いけど、あの白じゃない。
無機質で冷たいだけの白じゃなくて、少し古びた、ごく普通の天井。
薄く差し込む朝の光。カーテンの隙間。狭い部屋。
現実だ。
「……はぁ……っ」
呼吸を整えようとして、うまくいかない。
嫌な汗が首筋を伝う。
まただ。あの白い夢。
内容なんて、ほとんど覚えていない。
なのに、心臓だけが覚えてる。
怖かった、と。
コンコン。
不意に、ドアがノックされた。
「翔?」
落ち着いた声。
聞き慣れた、その声だけで少しだけ呼吸が戻る。
「……起きてる?」
数秒遅れて、ドアが静かに開いた。
黒髪のセミロングを揺らしながら、如月澪が心配そうに部屋を覗き込む。
その表情はどこか呆れた姉みたいだった。
「また、うなされてた?」
「……悪い」
「謝る必要はないけど」
澪は小さくため息をついて、それから少しだけ困ったように笑った。
「とりあえず、朝食できてるから。顔洗ってきなさい」
『まだ寝たい……』
『締まりませんわね』
『そのまま寝てれば? 永遠に』
「……朝からうるせぇな」
「何が?」
「いや、こっちの話」
澪は一瞬だけ不思議そうな顔をして、でも深くは聞かなかった。
「はいはい。こっちの話でも何でもいいから、早く起きる」
……相変わらず、容赦ない。
けれど、さっきまで胸にこびりついていた、あの白い悪夢の冷たさは、少しだけ薄れていた。
「後五分」
「駄目」
「即答かよ」
「当然」
その声が、少しだけ可笑しくて。
俺は深く息を吐いて、ベッドから足を下ろした。
◇ ◇ ◇
洗面所で冷たい水を顔にかける。
さっきまでこびりついていた嫌な汗も、少しだけ薄れていく気がした。
鏡の中の自分は、いつも通りの俺だ。
……少なくとも、今のところは。
『寝癖、ひどいよ……』
「うるせぇ」
『そのまま爆発しろ』
「朝から好き勝手すぎんだろ……」
小さくぼやきながら髪を適当に整えて、リビングへ向かう。
ドアを開けた瞬間、ふわりと温かい匂いが鼻をくすぐった。
食卓には味噌汁と焼き魚、卵焼き。
変わらない朝の景色だった。
「遅いわよ」
キッチンから澪の声が飛んできた。
振り向けば、エプロン姿の澪が呆れたようにこっちを見ている。
「ちゃんと起きたんだからいいだろ」
「“ちゃんと”の基準が低いのよ」
「厳しくない?」
「普通よ」
容赦がないなこの人は。
『情けないですわね』
『泣いとけ泣いとけ』
「……だから朝からうるせぇって」
「だから何が?」
「なんでもない」
深く追及される前に席につく。
テーブルの上には、すでに二人分の朝食。
栄養バランス重視、みたいな献立を見るあたり、今日も澪らしい。
「はい、味噌汁」
「どうも」
差し出された椀を受け取る。
温かい。
夢の中の冷たさが少しだけ薄れた。
「……翔」
不意に、澪の声の調子が少しだけ変わった。
顔を上げると、澪は椅子に座ったまま、こっちを見ていた。
「今日は、買い物お願いしてもいい?」
「買い物?」
別に珍しいことじゃない。
こういう細かい買い出しを頼まれることは、よくある。
「牛乳と、洗剤。それと……できれば卵も」
「了解」
俺の返事を聞いた澪は、小さく頷いた。
それからふと、キッチンの壁に掛けられたカレンダーへ視線を向ける。
何気なく日付を眺めているだけ――そう見えたけれど、その横顔はどこか物思いにふけっているようにも見えた。
「……そういえば、もうすぐこの家に来て一年ね」
不意に漏れたその言葉に、俺は箸を止める。
「……そういや、そんなになるのか」
「あんまり実感ない?」
「まぁ、あんま覚えてないけどな」
苦笑しながら肩をすくめる。
俺には、澪と暮らし始める以前の記憶がほとんどない。
断片的な夢や感情が頭をよぎることはある。
けれど、それが本当に自分の記憶なのか、それともただの夢なのかさえ分からない。
だからこそ、澪とこうして過ごしたこの一年の方が、俺にとってはずっと現実味があった。
「……そう」
澪は静かに頷き、もう一度だけカレンダーへ目を向けた。
そして、小さく息をついてから俺を見る。
「買い物から帰ってきたら、少し話したいことがあるの」
「なんだよ改まって。今じゃダメなのか?」
「帰ってきてからでいいわ」
「……?」
首を傾げる俺へ、澪は曖昧に笑うだけだった。
「……でも、無理はしないで」
「は?」
「人通りの少ない道は避けてね」
「いや、普通に買い物行くだけだろ?」
「それでも」
ぴしゃり、と。
少しだけ強い言い方。
その声に、思わず箸を止める。
……なんだ?
一瞬だけ澪の表情が強張った。
何かを警戒しているようだった。
「……ごめん。ちょっと言い方きつかったわ」
澪は小さく息をついて、少しだけ困ったように笑った。
「その、最近物騒なニュースも多いし。念のため」
テレビでは海外での失踪事件が淡々と報じられていた。
澪だけが、その画面から静かに目を逸らす。
『……観察対象の情動変化を確認』
「賢者、お前まで空気読めよ」
「え?」
「あー……独り言」
澪はじっと俺を見たあと、やれやれと言いたげに肩をすくめた。
「本当に、気をつけて」
「……分かったよ」
そこまで言われると、さすがに雑には返せない。
というか、こういう時の澪は、大抵少しだけ本気だ。
『過保護ですわね』
『でも、ちょっと嬉しい……』
『さっさと行って帰ってこい』
『帰ってこれれば、だけどね』
「……悪、縁起でもねぇこと言うなよ」
◇ ◇ ◇
結局、買い物そのものは拍子抜けするくらい何事もなく終わった。
「本当にただのおつかいじゃねぇか……」
『へいわだねぇ……』
『卵、落としてみようよ』
「却下」
小さく息を吐きながら、肩の力を抜く。
休日らしい穏やかな街並みが広がっていた。
朝の澪の忠告すら、大げさだったんじゃないかと思えるほどに。
――本当に、気をつけて。
「……心配性なんだよな」
そう呟くと、不思議と少しだけ口元が緩んだ。
口うるさいし、過保護だし、細かい。
……でも悪い気はしない。
見慣れた帰り道。
本来なら大通り沿いをそのまま帰ればいい。
人通りも多いし、店もある。
けど、信号待ちをしている時、ふと視界の端に細い脇道が映った。
住宅街を抜ける、少しだけ近い道。
何度か通ったことはある。
大通りほど人は多くないが、危険というほどでもない。
昼間に通る分には、特に何かあった記憶もない。
この時間なら問題ないだろう。
「……これくらいなら、別にいいか」
澪が聞いたら小言を言いそうだな、と思いながら苦笑する。
ほんの少しの近道。
それだけのつもりだった。
曲がった先は、住宅街特有の静けさだけが広がっていた。
足音だけが妙に響く。
ビニール袋の擦れる音。
自分の靴音。
……妙に、静かだった。
『……翔』
不意に、“僕”の声がした。
その声は、朝みたいな甘えた響きじゃなかった。
小さくて、震えていて。
『……やだ』
「……何が?」
答えはない。
いや、言葉になっていないだけで、伝わってくる。
嫌な感じがする。
理由のない、でも無視しちゃいけないような――
胸の奥が、ざわつく。
『周囲警戒を推奨』
今度は”賢者”の低く、冷静な声が響く。
その瞬間、ぞわりと、背筋を冷たいものが撫でた。
さっきまでの陽射しは変わっていないはずなのに、急に温度が下がった気がした。
何かがいる。
ぐしゃり――と、卵が割れる乾いた音が、住宅街の静けさを不自然なくらい大きく裂いた。
手から滑り落ちたビニール袋は無惨にアスファルトへ叩きつけられ、
白身と黄身がじわりと広がり、牛乳パックが鈍い音を立てて転がっていく。
……あ。終わった。
澪に怒られる――そんなあまりにも日常的な考えが一瞬だけ頭をよぎった。
けれど次の瞬間には、それどころじゃないと背筋が総毛立った。
前。横。後ろ。
気づいた時には、もういた。
黒い服を纏った五人の人影。
まるで最初から風景の中に溶け込んでいた異物みたいに、電柱の影や曲がり角、俺を囲む位置へ静かに存在している。
「対象確認。捕獲プロトコル開始」
無機質な声が響いた瞬間、正面の一人が地面を蹴った。
「――っ!?」
速い、なんて言葉じゃ足りない。
ただ一直線に、躊躇も感情もなく、俺の首元だけを狙って伸びてくる腕。
避けなきゃまずいと理解しても、身体が追いつかない。
無理だ――そう思った瞬間、頭の中で幼い悲鳴が弾けた。
『や、やだぁっ!!』
世界が真っ白に染まった。
人格が表へ出るとき、俺の意識は少しだけ身体から引き離される。
目の前の景色はそのままなのに、自分自身を少し離れた場所から眺めているような、不思議な感覚だ。
身体を動かしているのは俺じゃない。
それでも、その全てを見ていることだけはできる。
視線が少し低くなり、呼吸が震え、心臓が嫌なくらい怯えているのに、両腕だけは泣きそうな必死さで前へ突き出される。
袖が余る感覚、頬に触れる柔らかな髪、怖いのに、それでも“守らなきゃ”だけが全身を支配する。
“僕”だ。
ガキィン――ッ!!
目の前で硬質な衝突音が炸裂し、黒服の腕は俺へ届く寸前で、見えないはずの純白の障壁に阻まれていた。
『こわい……でも、だめぇっ!!』
震えている。泣きそうだ。それでも、誰より必死に俺を守っている。
「対象、防御能力確認」
黒服が一歩退くと同時に、残る四人が一斉に腰の銃へ手を伸ばす気配が走った。
「っ、まず――」
『下がりなさい』
空気が変わる。
恐怖がすっと引き、代わりに湧き上がるのは、呆れに近い苛立ちだった。
……ああもう、品がない。
頬に触れる髪の量が増え、指先は驚くほどしなやかに、細く、優雅さすら帯びていく。
甘い香りにも似た熱が感覚を塗り替えた。
“お嬢”だ。
『穏やかな朝を壊そうなんて、無粋ですわね』
指先に深紅の光が集まり、いつの間にか手の中にはサプレッサー付きの銃が握られていた。
パシュッ――。
一発。
『右、三時方向』
その声と同時に、世界がまた塗り替わる。
熱が引き、頭の中が異様なくらい静まり返る。
恐怖も苛立ちも消え、代わりに敵の位置、射線、重心、呼吸――あらゆる情報が“理解できる”。
見えるんじゃない。分かる。
鼻先に触れる眼鏡の感覚、長く流れる髪。
“賢者”だ。
『腕部。撃てば十分です』
パシュッ。
黒服の銃が弾け飛び、『次。左脚』の声に従うまま二発目が膝を撃ち抜き、一人目が崩れ落ちる。
『一名、無力化』
「冷静すぎんだろ……!」
淡々と告げるその冷静さ毒づく間もなく、今度は理性そのものが熱に焼き切られた。
『まどろっこしいんだよォ!!』
血が沸騰する。笑いたい。違う、ぶん殴りたい。
肩が熱を持ち、腕が軋み、拳を握った瞬間に“壊せる”と本能で理解する。
“戦闘狂”だ。
『細けぇんだよ!!』
一歩で景色が置き去りになり、次の瞬間には二人目の懐へ潜り込んでいた。
ドゴォッ!!
腹部へ拳がめり込み、手応えごと身体を吹き飛ばし、黒服はそのまま後方のブロック塀へ後頭部から叩きつけられる。
『もっとだァ!!』
野蛮だの効率的だの頭の中で好き勝手言い合う声が響く。
「極端すぎんだろ、お前ら!!」
しかしそう叫んだ時にはもう次が来た。
ぞくり、と。
今度は熱そのものが消えた。冷たいんじゃない。温度がない。笑みが浮かぶ。
俺の意思じゃないのに、それを止める気にもならない。
……壊したいんじゃない。ただ、壊れる瞬間が見たい。
“悪の権化”だ。
『ねぇ、もっと楽しく壊そうよ』
音もなく三人目の懐へ入り込み、その胸元へ、ただ静かに手を添える。
『植えてあげる』
どくん、と黒服の身体が跳ねると、錯乱した三人目が隣の味方へ向けて発砲した。
「排除……排除……ッ!!」
パンッ!
四人目被弾、五人目混乱、隊列崩壊。
さらに錯乱した三人目は無差別に叫びながら撃ち続け、数秒前まで完全だった制圧班は、内側から勝手に壊れていく。
『ククッ』
『最低ですわ』
『合理的ではあります』
『最高じゃねぇか!!』
『こ、こわいよぉ……』
「だからうるせぇっての!!」
荒い呼吸の中、気づけば本当に数秒しか経っていなかった。
なのに、朝の買い物帰りだったはずの住宅街は、割れた卵と牛乳、洗剤、倒れた黒服たちによって、もう元の景色じゃない。
生き残った最後の一人が震える手で通信機へ触れる。
「第一制圧班…失敗。対象危険度…再設定。――コード・キメラを確認。NAB本部へ報告する」
ノイズ混じりに告げると、残存個体は仲間すら切り捨てる迷いのなさで即座に撤退していった。
静寂。
熱も、冷静も、狂気も、悪意も、すべてが潮のように引いていき、最後に残るのは荒い呼吸と“俺”だけ。
「……なんなんだよ、マジで」
足元には、割れた卵。
……うん。やっぱり澪、怒るな。
いや、本当にそこじゃない。
問題は、あの意味不明な連中が何者で、なんでいきなり俺を襲ってきたのかってことだ。
あまりにも唐突で、あまりにも現実味がなくて、
さっきまでの出来事全部が悪い夢みたいなのに、足元の惨状だけが嫌になるほど現実だった。
疑問ばかりが頭の中で渦を巻き、ようやく現実味を取り戻しかけたその時、頭の奥では人格たちがいつも通り好き勝手に騒ぎ始める。
『僕、こわかった……』
『当然ですわね』
『状況整理を推奨します』
『次はもっと強ぇの来んのか?』
『ククッ、楽しみだね』
「……楽しむな」
思わず小さく吐き捨てた、その瞬間だった。
ブブッ――
ポケットの中でスマホが震え、反射的に肩が跳ねる。
たったそれだけの振動なのに、まだ戦闘の余韻が抜けきっていない身体には妙に生々しくて、無意識に息まで詰まった。
スマホを取り出し、画面を見る。
――澪。
「……澪?」
なんでこのタイミングで。
いや、買い物に出た時間を考えれば別に不自然じゃないはずなのに、さっきの襲撃の直後だからか、どうにも嫌な予感しかしない。
通話ボタンを押し、耳へ当てる。
「……もしも――」
「翔!?」
その声を聞いた瞬間、思考が止まった。
いつもの澪じゃない。
少し口うるさくて、どこか姉みたいで、呆れながらも世話を焼く、あの落ち着いた声じゃない。
焦っていた。切羽詰まっていた。震えていた。
「っ、なんだよ、どうし――」
「今どこ!?」
間髪入れず、強い声が返ってくる。
問いかけというより確認。あまりにも必死で、こっちが言葉を失うくらいに。
「は……? いや、スーパーの帰り道……住宅街の……」
「無事なの!?怪我は!?」
「え、いや……無事、だけど」
そう答えた瞬間、電話越しにはっきりと息を呑む音が聞こえた。
「……よかった」
小さく漏れたその声は、心の底から安堵したようで、だからこそ余計に違和感が増す。
……なんだよ、その反応。
「おい、澪。何なんだよ。さっき変な黒服みたいな奴らに――」
「翔」
その一言で、空気が変わった。
今まで聞いたことがないくらい真剣で、強くて、張り詰めている。
「お願い。そこから動かないで」
「……は?」
「いい? 近道した?大通りじゃなくて、住宅街の方に入った?」
「な、なんでそれを――」
「答えて!!」
あまりにも切迫した声に、反射的に背筋が伸びた。
「っ……入った、けど……」
数秒の沈黙。
その数秒が、やけに長い。
電話越しに、澪が何かを押し殺している気配だけが伝わってきて、
見えないはずなのに、顔色が変わったんだろうなって妙に分かってしまった。
「……ごめん」
「……え?」
「ごめん、翔……」
掠れた声。苦しそうで、後悔しているみたいで、まるで自分を責めているみたいな声音。
「ちょ、待てよ。何が――」
「今すぐ、そこから離れて」
「は?」
「説明は後でする!だからお願い、早く――」
ゾクリ、と背筋を冷たいものが撫でた。
さっきと同じだ。あの、嫌な感覚。
理屈じゃない。本能が、警鐘を鳴らす。
「翔……?」
澪の声が、急に遠く感じた。
頭の奥で、誰かが小さく息を呑む。
『……やだ』
“僕”だった。
続けて、賢者の静かな声。
『上です』
反射的に顔を上げる。
快晴だった。雲ひとつない青空が、何事もないみたいにどこまでも広がっている。
……その中に、いた。
黒い影。
高い。遠い。
けど、確実に“こっち”を見下ろしている異物。
「――なっ」
喉が、引きつる。
「翔!? どうしたの!?」
電話越しの澪の声が響く。
「……澪」
「翔!!」
心臓が、嫌な音を立てた。
さっきので終わりじゃなかった。
むしろ、あれはただの始まりだったんだと、理解したくもないのに分かってしまう。
「……なんなんだよ、これ」
震える声と同時に、電話の向こうで澪が叫んだ。
「逃げて、翔ッ!!」
その瞬間、空にいた“それ”が、動いた。
翔「……というわけで、第一話『壊れた日常』でした」
僕『こ、こわかったよぉ……』
戦闘狂『でも面白くなってきたじゃねぇか!!』
お嬢『住宅街で暴れるのは褒められたものではありませんわね』
悪『卵、もったいなかったねぇ』
翔「そこ!?」
賢者『次回、“空からの追跡者”、ご期待ください』
澪「……翔。本当に気をつけて」
翔「いや、もう絶対なんかヤバいだろこれ……」




