薔薇と群青、誓いの夜
ノアの私室。
月明かりがカーテンの隙間から差し込み、静かな光が二人を包んでいた。
ノアはカリーナをそっとベッドの上に座らせると、手足の縄を慎重に切り、拘束を解いた。
縄を外した跡が、彼女の肌にくっきりと残っている。
その痛々しい痕を指先でなぞるように見つめ、ノアは眉を寄せた。
「……ルイ兄上、君が女性だと明かすためだとしても、シャツを破るなんて言語道断だ。
それに君を縛るなんて……痛かったよね?」
「ノア殿下……お見苦しいものを見せてしまって、すみません。
もしよければ……何か着るものを、お借りできませんか?」
ノアのジャケットを胸元でぎゅっと握るカリーナ。
その仕草にノアは一瞬言葉を失い、それから微笑んで部屋の奥へ消えた。
戻ってきた彼の手には、淡いピンクのサテンのナイトドレスがあった。
「君のために作らせたんだ。これを着て、ゆっくりお風呂にも入っておいで。
きっと少しは、心が落ち着くから」
カリーナは小さく頷き、「ありがとうございます」と囁いた。
***
湯気と共に疲労と痛みが溶けていく。
入浴を終えたカリーナは、ドレスに身を包んでノアの部屋に戻った。
胸元に小さなリボンがあしらわれたその装いは、まるで春の花のように可憐だった。
「……かわいい」
ノアの紅い瞳がぱっと輝く。
「やっぱり、カリーナは何を着ても似合うね」
抱き寄せられた瞬間、カリーナの胸の奥が温かくなる。
ノアはそっと彼女の手を取ると、縄の痕に薬を塗り、優しく包帯を巻いた。
「君が本当に無事でよかった……。
君の身に何かあったら、僕は本当に生きていけない」
その声に滲む震えが、どれほど彼が恐れていたかを物語っていた。
「ノア殿下……私、手紙で酷いことを言ってしまって、ごめんなさい。
でも、離れている間にずっと考えていたのです。
私たち、婚約契約を終わらせて――」
その続きを言おうとした唇を、ノアの指が静かに塞ぐ。
「その続きは僕に言わせて?」
ノアは微笑みながら、懐から小さな箱を取り出した。
中には、ブルーダイヤとルビーを組み合わせた美しい指輪が輝いていた。
「僕たちは“契約”の婚約を終わらせて……“本当の婚約”を結ぼう。
いや、結婚しよう。
僕の妻は、君しかいない」
カリーナの瞳に涙が溢れる。
「ノア殿下……本当に、私が妻でいいのですか?」
「もちろんさ。君じゃなきゃ、僕の隣は務まらない」
ノアはカリーナの薬指に指輪をはめる。
その指輪は、彼女の蒼い瞳と彼の紅い瞳――二人の色を宿していた。
カリーナも微笑み、ノアの薬指に小さな指輪を通す。
二人の手が絡み合い、絆が重なる。
ゆっくりと、額と額が触れた。
互いの鼓動が、静かに、確かに響き合う。
やがて唇が重なり、幾度も形を変えては離れ、また重なった。
そのたびに、失った時間と痛みが少しずつ溶けていくようだった。
ノアはカリーナをそっと抱き寄せ、彼女の背を包む。
「婚姻の儀はまだだけど……今夜くらいは、ただの“ノア”として君の隣にいたい…。抱いてもいい?」
カリーナは穏やかに笑い、頷いた。
「……ええ。ノア殿下、いえ――ノア。私も同じ気持ちです」
二人は見つめ合いながら、もう一度指を絡める。
月明かりが二人を優しく照らす。
紅と蒼が溶け合い、静かに一つになる夜。
それは、永遠の誓いの始まりだった。




