揺れる馬車の中で
リスフォード川沿いの倉庫で押収した麻薬と帳簿は、即座に「フィッシャーズ・コーブ」の隠し倉庫へ運ばれた。
石壁に囲まれた薄暗い空間の中、ラスタは腕を組み、厳しい眼差しで一次検分を指揮している。
「麻薬は本物だな。純度も高い。これをこのまま市場に流せば、一国が沈むレベルだ。」
低く唸るように言ったラスタは、検分を終えると振り返り、ノアとカリスに向かって頷いた。
「この場は俺が見張る。お前は、殿下と共に王宮へ戻れ。陛下への報告を頼む。」
ノアは短く返事をし、カリスとともに馬車へ乗り込む。
川沿いの道を走る馬車の中、月光が二人を淡く照らしていた。
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カリスは、窓の外を見つめながら呟く。
「まさか、暫定令状まで既に準備されていたなんて…。殿下、ザンジス宰相がどう動くかまで読んでいたんですね。」
ノアは少し口元を上げる。
「ラスタ経由で、陛下から即時交付してもらったんだ。宰相が“押収は違法だ”って喚くのは目に見えてるからね。法的にも詰みだよ。」
(殿下って本当にどこまでもすごい…。相手の裏の裏まで読んでるなんて、策士すぎる…。)
そう思いながらノアを見つめるカリス。
その視線に気づいたノアの紅い瞳が、柔らかく揺れる。
「その目は…僕の活躍に感嘆してる顔だね?」
少し得意げに言うノアに、カリスは思わず吹き出す。
「ふふっ。
相手の裏の裏まで読める、国一番の“優秀な参謀”です!」
その言葉にノアは目を瞬かせ、ふっと笑う。
「参謀、か…。でもね、どんな策士でもできないことが一つあるんだ。」
「できないこと?」
首を傾げるカリス。
(それは君を夢中にさせて、僕がいなければ生きていけないようにしたいのに…
君はいつも自立してて、誰よりも強くて、優しくて、しかも可愛すぎるんだよ、カリーナ…。)
そんな言葉を胸の奥で飲み込み、ノアは代わりにそっと彼女の頭に手を置く。
撫でられたカリスは目を細めて、くすぐったそうに笑った。
⸻
馬車の揺れが穏やかになる頃、カリスは静かに眠りに落ちていた。
キャスケットがずれて、薄水色の髪が月明かりに照らされる。
その髪はまるで光を溶かした絹糸のように美しい。
ノアはしばらく見とれていたが、そっとその髪に口づけを落とす。
「君がいるから、僕は強くなれる。どんな時も、支えてくれてありがとう。」
小さく呟いて、カリスに毛布をかける。
その手が離れかけた時、カリスが寝言のように呟いた。
「……ん、ノア殿下……ふふ……私たち、最強のカップルですね……。」
ノアは思わず吹き出す。
「寝言でそんなこと言うんだ……可愛すぎるよ、カリーナ。」
月光が二人を照らし、馬車は静かに王宮への道を走り続けていた。
今夜の星々は、まるで二人の未来を祝福するように瞬いていた。
***
王宮の灯が見え始めた頃、馬車はようやく石畳の上で止まった。
けれど、カリスはまだ夢の中だった。
柔らかな寝息と、わずかに揺れる睫毛。
ノアはそっと彼女の頬を見つめ、微笑む。
「……可愛い寝顔。」
そう呟くと、ノアは静かにカリスを抱き上げた。
その腕の中の彼女は、小動物みたいに軽くて温かい。
廊下に響く靴音が、夜の王宮に穏やかに広がっていく。
彼が向かったのは、自身の私室。
重厚な扉を開け、静かにベッドへとカリスを寝かせた――その瞬間。
「んん……もう、王宮に着いたのですか……?」
カリスがゆっくりと目を開けた。
「うん。まだ寝てていいよ。」
ノアは微笑みながら答える。
「ですが、陛下に報告しに行かないとダメですよね?」
寝ぼけながらも真面目なカリスに、ノアは小さく肩をすくめた。
「そうだね。僕としては、このまま君を抱きしめて眠りたいくらいだけど……報告をサボったら、ラスタが鬼の形相で迎えに来るだろうね。」
「ふふ、確かに。」
カリスが小さく笑う。その笑顔が、疲れを溶かしていくようだった。
⸻
ノアはクローゼットを開け、スーツを選び始める。
「うーん……カリスには、これがいいかな。」
彼の手にあるのは、襟元にルビーとブルーダイヤが散りばめられた深藍のスーツ。
王家専属の職人が仕立てた一点ものだ。
「……殿下? まさか、私に?」
「そう。これを着て、陛下のもとへ行こう。
そのツギハギ服のままだと、“潜入してきました”って自白してるようなもんだからね。」
「……うぅ、たしかに。」
カリスは少し頬を赤らめ、スーツを受け取る。
部屋の隅で袖を通すと――思ったよりも大きい。
(ジャケット、ぶかぶか……でも、殿下の匂いがする……。
まるで、ノア殿下に包まれてるみたいで、幸せかも。)
そんなことを思いながら、ネクタイに悪戦苦闘していると――
「貸して。」
すぐ傍にノアが立っていた。
白いスーツに王家の紋章入りのマント。完璧すぎる王子の姿。
カリスの胸が、どきん、と鳴る。
「あ、ありがとうございます……。」
「ふふ。やっぱり僕のだと大きいね。ジャケットはやめて、ベストだけにしようか。」
そう言って、ノアはカリスの襟を整え、指先でネクタイを軽く締め直す。
指先が首筋をかすめるたび、くすぐったくて、息が止まりそうだった。
「……ノア殿下、そんなに丁寧にしなくても……。」
「だめ。僕の隣に立つ人が、だらしなく見えたら困るからね。」
「っ……! そ、そんな大層な立場では……」
「あるよ。」
真っ直ぐに見つめられて、カリスは何も言えなくなった。
彼の紅い瞳があまりにも優しくて、どこか寂しげで、心を掴まれてしまう。
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整え終えると、ノアは満足げに頷く。
「うん。やっぱり似合う。……僕の隣に立つのは、やっぱり君が一番だ。」
「そ、そんな……っ!」
カリスが慌てて視線を逸らすと、ノアは小さく笑い、手を差し出した。
「じゃあ行こう。任務報告、そして……次の戦いのために。」
二人の影が扉の向こうへ伸びていく。
月光に照らされた二人の背中は、まるで運命を共にする“戦友”のようでもあり、
互いを支え合う“恋人”のようでもあった。




