沈黙の誓い
ノアの私室。
灯された蝋燭の炎が、揺れる影を壁に映していた。
その光の下で、カリス――いや、カリーナは静かに寝かされていた。
白いシーツの上に滲む紅は、あまりにも鮮やかで、息が詰まる。
「しっかり……頼む、カリーナ。」
ノアは震える指で止血を続けていた。
額に浮かんだ汗が頬を伝い落ちる。
そこに医者が駆け込んでくる。
「殿下! すぐに処置を──」
医者が手を伸ばし、カリスのシャツのボタンに触れた瞬間だった。
「ここは……僕がする。」
ノアの声が、低く響く。
医者が戸惑いながらも、彼の瞳に射抜かれ、何も言えず頷いた。
「薬箱だけ置いて、少し出てくれ。」
静かな命令。
扉が閉まる音とともに、部屋にはノアとカリスだけが残った。
彼の紅玉の瞳が、わずかに揺らめく。
(……誰にも、知られたくない。君が“カリーナ”だと。)
ノアは、震える手で一つひとつボタンを外していく。
露わになった胸元には、何重にも巻かれた白いサラシ。
それが、彼女の秘密を守ってきた証だった。
(君は……ここまでして、僕を支えていたのか。)
ノアは息を呑み、そっとハサミを取り出す。
慎重にサラシを切ると、苦しそうだった呼吸が、少しだけ穏やかになる。
その音が、何よりも安堵を与えた。
彼は傷口を丁寧に消毒し、薬を塗り、包帯を巻く。
手の震えが止まらない。
まるで、彼女に触れることさえ恐れているようだった。
「……大丈夫。もう、大丈夫だよ。」
自分に言い聞かせるように呟くと、
ノアは清潔な自分のシャツを脱ぎ、カリーナの身体にそっと着せた。
彼女の長い髪を指で梳き、耳にかける。
その仕草は、まるで壊れ物を扱うように優しい。
ベッドの脇に腰を下ろし、ノアは眠るカリーナの手を握った。
その小さな手は、信じられないほど冷たい。
「君は……本当に、無茶ばかりする。」
震える声で、彼は言葉を紡ぐ。
「君は僕の命が何よりも大切だって言うけど……違うんだよ。
僕にとって大切なのは“君の命”なんだ。」
静寂の中、蝋燭の炎がわずかに揺れる。
「君が傷ついているのを見るだけで、僕の心は引き裂かれるように痛い。
君だけは、何をしても失いたくない。」
ノアの紅い瞳に、涙が一筋、こぼれ落ちる。
「僕の作戦に君が関わったから、こんな目に遭わせてしまった……。
ごめん。全部、僕のせいだ。」
唇を噛みしめる。
それは王子としてではなく、一人の男としての懺悔だった。
「初めて君に出会ったとき、僕は“恋”というものを知った。その感情を抑えられず、君をそばに置きたいと思ってしまった。
それが、僕の罪だ。」
彼は、眠るカリーナの手を額に当てる。
その小さな温もりが、壊れそうなほど愛しい。
「君は、いつも僕を守ってくれた。
笑って、支えて、強くあろうとしてくれる。
その強さも、優しさも……全部、僕の心を救ってくれてる。」
ノアは、彼女の頬をそっと撫でた。
「どうしようもなく、君が好きで、愛している。」
紅玉の瞳が、静かに滲む。
夜風がカーテンを揺らし、淡い月光が二人を包んだ。
その光の中、ノアは小さく呟く。
「……だから、生きてくれ。カリーナ。
僕がどんな罪を背負っても、君を失いたくない。」
彼の声が途切れる。
そして、カリーナの指が、かすかにノアの手を握り返した。
それだけで、彼は涙をこぼしながら、微笑んだ。




