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紅玉の瞳が凍る時

矢が飛んだ瞬間、ラスタは反射的に後方へ跳んだ。

床を蹴る音が鋭く響く。

射手を見逃さない――そう心に誓い、矢の放たれた方向へ走り出す。


「卑劣な真似を……逃がすものか!」


その背を追うように、ノア殿下の叫びが響いた。


「カリスっ!!」


遠くで誰かが名を呼ぶ。

その声が、霞んだ意識の中に届いた。

駆け寄ってきたノアが、私――カリスの身体を抱きとめる。

白いマントが血に染まり、彼の手が震えていた。


「しっかりしろ……! カリス……いや、カリーナ。」


「……ノア、殿下……無事で……よかった、です……」


「お願いだから、もう何も言うな。」


ノアは懸命に私の肩を押さえ、止血を施した。

指先が震えている。

その声も、いつもの穏やかさを失っていた。


ーそれが、少しだけ嬉しかった。

こんな時でも、彼が私を「失いたくない」と思ってくれていることが伝わるから。


「僕の前で……もう二度と、そんな顔をしないで。」


その言葉とともに、ノアの瞳が変わる。

深紅の瞳が、静かに、氷のように冷たく――けれど、底に燃えるような光を宿した。


「――誰だ。」


低く、地を這うような声。

その瞬間、空気が凍りついた。


「僕の愛する人を……こんな目に合わせたのは、誰だ――!」


彼が右手を掲げる。

風がざわめき、やがて咆哮に変わった。

突風が刃となり、残っていた刺客たちを一瞬で薙ぎ払う。


「ぐ、ぎゃあああああッ!!」


悲鳴が交錯する。

誰もが息を呑んだ。

白いマントが、吹き荒ぶ血風の中で翻る。


その姿は、もはや「王子」ではなかった。

ー怒りと喪失に支配された、“獣”のような王。


「……カリスを傷つけた罪、命で償ってもらう。」


その声には怒号も、激情もなかった。

ただ、冷たい恐怖と、底知れぬ“哀しみ”だけが滲んでいた。


やがて、沈黙。

刺客たちは全員、倒れ伏していた。


ノアは膝をつき、私のもとへ戻る。

紅い瞳が、もう一度優しさを取り戻す。


「カリーナ、もう少しだけ……頑張って。」


「……だいじょうぶ、です……。殿下の顔が……見えて……よかった……」


私の声は、掠れて震えていた。

ノアの手が頬に触れ、温もりが伝わる。


「君はいつも……僕を守ってくれるね。」


「……だって……好き、ですから……」


その言葉を最後に、まぶたがゆっくりと閉じていく。

指先から力が抜け、静かな呼吸だけが残った。


「カリーナ――!!!」


ノアの叫びが、誕生祭の会場に響き渡る。

さっきまでの喧騒は嘘のように静まり返り、誰もがその場で凍りついていた。


ーそして。


その光景を、遠く高みから見下ろす影があった。

黒い外套を纏い、口元に薄い笑みを浮かべる男。


「……やはり、“王の駒”は扱いづらい。」


その声は、冷ややかで、どこか楽しげだった。


「ノルヴィス・ノア……君は、いずれ壊れるよ。」


ザンジス宰相の瞳が、闇の底で静かに光を宿した。

まるで、次の“悲劇”を予告するかのように――。

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