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ノアーチェの誘惑作戦

舞踏会でもないのに、私は震えていた。

理由は単純。ノアーチェ(=ノア殿下)が、これから「ラーチェ伯爵を誘惑して油断させる」作戦を実行するからだ。


「殿下は、失敗をしない方だ。俺たちは任務を遂行する。」

ラスタの声が静かに響く。

彼は相変わらず鋭い目をしていたけど、隣に並ぶとほっとする。頼れる男だ。


パーティー会場に入ると、ノアーチェ嬢の美しさで老若男女が一瞬にして目を奪われていた。

シャンデリアに照らされ煌めく金髪、ルビーのように瞬く瞳、白い肌を際立たせるルビーのペンダントにブルーのドレス。

手を口に当てて笑うその所作は、もはや国宝レベル。


(美しすぎて涙出てきた。あれはもう“傾国”というより“滅国”の美だわ…!)


ラスタと私は、ノアーチェから少し離れた場所に立ち、周囲を警戒していた。

すると、ニヤニヤと笑う白髪混じりの男が近づいてくる。

事前情報では、彼こそが今回の標的――ラーチェ伯爵だ。


伯爵は一直線にノアーチェへ向かい、手の甲にキスを落とす。

「いやはや、本当に美しい。君のような女性は初めてだ。名前を教えてくれるかい?」

「ノアーチェでございます。ラーチェ伯爵様。」


(ノア殿下、演技うますぎ。いや、あの美貌を前に平常心でいられる人の方が稀有よ…!)


ノアーチェは柔らかに微笑み、伯爵の手にそっと触れながら話を進める。

言葉の選び方、視線の外し方、息遣いの調整――すべてが完璧に計算されている。私は息を呑んだ。


(殿下の“色気”は、犯罪者の油断を引き出す凶器だ。尊すぎる。)


そして、ノアーチェはラーチェ伯爵を堕とすように、甘く囁いた。

「伯爵様……少し、酔ってしまったみたいで……」

「それはいかん。私の部屋で休むといい。」


ラスタと私は、伯爵にバレないよう距離をとってノアーチェの後を追う。

客室の扉が静かに閉じられる。ラスタは廊下の影で待機、私は胸の鼓動を抑えながら扉の隙間を覗いた。


ノアーチェがワインを注ぎ、伯爵に差し出す。伯爵は目を細めてグラスを口に運ぶ。

そのとき――ノアーチェが胸元のルビーペンダントにそっと触れた。

ほんの一瞬、ペンダントが淡く光ったように見える。


それは合図。私の心臓が一回跳ねた。


ラスタが廊下の影で短く音を鳴らす。私への暗号だ。

私は小さく頷き返し、緊張の糸を張り詰めた。

ノア殿下、ラスタ、そして私――三人の間に生まれる無言の連携が、妙に心強い。


伯爵はワインを飲み干すと、ふと何かを取り出した。古びた革の書箱。――これだ。

「子供の臓器は金になる。不老不死を望む貴族達には、実に商売に都合のいい話だよ。」

伯爵の口から出たその言葉に、背筋が凍る。


(やばい、今だ!)


ノアーチェはふと体を寄せ、ルビーペンダントを伯爵の視界で転がすように見せた。

その裏には小さな鏡板と、薄い紙が挟まれている。

ノアーチェはその紙を伯爵の胸元へ自然に滑り込ませる。伯爵は気づかず笑ったまま。


(ルビーのペンダントの裏って、まさかのメッセージポケット!? 殿下、どこまで準備してるの!?)


さらにノアーチェは、あらかじめ仕込んでおいた“眠り草入りワイン”を手に取る。

伯爵の杯と交換し、微笑みながら注いだ。

ほどなくして伯爵のまぶたは重くなり、頭がカクンと落ちた。完璧だ。


ノアーチェは即座に体を低くし、私に小さく首を振る。

私は部屋に入り、書棚を探り出す。革箱を開けると、帳簿、名簿、送り状。

そこには暗号めいた記録――「引取先:温室の旧倉庫」とある。

「見つけた!」私は小声で囁く。


ラスタが短くナイフで壁を三回弾く――暗号の合図。

彼が屋敷下方の“地下室”を発見したのだ。


私たちは帳簿を抱えて隠れ溝へと移動する。

ラスタが先導し、私はノア殿下(まだノアーチェ姿)と並んで歩く。

ルビーのペンダントが暗闇の中で薄く光り、まるで道しるべのようだった。


地下室の扉は古びた木製で、錠が固い。

ラスタが用意した金具で鍵をこじ開けると、冷たい空気と湿った土の匂いが流れ出る。

そして、微かに聞こえた――子どもたちのすすり泣く声。


扉を押し開けると、薄い毛布にくるまった小さな体がいくつも寄り添っていた。

怯えた瞳がこちらを見上げる。

ノア殿下はすぐに膝をつき、優しく微笑んだ。

「大丈夫、もう怖くないよ。」


その声に、ひとりの女の子がドレスの裾にしがみつく。

ノアはその子を抱き上げ、そっと抱きしめた。

その腕の中で、少女は安心したように目を閉じる。

(殿下……貴方は、優しさの化身ですか……)


ラスタが壁を調べ、少し欠けた石版を押す。

その奥に、裏通路へと下りる階段が現れた。


古びた手すりを掴み、ノアが子どもを抱えて先に進む。

私も次の子を抱き、ラスタが最後尾で背後を固める。


途中、通路の先に複数の影が見えた。

貴族風の男たち――おそらく伯爵の手下だ。

ここで見つかれば、すべてが水の泡。


ノア殿下が小声で「カリス……」と囁く。

私はすぐに決断した。

殿下を壁際に押し付け、顔を近づける。

――壁ドン。距離、ゼロ。呼吸が触れるほど。


「し、失礼します殿下! 今だけ……!」


自分でも大胆だとは思う。

でも、恋人同士の逢瀬に見せかければ、通行人は見逃すはず――そう信じた。


通路の先の男たちは、私たちの姿をちらりと見て顔を赤らめ、「失礼」と言って去っていった。

(勝った……今夜の私、演技力SSR!)


「す、すみません殿下……後でお咎めは受けますので、今は早く行きましょう!」

顔を真っ赤にしながら小声で告げると、ノア殿下は少し驚いた後、吹き出した。

「ふふっ、君って本当に面白いね、カリス。」


その声が、妙に甘くてずるい。


私たちは再び通路を抜け、外の暗い夜道へと出た。

土の匂いが風に変わる。

それは、自由の匂いだった。


外へ出ると、岸辺に手配済みの小舟が待っていた(ラスタの手回し、さすがプロ)。

夜風が頬を撫で、子どもたちは安心したように眠りにつく。


ノアは岸辺で子を抱き、その瞳は疲れていたが、どこか満ち足りている。

私は胸の中に、不思議なぬくもりを感じた。

彼の腕の中で眠る子どもたちが、世界でいちばん幸せそうに見えた。


「よくやった、カリス。」

ラスタは無表情のまま短く言った。

「殿下も怪我がなくて何よりです。」

彼は続ける。だが、その声にはいつもの冷たさの代わりに、敬意が混じっていた。


ノアは穏やかに笑って、「君たちがいたから、救えた」と囁いた。

その言葉が、胸の奥でじんわりと熱を灯す。


(推しに感謝されるなんて……今日、死んでもいいかもしれない。)


……いや、ダメだ。死刑フラグ回避中だった。

生きねば。

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