1話
あれから、私の部屋から聞こえるすすり泣く声に異変を感じた使用人によって、私が目を覚ました事が屋敷中に伝わった。すぐに医者がやってきて、体に異常がない事も分かった。
父と母の話によれば、私は一週間程高熱で寝込んでいたらしい。突然倒れた私に、兄は付きっきりで看病してくれていたそうだ。
もう熱が下がった事や、医者の診断で兄も自身の部屋に戻って行ったが、ことあるごとに理由をつけて見舞いに来ている。
私はといえば、今の状況を整理するため、数日部屋で休ませてもらっている。あくまで体調が心配だから、という理由で。またいつ体調を崩すか分からないので、念のため数日部屋で休むと言ってあるのだ。父も母も特に反対はなく、兄はむしろもっと休めと言っていた。
(そうも言っていられないのだよ、お兄様。)
私は部屋にある姿見の前に立つ。私の記憶より明らかに小さな体に、古い記憶にある部屋と家具。それに使用人や家族の様子からみて、どうやら過去へ戻ってきているらしい。毎日付けていた日記を読むと、今の年は十。兄がシェラード家に来たのが三ヶ月程前の事。つまり今の時点で、私も兄も、婚約者はいない訳だ。
嫌でも思い出すかつての記憶には、私と兄は互いに婚約者がいた。私はこの国の第一王子、兄は我が家と縁のある侯爵家の令嬢。
第一王子は生まれた順番こそ優位なものの、王妃ではなく、愛人の子であった。そのため正統な血を引く第二王子を次期国王にという声も少なくなかった。そんな中で選ばれたのが、かつての王女を祖母に持つ正統な血を受け継ぐ私との婚約だった。これにより王家……いや、国王は第一王子を王太子に据え、争いの火種を少しでも減らそうとしたらしい。
兄の婚約者はというと、私とは真逆の理由だった。シェラード家には私以外の子が生まれなかった。母は体が弱く、私を産んで尚普通の暮らしができているのが奇跡だと医者に言われた程だったそうだ。だがそれではシェラード家の跡取りがいない。という事で親戚のラウダー伯爵家から養子として引き取ったのが、私の兄ルクスだった。
本当は私の婿養子として迎え入れ、二人でシェラード家を継ぐ予定だったのだが、予定外に私は王家との婚約が決まってしまった。兄は親戚とはいえ、公爵家の血を引いていない。仕方なしに父は自身の叔母が嫁いだ侯爵家の令嬢との婚約を決めたそうだ。
しかしまぁ、これが全て良くない方向に進んでしまった。
私の婚約者である第一王子と、兄の婚約者である侯爵令嬢が親しくなってしまったのだ。頭の痛い話でもあった。第一王子は王としての資質どころか、最低限貴族の礼儀や知識もなかったのだ。侯爵令嬢はといえば、兄が正統なシェラード家の人間ではなく養子だからと少々小馬鹿にした態度を取っていた。
違かったのは、早々に見切りをつけてしまった私と、歩み寄ろうとした兄、それだけだった。貴族の政略結婚としては、もしかしたら兄の方が正しかったのかもしれない。
けれど結果的に、兄は冤罪をかけられ、私は巻き込まれる形で婚約を破棄された。傷を付けられたと言っても良いが、私にはそれより、兄の冤罪の方が許せなかった。何故か罪に見合わぬ刑に処され、兄は若くして処刑されてしまった。父も母も次々に失い、私に残ったのはやりきれない感情だけ。
家族を失い、家を、地位を、何もかも全てを失った私が生きていくには、あまりにも失った物が多過ぎた。結果、これ以上失うものといえば私の命だけ。私はそのまま復讐のためだけに動き出した。調べてみればこの国が腐っている証拠が出てくる出でくる。
もうこんな国どうなったって知りはしないと立ち上がって復讐を果たし、その後は抜け殻のような毎日を送っていた。
送っていたのだが。今私は十歳、私も兄も婚約者が決まっていない状態。何故か過去に戻ったこの状況で、家族のため、私自身のためにも、傍観者のように前回をなぞる訳にはいかない。
さて、まず手っ取り早いのは、私と兄の婚約を回避する事だろうか。元より兄を婿養子にしようとしていたのなら、私が王家との婚約を回避すれば良い。しかし王家も、王女を祖母に持つ私を簡単には諦めてくれないだろう。もういっそ手っ取り早く兄と先に婚約してしまえば……。
(あぁそうか、兄と先に婚約してしまえばいいんだ!)
王家との婚約は我が家には必要ないものだ。王家との婚約を必死になって求める家も多いだろうが、シェラード家はこの国の四代公爵家のひとつ。王家の次に地位が高く、広大で豊かな領地を持つ。王女であった祖母が嫁入りしていた事もあり、我が家が王家との婚約で得るものはほぼないに等しい。むしろ前回は王家が婚約を盾に関税やらに口出ししてきていたので失う物の方が大きかった。
よし、そうと決めたら即行動! 迷っている時間はない。今十歳となると王家との婚約が決まった年。いつあのバカ王子と婚約させられるか分かったものじゃない。こうなれば兄と父に直談判だ。
身なりも気にせず部屋から飛び出そうとドアを開けた瞬間、目の前には見舞いに来た兄の姿。私の様子に困惑している兄に私は言い放った。
「お兄様、私と結婚してくださいませ!」