古き良き時代
「隊長…お酒飲めたんですね」
アイは下戸であった。酒を飲んで気持ちよく酔える人の気持ちなど想像も出来なかった。
「フフッ…これも毒の一つさ。その味が分からないとは、哀れみさえ感じるよ?」
この階層は『昭和』である。昔を懐かしむ様なノスタルジーでは無く、そのまま日本の『昭和』時代のようだ。
「いやいや、それは隊長の体質が異常なんですって!」
マユミとアイは『昭和』の札幌のおでん屋台で、数人の客と共に凍える冬の風をしのいでいるところであった。
「結びの回廊がこんな所に繋がるなんて…サッパリ意味が分かりません…」
「ん?そうだろうか。確かに私達の過去の時代ではあるけれども、失ってしまった多くの物がここにある、そんな風にも思えるよ。」
「それにしても…」
おでんのコンニャクをプニプニと箸で突付きながら二人の会話は途切れてしまった。
次元昇華した彼女達は、既に鏡面界に住む人々が認識出来ない…筈であったが、この街は沢山の人々を見ることが出来ている。そして目の前のサラリーマン風の二人組の男も、ごぐごく普通に酒を飲み、愚痴を零しながらも笑い合っている。その事が不思議でならなかった。
「これがテラ様が言っていた、重なり合う次元ということなのね。三次元、四次元、五次元と次元を上げながらも同じ空間を共有しているんだわ。」
「空間とは、私が思うよりも複雑なんですね。」
「そうだね。それを理解するには、もう少し私達が次元を上げる必要が有りそうだからね。」
「隊長。この大根、美味しいですよね。」
「出汁が染みていて、それでいて尚大根の旨味がする。確かに美味しいけど、私はハンペンに衝撃を受けたよ。練り物の製品開発は、ギルドでも苦労していたからね。」
「う〜ん!本当ですね!これは美味しいわ!」
そして全てのメニューを端から順にクリアすると、二周目へと突入する。
おでん屋の店主は無言ながらも、そんな二人の食べっぷりをニコニコと眺めている。
「この時代にはスマホは無いんですね。それだけでも人々の繋がりが強いですね。」
「そもそもこの次元の人々は、そんな物に頼る必要性が無いようだけどもね。」
「え?どういう事ですか?」
「私はこの席に座ってからずっと店主と念話しているからだよ?気付かなかったかい?」
「ほえ?あらあら、なんだ店主さん無口かと思ったらそういう事ですか。」
「ここにはスマホどころか、テレビもラジオも無いらしいよ?何よりも極めつけはね、ここには時計が無いんだ。」
「…それは、正に次元が違いますね。成る程、五次元以降はそうなりますよね。」
「正確には六次元の世界だね。今の私達もその入口だろう。そして、『札幌』としては最高次元ということだよ。」
「隊長、いよいよ旅の目的地が近そうですね!」
「フフフッ。そうね。……それはそうと、店主さんにリクエストされてるし、一曲皆さんにお披露目いたしましょう。」
マユミは肩に掛けていた愛用の三味線を下ろすと、拍手が起こる。
静かに奏でられるその唄は、神代の神々と龍の物語。最初の『幸せ』と呼ばれた家族の唄であった。
一度は失われてしまった『幸せ』は、長い長い時の果てに再び集い、更に大きな『幸せ』となって行く。
観客たちはしみじみと聴き惚れ、熱燗をちびちびやりながら涙していた。
「ああ…もうすぐなのね…」
ふと見ると、場の雰囲気に当てられたアイが、飲めないお酒を飲んでしまって潰れていた。
強面の優しい店主は、そんなアイにそっと自分の上着を掛けてあげるのであった。




