第7話「帰還」
朝、ルベルは自室のベッドで目を覚ました。
ベッドを出てカーテンを開けると、清々しい朝日が窓から差し込み、新しい1日の始まりを告げた。
彼は半年の間に誕生日を迎え17歳になった。そして今日は魔石探しのため王都へ向け出発する日である。
目を擦りながらクローゼットの扉を開け、寝間着から別の服装に着替える。
胸元と袖に交差した紐が編み込まれた黒い長袖のシャツ、グレーの長ズボン、茶色いハーフブーツ、腰にベルトを着用。半年間魔法の練習と並行して体を鍛えたおかげか、少しばかり身長が伸び体格も大きくなっていた。着替えを終えた直後、ノックも無しに部屋の扉が開き、かなり焦った様子で女性の使用人が入ってきた。
「ルベル様......おはようございます」
「おはようございます。朝食ですね、すぐ行きます」
「いいえ......朝食は後回しです。私に付いてきてください」
「?」
ルベルは言われるがまま付いて行った。屋敷の廊下を小走りで駆け、階段を降りて1階の大広間へ行くと、大きく開いた玄関の扉付近に屋敷の使用人が集まっていた。その先にはヒューゴとブランの姿も在った。
「父さん、兄さん、おはようございます」
その呼びかけに2人は反応しなかった。聞こえていないのではない。それに反応するのを忘れてしまう程の出来事が、2人の目の前で起きていたのだ。
周囲に群がる使用人をかき分け2人の元へたどり着くと、ルベルの目には驚くべきものが映った。そこには1人の男が立っていた。淡紫色の短髪で黒いローブを身に纏い、端正な顔立ちをした高身長の男。彼の名はウィオラ・アクイレギア。18歳。アクイレギア家の次男でありルベルの兄である。性格は傲慢で領民からも酷く嫌われている。魔法の才能に秀でており頭も良く、王都の魔法学校へ入学し魔法について学んでいる。
「ウィオラ......兄さん」
ルベルの表情は、帰って来た家族を出迎えるとは思えないほど恐怖に満ちていた。彼との苦い思い出が、脳内で地下水のように溢れ出した。
「久しぶりだなぁ~親父、兄貴、そしてルベル......ん? 何だお前。少し変わったか?」
「昔から言っていた筈だぞウィオラ。私のことは『父上』か『父さん』と呼ぶようにと。お前を王都の魔法学校に入学させたのは、単に魔法の才能に秀でていたからだけではない。言葉使いや礼儀を学び、貴族として立派に振る舞えるようになるために入学させたのだ。」
再会して早々、ヒューゴは険悪な表情になっていた。変わることを期待していた息子が、昔と何も変わらないまま帰ってきたことに、心の中で絶望していた。
「ハイハイ。分かったよお父上様。帰って来てすぐ説教とか勘弁してくれよ」
「説明してくれウィオラ。何故急に帰って来たんだ?」
当然の帰郷に驚いていたブランが問いかける。
ウィオラは持っていた革製のトランクの中から1枚の紙を取り出し、それを前に突き出した。
「卒業したのよ。首席でな。まぁ俺の実力をもってすれば楽勝だった。帰って来たのは卒業の報告と、俺が今後何をするかってのを話すためだ」
その紙は紙は魔法学校の卒業証書だった。学長の名前が記されており、印も押されている。しかし、祝福の言葉は無く拍手も起こらなかった。彼が皆から良く思われていないというのはあるが、1番の理由は、ここにいる全員が彼の実力ならば十分あり得ると思っているからだ。
「主席で卒業したんだ。流石に、次期当主の座は俺のもんだよなぁ?親父?」
「私がお前を次期当主にしようとしていたことは確かだ。だがそれはブランが病死した場合の話。今は状況が変わり、魔蝕病を治せる可能性が出てきた。主席で卒業したからといって、お前が当主になれる保証はない」
ヒューゴの口から「魔蝕病を治せる」というありえないワードが飛び出し、ウィオラは一瞬思考が止まった。
「はぁ? 兄貴のそれは不治の病だろ? いつ死んでもおかしくねぇとこから、なんでそんな話になるんだ?」
「半年前、私の友人が魔蝕病を治す手がかりとなるとある花の存在を教えてくれた。我々はそれを手に入れるため、同時期に出された王の依頼を遂行し、その褒美としてその花を手に入れ魔蝕病を治す」
「あぁ、あれか。あの依頼には俺も興味がある。んで? 誰がどうやってその依頼を遂行するってんだ?」
「依頼はルベルにやってもらう。今日王都へ向けて旅立つ」
「......フハッ......ハッハッハッハッハッハッハッ!」
予想外の答えにウィオラはルベルを指さしながら、歪んだ笑みを浮かべて嘲笑った。
「冗談キツいぜ親父ぃ。そいつはろくに魔法が使えねえんだぜ? そんなヤツに大事なことを任せるなんて、頭がどうかしちまったのか?」
彼にとってルベルは、自分の足下にも及ばない圧倒的格下の存在なのだ。
ウィオラの反応を見たルベルは、掌に一瞬で炎を発生させた。小さいながらも強く燃え盛っている。
それを見たウィオラは笑うのをやめ目を見開いた。
「ウィオラ兄さん......僕、魔法が使えるようになったんだよ」
余程驚いたのか、ウィオラは一切瞬きをせず炎を見つめていた。
そして次の瞬間表情が笑顔になり、パチパチとルベルの魔法習得を祝福するかのように拍手をした。
「いやーすげーよ、お前。まさか魔法が使えるようになるなんてなぁ」
普通の人間であれば、この拍手は嘘偽りない祝福の拍手に聞こえるだろう。だがルベルは、ウィオラ・アクイレギアという男がどういう人間なのかを理解している。その行動・言動・表情に、幽霊に遭遇した時のような不気味さを感じ炎を消した。
「流石は俺の弟、王の依頼はお前に任せる......なーんて言うとでも思ったかマヌケ!」
その表情からは笑顔が一瞬で消え、鋭い目でルベルを睨みつけた。
「冗談じゃねぇ。魔石を見つけ出して褒美を貰うのはこの俺だ! 兄貴の病気なんざ知ったことか。次期当主は通過点でしかねぇ。魔石を見つけ出した暁には、褒美として爵位を上げてもらう。そうすりゃ、このしみったれたクソ田舎とは完全におさらばだ! 俺は自分の望みを実現するために、このチャンスをものにする。誰にも邪魔はさせねぇ!」
「ウィオラ! お前というやつは......」
ヒューゴは、ウィオラの情の欠片もない自己中心的な考えに怒り心頭に達した。ウィオラに近づき胸ぐらをつかもうとしたが、それを遮るようにルベルがウィオラの目の前まで歩み寄った。過去の経験からくるウィオラに対する恐怖心は消えてはいない。しかし、この状況をどうにかしなければならないという強い意志が、ルベルの体を動かしたのだ。
「ルベル!」
ブランは心配になって止めようとしたが、張り詰めたただならぬ空気感を感じ取り、自分ではどうにもならないと悟った。
「僕は、兄さんの思い通りになってほしくない。ブラン兄さんにはまだまだ生きていて欲しいし、ウィオラ兄さんには当主になってほしくない! さっきの話を聞いて分かったよ。やっぱりあんたは最悪の未来を呼び寄せる種だ」
「あ?」
「この家の命運を担っているのは僕だ。父さんも、ブラン兄さんも、先生も、みんな僕に託してくれた。だから、みんなが幸せになる方向へ舵を切らなきゃいけない。僕は変わったんだ。もう、死んだような顔で何かに怯え続けはしない!」
ルベルは、自分の心の内に秘めた想いを赤裸々に語った。未来をより良い方向に持って行くという使命感が、彼に勇気を与えた。
この瞬間ウィオラは、目の前にいる青年が自分の知っているルベル・アクイレギアではないのだと理解した。
「あんたを止める!」
ルベルはウィオラの顔を見上げ、真剣な眼差しで彼の目を見つめながら言った。今まで誰にもとったことがない反抗的な態度だった。ピキッとウィオラの額に青筋が張った。ずっと見下してきた弟が自分に盾突き、生意気な口を利いてきたことで、彼の怒りのボルテージは頂点に達した。
「話が終わったらすぐに王都へ戻るつもりだったが、その前にやらなきゃいけねぇことができた」
ウィオラは勢いよくルベルの額へ指をさした。
「ルベル!お前は俺にとっての障害だ!二度と俺に対して生意気な口が利けないよう、完膚なきまでに叩き潰す!」
ルベルは心のどこかでウィオラに恐怖しながらも、一切表情を変えず平静を保っていた。何としてでもウィオラを止めるという強い意志の表れである。
「決闘だ。裏庭へ来い」
ウィオラは怒りの形相でそう言い放ち、1人で裏庭の方へと向かっていった。