第5話「イグニス・アニマ」
「と、その前に一旦場所を変えたいんだけどいいかな? 屋敷の側でイグニス・アニマを使うのは危険だ。どこかにいい場所はあるかい?」
ルベルは少し考えた。
「それなら、屋敷の裏門を出て少し歩いた所に森があります。森の中に開けた場所があるので、そこなら大丈夫だと思います」
「いいね。そこに行こう」
2人は屋敷の裏門を出て森の方へ歩き始めた。
「そういえば、さっき言ってた王の依頼の『とある魔石』ってどんなものなんですか?」
「あぁ、ごめんごめん。伝えるのを忘れていたね」
サルバスはハッと思い出した。
「昔からなんだけど目の前のことに集中していると、他の大事なことを忘れてしまう癖があってね。さっきは君のことで頭がいっぱいだったから、それ以外は頭から吹き飛んでいたよ。ハッハッハッ」
サルバスはヘラヘラしながら言った。どうやらこの癖を治す気はないらしい。
「アハハ…...」
ルベルは反応に困り、苦笑いで済ませた。
「コホン、本題に入ろう。今回探す魔石は大量の魔力を内包した最上級の魔石だ」
魔石とは魔力が結晶化してできた鉱物である。魔石にはS・A・B・C・Dの5段階の等級があり、等級によって内包する魔力量が変わる。主に、魔法や魔力を必要とする道具・設備を使用するためのエネルギー源として用いられる。
「最上級の魔石......」
「ああ。つい最近、王都の周辺でS級魔石の魔力が感知された。ただこの魔石ちょっと変なんだ」
「変?」
ルベルは首を傾げた。
「魔力が示す魔石の場所がコロコロ変わるんだ。しかも、魔力が感知出来なくなる時もある。まだ実物は発見されていないから断言はできないけれど、この魔石は動いているかもしれない」
「!?」
ルベルは頭の中で、鉱物に足が生えて移動している姿を想像したが、さすがにそんなことはある筈がないと、すぐに自分の考えを否定した。
「王都の学者達もお手上げ状態だったよ。動く魔石なんて歴史的に前例が無い。唯一分かっているのは、魔力が示す場所は毎度必ず王都周辺のどこかということだけだ」
「まだまだ謎だらけ。僕はとんでもないものを探すんですね」
「ああ。加えて今回は、魔石を発見した者に望んだ褒美が与えられる。依頼を受けた者達は皆、血眼になって探すだろう。君はその者達を全て出し抜き、魔石を探し出さなくてはならない」
「ええ。そのためにも、イグニス・アニマは絶対に習得しないと」
ルベルは真っ直ぐ前を向いていた。その表情からは、以前のような不安や緊張、迷いなどは感じられなかった。
「あ! サルバスさん。見えてきましたよ」
ルベルは前方を指差した。
そこには緑豊かな森が広がっていた。2人はそのまま森の中へと入っていった。
森の中はまさに『別世界』ともいえる風景だった。小鳥が囀る鬱蒼とした森だ。風が吹くと木々がざわざわと騒ぎ立てる。そんな森の澄み切った空気癒されるながら進んでいき、目的地の開けた場所へ到着した。そこは高木がない広々とした空き地だった。空き地全体に陽の光が差し込み、神秘的な光景となっている。
「なるほど、確かにここなら魔法の練習をするにはうってつけだ。にしても、よくこんな場所を知っていたね」
「ここは、僕の思い出の場所なんです。小さい頃じーちゃんによく連れて来られました。じーちゃんにとってもここはお気に入りの場所で、鍛錬をしたり、気分を落ち着かせるのに使っていたみたいです」
ルベルは空を見上げながら語った。幼い頃の記憶を思い出し懐かしい気持ちに浸っていた。
「なるほど。なら、有り難く使わせてもらおう。君のお爺さんも、成長した君がここを使ってくれたらさぞかし喜ぶだろう。これだけ広ければ十分。早速始めるとしようか」
「はい!」
ルベルの瞳は今までにないほど輝いていた。新しい魔法を習得できるということに、わくわくが止まらないのだろう。
「イグニス・アニマは試作段階…まだ未完成の魔法だ。習得した後も使い込んで、君自身の手で完成させてほしい」
「勿論」
「ありがとう。研究者として幸せだね。自分が作った魔法を誰かに使ってもらうというのは…...ん? これは?」
サルバスは何かに気付き背後にある茂みの方を向いた。
「どうかしたんですか?」
「あの茂みの向こうから魔力を感じる。何かがこちらへ近づいてきているようだ」
「!?」
ガサガサッ!
次の瞬間、その何かが茂みの中から姿を現した。
グルルルルッ…...
数は5匹。全身を灰色の体毛に覆われ、大きな牙を備えた生物。鋭い眼差しで2人を見つめている。
「グレクスウルフ…...私達の匂いを嗅ぎつけたか」
『グレクスウルフ』
主に森林や山奥に生息する狼。普段は群れで行動し、その中で最も強い個体がリーダーとして群を統率する。知能が高く、仲間と連携して狩りを行う。
「サルバスさん…...どうしますか?」
突然のことにルベルは焦っていた。少し息も荒くなっている。
「勿論戦うさ。いい機会だし、イグニス・アニマの習得に付き合ってもらおう。ルベル、グレクスウルフに遭遇するのは初めてかい?」
「小さい頃に一度だけ。襲われてはいませんが、じーちゃんが撃退するところを近くで見ていたことがあります。でも、1番奥にいるあれは見たことがない」
ルベルが指差した個体は、他の4匹に比べて大きな体躯をしており、右目やその他体の各所に古傷があった。
「あれは群れのリーダーだろうね。今まで幾度となく生存競争に打ち勝ってきた屈強な個体だ。おそらくこの森の生態系の頂点」
「!」
ルベルの体は震えていた。自分の目の前に生態系の頂点に立つ生物がおり、それに敵意を向けられているこの状況で、恐怖心を抱かない訳がなかった。
ザッ…...
ルベルは無意識のうちに1歩後ろへ下がっていた。
「ルベル!」
ルベルはビクッとしてサルバスの方を向くと、彼は拳を握って胸に当てていた。
「自信を持つんだ。防御は私に任せろ! さぁ、杖を構えるんだ! 行動を起こさなければ、何も変わらないぞ!」
「…..。」
コクン。
ルベルは頷いた。まだ恐怖心は消えていないが、覚悟を決めて杖を構えた。
グルル…...ウオオオォォォーーン
リーダー個体が雄叫びを上げると同時に他の4匹が瞬時に散開。2人を取り囲むように陣取った。
「本当は私が手本を見せたいところだが、この状況でそんな余裕はない。私がこの場で手順を教えるから、それに沿ってやってみてくれ」
「はい!」
グルルルルアァァァ!
リーダー以外の4匹が一斉に勢いよく飛びかかってきた。
「なっ!」
ルベルは咄嗟に目を瞑ってしまった。
しかし次の瞬間ーー
ガキィィィン!
堅い物同士がぶつかる音がした。ルベルが恐る恐る目を開けると、2人を囲むようにドーム状の結界が構築されていた。
「これは?」
「防御魔法だよ。私が発動したんだ」
『防御魔法』
魔力を素に壁や結界を構築し攻撃を防ぐ魔法であり、放出型の魔力をもっていれば誰でも使うことができる。
「凄い…...」
初めて見た魔法に、ルベルは驚きを隠せなかった。結界の外では、飛びかかった勢いのまま結界に衝突した4匹のグレクスウルフが、地面でのたうち回っている。
「よし、今がチャンスだ!準備はいいかい?」
「いけます!」
サルバスが防御結界を張ったことで、ルベルの心に少し余裕が生まれた。
「まずは杖を構えて、先端に魔力を集中させる」
ルベルは目を閉じ、魔力が体から杖を伝って先端に集まるイメージをした。徐々に魔力が集まっていき炎の球体が形成された。
「いいぞ!今度はそれを凝縮するんだ!」
炎の球体が徐々に小さくなっていく。同時に赤く輝き始めた。
グルル…...グルルアァァ!
「!」
4匹のグレクスウルフは体勢を立て直し、牙と爪を使って防御結界を攻撃し始めた。
ピシッ! と防御結界に小さなヒビが入った。
「よくできているよ。これで準備は完了。あとは狙いを定めて撃つだけだ!」
「狙うのはリーダーですか?」
「ああ。グレクスウルフの群れはリーダーが倒れると、統率力を失い散り散りになって逃げていく」
ルベルは目を開け、正面にいるリーダーへ狙いを定めた。
「撃つタイミングは私が合図する。合図をしたら迷わず撃て!」
「はい!」
グルルルル
リーダーは鋭い眼差しで結界中のルベルを見ていた。今までにない威圧感を感じ、自分の命が危機に晒されていると気付いた。
グルルルルアァァァーー!
「来たか!」
リーダーは助走をつけて跳躍。そのまま防御結界へ飛びかかった。
ガキィィィン! と自慢の大きな牙と鋭い爪を突き立てる。
ピシィィィ…...パキッパキッ…...バリリィィィン!
その衝撃で防御結界が崩壊。リーダーは勝利を確信した。口を大きく開けこのまま首に噛みつけばこの人間は死ぬと思っていた。
しかし、
「今だ! 撃て!」
「…...喰らえ! 『イグニス・アニマ(火炎の息吹)』!」
そんな幻想は一瞬で打ち砕かれた。先程よりも火球の輝きが増し赤く激しい光が周囲を包み込む。
キュィィィ…...ゴオオォォォォと一点に凝縮された炎が、竜の火炎ブレスの如く一気に放出された。
!? グルルルォォォォォォ
直撃。リーダーは炎に焼かれながらその勢いで吹き飛ばされた。結界崩壊直後空中にいた彼に、回避することなど出来きる筈がなかった。イグニス・アニマは次第に勢いが弱まっていきやがて炎が消えた。
「ハァ…...ハァ…...」
ガクッ!
ルベルは地面に両手と両膝を付いた。
ここまで一切集中を切らしていなかったため、かなり疲弊していた。大量の汗をかき、息がとても荒くなっている。
前方は煙に覆われていたが、煙は徐々に消えていき視界が晴れた。ルベルの目に映ったのは地面に倒れた1匹の狼だった。リーダーは丸焦げになって死んだ。
グルル…...キャイン!キャイン!
リーダーの死を知った他の4匹は一目散にその場から逃げ去った。サルバスはルベルの元へ歩み寄り、背中に手を当てた。
「!」
「おめでとう。素晴らしいよ…...君は」
勝者 『ルベル・アクイレギア』