第10話 刺激
この物語の主人公、ルベル・アクイレギアを一言で表すならば『無』である。彼は劣等感を抱いたまま何もせず、何も知らずに生きてきた実家暮らしの引きこもりニートなのだ。
ルベルがそうなった原因は傲慢な兄ウィオラである。当初、2人の関係は悪いものではなかったが、ある時を境にウィオラはルベルをぞんざいに扱うようになった。ヒューゴやブラン、使用人らの目の届かないところで、ルベルを小馬鹿にしたり暴力を振るうなどの嫌がらせを行い、ルベルを鬱憤晴らしの道具として扱っていた。
最初は祖父アルノルフォが止めていたが、アルノルフォが他界しルベルの気持ちが落ち込んだタイミングで、そこに追い打ちをかけるように嫌がらせは激しさを増していった。この執拗な嫌がらせは、ウィオラが14歳になり王都の魔法学校に入学するまで続いた。こうして、劣等感まみれになり自信を喪失したルベルは、人と関わることを拒絶し17歳になってサルバスに出会うまで、何も起こらない虚無の時を過ごすのである。
ルベルはほぼ何もない状態から、様々なことを経験・吸収し人間として成長していく。この先起こる出来事・出会う人々が、ルベルに一体どのような変化を及ぼすのだろうか?
*
フロース領を飛び立ってから数刻、ルベルは鷲に掴まったまま野原の上を飛行していた。フロース領を出て北へ向かっており、既に未知の場所へと足を踏み入れている。
空を飛ぶことに最初は恐怖していたが、次第に体が慣れ周囲に広がる雄大な景色を楽しむ余裕が生まれていた。
そんな気分でしばらく飛行していると少し先に小さな村が姿を現し、その手前に人の姿が見えた。
「ん? あれは......」
よくよく見てみると、1人の男が盗賊団に取り囲まれ襲われていた。
「いい加減アタシに従いなさいよ。それを渡してくれたら、おとなしくこの村を去るって言ってるじゃない」
と盗賊団の長と思われるピンク髪の女が言った。年齢は20代前半。すらりと背が高く、妖艶な雰囲気を纏っている。
「絶対に......渡すものか!」
眼鏡をかけ細々とした男が、必死に荷物を抱き抱えている。周囲を取り囲まれているため、抵抗することも逃げることも出来ない状態であった。
「『転移大魔法陣利用許可証』アンタが持ってたって宝の持ち腐れでしょ~? アタシは王都に行きたいの。それがあれば楽々王都へひとっ飛び。アタシが使った方が良いに決まってるじゃない」
「良いわけないだろう。これは、お前達のような悪党のために存在しているんじゃあない!」
「ハァ、仕方ないわねぇ。それなら......アンタがその気になるまでたーっぷり可愛がってあげる!」
ピンク髪の女は狂喜の笑みを浮かべ、持っている鞭をパチンッ! と地面に叩き付けた。
「ヒッ!」
男は青ざめ、震えながら亀のようにうずくまる。
「馬鹿な野郎だぜ。姉御の鞭を喰らって、正気を保てるヤツなんかいねぇのによぉ。さぁ~て、この後お前がどんな顔になるか見物だぜ! ギャハハハハッ!」
「ウフフッ、楽しみね。アンタは一体どんな声で鳴くのかしら? 甘美な鳴き声を上げて、頑張ってアタシを喜ばせてね♥」
ピンク髪の女は男の目の前まで迫り、鞭で男の背中を叩いた。
「うぎゃああああああああああっ!」
服の一部が破け痣ができ、悲鳴を上げるほどの強烈な痛みが背中に走る。
「はあぁぁぁ......いいじゃない。でも、そんなもんじゃ無いわよね? もっともーっと、甘い鳴き声を聞かせて頂戴」
ピンク髪の女は、極上のスイーツを食べた後のような心地よさそうな顔をし、再び鞭を振り上げ男を叩こうとした。
「やばいっ! 助けなきゃ!」
その様子を見ていたルベルが焦り始めると、鷲はその意志を汲み取ったかのように素早く緩やかに降下していき、ルベルを安全に地面へと着地させた。休む間もなく杖を構え盗賊へと狙いを定める。
「フレア・カノーネ(業火炮)!」
「ギャガアアアアアアアアッ!」
放たれたフレア・カノーネは、しっかりと数人の盗賊を捉える。男を巻き込まぬよう、無詠唱で放つことで威力・大きさを控えめに調整した。
「!?」
突然の出来事に驚いた盗賊達は、全員ルベルの方へと視線を向けた。
「なっ何だテメェ! 誰だ! どこから出て来やがった!?」
下っ端の1人が焦りながら問い詰めると、ルベルは無言で空を指さした。
「そらぁ? 嘘こいてんじゃあねぇ! 人が空飛べるわけ......は?」
下っ端が上を見上げると、空から降りてきた大きな鷲が目に入り、ルベルが空から来たことを信じざるを得なくなった。
「うっ......なっ、何なんだよテメェは!」
「ただの通りすがりの魔法士だ。今すぐその人を解放しろ」
「へっ、やーなこった。こいつを簡単に手放すわけにはいかねーんだよ。どうします姉御? このガキも一緒にヤッちまいますか?」
「そうねぇ......」
ピンク髪の女は、何故かずっとルベルに釘付けだった。ルベルのことを見つめたまま思考を巡らせている。
(欲しい......欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい! 見るからにアタシより年下、多分17とかそこら辺? 1歩1歩大人へと近づいてるけれど、まだ幼さが消えていない未成熟な感じ。超ドストライク♥ 可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い 絶対欲しいっ!)
赤髪の女は、ペロッと舌で唇を舐め笑みを浮かべると、前へ出てルベルに話しかけた。
「初めまして、アタシはシャルロット。盗賊団『桃色の棘』の団長をやっているの。君のお名前は?」
「僕はルベル。ルベル・アクイレギア」
「そう、ルベルっていうの。見知らぬ人間をわざわざ助けようとするなんて、立派な騎士道精神をお持ちのようね」
「人が痛めつけられてるんだ。見過ごせるわけないだろ」
「あら、優しい。でも、アタシ達を敵に回したのが運の尽き。桃色の棘の恐ろしさを教えてあげる。全員戦闘態勢! この子を生け捕りになさい!」
シャルロットが命令すると、下っ端の1人がオドオドしながら近付いてきた。
「あ、姉御。ここは一旦引きやしょう。こいつがさっき撃った魔法で5人もやられちまった。それと後ろにいるあの鷲、こいつただの魔法士じゃねぇ。俺たちじゃ到底かなわ......」
下っ端の進言を聞いたシャルロットは、血相を変え鞭を地面に思い切り叩き付けた。
「はぁ? アンタ、まさかアタシが子供1人に負けるとでも思ってる? 何をどうしたらそんな考えが出てくるのよ? 脳みそ入ってんの?」
「ちっ違います姉御。俺はただ安全第一に......ウブッ!」
シャルロットは、鞭を下っ端の口に巻き付け塞いだ。下っ端は体をジタバタさせながら、冷や汗をかき顔を紅潮させた。
「お黙りなさい。下僕なら口答えせずアタシのために尽くす。それがアンタ達の存在価値なの。そうでしょう?」
「その通りですぜ姉御! 俺たちは泣く子も黙る盗賊団『桃色の棘』。ガキ1人にボコられるほどヤワじゃねぇ。オイてめえら! 俺たちでこのガキをとっ捕まえるぞ!」
「ウオ――――――――ッ!」
下っ端の1人が号令をかけると他の下っ端もそれに呼応し、計10人で一斉にルベルへ突撃していった。口を塞がれた下っ端は、白目を剥いて気絶しその場に倒れてしまった。
「駄目だ! 君一人じゃこいつらは......うぐっ!」
「アンタは黙って見てなさい!」
シャルロットは脚で男の後頭部を踏みつけた。男は、関係ない人間を巻き込んでしまった罪悪感に苛まれていた。
下っ端達が迫ってくる中、ルベルは全く動じていなかった。既に頭の中で、下っ端を一掃するビジョンが見えていたからだ。冷静に杖を構え魔力を込めると、無数の小さな火球がルベルの周りに出現した。
「ラピッドファイア(火弾連撃)」
『ラピッドファイヤ(火弾連撃)』 無数の小さな火球を放つ中級魔法。威力は控えめだが、発動が速く攻撃範囲が広いのが特徴。
放たれた無数の火球は、迫り来る下っ端達を次々に打ち抜いていき、気付けば全員地に伏せていた。
「す、凄い!」
「!......へぇ、やるじゃない」
(下っ端は片付けた。次はあの人を!)
「君の力が欲しい。あの男の人をこっちへ連れ......あえ?」
と、鷲の力を借りようとしたルベルだが、鷲は地に脚を着き気怠そうに欠伸をしていた。眠そうな顔でウトウトしながら、自ら足下に魔法陣を出現させそのまま中へと消えていってしまった。
「そんなっ! どうして......」
「あれは、まさか......」
「あ~ら残念ねぇ、嫌われちゃったのかしら? それじゃあ次は、こっちの番ね」
シャルロットは魔力で身体強化を行うと、地面を強く蹴りルベルとの距離を一気に詰める。勢いよく向かってくるシャルロットに対し身構えるルベルだが、時既に遅し。シャルロットはルベルの背後に回りがっしりと抱きついた。
「はい、捕まえた♥」
「......!」
「ウフフ。どう? お姉さんの動き見えなかったでしょ。こういう状況になった時、いつもなら完全に服従させて下僕にするんだけど.......」
そう言うとシャルロットは顔を近づけ
「君は特別。側に置いていっぱい可愛がってあげる♥」
と耳元で囁いた。
ルベルは手足を震わせ顔を赤らめた。ルベルが今まで会話した女性のほとんどは屋敷の使用人。見知らぬ女性と会話する機会など無かったため、女性への耐性が皆無である。
「あっ.......えっ......えっと、その、僕は......一緒に、行くなんて......」
緊張のあまりまともに会話ができないルベル。容姿端麗な女性が至近距離まで迫っているという事実を受け入れられていなかった。
「大丈夫、酷いことはなーんにもしないから。お姉さんと一緒に行きましょ」
「ま、待て! 彼は全くの無関係だ。代わりに僕を連れて行け!」
男の要望を聞いたシャルロットは深くため息をつき
「ごめんね。お姉さんやらなきゃいけないことがあるの。良い子にして待っててね♥」
と再び耳元で囁き、ルベルから離れ男の方へと歩いて行った。
「あう......あっ......ぼっ僕は......行か......な」
シャルロット離れると同時に膝から崩れ落ちたルベル。耳元での囁きが、ルベルの脳を破壊し混乱させてしまった。顔を赤面させ空を見上げたまま、天に召されそうな顔で意味も無く言葉を発し続けている。
「せっかく良い気分だったのに、台無しじゃない。アタシにはルベルちゃんがいるから、もうアンタには興味ないの。さっさとそれをよこしなさい。そうすれば何もしないから」
「何度聞いても答えは同じだ。お前に渡す気はない!」
「そ。んじゃ死んで」
シャルロットは真顔になり、鞭に魔力を込めて男の背中を叩く。
「ウギャアアアァァァァッ!」
服の背部は更に破け、痣ができ出血もしていた。周囲に響き渡る恐怖の叫び声が、鞭の恐ろしさを物語っている。
「はっ! やっ、やめろおおおおおおおおおおっ!」
男の悲鳴を聞いて我に返ったルベルは慌てて叫んだ。それでもシャルロットは止まろうとせず、足で男を踏みつけ鞭を振り上げた。ルベルが、魔法でシャルロットを止めようと杖を構えたその時、村の方向から
「姉御~!」
と大声を発しながら、馬に乗った盗賊団の下っ端がこちらへ向かってきた。流石のシャルロットもその声を聞いて手を止める。
「何よ......今大事なところなのに」
下っ端の男はシャルロットの前で馬を止めると、息を切らしながらかなり焦った様子で要件を伝える。
「ハァ、ハァ、姉御......大至急アジトに戻って来て下せぇ。村の自警団の奴らが、姉御が出払ってるのを見てアジトを襲撃して来やがった!」
「はぁ!? また~? ほんとについてないなぁアタシ......」
思いがけない緊急事態に、シャルロットは頭を抱え落ち込んでしまった。そんな状態でもシャルロットは、ルベルの方を振り向き早足で近付いていった。
「うっ、また」
近付いてくるシャルロットを見て、赤面しながら身構えるルベル。シャルロットはルベルの両手を強く握った。
「ごめんね、せっかく良い子にして待っててくれたのに......お姉さん戻らなきゃいけなくなっちゃった。全部終わらせて、すぐお迎えに行くから待っててね。ルベルちゃん♥」
シャルロットは頬を赤らめ、盗賊とは思えない星の如く澄んだ瞳でルベルを見つめながら言った。
「姉御、そのガキは一体......」
「うっさい、アンタは何も知らなくていいの。さっさと馬走らせなさい」
「ヒッ! はっ、はいー!」
シャルロットの表情は一瞬で変わり、殺意の宿った目つきで下っ端を睨んだ。青ざめた下っ端は自分の後ろにシャルロットを乗せ、颯爽と村の方へ走り去って行った。
赤面していたルベルは、手で頬を叩き乱れた気持ちを整えすぐに男の方へ駆け寄っていった。
「大丈夫ですか!?」
「あっ、あぁ」
「早く傷を!」
ルベルは傷ついた男の背中に掌を向ける。
「慈愛の光よ 彼の者を癒やせ 『ヒール』」
『ヒール』は初級の治癒魔法である。ルベルは治癒魔法の適性が低く、他の魔法に比べ習得スピードが遅かった。『使えて損はない』というサルバスのアドバイスで、半年間でなんとか習得した。
「うおおおおおおっ!」
意識を集中させ全力で治癒魔法を行使し、何とか出血を止め痣を完全に治すことができた。
「ありがとう。治癒魔法まで使えるなんて凄いね。よいしょ」
傷が治ったおかげで、男は自力で立ち上がることが出来た。
「初めまして、僕はハワード。この近くの村に住む考古学者だ。ルベル君だったね、さっきは本当にありがとう。助けてくれたお礼がしたい。村へ案内するよ」
2人は気絶した盗賊が転がっている野原を後にし、村へと向かった。