第9話 飛翔
ルベルは、視線の先にいるウィオラをただ見つめることしか出来なかった。立ち上がり応戦しなければならないと理解っていたが、全身に走る激しい痛みがそれを許さない。
意識が朦朧とする中、首から下げているペンダントを片手で握りしめた。そこにはアクイレギアの紋章である交差する三本の剣と、その中央に羽を広げた鷲が描かれている。
意識を保つことも限界に近付き、運命に身を委ねようとした。彼に残された選択肢は『祈る』ということだけだった。
「これで終いだぁ!」
(神様......ご先祖様......どうか)
心の中で祈りを捧げたその時、突如目の前に魔法陣が出現した。
「!?」
輝く魔法陣の中から1羽の鳥が姿を現す。鋭い嘴と鉤爪を持ち、大きな翼を広げ羽ばたいている。それは空の捕食者と恐れられる、最大にして最強の猛禽類『鷲』であった。全身が煌めき魔力が溢れ、通常の生物にはない神聖な雰囲気を纏っている。
『ピィーーーーーーー!』
鷲は数秒だけルベルと目を合わせると、獲物を仕留めにかかる勢いで、すぐさまウィオラの方めがけて飛んでいった。あまりに唐突な出来事に、その場にいる者達は頭が追いつかなかった。
「なっ、なんだこいつは!?」
猛スピードで迫り来る鷲に危機を感じたウィオラは、防御の態勢に入らざるを得なかった。防御魔法を発動し正面に防御壁を構築。その直後ガギイィィィン! と鋭い音を立てながら、鷲の鉤爪が防御壁に突き立てられた。ウィオラは全力で防御壁の維持に注力した。
(畜生......くだらねぇマネしやがって。あの魔法陣、前に王都で見たことがあるな。まさか、あの魔法か?......いや、今はそんなことどうでも良い。さっさとこいつをどうにかしねえと......)
鉤爪では防御壁が壊れないと悟ったのか、鷲は鉤爪を離し翼を大きく羽ばたかせると、地面から強風が吹き荒れた。強風は防御壁を破壊し、ウィオラを赤子のように包み込み宙に浮かせた。
「うおおっっっ!」
強風は強まることも弱まることもない。一定の強さを保ち続け、ただ対象の動きを封じるためだけのもの。ウィオラはまるで無重力空間にいるかのように、フワフワと浮いたまま思うように動けない状態になった。
「うっ......ぐううううううう......っ、ハァ、ハァ、ハァ」
全身の痛みは止まらないがルベルはなんとか力を振り絞り、杖を地面に突き立てフラつきながらも気合いで立ち上がる。
(あの鷲が何なのかは分からないけど、今やらなきゃ確実に負ける。僕の魂が『立ち上がれ』と言っている! 次の一撃で決める!)
「あの野郎、まだ立てんのかよ!クソッ......この風さえなけりゃ、とっくに勝負は付いてるってのに!」
ルベルは深呼吸をし杖を構え、半年前サルバスに魔法を教わった時のことを思い出す。
半年前ーー
「詠唱?」
「ああ。詠唱はあらゆる魔法の威力・効果を底上げ出来る。相手に隙を晒してしまうというデメリットはあるが、その恩恵は絶大だ。弱い魔法でもそれなりに強くなるし、相手との力量差を埋めることだってある。」
「成程。ただ、隙を晒すってなると、安易には使えないですね」
「まぁ、無理に使う必要はないよ。使えそうな時に使えば良いんだ。例えば、相手が行動不能になっていて、自分だけが動ける状況とかね。」
回想終わりーー
「天より授かりし赫き灯火 暗夜を霽らす焔の火光 我が内に在りし業火よ 心奥より湧き上がり 炎塊となりて 行く手を阻む障壁を 灰も残さず撃砕せよ」
詠唱と同時に、炎が一点に集中し大きな火球が形成された。
それを見た鷲は目を光らせウィオラを包む風の拘束を解き、投げられたボールを取ってきた犬のように、素早くルベルの側へと戻ってきた。
「ありがとう......君のおかげで助かったよ」
『ピュイィィィィ』
役目を終えた鷲は、魔法陣の中へと還っていった。
『フレア・カノーネ(業火炮)!』
放たれた火球が、空中から地面に落とされた無防備なウィオラの元へ迫っていく。
(ばっ馬鹿な、俺が負けるだと? あり得ねぇ、そんな筈はねぇ! 俺は生まれながらのエリーだぞ! お前に、お前なんかに......)
「俺が負けるかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
追い詰められ、心が絶望と恐怖に呑まれてしまったウィオラ。最後の悪あがきで地に尻を着いた状態から風魔法を放つも、火球はそれを容易く掻き消しウィオラへと直撃。ボンッ! と音を立て爆ぜた。着弾地点ではモクモクと黒煙が立っている。
直撃を確認したルベルは、緊張が解けて地に両膝をついた。魔力はまだ残っていたが、体力と集中力はとうに限界を迎えていた。
その直後、杖にひびが入りバラバラになって崩れ塵となって消えた。この杖は、創成魔法によって間に合わせで作られた模造品。本物のような耐久性を備えていないため、長期間の使用には不向きであった。
「杖がっ......ハッ!」
杖が壊れたことを惜しむ間も無く、ルベルは黒煙の中から魔力を感じ取り正面を向いた。
黒煙が晴れるとそこにはウィオラの姿が在った。全身の至る所が焦げており、杖を地面に突き立て何とか立てている状態だった。
「ハァ、ハァ......ゲホッ、ゲホッ」
「そんなっ!」
ウィオラは無言でゆっくりと頭を上げ、ルベルを睨みつけた。
「まだ、終わってねぇ。俺が......必ず......手に入れ.......ゲホッ」
再び立ち上がって、戦おうとする意志を見せたウィオラだが、何かを言いかけて気を失い地面にうつ伏せに倒れた。
「決闘は終わりだ! 皆2人の手当を急げ!」
ウィオラが倒れたことを確認し、ヒューゴが声を張って呼びかけると、使用人達がそれぞれの元へ駆け寄って行った。ヒューゴはウィオラの元へ、ブランは使用人に車椅子を押してもらい、ルベルの元へ向かった。
「ルベル! 大丈夫か? 怪我は?」
「大丈夫......だよ」
「ひどい怪我じゃないか、左腕が折れている......」
「ブラン様、私達にお任せを」
早朝にルベルを起こしに来た女性の使用人と、他2人の使用人が両手のひらをルベルの方へ向け、
「穢れ無き慈愛の光よ 我が手に宿り 彼の者を癒し給え 『サナシオン』」
と詠唱を行うと掌から光が放たれ、みるみるうちに傷が癒えていった。ルベルは、痛みが徐々に消えていき、体が軽くなっていくのを感じていた。
治癒魔法『サナシオン』は中級魔法である。多くの魔法には、初級・中級・上級 etc.......と階級が設定されており、上に行けば行くほど強さと習得難易度が上がっていく。先程ルベルが使用した『フレア・カノーネ(業火炮)』は上級魔法に該当する。
「ルベル様、お加減はいかがですか?」
「凄い......体が風船みたいに軽いし、左腕も治ってる!」
先程までの痛みが嘘のように、すくっと立ち上がることが出来た。
「ふぅ......良かった」
ブランは胸を撫で下ろした。
「あっ、ウィオラ兄さんは?」
ウィオラの方へ目をやると、使用人達が彼を担架に乗せて運んでいるところだった。治癒魔法で最低限の治療は終えており、残りの治療は屋敷内で行うようだ。
人生で初めて本気で人を攻撃し、怪我を負わせ、全力で戦い勝利した。ルベルの胸中は、実の兄に怪我を負わせてしまった罪悪感と、本気で戦い勝利した喜びが入り交じっていた。担架で屋敷内へ運ばれていくウィオラを見て、ルベルは何とも言えない気持ちになった。
「悔いているのか? 決闘を受けたことを」
ルベルの気持ちを察したブランが尋ねる。
「後悔はない。けど、少し怖いんだ。これから先目的の為に戦っていく中で、他人を傷つけることが当たり前になって、いつしか自分が自分でなくなってしまうような気がして」
「......私のような軟弱者が語ったところで、なんの説得力も無いかも知れないが聞いてくれ。決闘とは残酷なものだ。何かを賭けて戦い、勝った者は歓喜し、負けた者は絶望する。私はこの決闘に反対だったし、すぐにでも辞めさせたいという気持があった。私がお前の立場だったら、罪悪感に押し潰されて次第に心が壊れていっただろう。たがお前は決闘を受け入れ、降参せずに最後まで戦い抜くことが出来た。何故だと思う?」
「......やるしかないって思ったんだ。逃げ道なんかどこにもないし、ウィオラ兄さんとしっかり向き合うしことが最善の択なんじゃないかって」
「そう。それだ」
「え?」
「お前の行動を見て、私も学んだよ。大切なのはきっと、残酷な現実を受け入れる『覚悟』なんだ。その覚悟があれば、たとえ何が起こっても気負うことなく、目的の為に己の道を突き進んでいくことが出来る。自分で気付いていないだけで、お前は既に覚悟が出来ているんだ。」
「......そういえば先生も言っていた。『これから先、血眼になって魔石を探す者達を、全て出し抜かなきゃならない』って。それはつまり、自分の目的の為に他人を傷付けて蹴落とすってことだ。それが怖いと思った時点で、覚悟が足りないってことになるのか......僕、大丈夫かな?」
「大丈夫さ。お前は覚悟が無いんじゃなく、ただ足りなかったというだけだ。この短期間で覚悟を決めて、歩み始めただけでも凄いことだ。足りないものは、これから先の経験で補っていけばいい。違うか?」
「そうだね......ありがとう、兄さん。」
ブランの励ましの言葉を聞いて、ルベルは表情が和らぎクスッと笑った。
「ルベル、怪我はどうだ? もう大丈夫なのか?」
ウィオラの様子を見に行っていたヒューゴが戻ってきた。
「皆のお蔭で治りました。ウィオラ兄さんの方は、大丈夫なんですか?」
「そうか良かった。ウィオラの方は大事には至っていない。だが、完全に回復するまでには時間がかかるそうだ。」
アクイレギアの使用人は、単に治癒魔法が使えるだけでなく、医学や薬学に精通している者が多い。ある程度の怪我や病気なら、医者を頼らずとも治すことが出来てしまうのだ。
「ごめんなさい父さん。心配をかけてしまって......」
「謝るのは私の方だ。本来なら、父親である私が止めなければならないというのに......結果私は何も出来ず、お前に頼ってしまった」
『もっと厳しく接していれば』、『育て方を間違えてしまった』とウィオラに対する接し方をひどく後悔すると同時に、「父親失格」の4文字が頭をよぎり自責の念に駆られていた。
「父さん、あまり自分を責めないで下さい。今は前向きに考えるべきです。今回の決闘は、兄さんにとって良い経験になった筈。これを機に変わってくれることを願いましょう」
「......それもそうだな」
半年前のルベルからは想像も出来ない発言に、ヒューゴは勇気付けられた。心がどん底まで沈みきった状態から、自信を取り戻す経験をしたからこそ、この言葉をかけることが出来たのだろう。改めて、ネガティブな思考を断ち切ることの重要性に気付かされた。
「そうだルベル、お前に渡すものがあるんだ。」
ヒューゴがそう言うと、側に控えていた使用人が大きな包みをルベルに渡した。
「これは?」
「開けてみろ」
ルベルは言われるがまま包装を解いた。すると中から1本の立派な杖が姿を現わした。
「先日届いたサルバスからの贈り物だ。お前の為にと、王都の名のある職人に作らせた特注品だそうだ」
「先生が......」
長さは130センチ程、素材には椚の木が使われており、先端には光沢のある真紅の水晶がはめ込まれている。初めて本物の杖を手に取り、ようやく魔法士だと認められたような気がして気分が舞い上がっていた。
「サルバス曰く、完成した杖を持ってここへやって来るつもりだったらしいが、製作に時間がかかって間に合わなかったため、創世魔法の模造品を渡したそうだ」
「こんな凄い物を作れる人がいるなんて......王都へ行ったら、必ず会いに行ってお礼を言おう」
「ああ、それがいい。お前のような魔法士に使ってもらえて、杖も職人もさぞかし喜ぶことだろう。
ルベルは杖に掲げ、誕生日プレゼントを貰った子供のように喜びを露わにした。旅立ちの日にふさわしいビッグサプライズであった。
しかし、そんな喜びも束の間。使用人が側へやってきてその時を告げる。
「ルベル様、馬車の準備が整いました。ご出立なされますか?」
家族と故郷に別れを告げる時。いつかは来ると分かってはいたものの、いざその時になると悲しみが込み上げてくる。だがルベルに『行く』という選択肢以外は存在しない。そう決意を固め半年間準備をしてきたのだ。今更立ち止まる理由などどこにも無かった。
快晴の青空と陽に照らされ美しく緑色に輝く新緑が、若き青年の旅立ちを祝福している。一同はその青年を見送るため屋敷の門へ集合した。
出発する直前、皆それぞれルベルと別れの挨拶を交わしていく。
「ルベル、お前のような息子を持つことが出来たことを私は誇りに思う。目的を果たし無事帰って来ることを祈っている」
それ以上の言葉は見つからなかった。今のヒューゴが父親として、勇気を出して危険な役を担ってくれる息子にしてやれることは、激励の言葉を贈ること以外なかった。
「必ずやり遂げますから、安心して待っていてください。僕はヒューゴ・アクイレギアの息子ですから」
ルベルは自信満々にそう答えた。彼の心は「自分にならできる」という自信で満ちあふれていた。
「ルベル......私の為に行ってくれるのは嬉しいことだが、頼むから無理だけはしないでくれ。限界が来たと思ったら迷わず帰って来い。」
旅立つ者とって、帰る場所があるというのはとても心強いことである。ブランが最も恐れていることはルベルの死であり、それが彼にとっての考え得る最悪の未来。自分の身よりも他人の身を案ずる、彼の優しさが垣間見えた瞬間であった。
「大丈夫、僕は死なない。必ず生きて戻ってくるよ」
「そうなることを心より願っている。親愛なる我が弟に、女神の加護があらんことを」
そう言ってルベルの両手を握り、自身の額に当てながら祈りを捧げた。
「では父さん、兄さん行ってきます!」
「ああ。達者でな」
そう言って後ろを向き馬車の方へ向かおうしたその時、ルベルはとある気配を感じ取った。その気配は一度感じたことがあるものだった。ルベルの目の前に白い魔法陣が出現し、そこから再びあの鷲が姿を現わした。
『ピィーーーーーーー!』
「あれは、先程の!」
再び出てきた鷲は先程よりも大きくなっていた。そして瞬く間に両脚でルベルの両肩を掴み、バサッと翼をはためかせそのまま空へ飛び上がった。
「え? うわああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
みるみるうちに体が地表から遠ざかり、皆の姿が小さくなっていく。自分には鷲をコントロール術は無く、変に動けば自分が下に落ちる可能性もある。ルベルは、こうなった時点でもうどうにもならないのだと悟った。
「ちょっと待って......もういいや、行ってきまあぁぁぁぁぁぁぁす!」
しっかり声が届くよう、いつもよりも声を張って叫んだ。みんなを不安にさせないよう笑顔も忘れずに。そんな様子を見ていた一同は、突然の出来事に唖然としてしまった。馬車を準備し待機していた御者も「俺の出番は?」と言わんばかりの顔をしていた。
「行って......しまいましたね」
「ああ。本来の流れと違うが、無事であるならばそれで良い。もはや我々には、見守ってやることしか出来んよ」
最初は焦っていたが気付けばみんな笑顔になり、空へ舞う1羽と1人をただ見つめていた。
「父上、こんな時に何ですが、『あのこと』についてルベルに伝えなくてよかったのですか? かなり前から分かっていたことですし、伝えてやっても良かったのでは?」
「......」
ヒューゴは言葉に詰まってしまった。『あのこと』というのは、ヒューゴとブランだけが気付いていた、時折ルベルに感じるとある違和感の話。それについて伝えるかどうかずっと迷っていたようだ。
「確かに伝えるべきだったのかもしれんが、変に困惑させたくなかったというのがある。サルバスに相談してそれが『悪いことではない』というのは分かったが、あの子にとって大変なこの時期に話せば邪念になったかもしれん」
「ルベルを信じるしかありませんね」
「そうだな。良い方向に進むことを祈ろう」
2人はそう願いながら、既に遠くの空を飛行しているルベルの姿を見つめていた。再会できるその日まで彼を信じて待ち続ける。
同時刻、屋敷1階のとある1室――
ルベルが旅立った最中、ウィオラはベッドに横たわっていた。全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、首から下はまともに動かせない状態であった。治癒魔法のおかげで、後遺症と傷跡が残ることは避けたが、しばらくの間寝たきりの生活になることを余儀なくされた。少し前ルベルに対して言い放ったことが、自分の身に起こるとは予想だにしなかっただろう。
「俺は悪い夢でも見てるのか? クソッ! こんなもん無くたって俺は......」
寝たきりの状態に苛立ったウィオラは、無理矢理体を動かそうとするが、その瞬間全身に激痛が走った。
「うおおっ! 痛えぇぇぇ畜生ぉ!」
「動いては駄目ですウィオラ様! 今は安静にしていて下さい。出ないと回復が遅れてしまいます!」
「ハァ......ハァ......」
(落着け、落ち着くんだ、ウィオラ・アクイレギア。俺は天に選ばれた男、俺の人生は必ず良い方向へ向かうようにできている。こんな所で終わるわけにはいかねぇ! 首を洗って待ってろよクソルベル......最後に勝つのはこの俺だ!)
体はボロボロでも、メンタルは絶好調のウィオラ。彼の人生は一体どこへ向かって行くのだろうか? それが分かるのはまだ先の話......
美しき剣と魔法の世界に生まれた1人の青年。
兄の死という最悪の未来を回避するため、不治の病を治すとある花を捜す旅に出る。
心が沈んでいたところから、自身を取り戻し理想の未来へ向けて歩み始めた。
彼の名は『ルベル・アクイレギア』
まだ見ぬ出会い、立ちはだかる困難、青年の新たな冒険の始まりである。
『第1章』完――