鬼姫さまの花婿
「なんだと」
国王パトリックは、一通の手紙を手にひとことつぶやき、ヘナヘナと床に崩れ落ちた。
「まさか、そんな。鬼姫さまがいらっしゃるだなんて」
力なく漏らされた、とんでもない発言。聞き耳を立てていた書記官は、ポトリとペンを落とす。
「宰相と騎士団長を」
国王の命に、侍従はすぐさま部屋を出た。
かん口令が敷かれたものの、人の口には戸が立てられない。鬼姫さま到来の知らせは、その日中に王都を駆け巡った。男も女も仕事どころではなく、店に詰め掛けて有り金をはたく。
「おやっさん、頼む。武器になりそうなもの、なんでもくれ」
「ご覧の通り、売場はすっからかんさ。今残ってるのは鍋の蓋ぐらいさね」
「くっ、盾の代わりになるかもしれん。それをおくれ」
「小麦粉はもう売り切れなの? 乾燥豆はどう?」
「日持ちのしそうな食べ物は、もうとっくに売り切れでねえ」
「じゃがいもは? かぼちゃでもいいの」
「傷アリのリンゴならいくつか残ってるけど」
「うっ、ジャムにすればなんとかなるかしらね。それをくださいな」
人々は買い集めたものを抱え、家に帰り、扉と窓にカギをかけ、毛布にくるまり、神の加護と鬼姫さまの目が己に向けられないことを、ただただ祈った。
ひっそりと静まり返った街中とは対照的に、王宮はてんやわんや、上を下への大騒ぎ。
図書室では、官吏たちが目を血走らせて文献を読む。
「前回、鬼姫さまがいらっしゃったときの記録はどこだ」
「鬼姫さまの要求、それにどう対処したか。どこかに載っていないか」
「あれは確か、百年前のことだっただろうか」
「誰か、祖父母から当時の話を聞いている人はいないだろうか」
官吏たちが情報を求めて右往左往しているとき、騎士団はピリッとした緊張感に包まれていた。
「言い伝えによると、鬼姫さまは、こちらから手を出さなければ、無闇に人を襲うようなお方ではないらしい。敵意を見せてはならない、お客様として丁重に誠意をもって対応すること。よいな」
「応」
騎士たちが真剣な顔で答えた。
「祖父の話では、魂が抜けるほど美しい姫だそうだ。夢で見たどんな女性よりキレイだったと、こっそり言っていた。しかし、間違っても口説いたりしないように。万が一、気を悪くされた場合」
騎士団長は、躊躇するように口をつぐんだ。騎士たちが団長をじっと見る。
「国が滅ぼされるかもしれない。鬼姫さまはドラゴン並みに強く、エルフのように知能が高いそうだ。決して失礼のないようにな。国賓だ」
「応」と腹から声を出しながら、若い騎士たちは半信半疑であった。めちゃくちゃ美人で、ドラゴンのように強くて、エルフみたいに頭がいい、だと? そんなおとぎ話みたいな存在が、いるだろうか。実物を目にするのが楽しみなぐらいだ。
騎士たちが熟練と若手で緊張感に差がある中、王宮の奥深くでは王族たちが一丸となって震えあがっていた。
「食べられてしまうのだろうか」
「誘拐拉致監禁」
「いけにえ、ひとみごくう」
王子や王女は、不安そうにこぼす。
「王位継承争いをしている場合ではありませんわ。国難ですもの」
「派閥争いは忘れて、一致団結しましょう」
「背に腹は代えられませんわね」
第一王妃、第二王妃、第三王妃、たくさんの王妃たちは、渋々と休戦協定をした。国王パトリックは浮かない顔で、玉座から皆を見下ろしている。
「なぜ、私の代で、鬼姫さま」
国王パトリックはうっかり涙がこぼれそうになり、慌てて咳払いする。
王族だけが代々引き継いでいる文章には、「鬼姫さまに逆らうな」と書いてあった。
「なぜ、もっと詳細に書いてくれなかったのですか、歴代の王たち」
国王パトリックは、漏れ出そうなため息をグッとのみこむ。つつけば一瞬でバラバラになりそうな、ワラ束のような王族の結束である。水を差してはなるまい。国王パトリックにも、それぐらいの判断力は残っている。
概ね恐怖、ほんのちょっぴり期待。そんな王都は、白い布がいっぱいだ。いったい誰が言ったのか。
「戦意はありませんって意思表示の白旗をあげると、鬼姫さまの攻撃範囲に入らないで済むんじゃないか」
「それは、あまりにもあからさますぎない? お役人から怒られないかしら」
「お役人から怒られるのと、鬼姫さまの餌食になるのと、どっちがいいって話だろうが」
「窓にシーツをかけるわ」
「うちもうちも」
王都のあらゆる窓から、白い布がハタハタと揺れている。お役人は、見て見ぬフリをした。だって、気持ちは痛いほど分かる。
いつ来るの? 来なくていいけど、来るならさっさと来て、ちゃちゃっと帰ってほしいな。そんな、言葉にはできない民の声が渦巻いたとき、ついに鬼姫さまが到来した。
真っ先に気が付いたのは、王都をぐるりと囲む城壁の監視人。鬼姫さま来訪が分かって以来、美形の男で揃えられている。第一印象って大事だよね、そんな思惑からである。
望遠鏡をのぞいていた監視人がさっと腕を上げる。全員が望遠鏡を目に当てた。
「美人」
「半裸」
「単騎」
「いや、ちげーし。馬に乗ってねーし。徒歩だし」
「ええっ、鬼姫さまって単身徒歩で来る感じの身分?」
「予想外」
「でも、半裸」
男たちは、ゴクリと唾をのんだ。遠目からでもハッキリクッキリ分かる、ボンキュバーンの体。大きなマントを被ってはいるが、風ではためきマントの下からあられもない、けしからん肉体がチラチラ見える。
「下着なの? ねえ、あれって下着なの?」
若い監視人は、望遠鏡を目に押し付けて、必死に目を凝らす。どよめき、わきたつ若き監視人たちだが、鬼姫さまが城壁に近づくに連れ、カタカタと体が震えるのを感じた。
今まで経験したことのない圧。城壁の人々はポケットから白いハンカチを出し、必死で振った。
***
鬼姫イヴは、城壁からの視線がまぶしくて、思わず目をふせた。
「もうー、望遠鏡が太陽の光を反射させてまぶしいったら。大丈夫かな、ダサいって思われてないかな。都会の流行がさっぱり分からなくて」
里のみんなが、いつも通りが素敵だよって言うのを真に受けて、普段着で来てしまったのだ。獲物のヒョウ柄で作った胸当てと短パンである。
「美肌と美脚を惜しみなく見せて、悩殺しなさいって言われたっけ」
イヴは、風に吹かれながら、かっこよく歩いてみる。城壁から白い布がたくさん振られた。
「あら、歓迎の合図かしら。素敵だわ」
イヴは長い髪を両手でかきあげ、ファッサアーと風になびかせる。
白い布はより一層、熱狂的に振り回される。
イヴはクルクル回ったり、投げキッスやウィンクをしたり、存分に観衆に応えた。
「なあんだ、みんな、気のいい人たちじゃないの。母さんが、この国の人間は恥ずかしがり屋で怖がりだから、羽目を外しすぎないように、なーんて言ってたけど」
これだけノリのいい人たちなら、イヴのことも温かく受け止めてくれそう。
上機嫌になったイヴは、城門から堂々と王都に入っていく。
とっても静かで顔がこわばった身なりのいい人たちが、城門から入ってすぐのところで待ち構えていた。なんだか青白くて、今にも倒れてしまいそう。
「鬼姫さま、ようこそいらっしゃいました。馬車で王宮までお連れいたします」
「あら、ありがとう。でも、徒歩でいいのよ。きっと馬が怖がるから」
イヴがチラッと視線をやると、馬は白目をむいて口から泡をふき、ダーンと倒れた。
「まあ、かわいそうに。ごめんなさいね。ケガをしていないといいけれど。動物は、人より繊細だから」
「とんだ失態を。申し訳ございません」
「いいえ、馬に罪はありません。私の覇気がダダ漏れているのが悪いのね、きっと。なんとか覇気を消せないかがんばってみるわね」
イヴは歩きながら、うーんとうなり、覇気をなんとかしようとしてみる。イヴの後ろを、迎えの人たちがゾロゾロついてくる。
一行は、静かな街中を静々と進んでいった。ひとり、またひとり、後ろの人の人数が減っているが、イヴは気にしなかった。きっと用事があるのでしょう。
「そういえば、この白い布、とても素敵ですね。これから一緒に新しい生活を始めましょう。あなた色に染まり染められましょう。そんな意味かしら?」
「はっ、ええ、そのような意味合いかと。はい」
どうしたのかしら、パリッとした男性なのに、汗が出すぎて立派なおヒゲがしおしおになっているわ。きっと私のツノが怖いのね。髪の毛で隠しているつもりだったけど、見えているのかしら。
イヴはささっと前髪をふんわりさせ、人の目にツノが入らないように気を付ける。
里の子たちは怖がらなかったけど。やっぱり慣れってあるものね。早くここの人たちも私のツノと覇気に慣れてくれるといいけれど。
イヴがそんなことを考えているうちに、とてもお金のかかった豪華な王宮にたどり着いた。
キンキンキラキラの王宮の中の、一等きらびやかな部屋にイヴは案内される。
中には光輝く金色の髪を持った、色素の薄い、甘い顔をした美形がずらり。金髪碧眼だらけの部屋で、黒髪黒目のイヴはとっても浮いている。
異質な存在であることに慣れているイヴは、あまり気にせずニッコリ微笑んだ。
「鬼姫のイヴです。王族の皆さんをお集めいただき、ありがとうございます。では、早速ですが、花婿を選ばせていただきますね」
「グウッ」玉座に座っている国王らしき人が、カエルのような声を出す。
「ヒッ」「そんな」「まさか」「聞いてないよ」壁際に立っている、淡い色彩の人たちが、ざわめく。
イヴは首を傾げた。どうして驚いているのだろう。鬼姫が来るっていうのはつまり、そういうことだと決まっているのに。でも、母さまがちゃんと手紙を送ったと言っていたから、大丈夫なはず。でも、念のため──。
「長年の協定にのっとり、鬼姫が王子の誰かを選びます。そして婿として我が国にお連れします。そういうことですが、よろしいかしら?」
「よ、よろしいです」カエルの人が、かすれ声でつぶやいた。
あー、よかった。ちゃんと話が通っていたわ。イヴは姿勢を正すと、王子たちを一人ひとりじっくり観察する。
あら、母さまはすぐ分かるって言ってたのに。ちっとも分からないわ。どういうことかしら。
イヴはもう一度、順番に王子を見つめる。背の高いえらそうな王子、オドオドした王子、女の子みたいにかわいい王子、イヴと決して目を合わそうとしない王子。
「困ったわ」
イヴの心の声は、思いのほか大きく、立派な部屋に響き渡ってしまった。
「ガフッ」カエルの人が、また妙な声を出した。朝食がよくなかったのかもしれないわね。イヴは心配になって玉座の人に目を向ける。
「お気、お気に召しませんか?」
「あのう」
イヴは、はっきりと気に入らないと言うのはどうだろうと迷った。さすがに失礼ではなかろうか。偉そうだし、何様だ、何目線だと思われそうでは?
「あのう、全ての王子がこちらにいらっしゃいますか?」
イヴはやっとこさ、角の立たない婉曲な、ここにはいねえぜ、を言えて、こっそり誇らしくなった。私だって、やろうと思えば建前も遠慮もできるのよ。ドヤア、そんな気持ちである。
イヴが胸を張っていると、王妃らしき女性たちが玉座の周りに集まり、コソコソと話している。イヴはとても耳がいいので、何が話し合われているかはつつぬけだ。イヴは表情を変えずに、とっくりと聞いた。
「陛下、アレがおります」
「母親があれなので呼んではおりませんでしたが」
「曲がりなりにも、陛下の血が入った男がおりました」
「王族の範疇に入れるのも業腹ではありますが、今はむしろ好都合ですわ」
「もしも、もしも、ヤツが花婿になるのであれば、願ってもないこと」
「ああ、なるほど。そういえばそんなのも」
カエルの国王は、今日で一番の笑顔を見せた。心が軽くなり、憂いが晴れた、そんな笑み。
「鬼姫さま、もうひとり王子がおります。母親が平民のため、鬼姫さまのお気に召すとは考えておりませんでしたが、もしよろしければお呼びいたしましょうか。今は街で働いていると思います」
「ええ、そうですね。どうしましょう。働いているところに、私が行ってみてもいいかしら。その方が手っ取り早いですわよね」
とにかく、この部屋に好きになれそうな王子がいないことは確かなのだ。お互い、気まずい思いでヤツだのアレだのを待ちたくないではないか。
***
ヨシュアは貧民街で途方に暮れていた。大工仲間も、荷運びの牛も、誰もいない。
「参ったな。今日は廃屋を解体して、廃材をまとめたかったのだが」
鬼姫さまのウワサが尾ひれをつけて出回ったおかげで、街からは人気がすっかり消えてしまった。屈強な大工たちまで、震えあがってウダウダ理由をつけて、出てこない。
「鬼姫さまが、いくら恐ろしい鬼だからといって、まさか貧民街の民を食べたりはしないと思うが」
どうせ食べるなら、身なりのいい上級貴族の方がいいだろう。栄養たっぷりの食事をとっているから、その日暮らしの貧民よりは食べ応えもありそうだ。ヨシュアは物騒なことを考えたあと、今日の工程を思い描く。
「柱なんかは再利用できそうだ。腐りかけの床や壁板は斧で叩き切るか。一軒ぐらいなら、俺ひとりでもなんとかなるか」
はあ、一日仕事だな。ヨシュアがぼやきながら、斧に手を伸ばした時、後ろから声をかけられた。
「この壁を壊せばいいんですね。僕、力持ちなんでやりますよ」
マントを深々とかぶった少年が、モジモジしている。
「えっ、本当かい? そりゃあ手伝ってくれると助かるけど。大工仕事ってやったことあるかい?」
「はい、家を壊すのも建てるのも、得意です。アハハー」
少年は、奇妙な笑い声をあげながら、フラッとよろめき、「おっとっと」と言いながら壁に手をついた。パーンパリパリッと壁一面が崩れていく。
ヨシュアはあんぐりと口を開けた。
「あ、すみません。手加減できなくて、粉々にしてしまいました。次は気を付けます」
少年はフードを被った頭を、自分の拳でポコポコ叩いている。ヨシュアは思わず少年の手を取った。
「やめなさい。すごく助かったよ」
「ヒッ、ヒァァ」
少年はヨシュアの手を払いのけると、ズザザーッと後ろに下がる。その勢いで、一軒家がバラバラになった。
「あああ、ごめんなさい。残すべき柱まで壊してしまいました。次はそーっとやります」
「お、おお。マジか。君、すごいね。そういえば、今さらだけど、俺ヨシュア。よろしくな」
「ぼぼぼぼ僕は、イヴ、じゃなくってイヴァン。よろしくお願いします」
少年はヨシュアの手をサッと握ると、ピャッと後ずさり、別の廃屋も解体してしまった。
「あわわわわわ」
うろたえるイヴァンを見て、ヨシュアはプッと吹き出す。
「落ち着いて。俺が指示したところだけ、粉々にできるかい?」
イヴァンはブンブンと頭を振る。イヴァンとヨシュアの息は、徐々に合っていった。
「この壁を壊してくれる?」
「はい。ふんっ」
イヴァンが鋭く拳を突き出すと、指定した壁だけが木っ端みじんになる。日が暮れる頃には、廃屋はすべて資材と廃材にきちんと分類され、ぽっかりと空間が広がった。
「イヴァンのおかげで、ひと月の仕事が一日で終わったよ。ありがとう。これ、今日のお礼」
ヨシュアが金貨を一枚渡すと、イヴァンは震えながら金貨を手に取る。
「初めての、贈り物。あ、いえ、ありがとうございます。一生大事にします」
「ハハハ、それで何か買いなよ。飯でもおごろう。何が食べたい?」
「デ、デート。あ、いえ、あの、食欲がないので、今日はこれで。明日もまた手伝わせてください」
「それは本当に助かるよ。じゃあ、また明日なイヴァン。ゆっくり休めよ」
「はい、ヨシュアさんも。おやすみなさい」
イヴァンは小さく手を振ると、どんな馬よりも速く走り去った。
「おもしろい少年だったなあ」
ヨシュアは、一瞬で消えたイヴァンの後ろ姿を思い出し、笑いながら家路についた。
***
疾風怒濤の勢いで走ったイヴはあっという間に王宮に戻り、バーンッと国王の私室の扉を開ける。
「鬼姫さま」
「いかにも。鬼姫イヴです。恋を知って、新しく生まれ変わったイヴです。どう、私の美しさに磨きはかかったかしら?」
イヴはマントをはらい、両手を腰に当て、高らかに笑う。
「鬼姫さま、ということは、お気に召したということでしょうか?」
「お気に召しましたとも。ひと目会った瞬間に、分かりました。彼が、それだと。私の魂の半身、私の運命、私の花婿だと。ということで、お義父さま、ヨシュアのことを洗いざらい、生まれてから今日までの全てを教えてくださいませ」
「グフッ」国王はまた踏まれたカエルのような声を出した。
「鬼姫さま、ヨシュアの歴史については簡単に語りつくせるようなものではございません。資料をまとめておきますので、明日ご説明させていただけませんか。今日はもう遅いですし」
国王は涙を流しながらイヴを見る。
まあ、なんていい義父なのかしら。イヴは感激した。
「そうねそうね。明日も朝早くからヨシュアとお仕事ですのよ。ホホホホ。体を洗って、服とマントもキレイにしなくては。では、お義父さま、よろしくお願いいたしますわ。おやすみなさい。また明日ー」
イヴは与えられた客室に入ると、湯船につかり、汗と土をキレイに洗い流した。
***
「ええい、そなたら。いつまで寝ておるのだ。さっさと起きぬか。そして、ヨシュアについての情報を集めて参れ」
国王は壁際でくったりしている護衛や官吏を叩き起こした。
「ハウッ、陛下、面目ございません。平にご容赦を」
「陛下、さすが陛下でございます。よくあのような威圧を受けて、意識を保っていられるものですね」
「フッ、まあな。それが王の務めであろうよ」
国王は、官吏たちを情報収集に追っ払い、フゥーッと深い息を吐く。部下たちにはああ言ったものの、実際は膝がガクガク、背中は冷や汗でビッショリ、口の中はカラカラなのだ。
「このような体たらく、後世には伝えられぬ。とんだ恥さらしだ。子孫への伝達事項としては、鬼姫さまには逆らうな。それしか書けぬ」
しかしヨシュアめ。酔った勢いで手を出した平民から生まれた子。かえりみることなくこれまで放置しておったが。思わぬところで役に立った。ぜひとも、つつがなく婿入りして、とっとと鬼姫さまと出発してほしいものだ。
「子どもをたくさん作っておくように。これは必ず後々まで伝えねばならぬ」
もしもである。たったひとりの王子を鬼姫さまに取られてしまったら、王家が断絶してしまうではないか。父の言いつけに従い、たくさんの后を迎え、せっせと子作りしていてよかった。
胸を撫でおろす国王であった。
***
閑散とした貧民街で、ヨシュアとイヴの家づくりは順調に進んでいた。
「ふたりの、初めての共同作業」
マントの下で、イヴは感動に打ち震えている。ヨシュアに言われるがままに岩を運び、岩を砕き、土台となる基礎を固め、柱を立て、板を張り、隙間を土で埋め、暖炉を作って、屋根を完成させたのだ。
「ふたりの愛の巣もいつか」
ブツブツつぶやくイヴの肩をヨシュアがガシッと抱く。
「俺たちの作った家だ。これで貧しい人たちも、屋根の下で生活できる。イヴァン、なにもかも君のおかげだ。本当にありがとう」
「ヨシュアさん。僕、僕、あなたに言わなければならないことがあります」
イヴは覚悟を決めた。女として、鬼姫として、正々堂々と愛を告げなければならない。
イヴはマントを脱ぐと跪き、ヨシュアの手を取る。
「ヨシュア、私の本当の名前はイヴ。鬼姫なの。ひと目会ったその日から、私の心はあなたに夢中。一生かけてでも振り向いてもらえるように努力します。結婚を前提として、まずは友だちから始めてもらえませんか」
ヨシュアは目を丸くしてイヴを見つめた。しばらくして、はあーっと息を吐きながら膝をつき、イヴを真正面から見つめる。
「イヴは女性だったのか。俺、そっちの気はないはずなのに、イヴといるとドキドキするようになってて、どうしたもんかと悩んでいたんだ。そっかー、女性だったかー」
「女性だけど、鬼でもありますけど」
「うん、そうなんだね。誰も外に出てこないから、おかしいなあとは思っていたよ」
「私の覇気が強すぎて、皆さん怯えているようです」
「俺はまったく怖くないんだけど」
「それは、ヨシュアが私の運命の人だからだわ、きっと」
「よかった。じゃあ、まずは友だちから。すぐに恋人になって、夫婦になろう、イヴ」
「ヨシュア、大好き」
「イヴ、俺も大好き。ああー、大好きって言えるって最高だ」
「ヨシュア、私、ツノがあるの。大丈夫かな?」
「俺は手の平にタコがいっぱいあるけど。大丈夫かな?」
「もちろん、大丈夫に決まってるじゃない」
「もちろん、俺だって大丈夫だよ」
思いを告げ合った数日後、イヴとヨシュアは国王からたくさんのお祝いをもらい、荷車いっぱいに積んで出発した。
「徒歩だけど、いいかしら」
「ゆっくり行こう。俺も一緒に荷馬車をひくよ」
「力仕事は任せてくださいな」
「一緒に歩きたいんだ」
イヴとヨシュアは、荷馬車をひきながら、ゆっくりと鬼の里を目指して歩いて行く。
ふたりが城門から出てしばらくすると、城壁にはたくさんの民が上り、白旗を振りながら感謝の言葉を叫んだという。
<完>
お読みいただき、ありがとうございました。
ポイントとブクマを入れていただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。