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柘榴  作者: 汐待 空恭
9/11

柘榴(果実)8

 彼以外の情報が一切無くなった、否、入らなくなっていたようで、徐々に周囲の様子が明らかになってくる。よくよく見れば、ビルの出入り口は規制線が張られ、警察と思しき人物が二人立っている。ざわざわと落ち着きのない周囲は、お互いの推測を口にしあったり意見を述べ合ったり、スマートフォンを向けてこの異常事態を記録しようとしていた。そうしてようやく、状況を理解する。

 人が飛び降りようとしているらしい。

 意識と視線をもう一度、彼に向ける。散々見慣れた襤褸ではなく、清潔そうな入院着を纏っている。が、相も変わらず季節とそぐわない格好に変わりない。そんな薄着をするなよ、見てるこっちが寒くなるって言っただろ。それにあんたは人間なんだから、いくら体温が高くても風邪ひくじゃん。それなのに、見慣れない服を着て、靴もはかずに素足で、そんなくたびれたマフラーを後生大事そうに持って。こんな大衆の面前にさらされ、認識されながら、何をしようって言うんだ。私は、あんたのことなんてもう隅に追いやっていたのに。また、息のしづらくなった日常を享受していたっていうのに。それなのに、あんたは。

「馬鹿じゃないのか」

私のつぶやきに、周囲の人間が一斉に振り返った。向けられる猜疑的な目は、今まで徹底して避けてきたはずのそれで。

 冷たい人だな。

 そんなはっきり言うなんて。

 彼なりの悩みがあるかもしれないだろ。

 いったい何様のつもりなんだ。

 軽蔑や嘲笑の混ざった、声、声、声。聞けば聞くほどに、声を上げて笑い出してしまいそうになった。嗚呼、なんてあほらしい。こんな世間様に、こんな人間達に気を遣って、己を律して、生死の判別もつかないような日々を送っていたなんて。従事しようと、役に立とうと、身を捧げようと必死になっていたなんて。

 同情するなら、最後までしてやれよ。偽善を振りかざすなら、最後まで皮をかぶれ。

 スマホのカメラを向けている時点で、彼の死に道楽を見い出しているって、なんで気づかない。

「すげぇな、全部どうでもよくなった」

ぽつぽつ離れ出した視線を感じながら、彼に聞かせたくてぽつりと本音が綻び出た。あれだけ気にしていた周囲からの評価も、彼が妖と偽って家出をしていたことも、なぜあの神社を、私を選んだのかということも。

 全部、全部。

『助けてあげようか?』

あの日の言葉が、脳内にリフレインする。あの、くたびれたマフラーを押し付けた日の光景。

『これ以上を望んだらばちが当たる』

そう言ったはずなのに、今まさに、私はまた息がしやすくなっていて。

 救われたよ。

 助けられたよ。

 そう、彼に届くように思い切り息を吸い込む。そして、彼の名前を呼ぼうとして、彼の名前を知らないことに気づいて、そして、そうして――彼と、目が合った。


“それ”をみて――。私は、その時確かに。

 私という存在が、この世に生きているのだということを実感した。


 彼の死は、命は。四角い機械の枠に囲われて、一時のコンテンツに成り下がる。

 まさしく、対岸の火事。目の前の不幸が、画面向こうで行われているのだと信じて疑わない。他人事だと言い切って省みない。

 なら、私は?

 対岸の火事だというなら、この火が消えた時、彼はどうなる。対岸にいる私はどうなる?いや、どうしたい?

 ――決まっている。

 今ここで彼を、あの青年が燃えていく様をただただ眺めて終わるなんて、何よりも後悔する。この先、どんな人生を迎えようとも、どんな物事が襲い掛かってこようとも、今、この瞬間。彼と共に堕ちないことを、一生後悔する。

 楽になりたいから落ちるんじゃない。――彼とともに堕ちたいから、落ちる。




 「すぐ行くから待ってろこの馬鹿!!」

赤子の頃より出していなかった大声を発した。腹から声が出て、何故か清々した気持ちになる。なんなら、笑顔だって浮かべていた。周囲の注目を搔き分けて、警察や消防隊が群がるビルの出入り口へ向かう。ざわざわとした羽虫の音が耳障りで煩わしい。規制線の前に立ちふさがる人間に「登らせてくれ」と声をかける。視線は既に強張った表情とともに向けられていた。

「駄目に決まってるだろ。彼の知り合いか何か知らないが、今の彼は普通じゃない。一般人で部外者の君を合わせるわけにはいかない」

「普通じゃないって、彼が精神科に入院していたこと?それとも2カ月の家出か?」

羽虫の音が大きくなる。うるせえな。目の前の人間は酷く驚いた様子で「なんでそれを」と呟いた。誤魔化そうかと思ったが、やめた。包み隠さない方が、この物語はいっそう燃え上がる。

「2カ月間彼がいた神社で、ほぼ毎日のように会っていた。居場所がバレるかもしれないってのに、彼は特定の場所にずっと居座って、特定の人物とずっと交流していたってわけ。で、その特定の人物が私というわけだ。さあ、私は一般人で部外者か?」

軽々しい言い方が気に食わなかったのか、横にいた人間の顔が歪む。人間はこういう所が面倒だ。人間の命は大切にすべきという観念から、人間の命が零れ落ちそうなこの場面を緊迫した場面に見せたがる。仕方が無いな、と被り慣れた偽善の皮を纏った。

「彼を救いたいんだ。彼に会わせてくれ」

真剣な声音で、真剣な表情で。しかしどこか悲痛さも滲ませて。そうすれば目の前の人間ははっとして、真っ直ぐにこちらを探ろうと見詰め合う。しばしの沈黙。目の前、こちらをひたと見据える瞳が、私や彼の持つそれよりも透き通っていて、心のどこかが『羨ましい』と呟いた。

「…わかった」

横の人間が「おい」と咎める。それを片手で制して、男は規制線を下げた。

「きっと俺は、君達を救えないからな」

そう呟いたその人は、どこかあきらめに似た表情を浮かべていた。複数形の二人称を不思議に思いながらも、規制線を跨いで中に入る。

 階段を上る間、頭の片隅にその人の顔が張り付いて離れなかった。

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