おひとり様では読まないでください。【晴田先生サイン会お土産ss1】
【その時、彼女は気づいた。不気味な足音が――近づいてきていることに。
「ど、どうして……ここには、私以外に誰もいないはずなのに!」
そんなはずはないと否定しても、本能は今すぐにここから逃げろと告げている。彼女は震える足を必死に動かそうとした。しかし、その時闇の中から――】
かたん。
「きゃっ!」
突然の物音に驚いて、ニコルはぱたんと本を閉じて飛び上がった。
かたかた。と小さく窓が鳴る。どうやら、風のせいらしい。
「ふう……」
ニコルは閉じた本の表紙を眺めて息を吐いた。勉強の息抜きにと学園の図書室で借りた本だが、明るい色の表紙に反して中身はかなりホラー要素の強いミステリー作品だった。とある全寮制の学園で次々と人が殺されていくという内容だ。
「恋愛小説かと思ったのに……でも、結構おもしろいわ」
ニコルは続きを読むために再び本を開こうとして――ぴたりと手を止めた。
「……もう夜だし、続きは明日にしようかしら」
頁はまだ半分以上残っており、ここからどんどん怖くなっていくような雰囲気だ。寝る前に読まないほうがいいかもしれない。
「そういえば、第一章で殺された主人公の親友は、寮の自分の部屋で変わり果てた姿になって――」
かつん。
「ぴゃっ」
窓に木の枝でも当たったのか、小さな音にニコルはまたも飛び上がった。
「そ、そうだわ! 明日、学校で読みましょう! 教室なら周りにたくさん人がいるし!」
いいアイディアを思いついたとばかりに、ニコルは本を鞄に仕舞った。
翌日、授業の合間の休み時間と放課後を利用してニコルは本を読み進めた。明るい教室で読んでいれば、周りにはクラスメイト達がいてにぎやかな会話も聞こえてくる。びくびくしないで読むことができる、とニコルは満足した。
しかし、読み進めていくほどに陰惨で薄気味悪い描写が増えていく。心強い味方だった先輩が命を落とした時には主人公と一緒に叫びそうになってしまった。
(うう……思っていたよりも怖い。お化け屋敷の作り物なら平気なんだけどなあ……でも、ここまで読んだら犯人が気になるし、怖いけど最後まで読もう)
ニコルは学園にいる間に最後まで読んでしまおうと、本に集中した。
とんでもない恐怖展開に息をのみながら読みきった時、ニコルは「ふーっ」と長い息を吐き出してしまった。それぐらい息を詰めて緊張していたのだろう。
「怖かった……さて、図書室に返してから帰ろう。……あれ?」
本を閉じたニコルは、顔を上げて目をぱちくりした。
いつの間にか、窓から差し込む光が真っ赤な夕日になっている。そして、教室にはニコルの他に誰もいない。
「え?」
ニコルはきょろきょろと辺りを見回した。どうやら、他の生徒は皆帰ったようだ。本に集中していたニコルは、教室から人が減っていくことに気づいていなかった。
他のクラスにも生徒は残っていないのか、フロア全体がしんとしている。一人で取り残されたことに気づいたニコルは慌てて教室を出た。
図書室へ向かおうとして、ふと足を止める。図書室へ行くために通る渡り廊下の向こうが薄暗くなっている。ニコルの脳裏に、廊下を渡る登場人物の背後から殺人鬼が襲いかかるシーンがよみがえった。
「うう……」
本には挿絵などなかったのに、頭の中でついつい詳細に想像してしまって、ニコルは足を踏み出せなくなった。
「……あ、明日、返そう。返却期限までまだ日があるし」
ニコルは足早に玄関に向かった。すると、ちょうど玄関を出ようとしていたケイオスがニコルをみつけてぱっと顔を輝かせた。
「ニコル。まだ残っていたのか。今から帰るなら家まで送っていこう」
ケイオスの申し出に、普段なら「お忙しいでしょうし」と断るところだが、今日のニコルは素直に頷いた。
「それで、誰もいない渡り廊下が怖くてためらってしまって……」
「そんなに怖い本だったのか」
ブランズ侯爵家の馬車の中で、ニコルは遅くまで残っていた理由を説明した。
「明日はちゃんと返しに行きます……あまり部屋に置いておきたくないですし」
「そっか。……そうだ! 部屋に置いておくのが嫌なら、俺が預かってやろう!」
「え?」
「俺が預かって、明日図書室に返しておいてやるよ」
ケイオスの申し出に、ニコルは目をぱちぱちした。
「いいんですか?」
「まかせておけ!」
ケイオスが胸を張って請け負ってくれたので、ニコルはお言葉に甘えることにした。
ニコルを送り届けて帰宅したケイオスは、上機嫌で自室に戻った。
「それにしても、ニコルの奴、怖い本を読んで一人で図書室に行けなくなるなんてかわいいな」
にたにたとやに下がりながら、ケイオスは手にした本を開いてみた。
「少し読んでみるか。ニコルと会話のきっかけになるかも知れないし……」
その翌日の放課後。
「すっかり遅くなってしまったな」
用事があって帰りが遅れたキャロラインは、鞄を取りに教室に戻ってきた。他の生徒は皆帰ってしまったようで、フロア全体がしんと静まりかえっている。
しかし、てっきり誰もいないと思っていた教室に一人だけ残っているのを見て、キャロラインは目を丸くした。
「ケイオス。まだ帰っていなかったのか」
「……キャロライン様」
何故か青ざめたケイオスが顔を上げてキャロラインを見た。ただならぬ様子の幼馴染みは、キャロラインに向かってこう言った。
「……図書室に、つきあってくれません……?」
「な、なにがあった!?」
好奇心で読んでみた本が思った以上に薄気味悪い代物で、ケイオスは一人で図書室に行けないニコルを笑うことができなくなってしまったのだった。