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「おい田中ァ! 言われた仕事全然こなせてねぇじゃねえか! テメエ社会人としての自覚あんのか!?」
大川田課長の罵声を聞きながら、俺は呑気に出社する。
「辞める!? お前みたいな奴はどこ行ったって一緒だよ一緒! むしろウチが最善だ! 何故気付かない!?」
また辞めるとか訳のわからない事をのたまい出す狂人が出たらしい。どうしてそんな事を考えるのだろうか。思考回路を覗いてみたいものだ。
ここは株式会社『ダークロード』。社員全員一丸となって朝から晩まで働く、アットホームな会社だ。学歴不問、ESは名前を書くだけで採用されるという就活生に優しい仕様でありながら、初任給は高額、おまけにボーナスも完備されているという至れり尽くせりな企業である。
「おい田中、ボーナスとして50万だ! ただしそこから電気代水道代光熱費パソコンデスク使用料および上司の俺に掛けた迷惑料諸々差っ引いて合計100円だ!」
おまけに、上司の管理が徹底している。失敗した部下には厳しく接するが、それは次同じ失敗を繰り返してほしくないという愛情からなのだ。
「川崎お前、こんな仕事も出来ないの!? いつまでも学生気分で居るんじゃねえよこの無能が! お前がヘマすると俺の評価が下がるだろうが! アァ!?」
これらの素晴らしい要素によって、この会社は年々売上を増加させている。経常利益なら大企業にも負けない程だ。
「今日も明日も、仕事仕事仕事ぉ! この会社は近い将来上場して、世界に羽ばたくグローバル企業となる! お前達はその手助けができるのだぞ! 感謝感謝感謝ァ!」
相変わらず営業部長は張り切っているな。実に喜ばしい事だ。俺はちょっとした激励でもと思い営業部に入る。
「あ、社長。おはようございます」
営業部長は目ざとく俺を見つけ、声を掛けてくる。俺の存在に気が付いた他の社員も立ち上がり次々に頭を下げる。
「いや、挨拶はいい。それより調子はどうだ? 売上の方は順調か?」
「それはもう、もちろんですとも! 皆朝から晩まで一生懸命、頑張っています!」
「そうか。じゃあもちろん、今月のノルマは超えられるよな?」
俺が聞くと、営業部長は満面の笑みを浮かべた。
「お任せください。ノルマの2倍、いや3倍の成果を出してご覧に入れましょう」
「ほう、『ノルマの3倍』か。楽しみにしてるぞ」
あえて『ノルマの3倍』と言う点を強調し、俺は営業部を出る。ドアを閉める直前、営業部長の強い演説が聞こえて来た。
「そう言う訳で、今月は目標の3倍だ! 売って売って売りまくれ! ノルマを超えられなかった奴はどうなるか、分かっているだろうな⁉」
アイツも馬鹿な奴だ。自分の首を絞めるような真似をして。
まあ、向こうから言い出さなくてもこちらが言うつもりだったんだが。
おっと、自己紹介が遅れた。
俺は舞黒 咲間。この『株式会社ダークロード』の代表取締役社長だ。
屋上に出ると、冷たい風が顔に吹きかかる。
「ふう…」
屋上は本来立ち入り禁止なので、ここに来られるのは俺だけだ。何でも、飛び降りる人間をこれ以上増やさないためらしい。
これ以上ってなんだよ、とか、そこらかしこに散らばってる靴は何だ、とか色々言いたいことはあるが、まあそう言った諸々を除けば広く綺麗な屋上だ。
俺が社長になったのは、今から数年前だ。先進国とは思えない程劣悪な労働環境を見かねて、同僚たちと協力してクーデターを起こし、社長の座を乗っ取った。
その後労働環境もかなり改善し、社員の頑張りもあってこの会社は成長を続けている。
手すりに背を預けて涼んでいると、ポケットの中の携帯電話が鳴る。
「もしもし」
『あ、舞黒社長っすか? 定時連絡の時間なんで連絡しました。今の所、そちらの会社からのタレコミはありません』
「分かった。もし通報があったらーーー」
『すぐに連絡します。じゃ、また一週間後に』
それだけ言うと、電話はすぐに切れた。俺は携帯をポケットにしまう。
今の電話は労基の内通者からだ。この会社が通報された場合に備えている。社内の人間が労基に通報すれば、必ず俺に連絡が入ってくる。
これを聞くと、『そこまでする必要ないだろ…』と大抵の人間に言われるが、うちの従業員は何かあるたびにすぐ休みが少ないだ給料が足りないだ何だと喚き出す連中のため、念のため準備している。
しかし、今日も平和だ。
平和とは素晴らしい。平和が続くということは、安定して金を稼ぎ続けられると言うことだ。
戦争や革命、社内クーデターなど世の中を揺るがすような一大事件が起こってしまうと、この安定した椅子から転げ落ちてしまう可能性がある。だが、今の所そんな予兆はない。
「いやあ、今日もいい日だなあ」
そう言って大きく伸びをする。さあ、会社に戻って部下たちに葉っぱをかけてくるか。
その時、空間が一瞬ボウッ、と揺らいだ。
「ん? 何だ?」
何らかの科学現象かと思ったが、そんな感じでもない。何か、今までに見たことがないような不思議な感覚。
首筋がチリつく、嫌な感覚だ。
「新種の現象か、こりゃ? おいおい、だとすればノーベル賞ものじゃねえか」
そういった俺の首筋を、嫌な汗が伝う。
次の瞬間、俺の目の前の空間に黒い穴が出現した。光すらも飲み込むようなそれは、ちょうど俺の身長くらいの大きさを持って顕現している。
遺伝子的に刻まれた生存本能が、無意識にその場から飛び退かせる。デスクワークばかりで鈍っていると思っていたが、意外に動く。
やがて、黒い穴から一人の金髪の女が現れた。顔付きを見るに、年は20歳前後で国籍は不明。社会人経験はなさそうだが、雰囲気から危険な修羅場をいくつも潜ってきた強者であろうことが一目で分かる。
彼女は穴から出るなり、こちらに鋭い視線を向けた。
「ようやく見つけたわ……魔王!!」
「ま、魔王!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。一体コイツは何を言っているのだろうか。
「問答無用!」
そう言うと、女はこちらに真っ直ぐ飛びかかってくる。その手にはいつの間に現れたのか、剣が握られている。
剣の刃先が太陽の光を浴びてギラリと光ったのを見て、俺の背筋が凍る。
「ッ!」
反射的に横っ飛びに転がり、斬撃を回避する。後ろで風切り音と女の舌打ちが聞こえる。
「さすが魔王、いい身のこなしね。でも次でーーー」
「待て待て待て! 魔王って何の話だ!?」
叫ぶも、女は聞く耳を持たない。構わず剣を振り回してくる。必死に回避行動を取るも、日頃からロクな運動をしていなかったせいかすぐに息が上がる。
「ああクソ! こうなったら……」
「もう終わりかしら? 魔王の力はそんな物なの?」
一方、女の方は息切れどころか汗一つかいていない。剣呑な表情でこちらを見ながら、油断なく剣を構え直している。
俺は冷や汗を掻きながら、ポケットに手を突っ込む。
さっきから魔王、魔王、と、よく分からない言葉を使っているが、ここはその設定に乗っかっておくべきか。
「仕方ないな。貴様がその意気なら、こちらも本気を出さざるを得まい」
どすのきいた声で言うと、女の顔に緊張が走った。
「ついに正体を表したわね……いいわ、この勇者メリアが貴方を葬る!!」
何やら一人で盛り上がっている所に悪いが、こちらもそんなに暇ではない。俺はポケットから携帯電話を取り出した。
「!! やっぱり、武器を持っていたか…だがッ!」
勇者を名乗る女が床を蹴り、目にも留まらぬ速さで肉薄してくる。
「武器を使う前に倒せば、問題ないッ!」
近づいてくる女を尻目に、俺は素早く電話を起動。番号を入力して通話ボタンを押すと、相手は即座に電話に出てくれた。
『はい、事件ですか、事故ですかーー』
「刃物を持った、頭のおかしい女が暴れてます! 至急助けに来てください!」
数分後。駆け付けた警察官によって、女は逮捕された。
彼女は最後まで剣を振り回して抵抗しようとしていたが、警察官二人の挟み撃ちには為すすべもなく、一人を相手をしている間に後ろから拘束されて呆気なく捕縛。
到着から確保まで、わずか5分足らずの大捕物だった。
映画や漫画だとかませ役になりがちだけど、やっぱり警察って強ぇわ。連行される女を見ながら、俺はぼんやりとそんな事を考えていた。
「ほら、さっさと歩け」
「ねえ待って! 私、勇者なのよ! そこの魔王を倒そうとしただけなの!」
「はいはい。そう言うのは署で聞くから」
剣を奪われ、手錠をかけられてからも女は訳の分からない供述を繰り返していたが、警官に促される形でパトカーに。
「ふう……危なかった」
額の汗を拭い、俺は溜め息を吐く。そこへ、警察官の一人がこちらへ歩いてくる。
「あ、お疲れさまです。すぐに駆け付けてくれて助かりました」
「いえ、それは構わないのですが……」
「ですが?」
「ビルの中から怒鳴り声と何かを叩く音が複数聞こえたのですが、何か心当たりはありますか?」
間違いなく、上司が部下に檄を飛ばしている所だろう。この会社では日常茶飯事だ。
「恐らく叱咤激励でしょう。うちの会社は皆意欲に満ち溢れてますからね。時に厳しく、時に優しくするのがうちのモットーです」
『飴と鞭』という言葉をポジティブに言い直しただけなので、何も間違っていない。
「それに、警察は民事不介入が原則でしたよね?」
そう言ってダメ押ししてやると、警官は苦い顔をした。
「一応、この後署で事情聴取があるのですが、ご同行願えますか?」
「嫌です」
「……そうですか」
まるで言うのが分かっていたかのように、警官は渋い顔をする。
「ですが、被疑者を確実に起訴するために、詳細な情報を手に入れてーー」
「これ任意ですよね? 拒否します」
「ですが」
「何で狙われるかの心当たりは全くありません。別に起訴しなくていいので、身元確認してしばらく拘置所にぶち込んどいてください」
そう言うと、警官は眉間に皺を寄せた。
「あまり舐めた態度を取ってると、こっちも温厚にはーーーーー」
そう、いかにもバトル漫画に出てきそうな言葉を吐いて詰め寄ろうとした警官に後ろから声が掛かる。
「おい、何やってんだ! 早く行くぞ!」
その言葉を聞いて、警官は舌打ちして踵を返す。その後姿を見ながら、俺は独りごちた。
「捨て台詞くらい吐けよ」
容疑者連行中の車内は、静かなものだった。
気を失った女を、二人の警官が両脇から見張っている。女の抵抗があまりにも強かったため、やむなく当て身をくらわせて気絶させたのだ。
やがてその沈黙を破るように、一人の警官がボソリと呟く。
「……何なんだ。あの男。警察を舐めやがって」
「おい芳賀。静かにしろ」
もう一人の警察官に諌められるが、芳賀の言葉は止まらない。
「だって! 助けを求めておきながら終始僕達を舐めたような言葉をーーーーー」
「気持ちは分かる。だが今回、アイツは被害者だ」
その言葉に、芳賀は眉をひそめた。
「『今回』? 前にも何かあったんですか?」
「あったどころじゃねえよ。三年前の脱税疑惑爆破事件を覚えてるか?」
「ええ、確か所得税を滞納した社長の家に行った税務署員が不手際を起こして家を爆破。回収する税金以上の損害を出したとして訴訟を起こされた事件ですよね?」
「その事件、裏で糸を引いていたのはアイツだよ」
「ええ!?」
「他にも、暴力団員やカルト宗教から金を巻き上げたり、海外に詐欺商品を売りつけたりと、叩けば叩くほど埃が出てくるようなやつだ。だが、一切証拠を出さないんだよ」
「一つも、ですか?」
「ああ、ただの一つもだ。今まで幾度となく言いがかりを付けて署までしょっぴいて来たが、証拠も証人も出てきやしねえ。今公安の奴がアイツを張ってるが、何一つボロを出しやしねえんだ。チッ、頭が良い奴って言うのは嫌だねえ」
「そんな人間が社長をやっているなんて大丈夫なんですか? すぐに潰れそうな気がーーーーー」
「残念だがそれはない。あの男、物を売る能力が抜群に高いんだ。マーケティングの専門家曰く、顧客が求めている物や、技術的には可能だが誰も思いつかなかったような物を提供するのが異常に上手いらしい。まさに『マーケティングの天才』としか形容できないとべた褒めしてたよ」
「まさに悪徳商人ですね」
「ああ。奴は俺達警察の最大の敵だ」