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「モト~!モト~!女中のモトは 居ぬか?
ご隠居がそう叫ぶとシロが答えました。
はい!今朝、人間になりました。
『元犬』というお噺でございました……」
サゲを言うと私は深々とお辞儀をした。
耳元でイルマ様の笑い声が響いていた。
『おおっ!儂はわかったぞ!今のは居ぬと犬をかけたダジャレじゃな!』
「さすがです!イルマ様!」
(よしよし!今日の高座も大ウケだったわ)
すっかり芸人魂が身についてしまった私は、思わずガッポーズをしながら高座を降りた。
部屋の隅に正座をして待機していたゴーレムが、ネタ帳に筆で「元犬」と今の演目のタイトルを記入してくれていた。
「ちょいとネタ帳を見せておくれ、ゴーレムさん」
ネタ帳には今まで私がイルマ様に披露した落語のタイトルが記載されている。
「ひー、ふー、みー……。もう三十本もネタが貯まったんだね。そろそろいい頃合いだね」
私はネタ帳を持ってイルマ様がいる居間に入っていった。
イルマ様はいつも通りソファーに寝ころび、ワインを飲んで顔を赤く染めている。
「おお!お前さんかい?今日の落語も面白かったよ。どうした?一緒にワインを飲まないかい」
イルマ様は上機嫌だ。
言うなら今しかない。
「イルマ様、このネタ帳を見て下さい」
私はネタ帳をイルマ様に手渡した。
「これがどうしたんだい?」
「もうネタが三十本も貯まりました。私が落語を演り始めてもう一か月です。そろそろ私、屋敷を離れて人里に出て行きたいのですが…」
「なんじゃと!?お前さんはここの生活に不満があるのかい!?」
「あるに決まってるじゃん……」
「なんじゃと!!」
「い、いえ!決してそんなことはありません!」
「だったらどうして?第一お前さんは対人恐怖症だから外に出て人と会うのが怖いのじゃなかったのかい?」
「この世界に転生し、毎日イルマ様に落語を聞かせているうちに私、段々と楽しくなってきたのです。自分が何かをして他人に喜んでもらえるなんて素敵なことです。せっかくイルマ様にいただいた新しい人生、みんなのために役立てたいのです!娯楽を知らないこの世界の人々の魂を救うため、娯楽を広めて回りたいのです!」
イルマ様は腕組みをして無言で考え込んでしまった。
「おい!お前!」
突然イルマ様が召使のゴーレムに何かを命じた。
やがてゴーレムは宝物部屋から宝箱を一つ運んできた。
「お前さんも必要最低限の生活魔法はもう覚えたじゃろ。この屋敷を出て一人で街で暮らしてみるがいい」
「イ、イルマ様!」
「儂はもう外に出るのは億劫じゃ。この屋敷で寝ころびながらお前さんの額の青碧石が映し出す映像を見て過ごしたい。人里に下って何か面白い見世物を見せておくれ」
イルマ様は宝箱を開けて、金貨で膨れた革袋を一つ取り出した。
「当座の路銀じゃ。今の貨幣価値は知らんが、まあそこそこの金額になると思うぞ」
「あ、ありがとうございます!」
「お前さんがどこで何をしようと儂はここで見ているからな。せいぜい儂を楽しませておくれ」
「わかりました!……それでもう一つお願いがあるのですが」
「なんじゃ?言ってみよ!」
「この世界での私の名前を付けて下さい。私の名付け親になって欲しいのです」
「何をいまさら!名前なんか何でもいいじゃろ。自分で好きなようにつけな」
「お願いします!」
「やれやれ、人間ってのはめんどくさい生き物だね」
イルマ様がキョロキョロと居間を見まわした。
「ステラはどうじゃ」
「ステラ………!美しい響きですね!」
「そこに飾っている花の名前じゃ」
イルマ様が居間のテーブルの上に飾られた花刺しを指さした。
星の形をした白い花びらを持つ可憐な一輪の花が飾られていた。
「奇麗なお花!」
「ゴーレムが裏庭から摘んできたどこにでも生えている雑草みたいな花じゃよ」
「私のいた世界ではステラには『星』の意味がありました。気に入りました。ありがとうございます。私の名前は今日から朝比奈ステラです」
「好きにするがいい………」
そう言ってそっぽを向いたイルマ様の横顔は心なしか寂しげだった。




