1-溺るる者は藁をも摑む(1)
わたしは普段から人に好かれやすい。特に、男性から。
毎日とまでは行かないけれど、日常レベルで愛を告げられるくらいには好意を持たれやすいと言える。
昔はここまで酷くなかった。
一番古い経験は十年前、八歳のころだったと思う。その時は初めてのことで何が何だかわからず、目を見開いたまま「考えさせてください」とだけ辛うじて言葉に出して、そのまま逃げてしまった。
その時の記憶は強烈に残っている。だけど焦りと緊張と驚きのせいで、確かに見たはずのその人の顔はすっかりとどこかへ飛んでいき、名前に至っては名乗られたかすら思い出せないというような酷い有様だった。
よって、後日改めて話をしようにも相手が誰だかわからず、探しようがなくなってしまっていた。
それでも数ヶ月のうちは「返事を聞かせて欲しい」と声がかかるかもしれない……と、毎日気を張って過ごしていたけれど、何の接触もないま半年も過ぎてしまえば、“返事がない=断られた”と判断されたんだろうなと気づいて、落ち込んだ。
一目散に逃げ出したきりなんの返事もしないなんて、自分ながら最低な行いだと思う。できることなら今からでも謝りたい。
そのあと、十歳をすぎたあたりからは色々と声がかかるようになった。なぜなら「愛し子」などという迷惑極まりないスキルを引き当てたせいだ。
スキルというのは十歳になるとみな必ず一つ授かる特別な能力で、神殿に赴き神官様に見てもらうことによってスキルの名称を知ることができる。
十歳になるまで予兆はなく、どのようなスキルを授かるかは、その時になってみないとわからない。
剣士を目指していた男の子が裁縫のスキルを授かることもあれば、虫も殺せないような女の子が剣豪や格闘家のスキルを授かることもある。もしくは使い方が一切分からないスキルを授かることだって大いに有り得る。
友人のリゼッタは「愛し子のスキルを迷惑がるのはあんたくらいよ」なんて言うけれど、スキルのせいで好かれるだなんて、わたしにとっては厄介なことでしかない。
それから八年。告白してきた人に「ごめんなさい」と断りの言葉を告げても、大抵「そっか、わかった」とあっさり解決することに気付いてからは少なからず気持ちが楽になったけれど、それでもいい気分はしない。
とはいえ、スキルの影響を受ける人ばかりではなく中には普通に接してくれる人だっているし、良い友人として付き合っている人もいる。
だからスキルの影響が強く出ていると判断するまでは、もちろん注意は怠らないんだけれど、男性だからという理由だけで変に距離をとったり、避けたりはしないように心掛けている。
(スキルの影響があるかもしれないからって、何もないうちから避けるのは失礼だもの……)
ただ、それで厄介なことになる場合も、もちろんある。
「それがまさに今なのよね……」
嘆息とともに言葉がこぼれ落ちる。
「?どうした?」
目の前にいる男が、わたしの呟きを聞き取れず首を傾げている。
彼の名はニコル・クライス。
害のなさそうな顔で首を捻っているこのクライス様こそが、今一番の悩みの種なのである。
わたしが何度お断りの言葉を伝えてもめげることなく付きまとってくるので、ほとほと困り果てている。
彼はマスフィード伯爵家のご令息で、わたしはデルヴィナ男爵家令嬢の身。
男爵家とはいっても実際に功績を立てたのはお爺様で、お父様もわたしも至って普通の人間。個人の功績はなにもなく、突出した能力があるわけでもない。大抵は一代限りの爵位を授かることになるのだが、実子にかぎり相続可能としてデルヴィナの称号をくださったそうだ。
領地は持っていないので、雇っている使用人は料理人一人だけ。洗濯と週六日の料理以外は全て自分たちでこなしている。貴族という立場で優遇されている部分が少なからずあるため、間違っても庶民と同じですとは言えないけれど、貴族か庶民の二択で当てはめれば、断然、庶民に近いと思う。
要するに。
伯爵家のご子息様とわたしではなにひとつ釣り合いが取れないので、早く諦めていただきたい。
ちなみに付きまとってくるというのは比喩でも誇張でもなく、事実そのもの。
朝の登校時、昼休み、放課後。気づくと近くにクライス様がいる。本人がどういうつもりでやっているのか分からないが、恐すぎる。
ことあるごとに「俺と付き合ってくれ!」と言ってくることも気が重くなる原因の一つなのだけれど、最近では告白現場にも横槍を入れてくるようになって、ますます恐ろしい。
わたしが返事を口にする前に相手を追い返してしまうこともあって「勝手に追い返すのはやめてください」と訴えるものの、どこ吹く風。クライス様は全く聞き入れてくれない。
何を言っても「君に相応しいのは俺だ」「俺の想いを受け取ってくれ」ばかりを繰り返す厄介なお人である。
今もまさにその状況に陥っているわけで。
「エシル。俺の手を取ってくれ。必ず幸せにする」
クライス様が右手を差し出すけれど、その手を取るつもりはない。わたしは一生涯、おひとり様を満喫するつもりでいるのだ。
それを言うとお父様は嘆くけれど、意志を曲げるつもりは少しもない。
わたしは囁かれる愛に疑問を抱いてしまう。それは嫌だ。だから、この先ずっと一人で生きていく。
「わたしにはあなたの想いを受け入れるつもりがありません。申し訳ありませんが諦めてください」
頭を下げながら、いつもよりはっきりと断りの意志を告げる。
「いいや、君は俺と付き合うべきだ。俺以上に君に相応しい者はいない」
意味がわからなすぎてゾッとした。ぶわりと鳥肌が立ち、思わず身震いする。
こ、怖すぎる……。
瞳がじわりと濡れる。それを見たクライス様が何を思ったのか、こちらにおいでとでも言うように両手を広げた。
わたしはじりじりと後退する。
「……!」
誰かにぶつかってしまったらしい。背中には、明らかに壁ではない温かな感触がした。振り向けば、目鼻立ちの整った麗しい男性が居て、軽く覗き込むようにしてこちらを見ている。
はちみつ色の髪の毛に透き通ったスカイブルーの瞳。肩に触れる手は優しく、思わずときめいてしまいそう。
「大丈夫ですか?」
「え……ええ……その、大丈夫……です」
本当は少しも大丈夫ではないけれど、そう答えるしかない。
(できることなら助けてもらいたいのだけれど……)
見ず知らずの人に「どうかクライス様を追い払ってください」などとお願いするわけにもいかない。
(もう……想い人がいないなら付き合ってくれってどういう理屈なのよ……)
そう考えて、はたと気付く。
想い人がいないのが問題なら、想い人を作ってしまえばいい。
わたしは再び、背中にいる人物を見つめてみた。気品のある佇まいと美しい尊顔。質の良さそうな洋服には皺ひとつない。
想い人として紹介するに値するどころか、むしろおこがましいくらいの殿方である。
(あとで誠心誠意謝ろう……)
「この人はわたしの――」
想い人です、と言いかけたところで言葉を止めた。
(この方に、本気だと思われてしまうかも)
スキルのこともあるし、誤解を招くような発言は極力避けたい。
とはいえ、クライス様の目の前で「今から嘘を言います」とお伝えするわけにもいかないし……。
(そうだ、いい方法を思いついたわ)
自身の思い付きに、ひっそりと笑みを浮かべる。わたしは息を吸い、自信満々で告げた。
「わたし、この方と想い合っています」
長いので分割しました。