9話 一夜明けて
(エレナ視点)
快晴。今日も良い天気だ。
この国、マルルウェイデンは穏やかな気候の国だ。天災は少なく、土地は豊かである。作物もよく取れるし、金銀の出る鉱山も有していた。
他国と比較しても、マルルウェイデンは豊かな国といってよかった。
マルルウェイデンには魔族が生き残っている、『大地の愛し子』もいる。だから他の国と比べても、大地に宿る魔力が多い。ゆえに、実りも多い。
世界中の魔族が封印され、死に絶えていったせいで世界各地では徐々に大地が痩せていってしまっていることをエレナは知っていた。人間たちはそうは思っていないようだが、事実として時代を追うごとに実りは少なくなってきている。賢い人間たちが懸命に頭を悩ませているが、魔族とはどういった存在なのか、その定義すら失ってしまった人間たちには、この因果関係はわからないようだった。
エレナは自身の生まれ育った土地であるこの国を愛していた。叶うことなら、自分が永遠にこの国を祝福し続けたいという願いがあった。
エレナはテラスに差し込む陽の光に微笑んだ。季節は春、柔らかい陽射しに優しい風は気持ちがいい。今のエレナには、この場所がとても居心地がいい。
「だから、なぜ、貴様らは寝ていたんだ!」
「も、申し訳ございません!」
人間たちの賑やかな声も耳に入れば、気分は上々であった。
「王子さま、彼らはけして怠慢だったわけではありませんわ」
「エレナ様……!」
さて、そろそろ助け舟をだそうとエレナは彼らに近づいていった。王太子に怒鳴られていた兵士たちが瞳を輝かせてエレナを見つめる。
「聖女アルマが奇跡の力で彼らを眠らせたのでしょう」
「なーにが奇跡だ! アイツは……アイツのは、ま、ま、魔族の力だっ。それに、もう聖女じゃない!」
「まあ……」
「あっ! す、すまないエレナ! 君にそんなに強く言うつもりはなかったんだっ」
王太子の勢いに、よよ……と口元に手をやり品を作れば、面白いように王太子レナードは慌てだす。
「……そうだ、悪いのは、罰を受けようとせず逃げ出したアルマだ……」
「アルマさまの部屋もお調べになったそうですね?」
「そうだっ、アイツときたら、値打ちものばかり持っていったみたいだ。あんなにちゃっかりしているなんて」
レナードは何やら拳を戦慄かせている。
まるで子どもの癇癪だ。近いうちに一国の王となる人の、なんと微笑ましいことだろうか。
「全部、僕がくれてやったものばかりだ! なんて奴だ──」
「まあ!」
恨言が続いていきそうな彼の言葉をエレナは意図的に遮った。
きょとんとした顔のレナードにエレナは歩み寄り、彼の掌を両手で包み込んで上目遣いに見上げた。ぽっとレナードの頬が赤く色づく。
「アルマさま……心中お察しいたしますわ」
「エレナ、君のような天女にあんな陰険女の気持ちなど想像つくわけないだろう」
「いいえ、レナードさま。わたしにはわかります。そう……レナードさまをお慕いする者同士として……」
「おっ、おっ、おおっ、そそそ、そーぉかあー!」
エレナから好意を示され、レナードは露骨に嬉しそうである。生来整った顔のおかげで鼻の下を伸ばしたその顔も見苦しくはないが、エレナにはせいぜい仔犬のようにしか見えていなかった。
「アルマさまはきっと、レナードさまからいただいたものを失いたくなかったのですわ。だから、レナードさまのプレゼントを持ち去って、いなくなった……」
「アイツにそんな可愛らしさあるかなあ」
「それはもう」
エレナは力強く頷いた。
「きっと、アルマさまは悲しみのまま、城にはいられず飛び出して行かれたのでしょう……」
「ううん、そうだろうか……?」
「ええ、彼女は罪から逃げたのではありません。悲しみのあまり、ここにはいられなくなったのです」
うーん、とレナードは首を捻っていた。
彼とアルマは、どんな関係だったのだろうかと興味がわくときがある。エレナが城に潜り込む前から二人はうまくはいってなかったようだ。同い年らしいが、しっかり者のアルマができの悪い王太子をよく叱っていてまるで姉弟のようだったときく。
アルマは聖女と担がれているだけではなくて、王太子の婚約者として妃教育も受けているようだった。だからこそ、勉強から逃げてばかりでぼんくらの王太子を見てるとなんとかしなければと強く思っていたのだろう。
(わたしはそういうのどうでもいいからほったらかして甘やかしちゃうけど)
まあそんなことはどうだっていい。
エレナは気を取り直して、握りっぱなしだったレナードの手をさらに強く握る。
「わたし、実は彼女の居場所に心当たりがありますの」
「!」
至近距離のエレナにデレデレしていたレナードの目がカッと見開いた。辺りにいた兵士たちからもざわめきが広がる。
「ほ、本当かい、エレナ? 君の、その、予知でもしたのか?」
「……ええ、そうですわ」
そういうことにしておこう。予知能力などエレナにはないが、そういうことにしておいたら、箔がつく。
この国の人間たちは予知能力は聖女の力と信じているようだから。
「この城の西の森……そちらにアルマさまは行かれたのだと思いますわ」
「西の森……だと!?」
「死の森、とも呼ばれているそうですわね。一説によると、魔王の遺体が眠る場所だとか……」
人間たちの言い伝えの中では、あの場所で勇者と魔王が闘い、そして魔王が敗れたとされているらしい。実際は封印されていただけだったのだが。
「そんなところに行ってどうするつもりなんだ、アイツは」
「悲しみを背負いながら……かの呪われた地に赴く聖女さま……もしかしたら、アルマさまは、最期のお役目を果たそうとしているのかもしれません」
「最期の? なんだそれは!」
「土地の浄化ですわ」
はてなマークを大量に浮かべている王子レナード。エレナはコホンと咳払いをしてみせた。
「自身の生命をもって、呪われたかの地を浄化しようとなさっているのかもしれません。あの場所は、この国でも稀有なほどの邪悪な気配に満ちておりますから……」
「なっ、なんだと……!?」
「ただ、当時の勇者さまの御威光のおかげであの森に巣くう邪悪は外には出られないようなのですが、偽物と追放されてしまう前に城のすぐ近くにある脅威を鎮めようと、アルマさまは……」
「……そんなやつかなあ」
嘆いてる姿を演出するため両手で顔を覆い、俯くエレナに対して、ピンときていないレナードはぽりぽりと金髪の頭をかきながら首をかしげた。せっかくの美形なのに、仕草が優雅じゃないのだよなとエレナは思う。よく言えば、素朴、幼なげな愛嬌がある、しかし国の顔になる人物のする仕草ではない。
アルマも相当苦労したのだろう。エレナは別に彼の評価や国の評価がどうなろうとどうでもいいので矯正する気はない。
「レナードさまは、わたしの予知をお疑いですか……?」
「!!! そっ、そんなわけないだろう! いますぐ兵を向かわせよう! 西の森にアルマを探すのだっ!」
涙目のエレナに大慌てで踵を返そうとするレナードを、エレナはいいえと静かに言って止めた。
「西の森には、わたしが参ります」
「えっ!」
「わたしひとりで」
「えっ!?」
「よろしいですよね?」
「よろしくないっ! 危ないじゃないか!」
飛びつくようにレナードがエレナの両肩を掴む。エレナが「いたいっ」と身じろいでみせると、レナードはサッと血の気の引いた顔ですぐさま手を離した。
「すっ、すまない、君を傷つけるつもりではないんだ。ただ、心配で、つい……」
「レナードさまは、わたしのことを信じてくださらないのですか……?」
うるうる目で見上げれば、王子は赤らんだ顔でウッと唇を噛んだ。
「し、しかしだな。死の森だろう、呪われた土地に赴いて万が一エレナに害があったら……」
「心配ありませんわ。わたし、聖女ですもの。呪いの力など、跳ね返しますわ」
「むむ……」
「……レナードさまは、わたしの力を信じてくださっているのでしょう……?」
そっと、耳元で囁くとレナードはブンブンと頭を振った。ニコッと満面の笑みを浮かべれば、レナードは落ちた。ガクンっと頭を縦に振ったというか、落とした。
まあ、あそこは兄が住んでいるから実はエレナは何度もこっそりあの森に足を運んでいたのだが、そのことにはこの王子は全く気付いてないらしい。
アルマに尾行されていたこともあったのだが、アルマが報告していないのか、この王子がハナからアルマの話を聞いていなかったか、どちらだろう。
死の森だ、勇者と魔王の伝説だなんだと、不確かな言い伝えを大事にして誰もあの場所を検めようとはしないのだから、人間とは健気な生き物だと思う。
だからこそ、愛おしいし、その営みを見ていたいとエレナは願うのだが。