8話 魔力
魔王ジェイドが畑を耕す。
「先ほども話したが……」
ザクザクと音を立てて、クワがリズム良く土を掘っていく。フォームは安定していて、腰はしっかりと据わっている。
疑う気はないが、ジェイドがこの畑の世話をし続けているのは本当のようだ。
「俺は飢えるのが怖い。ゆえに、このように畑を作り、自活している」
「なるほど……」
昨夜は暗くてよく見えなかったが、こうして日の下で見るジェイドの農園はなかなかの広さを有していた。
「俺は、お前はエレナの被害者だと思っている。お前が望む限り、衣食住を提供しよう」
ジェイドはクワを置き、アルマの顔を正面から見据え、ジッとアルマを見つめた。あまりにも真摯な瞳に怯んだアルマはつい目を逸らしたくなってしまうが、グッと堪えて、翡翠の瞳を見つめ返した。
「だが、お前の意思が働きたいということならば、畑の世話を手伝ってもらえると助かる」
「ぜひ、手伝わせてください!」
「ありがとう。人が一人増えればそれだけ育てる作物の量も増やさないといけないからな」
一人でこの畑の世話をするのは苦労するだろう。見れば、麦も育てているようだ。ただ作物を育てて収穫するだけではない。食べるために加工する手間を考えたら、とてつもなく大変だということは小さな村で育ってきたアルマにはよくわかる。
「ご迷惑をおかけしてすみません」
「畑を耕し、実りを増やすのはよいことだ。土地が豊かになる」
ジェイドは涼しげな口元をほんのわずかに崩し、微笑んだように見えた。
「作物の実りが大地の魔力を増やすのだ」
「そうなんですか?」
そういう伝承は耳にしたことがある。魔力という言葉こそ使われないが、人々が大地を耕すことで土地自体が豊かになっていくのだと。だから畑を絶やしてはならないのだよという話を聞いて、農家の子どもたちは育っていく。
「そうだ、これは俺が目を覚ましてから作り始めた畑だから、まだ痩せた土地だが……昔から代々続く畑などは、多くの魔力を蓄えているだろうな」
ふと、ジェイドは考え込む仕草を見せ、ふむと呟いた。
「畑を襲う魔物は魔力につられて現れているのかもな」
「作物自体が目当てではなく?」
「それもあるだろうが、魔物は基本的には肉食寄りだからな」
ジェイドの話を聞きながら、アルマは自分は魔物を討伐していた人間のはずなのに、魔物のことを何も知らなかったなと考えていた。猟師であるならば、己の 獲物の生態は知って然るべきなのに。
もう少し興味を持っていればよかった。
「まあ、そういうわけで、俺は食料として作物を育てながら、土地の魔力を蓄えることでなんとか生き長らえているということだ」
「魔王様が畑を嗜まれている理由はわかりました」
そして、なかなか楽しみながらされているということも、だ。イキイキとしていらっしゃる。
屋敷の周辺の木々は伐採されて日光も入るようになってはいるが、けして日当たりがいいというわけではなさそうだ。栽培されている作物を見ても、日照時間が少なくても生育しやすい作物が多い。
この土地でどんな作物が作れるのか、いろんな作物を試してみたりしたのだろうか。
「世界征服でもするかと思って就職希望したか? すまんな、すでに夢敗れていて」
真顔で言うジェイドは、本気なのかジョークなのか、いまいちよくわからないのでアルマは苦笑いで誤魔化した。今でこそこうだが、昔は世界征服をしようとしていたんだろうか? 新たな疑問が首をもたげるが、あまり考えすぎないことにする。
「あの、あちらの小屋は……?」
「ああ、アレは家畜小屋だ。世話がしきれんから、あまり頭数はいないんだが……」
案内をしよう、とジェイドは小屋に向かって歩いて行き、アルマを手招きする。
「……わあ!」
牛と鶏と、羊に近い風貌の魔物たちがいた。小屋の中には藁がひかれ、種ごとにわかれて柵があるが、ある程度自由に動けるようにスペースは広めに作られている。
「この魔物たちは、元々は野生だったんですか?」
「ああ、まさか人の家畜を奪うわけにはいかないからな……人間の飼う牛の乳がうまいことは知っているんだが」
「この牛みたいな魔物もお乳を?」
「そうだ。牛と交配した種だな。俺の時代の時に魔族たちが掛け合わせて作った種だが、野生化して生き残っていてくれてよかった」
魔物と動物は交配できるのか。それこそ伝説とかにありそうな話だ。
目を丸くしているアルマにジェイドはフ、と浅く笑った。
「広義で言えば、魔物も動物と同じだ。違いというなら、魔力を持っているかどうかだけだな」
「そうなんですね……」
いまいち、アルマからしたら現実味の薄い話だが、ジェイドがそういう以上、そうなのだろう。人が魔物を家畜化することも、もしかしたらできたんだろうか。害ある存在としか思っていなかったから、考えたこともなかった。
「こっちの鶏もどきもそうだな。こちらは魔物よりも、鶏の血の方が濃くなっている。鶏とほとんど差はないだろう」
「魔物にも種ごとの名前はあるんですか?」
「鶏はコットリス、牛はタウルスという。羊はアリエッズだ」
魔物たちは、たしかに掛け合わされた動物によく似ていたが、少しずつ違う特徴を持っていた。
コットリスと呼ばれた魔物は、ジェイドの言う通りほとんど鶏にしか見えなかったが、タウルスは牛よりも倍近く体躯が大きく、頭部に大きな角が2本生えていた。アリエッズは球体に近いフォルムをしていて、脚はよほど短いのか、モコモコに隠れていて見えない。
ジェイドは基本的に魔物は肉食だが、動物の血が入った彼らは草食寄りの雑食だと語った。なんでも食べるし、身体も丈夫だそうだ。
「あの、ジェイド様。あの屋根の梁にいるのは何ですか?」
「……ああ、あれは、家畜ではないんだが……」
小屋の中をキョロキョロと見回していたアルマは、梁に何かがぶら下がっているのを見つけた。
「あれは、蝙蝠の魔物だ」
「こうもり……」
「飼うつもりはなかったんだが、この森の中ではぐれていて、ついてきてしまった」
ジェイドが育てているのはどれも、畜産物を取得できる魔物ばかりだ。あまり身体の大きくない蝙蝠の魔物から畜産物を期待できそうには見えない。本意ではない、というジェイドだが、その魔物を近くに呼ぶ姿はやさしげだった。
「こいつは小さいが、賢く、強い魔力を有している」
「魔力……この子が……?」
「少し、特殊な魔物だな」
ジェイドの指先に蝙蝠がちょこんと座る。アルマが知っている動物の蝙蝠よりも、コロコロと丸い体型をしていて可愛らしい。
「こいつは『使い魔』と呼ばれている。今はこんなナリをしているが、人の姿に変身することができて、人語も操る」
「キキーッ!」
「……まあ、この姿のままでは喋れないんだが」
高音の鳴き声が可愛らしい。丸っこい身体でジェイドの手のひらにスリスリしていた。
「こいつらは主人の魔力を蓄えることで変身能力が使えるようになる。変身前のこの姿はどいつも変わらないが、主人の魔力の質や量によって変身した姿に違いが出てくるんだ」
「この子も変身するってことですか?」
「いや、俺はこいつの主人というわけではないからな。それに俺の魔力はいまや自分が生きるのに精一杯で、くれてやれるほどの量はない」
昔は魔王であったらしいジェイドがため息をつく。魔力が足りないというジェイドだが、アルマが感知している魔力の気配は十分強いのだが。魔力の強さと魔力量は別なのだろうか。もしくは、ジェイドの燃費が悪いからだろうか?
「まあ、知能が高くて遊び好きなやつだ。気が向いたら遊んでやってくれ」
ジェイドがそっとアルマに向かって、手を伸ばす。人差し指の先には蝙蝠の魔物がとまっていて、アルマの目をジッと見つめていた。へらぺったい顔につぶらな瞳とぺっちゃんこの鼻、小さく開いた口の端には尖った歯がちょこんと見える。シーシーという息遣いと共に舌がちろちろ動いていた。
「……か、かわいい……」
「キキ……リリリリリリ〜ッ」
「喜んでいるな」
アルマがゆっくりと手を差し出すと、蝙蝠はアルマの手にちょこちょこ歩いて移ってきた。温かい体温と絶妙な重みがますます愛らしい。鈴を転がすようにリリリ……と鳴いてアルマの指に頬擦りをしてくる。なんと可愛らしい生き物だろう。こんな魔物がいたとは。
「……お前は魔力の量がとんでもなく多い。こいつはよく懐くだろう」
「そうなんですか? かわいい……」
「平均的な魔族よりもよほど多い魔力量だ。質もいい。『大地の愛し子』だな」
アルマは魔力が多いと懐くのか、という意味で聞き返したのだが、ジェイドは魔力量にかんして聞かれたのだと受け取った返事をしていた。
蝙蝠の魔物の愛らしさに夢中になっていたアルマもふと、それである疑問を思い出した。
「そう呼ばれるのは懐かしいです……村で過ごしていたときはそう呼ばれていたんですけど」
城に来てからはずっと聖女と呼ばれてきた。
実の所、アルマは聖女と呼ばれるよりも大地の愛し子と呼ばれる方が嬉しかった。聖女と呼ばれることにこそ慣れたが、胸のどこかで本当に私が聖女なのかという懐疑は常にあったからだ。
「……私の力って、やっぱり、魔力なんですか?」
「わからないで使っていたのか?」
「ずっと聖なる力、とか、破邪の力、とか言われていたから……」
「お前の力は魔力だ。魔族の俺が保証する」
アルマの疑問を、ジェイドはすんなりと肯定した。
やはり、そうだったのだ。長年、聖なる力と言われてきたこの力は、魔力と呼ばれた方がしっくりきた。
「魔力は、魔族が持つものなのですよね」
「そうだな、人間と魔族の最大の違いはそこだ」
「私、もしかしたら自分が魔族なのかもしれないと、思うことがあって」
「ほう?」
アルマは、ついポツリと語り出してしまった。
ずっと悩む気持ちがあった。力を使うと、周りはこぞって『大地の愛し子』『聖女』と呼ぶが、その陰では『魔族』なんじゃないかと囁かれていた。自分でも、自分が何者なのか自信はなかった。
父は産まれる前に亡くなっていて、母も物心ついたばかりの頃には死んでしまった。自らのことであるのに、アルマは自分の生まれをよく知らない。小さな村に生まれ育ち、王宮に聖女と担ぎ上げられた。アルマの人生には他者から与えられた称号しかなかった。自分で自分が何なのか、わからない。
アルマの告白に、ジェイドは片眉を上げた。そして、アルマの正面から向き合うように身体を動かす。興味深い、あるいは真剣に聞こうとしてくれたのか。
「自分も聖女だ……ってやってきて、見せつけられたエレナの力は、私と同じだったから」
「なるほどな」
エレナがやってきてからは、なおさら自分は魔族なのかもしれないという気持ちは強まっていた。アルマを魔族と繋がりがあると噂する声も、懸念を増強させたが、しかし、やはり同じ力を魔族のエレナが使っていたからと言うのが大きい。
「……でも、さっき、魔族はみんな封印されていたって言ってたから……違うんでしょうか……」
「俺の時代にも、人間も魔力を持って生まれることがあった。その子どもたちが『大地の愛し子』と呼ばれていたんだ」
ジェイドがつぶやくかのように口を開いた。
「魔力を持った子どもが生まれると、その土地が豊かになるからだ。その子どもが大地を耕せば、大地に魔力が蓄えられていく」
静かに、淡々とした声が家畜小屋に響く。魔物たちの鳴き声や藁を踏みしめる音は、気にならなかった。
きれいな翡翠の瞳がジッとアルマを見つめていた。
「当時から、魔族との隠し子ではないかと疑われることはよくあったそうだ。それで住むところを追われたり、命を落とした母子も多いと聞いた」
「……」
ハッとアルマは息を呑む。
父は──どんな人物だったのだろうか。アルマはそれを知らない。ただ、元々村に住んでいたわけではなかったとだけ、聞いたことがある。
「だが、その子どもがいると、大地は豊かになり、人間にとって脅威になる魔族や魔物と闘う力にもなる。迫害の歴史を塗り替えるために、『大地の愛し子』と子どもたちを呼ぶようにして、守ろうとするようになっていったそうだ」
アルマは、まさか父が封印から解かれた魔族だったのではと訝しむ気持ちで心臓がバクバクと高鳴っていた。うるさい心臓にジェイドの平坦な声音は心地よく感じられた。
声を聞きながら、ジェイドの淡い翠の瞳を見ていると、少しずつ胸は落ち着いてくるのだった。
「……魔族の俺が聞いた話だから、正確かどうかは断言できないが、守られるための呼び名を与えられていたのなら、村にいた時のお前は慈しまれていたと思ってよいだろう」
自身が魔族がどうかよりも、慈しまれていた事実を大事にしろ。そう言われているのだとアルマは受け取った。
ジェイドは、魔族の王であり、外見は怖いほど整っていて冷たい印象がある。だが、アルマにはこの男がとてつもなく優しく、穏やかであるようにしか思えなかった。
細められた切長の瞳は、温かな眼差しに見えた。
気づけばアルマは泣きそうになってしまっていて、胸の前でぎゅうと手のひらを握りしめ、なんとか、涙はこぼさないように、細く細く息を吐いて、ゆっくり口を開き、頷いた。
「はい……」
「魔力があることが魔族の証明にはならない」
だから、気にするな。またも言外の言葉が聞こえた気がした。
久々に優しさに触れた気がした。
相手は魔族だけれど、こんなに優しく言葉をかけてもらったことが、いままでどれだけあっただろうか。アルマは嘆息するのだった。
「俺の時代よりもさらにはるか昔は人間と魔族は同じ種族だったとも言われている。俺はさほど詳しくないから、今度研究者にでも聞くといい」
「研究者……? そんな人が……」
「エレナが城から連れてきた人間だ。お前も知り合いなんじゃないか?」
そういえば、という調子でジェイドが言った。
エレナが城から連れてきた、研究者。心当たりがある。アルマは思わず目を丸くしてしまった。
「ヴィスコ博士……」
アルマがエレナこそが魔族だと主張していたときに、同調してくれていた数少ない味方。だがしかし、ある日を境に城から姿を消してしまった魔族の研究者、ヴィスコだ。
(エレナに連れて行かれていたのね……!?)