7話 魔王は語る
ジェイドは畑にいた。何やら作業しているようだったが、アルマが玄関先まで出てきたのに気がつくと、切り上げて「食事にしようか」と、アルマを屋敷の食卓まで連れて行ってくれた。
「大したものはないが」
テーブルに並んだのは小さなパンがふたつと、瑞々しいレタスとカブのサラダだった。カブは大きく育っていて、シンプルに輪切りにされているが、真っ白に輝いていて、美味しそうだ。
「畑のお野菜ですか?」
「そうだ」
アルマとジェイドは大きなテーブルに向かい合って座っている。
アルマは村の家と、王宮の極端な二つしかは知らないが、この屋敷もそれなりに大きな屋敷だと思う。主であるジェイド一人で屋敷を手入れし、畑を育て、日々暮らしているのだろうか。
パンもジェイドが作ったのだろう。少し硬かったが、懐かしい味がした。王宮の食事では柔らかいパンばかり出されていたが、故郷では保存がきく硬いパンをよく食べた。
(魔族も自炊するのね……)
エレナだって、王宮で出される食事を食べていたのだから、人間と食事はそう変わらないのか。
アルマの人生で築き上げられていた魔族へのイメージと、ジェイドがあまりにも違いすぎる。外見こそ、近寄り難い雰囲気のある美形で、クールな印象だが、今のところアルマに接するジェイドは、ただただ穏やかな青年である。
ジェイドは不思議なほどあっさりとアルマを受け入れてくれた。エレナの紹介ということはあるが、それにしても、魔族とは敵対関係にあるはずの人間をこうもすんなり住まわせるものだろうか?
食事を終えたアルマは、ついまじまじと正面に座る黒髪の魔族を見つめてしまっていた。
「エレナからお前の話は聞いていた。国を追放されるということも」
ぽつりと、ジェイドが切り出す。
不躾な視線を送ってしまった。アルマは申し訳ない気がして縮こまる。
たしかに、昨日もアルマのことは知っているという様子だった。エレナがどう話しているかはわからないが、ともかくアルマの事情は知っていて、さらに同情的であるらしい。
「国外追放されて、お前が路頭に迷うことがあれば保護してあげて、とも言われていた」
なんだろう、多分優しさじゃなくて、その方が面白いからとかそう言う理由な気がする。
予知夢のことを考えると、襲われたアルマをジェイドが助けに来るという内容はなかなか的を射ていたようだ。ただ、おそらくあのままだったらジェイドの救助は暴行の現場には間に合ってなかったかもしれない。
それに、それだと今以上にエレナに感謝をする形になってしまう。
やはり、思い立ってすぐ行動に移してよかった。
「でも、私がこの国には足を踏み入れられないって契約をされてたら、それってダメだったんじゃ……」
「『契約』の解除を俺はできる」
国宝の聖器具の解除を、魔族のジェイドができる。それだけ、ジェイドの力が強いということだろうか。アルマが不思議に思っていると、ジェイドは一拍おいて、言葉を続けた。
「元々、あの『契約機』は俺の持ち物だ」
それがどういう意味なのか、アルマには瞬時には理解できなかった。
アルマはジェイドの表情を、改めてしっかりと見ておこうと数度まばたきをして、姿勢を正した。
聖なる力を行使するための、王家に代々伝わる国宝の聖器具が、魔族のジェイドの持ち物であった。
たしかに、聖器具の由来はハッキリしないと教わった。あまりにも長い年月が経ってしまっているため、いつかの時代で紛失されてしまった記録があるのだろうと言われてきたが、そうではなくて、故意に伝えられなかった歴史があるということだろうか。
「エレナから聞いたが、今の人間たちは罪人への罰で、罪人の行動を制限するためにアレを使っているそうだな」
アルマは頷く。ただし、頻繁に使用されていた時代ははるか昔に遡り、今では国宝の希少性から、ほとんど実際に用いられることはなかったが。
「アレの本質はそうではない。制限ではなく、特定の行動を強制させる。そういう使い方ができる」
「それは……」
「奴隷を使役するのには、都合のいい道具だ」
吐き捨てるかのように、ジェイドは目を伏せながら言った。
「そういう使い方ができることが気づかれていないのならいいのだが、あまり手元を離れていていい気はしない」
目頭を抑え、ジェイドはため息をつく。この男と、そのような道具はそう結び付かずに違和感を禁じえなかった。
「なぜ、そのような道具をあなたが持っていたんですか?」
「……若気の至りだ」
ジェイドは憂鬱げであった。はぐらかされてしまったが、追及もできず、アルマは溜飲を呑み込んだ。
色々とあったのだろう。あの道具がジェイドの持ち物であったと言うのが事実であれば、それこそ人の身からすれば、あまりにも長い年月が流れているのだ。人が変わって今のジェイドのようになったのだろう。それにしたって、ずっと生きているとしたら、あんまりにも長生きが過ぎるが。
「魔族には寿命がないんですか……?」
「寿命はある。……ああ、時の流れにひっかかりがある、と」
アルマは首を縦に振る。察しのいい男だ。ジェイドは頭の回転がいいのだろう。
「俺はその時代から、ここ最近まで封印されていたんだ。目覚めたのは……10年前か……もう少し遡るだろうか」
「封印……!?」
思わず、アルマは目を丸くした。そんな話、聞いたことがない。
王宮に聖女として招かれたばかりの頃のアルマは、この国マルルウェイデンに生きる人々と魔族の歴史をこんこんと言い聞かされていた。マルルウェイデン王国の建設以来、魔族はずっと国の脅威であり続けたのだと。ある時代の勇者が魔王を倒し、国を興したが魔族は滅ぼせず、魔族との闘いとともに国の歴史はあったのだと。
「俺だけじゃない。その時代の魔族はみな、封印された。魔族の寿命は魔力が尽きたときだ。ほとんどの魔族は封印されている間に魔力が減っていき、封印されたまま死んでいった」
「では、あなたとエレナは魔力が尽きる前に封印が解かれた……と?」
「そういうことだ。封印も経年劣化するようだな」
ああ、そういえば昨日の夜のジェイドは『封印』を恐れていた。
しかし、ジェイドの話は興味深いことばかりだが、聞いていると疑問ばかりが浮かんでくる。
「この国の魔族の生き残りを探した時期もあったが、見つかったのは俺とエレナをのぞいて、2人だけだった。国外の様子はわからんが……」
「国外には出なかったのですか?」
「魔力というのは、土地の影響を受けやすい。今の俺ではこの国を離れてしまうと魔力の消耗が激しい。生き残りが国外にいるかもしれないが、探しには行けんな」
同様の理由で、国外にいるかもしれない魔族もこの国には来れないのだろうとジェイドは続けて推測した。
「同胞も限られたのみだ。俺はもう、報復などする気はない。ここで食いっぱぐれることなく、朽ちるまで生を全うするのが唯一の望みだ」
魔族とは人間を害し、力によって支配せし者。そう聞かされていたのに、目の前の魔族のあまりにも小市民的な願望に、アルマは正直なところ、困惑する。
フ、とジェイドは口角をあげ、ニヒルな笑みを浮かべた。
「俺が封印から目が覚めたとき、何を思ったかわかるか?」
「いえ……」
「腹が減った、だ」
アルマとジェイドは見つめ合う。ジェイドがあまりにも真剣な顔をしていて、アルマは目を逸らせなかった。
「しかし、食えるものは何もなかった」
とてつもない哀愁が漂っていた。
「魔族の命が尽きるときは魔力がなくなったときだ。空腹では死なない。死ねないが、腹は減る」
ジェイドはせつせつと語る。
「腹が減れば魔力も回復せず、緩やかには死に向かうわけだが……しかし、空腹の限界を超えても、わずかにでも魔力が残っていれば、死なないんだ」
「そうなんですね……」
「俺はもう、あんな絶望は味わいたくない」
だから、もう二度と封印されたくはないのだと、ジェイドは続けた。
昨日のあの落胆の正体はこれだったらしい。
魔力を持った人間がやってきた、やばい、また封印されるかもしれない、と。
「……そういうわけで、俺は魔族だが、人間に敵対心や恨みは抱いていない。関わってまた封印されることが恐ろしい」
ジェイドはため息をつくと、クールダウンしたのか居住まいをただした。
だいぶいろんな話につながっていったが、どうやらジェイドは、なぜ自分をこうも容易く受け入れてくれたのかと言うアルマの疑問に答えてくれていたようだ。
「ありがとうございます、ジェイド様」
「……俺相手にへりくだることもないぞ」
「いえ、それはさすがに……」
「お前がその方が気楽というなら構わんが」
さすがに、気安く話しかけるのは気が引けた。まだ出会ったばかりだが、ジェイドは温厚な人格である印象ではある。しかし、敬意を払うべき相手だろうとアルマは考えていた。
そして、アルマには引け目もあるのだった。
「ジェイド様が人間に害意がないのはわかりました。でも、私は聖女として多くの魔族を討伐してきましたが……」
「魔族はずっと封印されてきて、ほとんどがそのまま死んだんだぞ? お前のせいじゃないだろう」
おずおずと申し出たアルマに、ジェイドは怪訝に眉を顰めた。そして、少し間を置いて、ああ、と呟く。
「もしかして、魔物たちのことを言っているのか?」
魔物。あまり耳なれない言葉だが、話の流れから察するに、獣型の下級魔族のことだろう。アルマは頷いた。
「アレは魔族とは別だ。野生の動物……狼や熊と思うといい」
だから気にするな、ということらしい。害獣の脅威を振り払っただけである、と。
「言葉の意味や定義は時代の流れで変わるもの。それを正しいだ、間違いだと指摘するわけではないのだが」
ジェイドはそう前置きをしてから話を進めた。
「俺の時代では、魔族と魔物はハッキリと区別されていた」
「でも、魔族はその魔物を使役しているのではないのですか?」
エレナは魔物を己の予言通りに呼び寄せたり、退却させたりと操っているように見えた。魔物の軍勢を殲滅してみせるパフォーマンスもしていたことがある。
「元々はそうだ。人が馬や犬を使うのとそう変わらんな。しかし、今、お前たちが魔族と呼ぶのはほとんどが野生化した魔物の子孫だろう」
「エレナは……」
「エレナはたしかに、魔物を飼っているが、アイツが実際に民家や城を襲ったことはないはずだ」
そうなのだろうか。アルマには魔物の区別はつかないから、いまいちわからない。
エレナの予言通りに魔物が出没し、すぐ撤退するのを繰り返していたのは知っている。よくよく思い起こすと、エレナが予知しなくても魔物が襲ってくるときはあった。
つまりアレは、どこかの魔族に命じられて放たれた刺客というわけではなくて、ただの野生の魔物たちだったということだろうか?
しかし、あのパフォーマンスで殺されたのはエレナのペットたちと思うと一層哀れと思ってしまう。エレナの価値観をまともに考える方が間違っているんだろうが。
アルマが抱く魔族のイメージ通りといえば、エレナはそうなのであるが、ジェイドと接していると魔族といってもピンキリなのだと思わされる。
「村や山野に現れるのはほとんどがはぐれだろうが、群れをなして王都を襲うのは……帰巣本能だろうな」
「帰巣本能? 人間に敵対することが本能だから、とかじゃないんですか?」
「なにしろ魔物たちは昔はあの城で飼われていたからな。あの土地に根ざした魔力に子孫も惹かれているんだろう」
魔力に惹かれる。そういう生態なのか。そしてまたジェイドはサラリと寝耳に水の情報を口にしていた。
「お城で魔物が飼われていた……?」
「ああ。かわいそうに、みんな野生化してしまって。絶滅してしまった種もあるだろう……」
ジェイドは顔を俯かせ、肩を落とした。
あの城はもともと、魔族の城だったということだろうか? そして、国宝も元々はジェイドの持ち物だったという。しかも、ジェイドはつい最近まで封印されていた。
王家が代々、死の森と語り継いできた森。王都のすぐ近くにありながら、人を遠ざけてきた森、そこに屋敷を構えて住んでいるジェイド。昔、この森で勇者と聖女が魔王と闘ったという伝説。
大量のヒントをドカドカと頭に投げ込まれたアルマは、顔を俯かせ、つい額を抑えてしまった。
どう考えても、そうじゃないか?
そのわりにはあんまりにも目の前の男は日和見すぎてる気がするが。しかし、それだけ封印が解けて直後の空腹が堪えたのか。
ああそういえば、夢の中でもそんなことを言っていたような……。
アルマは意を決して、口を開いた。
「もしかして、魔王様ですか?」
「そうだ」
あまりにもあっさりと肯定され、アルマはぽかんとする他なかった。