4話 西の森
深い夜の森を歩く。
荷物をまとめたリュックサックを背負ったアルマは、見張りの兵士は全て眠らせて、すんなりと王宮を抜け出した。
城の裏門から黙々と歩けば、そう遠くないは西の森に辿り着いた。
そういえば、エレナの尾行をしていて、ここまでは来たことがあった。拙い尾行は当然気づいてたであろうエレナに、あっさり撒かれて、迷子になってすごすご退散した記憶がある。
この森は別名で死の森と呼ばれていた。首都の近くの土地であるのに、人の手が全く入っていない。
昔、魔王と勇者が闘った地で、大地に呪いがかかっているので、人が足を踏み入れてはいけないと言い伝えられている。
ちなみに、その魔王を倒した勇者の末裔が今の王家だそうだ。そういったこともあり、その言い伝えは、今でも破られることなく、守られている。
また、勇者には仲間がいて、仲間の聖女の力を持つ女性と結ばれたのだとかなんとか。そういう伝承もあって、平民のアルマが王太子と婚約できていたわけだ。
そんなわけで、木々が生い茂り、人が歩くための道が開かれているわけはなく、平民の出とはいえ、王宮でなんだかんだ甘やかされていたアルマには、なかなか困難な道のりだった。
城にいた頃から、森からは微弱だが、魔族の気配は感じていた。だが、この死の森から、魔族が飛び出してくることはなかった。この森だけでひっそりと過ごしているらしい魔族をどうこうしようとは思わず、放っておいていた。
エレナの親族とは、この微弱な気配のうちのどれかなのだろうか? エレナクラスの魔族と思えば、もっと強い気配であってもおかしくないのだが、まさか、勇者に倒されて弱ってる魔王だったりして。
まあ、まさかそんなわけはないだろう。きっと、気配を隠して潜んでいるとかだ。
暗い森の中は、あたりを見回してもどこも似たような景色なので、ひたすら歩いてるとついついとりとめのないことを考えてしまう。
……魔族のところには行かずに、このまま身をくらませたらどうだろう? ふとそんな考えが頭をよぎる。
今みたいに王宮から逃げ出すのは簡単なんだから、一人で逃げて、追っ手が来たら眠らせるとかして逃げての繰り返しで……いや、やっぱ面倒くさいな。
アルマは、平穏無事に暮らしたいのだ。
──でも、それって魔族のところには再就職したら、叶うことなのか? 今度は人間たちと戦えと言われたりして。
そもそも、私は今まで魔族を倒すこともあったから、敵討ちだ! と殺されちゃったりして。
聖女の力なんて魔族の役に立たないからって、門前払い食らっちゃったりして?──
延々と歩き通しで、延々と妄想が止まらない。
とにかく、なるようになれ、だ。
アルマは足元の小枝をパキパキ踏み抜いて、道ならぬ道に足をすすめていった。
「……ここ? かな……?」
微弱な気配を辿って、ようやくエレナが言っていたと思しき泉にたどり着く。
今まで木も草もウジャウジャとすごかったが、ここだけは不思議と開けていた。
上を見上げると、木々の生えていないここだけ、ポカンと空が見える。
今日は月がよく見える。
泉にも、その月が反転しており、暗闇の中でも輝いていた。
この泉の近くに屋敷があると言っていたが、ぱっと見では見当たらない。
(……結界? なんだか、変な感じが……)
空気がつっぱっているというか、『正しくない』感じがする。泉に向かって、一歩近づくと、ビリビリと肌があわだつ。
明らかに、アルマを拒否している。パツパツに膨れ上がった空気を無視して突っ込んでいくと、パン! と何かが弾ける音がした。
破裂音に反射的に目を閉じてしまったが、再び目を開くと、そこには美しい泉とそのすぐそばに佇む古めかしい洋館、そして、きれいに整えられた畑が広がっていた。
(……はたけ!?)
よく見ると、奥の方には小屋があって、そこからわずかに魔族の気配を複数感じるのだが、どう見ても、家畜小屋という雰囲気だ。
(畜産向けの魔族もいるのかしら)
いままで退治した中には、牛型とか鳥型の魔族もいたから、きっとそういうのだろう。
城から察知していた魔族の気配は、これな気がする。
パン! と空間が裂けるような音がして出現した洋館からは、さっきまで感知できなかった強い力の気配がしていた。
なんらかの力で、気配を隠し続けていたのだろう。
そして、その大きな気配がゆっくりと近づいてくるのがわかる。
結界か、幻惑か。さっきのおかしな空間は、この魔族が施したのだろう。術が解けたので、確認しにきたのか。
ここまで来て、さすがに緊張してきた。エレナに持たされていたブローチをリュックから取り出して、ぎゅっと握りしめる。
ギィ、と建て付けの悪い音をさせて、玄関の扉が開いた。
「何者だ? 同胞か? こんな夜更けに人の領地に強引に押し入るなど……」
黒い男。全身真っ黒のローブに身を包み、長い前髪から覗く瞳は、翡翠の色をしていた。
アルマはポカンと立ち尽くしてしまった。
「……? 何をそんなに驚くんだ。迷子ではないだろう。……まさか、人間か?」
夢の中で見た人だ!