3話 転職、移住相談
「……あら、聖女サマ?」
「元・聖女よ、聖女さま」
「まあ……そうだったかしら?」
アルマが訪れたのはあの偽聖女エレナの部屋だった。
窓辺に置かれた二つの小さな椅子のひとつに腰掛けていた彼女、エレナは口元に手をあててクスクスと笑う。
「どうしたの? わたしに何かご用事? さっそく復讐にいらっしゃったとか……?」
「誰もあなたが魔族だなんて信じていないのに、そんなことするわけないでしょう」
ここで彼女に何かをしたら、間違いなく投獄、のちに処刑されるだろう。今以上に立場が悪くなるとわかっていて、復讐する意味なんてない。
「私が来ても、驚かないのね」
「うふふ、あなたほどの力を持った人なら、不思議じゃないわ」
見張りの兵士は全て眠らせてきた。アルマの力のひとつだ。"眠れ"と念じて、吐息を吹きかければ、コトリと眠りに落ちる。
エレナの部屋の場所は彼女の魔力を探って突き止めた。この城で一番強い力の気配がするのは彼女だから、感知は簡単だった。
エレナは楽しくってたまらないという様子で、クスクス笑っていた。
「今回のことは、残念だったわね、わたしも残念だわ。あんなに、あなたは頑張っていたのにね?」
「しょうがないわ。みんな、私よりもあなたを選んだのだから」
「わたしは、あなたと遊ぶのは楽しかったのだけれど。王子様ったら、追い出しちゃうんだもの。やりすぎだわ」
「私はあなたと遊ぶのにはもう疲れていたから、ちょうどよかったわ」
エレナは小さなほっぺたを膨らませて、もう、とむくれてみせた。
はあ、と私はため息をついてしまった。
白々しい会話の応酬。エレナと話す時はいつもこんな感じだった。いや、人の目がある時はもう少しエレナはかわいこぶった話し方をしていたけれど。
アルマは偽物、彼女が本物と烙印を押されてしまった以上、こんな肩肘張ったやりとりしていたってしょうがない。さっさと本題に入ろう。
「単刀直入に言うわ。私に再就職先を紹介してもらえないかしら」
「……あらまあ」
エレナは目を丸くする。しかし、すぐにニヤリと笑みを浮かべたかと思うと、傍らの空いている椅子に座るように促した。
「聖女サマったら、いいの?」
「いいのよ、もうこの国には未練はないわ」
「あーあ、本当に残念な国ねえ」
「せいぜいあなたが居心地のいい国にしてちょうだい」
魔族のエレナを頼る。それは、この国を棄てる、人の世を棄てるということだ。
色んなことに呆れ果てた上に、ロクでもない予知夢をしてしまったアルマの出した結論は、これだった。
個人的な感情で言えば、諸悪の根源であるエレナを頼るのも嫌だったけれど、でも、アルマが見てきたエレナは一本筋の通った悪女であり、魔族だった。エレナは嘘をつくし、人を騙すが、約束は守る。
後押しされるかのように、あんな夢まで見てしまった。アルマの予知は全てが正しいわけではないものだけど、このまま国外追放ルートはよろしくないのは、確かだ。
この国のことはもうどうでもいいんだし、思い切ってもいいんじゃないかと、『そうだ、じゃあ魔族のところに行ってみよう』と、決めたのだった。
どうせ自分は、閉鎖的な村と王宮の中の二つの世界しか人の世を知らないのだから、さして人の世を惜しいとも思わなかった。
「王子さまの言う通り、外国に行ってもよかったんじゃない? あなたほどの力を持っていれば、賢い人間だったならきっと今よりも重用してくれるわよ」
「……うまくいく保証がないのは、おんなじでしょう?」
きっかけは、あの予知夢なわけだが、前半悪夢、後半ファンシーの予知夢をわざわざ言いたくはない。
「今だって、就職活動して聖女になったわけでもないし」
「ああ、こんなに疲弊して、かわいそうに」
肩を落としてみせると、うっとりと両手を合わせてエレナは喜んだ。こうなったのは、あなたのせいよ、とはわざわざ言わなくても、聡いエレナには伝わっているだろう。じろりと目線をやると、それだけでエレナはウフフと実に楽しそうに微笑んだ。
……予知夢で暴行を働こうとしたあの兵士は、けしてエレナに指図されたからではないだろう。下衆な精神の兵士の独断だと推察する。
エレナは、なんというか、直接的に人を害することは好まない。もっとジワジワと、色んなことが絡んで絡んでがんじがらめになった末に苦しむ人を見ていたいタイプの魔族だ。
邪悪さの質が違う。
今みたいに、エレナが聖女を名乗ってこの城に転がり込んできたせいでアルマに偽聖女疑惑がのぼり、追放されるに至るなど、こういうシチュエーションに喜びを感じるのだ。
我ながら、なんでここまで、この魔族の心理を分析してしまってるんだろうか? アルマはげんなりする。
「そういうことなら、他ならないあなたのためですもの。とっておきのご主人様を紹介したい……と言いたいところだけれど」
「何よ」
「わたしも、そんなにツテがあるわけじゃないのよ。いくらあなたにすごい力があるとしても、よほど物好きな魔族でないと」
勿体ぶっているが、この物言いは『紹介できる』ということだろう。それならさっさと言えと、ジロリと睨むとエレナは実に嬉しそうに顔を綻ばせた。この女、この期に及んで人をおちょくるのを楽しんでいる。
「あなたがわたしを頼るだなんて……嬉しすぎてどうにかなっちゃいそうなんだもの」
「実は私がスパイ役とかは思わないの?」
何しろ、いままでは一国のお抱え聖女として、魔族の襲撃があれば撃退してきた人間なのだ。そんな人間が懐に転がり込もうとしているなんて、普通に考えて、怪しすぎると思う。
「思わないわよ。そんなに器用な立ち回りができるのなら、今ごろ処刑されてるのはわたしよ?」
「……そうでしょうね」
悔しいほど、その通りだった。
今だって、どうせ王宮の人からは魔族の内通者扱いされてるし、夢でも魔族出てきたからちょっと試しに行ってみるか、くらいの単純さで動いてるくらいだ。ぐうの音も出ないアルマに、エレナはにこやかに目を細めた。
「……わたしの親族なら紹介できるわ。元々は一国のお妃候補だった方にご紹介するなんて、恥ずかしいほど大した身分じゃないけど……よろしいかしら?」
「そう、ありがとう」
「即答。あっさりしてるのね」
より好みはしない。それに、もったいつけるエレナだが、彼女の親族というなら、そこそこの地位と力を持った魔族だろうということも予想できた。
魔族の価値観はわからないが、何しろ人の国に取り入るために同族殺しのパフォーマンスをしても許されるエレナの地位は、間違いなく魔族の中でも上位だろう。
「じゃあ、話をつけておくから、あなたは追放される日にうまいことやって逃げて──」
「いいわよ、今すぐ行くから。どこに行けばいいのか場所だけ教えて」
「ええっ、もう行ってしまうの? ゆっくりしていけばいいのに」
「思い立ったが吉日というでしょう」
いつも余裕しゃくしゃく上から目線で微笑んでるエレナにしては珍しく、困ったように眉根を寄せて、うーんと唸った。
「わたしとしては、『契約』に使うっていう道具を見てみたかったんだけれど」
そんなものをわざわざ見たかったのか。
その『契約』をうっかりされてしまわないように、アルマは急いでこの城から出てしまいたいのだ。
「あなたがおねだりすれば見せてもらえるでしょう」
「それがダメなのよ、とても大事なものだから聖女でも、気軽に持ち出して見せることはできないって」
残念だわ、とエレナが肩を落とす。しれっと聖女と名乗るが、あなたは偽でしょうが、とつい思ってしまう。
しかし、アルマも長い間王宮で聖女として暮らしていても、実際にそれが使われるところは一度も見たことがなかった。
たしかに、それが使われる機会があるとなったら、好機! と思うかもしれない。アルマはわざわざ見たいとはそんなに思わないが。
エレナは残念がりながらも、例の親族が隠れ住んでいる場所を教えてくれた。
「あなたなら、今こうしてわたしの部屋を探り当てたのと同じ要領で、魔族の気配がわかるでしょう?」
「うん、とにかく西の森に向かっていけばいいのね?」
エレナが説明した魔族の居場所までの道のりは距離としてはそこまで遠い距離ではなかった。今から向かえば、夜明け前には着くだろう。
西の森の奥深く。泉の近くに屋敷はある。地図はないから、魔族の気配を頼りに向かっていけばいいとのことだ。
「それにしても、思い切ったことするのね」
「魔族と通じてると疑われてるならその通りにしてみようかしら、って」
エレナには適当に答えたが、本当は、他にも色々理由もある。
魔族のことについて、気になっていること、確かめたいこともある。
「聖女なのに、魔族に思うところはないのかしら?」
「聖女だからって、魔族が憎いわけじゃないもの」
害されることがあれば、それを撃退することはあっても、魔族滅すべし、とも思わない。
ふぅん、とエレナは興味があるのかないのか曖昧に鼻を鳴らした。
「今はこの国の人間たちの方が憎いのかしら?」
「……そういう気も起きないわね。どうでもいいっていうのが一番近いわ」
「それで、わたしにこの国を明け渡しちゃうんだ?」
「どうなってもいいからね」
「そう言ってもらえるとわたしも罪悪感が薄らぐわぁ」
元々そんな殊勝な感情存在しないだろう。全く気持ちの入っていないことを言うエレナをアルマは半目で見つめた。
この国はアルマの国というわけでもない。元・次期王妃ではあったけど、今はもう関係ない。
「それに、あなたはこの国を支配はするだろうけど、滅ぼしはしないでしょう」
「ふふ、頑張るわ」
もしかしたらあの暗愚の王太子よりも良い統治をするかもしれない。うん、しっかり支配しておいてほしい。
微笑んでいたエレナは、急にあーあとため息をついた。
「わたしの国にあなたがいないのは残念だけれど、我慢するわ」
「私がいたままでどうやって、取り入るつもりだったのよ」
「んー、婚約破棄までは狙ってたけど……まさか、あなたを偽物で、魔族の仲間と思い込むようになるとは思わなくって……あなたの力が、人間なのに強すぎるせいかしら?」
私のせいかい。
いや、あの暗愚と息子のことになると目が曇る国王のせい、それに尽きる。そうだろう。ここがもうちょっとマシな国なら、アルマももう少しここにいたはずだ。
「ねえ、わたし、あなたがいなくなるのは、本当に寂しいのよ?」
甘ったるい声をしたエレナは小首を傾げ、大きな瞳で上目遣いをした。──美少女にしか許されない仕草だ。
「わたし、あの男よりもあなたの方がよっぽど好みだったもの」
「……本気か冗談かは聞かないわよ」
「ツレない人ね、そういうところが良かったんだけど」
エレナがそうだ、と机の引き出しから小さなブローチを取り出した。
「本当は口利きしてあげたかったんだけど……もしも親族の魔族から怪しまれたらこれを見せてみて?」
黄緑色に光り輝く大粒の宝石が埋め込まれている。エメラルド、いや、ペリドットだろうか。ブローチ自体の造形はシンプルだが、見るからに高そうだ。
「わたしの目の色と同じ宝石なの……」
きゃ、とエレナはぶりっ子仕草で両手を頬に添えて頬を赤らめた。
「大事なものなんじゃないの!?」
「いいえ、たまたまずっと持っているだけで大したことはないわ。ただ、これをわたしが持ってることは知っているから、これを見たら、わかってもらえるはずよ」
慌ててつき返そうとしたアルマだが、キッパリと言い放ったエレナに、なかなか強い力で無理やりブローチを握らされる。
間近にエレナの顔が迫っており、見てみると、たしかに、そういえばエレナの目の色も宝石と同じ黄緑色だ。光の加減によっては黄色にも見えるような鮮やかさだ。
それにしても、美少女でちょっとたじろぐ。
「わかった、預かっていくわ。ありがとう」
「返さなくて大丈夫。わたしだと思って持っていてね」
それはちょっと嫌だ。
しかし、ブローチはありがたく受け取ることにした。握りしめると、ちょうど手の中に収まる大きさだった。
もう今夜のうちにここを出よう。
荷物をまとめなおして、手に持てるだけのものだけ持って出て行こう。
アルマはエレナの部屋から出て、自室に戻るまでの間に改めて強く決意するのであった。