18話 帰宅
夕陽を背にしながらの飛行は、とにかく眩しかった。
ジェイド邸のある西の森に到着して、真っ先にしたのは畑の水やりだった。朝に撒いた水はすっかりと乾いていて、アルマが水を降らせるとぐんぐんと水を吸い、土の色がサーっと変わっていく。
「おー、アルマは優秀だな。よかったなあ、ジェイド」
「ああ……助かる」
ブリックはパチパチと音を立てて拍手をしてくれ、ジェイドもしみじみと頷いてくれた。
水やりひとつも、一人でする大変が身に染みているからだろうが、心の底から「助かる」と思っているようだった。
「しかし、こうやって魔力を使って畑の世話をするからだろうか」
ふい、とジェイドが頭を振り、畑一面を見渡す。
「畑の土に含まれている魔力量が、アルマが世話するたびに跳ね上がっていくのがわかる。『大地の愛し子』とは、こういうことだったのかな」
「魔力を使って世話するから、その魔力が畑にいくってか?」
「魔族でも、魔力を使えば同じ効果があるんじゃないですか?」
魔族であれば、魔力があるのが普通のようだし、もしも魔力を使って水やりしたり、畑を耕したりすれば土の魔力がどんどん増えていくのであれば、魔族ならば常識になっていてもおかしくない。
だが、ジェイドやブリックの反応からすると、そうではなさそうなのがアルマには疑問だった。
「……そうだったかもしれんが、魔族は、畑なんて耕さなかったからわからんな」
「え?」
ジェイドは神妙に呟き、ブリックはハハ! と声をあげて笑った。
「昔は捕まえてきた人間に畑作らせたり、人間の村の畑を襲って作物奪ってたからな! 畑仕事なんか魔族のする仕事じゃなかったんだよな」
「の、農耕文化がなかった……と」
──やはり、魔族。彼らが人間の略奪者だったのは、正しい歴史だったらしい──
ジェイドの語った話を聞いて、「もしかしたら魔族は今の時代で語られているような残酷な人間の敵対種族ではなかったのでは?」とチラリと頭に過ったのは、どうやら間違いのようだ。
(魔族は魔族……なのね……!)
この目の前の魔族二人が、不思議なほど優しいので忘れてしまいそうになる。
魔族の基準はエレナにしておくべきかもしれない。だが、この魔族二人もケロッと略奪の歴史を語るあたり、"魔族"なのだろう。人間に対しての引け目はあまり感じてなさそうだ。
(……そういえば……)
アルマはふと、思い出して、空を仰ぎ見た。
(お父さんのこと、聞きそびれていたな……)
生まれてすぐ無くなった父親、元々は村の人間ではなかったらしいが、それ以上のことをアルマは知らなかった。
この父のことも、本当は聞きたかったのに、色々あって忘れてしまっていた。
アルマはもしかしたら自分は魔族との合いの子かもしれないと勘繰る気持ちが未だあった。
それを知ってどうするのか。どうしたいのかは分からないが、気になっているから、知りたかった。
「まっ、オレもそろそろ帰るかな。今日はアルマと会えてよかったぜ。また来るからな!」
「あっ、ありがとうございます……!」
ブリックは、優しい男だった。大柄で顔つきも派手で、外見だけを見たらともすれば、威圧感があり怖い印象を受けるかもしれないが、彼は優しかった。
アルマはブリックのニッと歯を見せて人懐っこそうに笑う笑顔が好きだなあと感じていた。今までのアルマの人生で、会ってこなかったタイプだ。
(みんな、私に気を遣うか、もしくは敬遠してて愛想笑いばっかだったもんね)
しかし、そうかブリックは帰ってしまうのか。ふと、アルマの頭に疑問が浮かぶ。
「ブリックさんはジェイド様とは暮らさないんですね?」
一人よりも二人の方があらゆる作業は捗る。畑仕事なんかは特にそうだ。ブリックは魔力を使えないが、逞しい体躯の彼ならば、農作業も問題なくこなせるだろう。
どちらかが体調不良などで身動きが取れなくなった場合もカバーしあえる。ジェイドとブリックの場合は不仲でもないようだった。残り少ない生き残りの同胞でありながら、別れて暮らしていることを、アルマは不思議に思った。
ブリックは目をパチクリとさせ、あー、と声を出しながら首の後ろをかいた。
「オレはコイツとは一緒には過ごせねえ。もしかしたら、コイツを殺すかもしれない」
「コロッ!?」
「そう物騒な話じゃない、ブリックの体質の問題だ」
ジェイドが誤解を招く表現をするな、とブリックに小さくため息ついた。
「アルマにもちょっと話したよな。オレは体に魔力を溜め込んじまうって」
「はい、魔力を外に出すことができず、身体の中に溜まり続ける……って」
「実はそれだけじゃなくて、オレらみたいなのは周りの魔力を勝手に吸い続けちまうんだよ」
ブリックは何やら手のひらをグーパーと握っては開くのを繰り返した。
「コントロールできるもんじゃねえから、オレがコイツの近くにいたら、勝手に魔力を吸ってる。あとここに住んでたら畑の土からも飼ってる魔物からも魔力吸っちまうから、まあ共同生活は無理だな」
アルマはゾッとする。
魔族は魔力が尽きると死ぬとジェイドが話していたが、そういう種族でこの特性持ちはやばいのではないだろうか。
「ぐ、グリフォンは大丈夫なんですか……?」
「コイツとはずっと一緒にいるわけじゃねえからな。それに魔力の量は多い魔物だから、まあなんとか」
グリフォンは基本的には自由に空を飛び回っていて、体を休める時だけブリックの住処に眠りに来るらしい。四六時中ずっと一緒に居続けるとかでなければ大丈夫のようだ。
無意識に魔力を吸い続けると言っても、すぐに死に至る勢いで吸うわけではないらしい。
よくよく考えたら今日一日ジェイドとも共に過ごしていて、特にジェイドに異変も起きていないのだから、一日くらいでは支障ないのだろう。
「さすがに、そうでないとキツイですよね……」
「昔はこういう個体が生まれてきたら殺されてたらしいから、オレはまあマシな時代に生まれたよな!」
ブリックは至って朗らかな様子だが、アルマは思わず引き笑いを浮かべてしまった。
苦労も相当しただろうに、ブリックがこの快活な性格を得ることができたことが奇跡のように思える。
「……でも、もしかしたら、アルマがいるなら、ここに住んでても大丈夫かもしれねえ」
「え?」
「お前の魔力の量がな、ハンパないんだ。しかも溢れかえってダダ漏れ状態。これならオレが魔力を吸っても、ジェイドも畑も家畜も無事かも」
「そ、そんなに?」
「うん、そんなに」
そんなに、そうなのだろうか。
何しろ、自分と他を比べる手段がないからいまいちよくわからない。アルマには、自分の魔力の量というのがピンと来ていなかった。強い力──魔力の気配を感じ取ることはできるのだが。
「……まっ、しかしオレも今の仕事があるからな。一緒に住んだら楽しそうだけど」
「仕事?」
「瘴気が出て魔物の住処になったからって、人間たちが廃坑にしちまった鉱山に住んでるんだよ。そんで、まだ宝石は取れるから、そこで宝石掘って売ってる」
それでブリックは生計を立てているらしい。もちろん、その宝石を買うのは人間だ。魔族のブリックだが、その辺りは折り合いをつけて、共存しているようだ。
「……ジェイド様も人の街で暮らす選択肢ってなかったんですか?」
「なかったな」
ジェイドはバッサリ答える。
(人と関わりたくない……? でも、私にはずいぶん親切だけどなあ)
昔は魔王だった男だが、封印のトラウマが根深いのだろうか。アルマは首を傾げた。
「――そういうわけで、アルマ、オレと結婚しよう!」
「どういうわけで!?」
いきなり話が飛んだ、気がするのはアルマだけだろうか。ブリックがニコニコと両手を広げていた。
「結婚するならここを出て、オレのところ連れてってもいいだろ? オレは仕事も金もあるし、お前といればオレはいたずらに周りから魔力を吸いすぎずに済む。住んでるところも人間たちからは見向きもされてない場所だから人目につかずに安全だぜ?」
「それで、結婚……」
「こんなに人に可愛いって思ったのは初めてなんだ。一目惚れだ」
毒気のない笑顔のブリックの言葉に嘘はなさそうだった。
「アルマ! 結婚しよう」
「お断りします」
しかし、アルマは断った。
ブリックに向かって、片手を前に差し出し、ノーの意思を告げる。
「即答かよ! さっきはあんだけしおらしく悩んでたのになんで!?」
「だって、さっきのは……人生の大きな分岐点みたいなもので……」
「これも大きな分岐点だろ!」
「お断りする分には変化はないし」
「クソーっ、でもそのサッパリしてんの好きだぜ! さっきみたいなのより好きだ!」
ブリックは大きく声を上げて笑い飛ばした。
そういうブリックこそ、あっさりしたもので、求婚が断られるとすぐに引き下がっていった。
(本気……じゃなくて、和ませ……? ようとしてくれたのかしら)
アルマは首をひねるが、真意は測りかねた。
今日一日だけで、一生分かと思うほどかわいいかわいいと言われたが、それも未だにピンときていないのだ。その言葉自体に嘘はないのだろうが。
ブリックはグリフォンの背に乗ると、大きく手を振り、「じゃあな!」と声を張った。
アルマも手を振る。
そして、グリフォンの姿が見えなくなるとジェイドがぽつりとつぶやいた。
「ブリックには砕けて話せるんだな」
「なんだか、話しやすくて」
「俺にも気を遣わないでいいんだぞ」
ジェイドの翡翠色の瞳がアルマを覗き込む。
「……でも、ジェイド様にはこちらの方が話しやすいです」
「まあ、それならいいんだが」
ザク、と土の踏み締める音が耳に入った。
ジェイドは正面から向き合うようにアルマに歩み寄る。
「アルマ、俺とお前に上下関係はない。どうしてもお前は俺に引け目を感じるかもしれないが、それは俺も同じだ。俺の妹がお前に迷惑をかけたのだから」
「ジェイド様」
「むしろ、本来ならば、お前には俺を奴隷のように足蹴にする資格さえある」
「……いや、それはしようともしたいとも微塵にも思いませんが!?」
「資格はあるのだと、覚えていてくれ」
忘れていようとアルマは思った。
ジェイドは、とにかく生真面目で、親切な男なのだろうが、本気なのか冗談なのかよくわからないところがある。恐らく、全ては本気なのだろうが、あまりにも大真面目すぎて受け取り側としては「実は?」と考えてしまう。
だが、今のアルマにとって、彼のこの愚直なまでの誠実さが心地よいのだった。
まだ出会って、ほんの二日三日だが、アルマはこの男のそばにいることを望んだ。
聖女という役目も、王太子の婚約者という地位も、生まれ故郷も手放したアルマだが、いま胸の内を占めるのは、これからの穏やかな生活への期待ばかりだ。
(……そういえば)
ブリックが結婚だなんだというから、アルマはふと思い出した。
(私、夢でジェイド様から花嫁って言われて、ハニーダーリンとか呼び合っていた……ような……)
アルマが今ここにいるきっかけを作った、あの予知夢。精度の低いファンシーなお花畑な夢の中でジェイドとアルマは仲睦まじく二人でくるくる回っていた。
いや、ハニーダーリンは、ないだろう。そして、花嫁云々もあの夢の軽薄さではきっと正確じゃない。
目の前に本物のジェイドがいることで、改めてあの夢の薄っぺらさを思い知らされていた。
(そんなふうにはならないだろうから、のびのびとやっていこっと!)
いまのアルマは、生まれてからずっとあった重荷から解放された気分だった。
けしてエレナに感謝こそはしないが、結果的には──よかった。
アルマの晴れやかな顔につられてか、それを見るジェイドの表情も、ふと柔らかくなっているのだった。
次回、デート回(?)挟んで一章完結予定です。