15話 妄執
「! エルク!?」
「えっ……アルマ!?」
村長の家のドアを開けると、懐かしい顔があった。
エルクだ。席をはずしている間に、戻ってきていたのか──アルマは懐かしさで顔がほころぶ。
だが、代わりにジェイドの姿が消えていた。
「ちょうどよかった……今、エルクも帰ってきたところなんだよ。アルマ」
「ジェイド……あの、黒髪の男の人は?」
「ああ……アルマを迎えに行くと言って、出て行ったんだが、会わなかったようだね」
「そっか……」
村長は優しく微笑んでアルマを迎え入れる。
ジェイドとはすれ違いになってしまったようだが、もしかしたら、いない方が話を進めるのに気楽でちょうどよかったかもしれない。
「アルマ……本当に、アルマなんだな!」
久しぶりに会ったエルクは立派な青年になっていた。幼少期には小さくて痩せっぽっちだった彼は、アルマよりも背は高く身体も厚みを持っていた。
「村のみんなにはもう会ったのか? 6年ぶりだからな、みんな喜ぶよ」
「……私、もう行こうと思ってるの」
「えっ、そうなのか? やっぱり、聖女様って忙しいのかな」
「私、聖女はもうやめるの。村にももう来ない」
エルクはまだ村長から話を聞いていなかったようだ。寝耳に水だとばかりに驚いて、目を丸くしている。村長も、和やかな雰囲気から一転して険しい表情を浮かべた。
「アルマ、お前、でもあの人はああ言っていたじゃないか」
「……うん、でも、私決めたの。ここじゃないところで生きていく」
「そんな……」
弱々しい声が発されて、胸が痛むが、もう決めたのだ。
「織物の買い付けにお城の人が来たら、その時に私が死んだと聞かされると思うの。その前に、お別れだけ言いにきたのよ」
「えっ、なに、どういうこと?」
わけがわからないとエルクはしかめ面をしていた。これから死んだと知らせを聞くことになる、確かにデタラメな話だ。
「なに、予知……? とか……? えっ、それだと本当にアルマ、死んじゃうってこと……? それは、違うよね……?」
「……」
本当に死ぬと思ってもらった方がいいような気もした。どう説明しようか、しばし迷い、とりあえず、アルマはそこについての詳細は黙っておくことにした。
「色々あって、私、お城から出ていくことにしたの。織物の買い付けは継続するみたいだから、心配しないで」
「……この村には、いられないのか?」
困惑しきりのエルクだったが、少し落ち着いたようで真剣な面持ちでアルマを見据えた。
「アルマがいなくなってから、村の畑は見るからに痩せたよ。その代わり、お城の人に織物を買ってもらったり、お金や衣類とかももらえるようにはなったけど……。やっぱり、毎日食べるものが足りない。この村には働き手が少ないんだ」
「……そっか」
「魔族もたまに襲ってくるし……今は僕が村を守っている」
「たくましくなったんだね、エルク」
エルクは面映いといった風に鼻をこすった。
「アルマがいてくれたら、この村は安泰だよ。お城にいなくてもよくなったなら、この村にいてほしい」
「……ごめん、エルク……」
「アルマ……」
エルクは昔を思い出させるような、情けない顔をしていた。エルクはアルマよりもお兄さんなのに、泣き虫で、夜中に怖いと言って寝ているアルマを起こして一緒にトイレの前までついていかされたことを思い出す。でも、エルクは魔物とも戦えるようになった。もう立派な青年になったのだ。
エルクは「いてほしい」と口にしながらも、しかし、それは叶わない願いとわかっているようだった。アルマは首を横に振ってから、エルクの目を見て、今度は頷いた。エルクも、瞳をじんわりと潤ませながら、頷いた。
「──アルマ、さっき一緒にいた男たちとはいい仲なのかね?」
「えっ、そんなんじゃないよ」
ぽつりと、村長がアルマに問いかける。
急にそんな問いが飛んでくるとは思わずアルマは慌てて否定した。村長はそうかそうか、と噛み締めるように何度も頭を縦に振った。
「じゃあ、うちのエルクは、どうだい? 一緒にいつも遊んでいただろう」
「どうだいって……どういうこと?」
「エルクのことはどう思っている? 悪くは思ってないだろう? エルクと結婚する気はないかい、アルマ」
「……私、もうこの村を出て行くのよ? 結婚なんて……」
「爺ちゃん、何いってんだよ。僕とアルマは兄妹みたいなもんだよ?」
おじいちゃんが怖い。
不穏な気配を察して、アルマは後ずさった。胸がザワザワとする。
緊張して口の中に溜まった唾をゴクリと飲み込むと、それとほぼ同時にしわくちゃの口元が動いた。
「エルク、アルマを抱きなさい」
「む、無理だよ! 何、言ってんだよ!?」
「やるんだっ、エルク!」
「おじいちゃん……」
村長──老人は暴れ出す。肩を強い力で掴まれて、アルマは顔を顰めた。エルクが慌てて駆け寄ってきて、老人を後ろから引っ張ってアルマから引き剥がし、そのまま羽交い締めにした。
「子どもでもできれば! 出ていけなくなるだろうっ、アルマ、お前はここにいるんだ!」
「なに、勝手なこと言ってんだよ!」
「アルマ、ワシは、本当に、本当に、お前を城にやって後悔してたんだ! ワシは……ワシは……」
ジンジンと、掴まれた肩が痛む。アルマはショックで瞬きもできず、ぼやけた視界で老人を見つめていた。
喚いている言葉はすんなりとは頭に入ってこなかった。
「アルマよ、頼む、この村に留まってくれえ!」
村長は老体であるはずなのに、信じられない力で暴れているようで、エルクでは羽交い締めにしていても抑えきれずにいた。ジタバタともがく老人に頬を叩かれ、足を踏まれてもエルクは懸命に堪えていた。
「アルマ……ッ、お前の力で、なんとかできないか……!?」
眠らせるには吐息を吹きかける必要がある。こうも暴れられていては無理だ。力づくでならばと頭によぎるが、老体にそれをするのは気が引けた。エルクも同様なのだろう。羽交い締めにして抑えつけることしかできない。何をすれば、手足を折ってしまうかもしれない。この年齢で骨折をして、そのまま寝たきりになった老人を多く見てきたアルマとエルクには、その選択は憚られた。
それにしても、信じられない力だ。火事場の馬鹿力というべきだろうか、人間には自分の体を壊さないようにリミッターがつけられているというが、そのリミッターが壊れているかのようだった。
そう思ったところでアルマはハッとする。このまま暴れるのを抑えつけているだけでも、もしかしたらどこか骨を折ったり、身体を悪くするかもしれない。
「ア、アルマっ、何か、紐とかないか!? 縛ろう!」
「う、うん……!」
足を踏み出そうとして、アルマは何もないところでよろけた。腰が抜けていた。情けない。
アルマはショックだった。自分を育ててくれた老人から、こんな言葉を投げかけられるとは、こんなことを求められるとは、予想だにしていなかった。
アルマは動けなかった。