14話 故郷②
ジェイドの横顔は真剣そのものだった。
「城の連中はアルマは死んだと思っている、どうか、アルマをこの村で穏やかに過ごさせてやれないか?」
「……あなたは一体……?」
「俺は彼女が城から追われる要因となったひとつだ。責任を感じ、いま彼女を匿っている」
「ジェイド様……」
わざとだろうが、説明に言葉が足りていない。アルマが城にいられなくなったのは、ジェイドのせいではなくて、彼の妹のエレナのせいだ。
村長は動揺こそしているものの、その瞳には期待の色が滲んでいた。
「それは……むしろ、ワシらも、そうしたいところじゃが……」
「おい、ジェイド。勝手に話進めんな。アルマ、ビックリしてんじゃねーか」
ブリックが二人の間に割って入り、ジェイドを睨みつける。
「アルマ、お前、こんな話聞いてねえだろ?」
「は、はい」
「ナシだ、ナシ。少なくとも今すぐ決めたらダメだ。おい、じいさん。また来るからそれまで待っとけ」
ブリックの手がアルマの手首をグイと引っ張り、立たせるとそのままブリックは戸口へ向かっていった。大股で歩くブリックに、アルマは駆け足でついていく。
「ぶ、ブリックさん!」
「……わりぃ、引っ張っちまった」
村長の家から出て、ブリックは村から外れた人気のない方へと歩いて行っていた。
小走りだったアルマは少し息が上がっていた。はあはあと肩で息をするアルマに、ブリックは眉を下げて申し訳なさげに首の後ろをかいた。
「どうにも、勝手な話してんなって思ったらアタマに来ちまった。オレだって、今こうしてアルマの気持ち考えないで連れ出してんだから変わんねーのにな」
「そんなこと、ないです。……ありがとうございます」
あの時、アルマは動揺していた。ジェイドがアルマが村で暮らせないかと打診したとき、アルマはある記憶がフラッシュバックしていた。
(お城に連れて行かれて……村の人に、捨てられたと思ったこと……)
あの時と、同じような気持ちになっていた。
ジェイドのそれは、やさしさなのだろう。それはわかるのだが、アルマはジェイドの屋敷、あの場所に居心地の良さを感じていた。たったの2日、彼のそばで過ごしただけだったが、あそこから離れるのは寂しいと思っていた。
6年間もいた城を離れるのはちっとも惜しくなかったのに。
「……まあ、座ろうか。のんびりしようぜ」
ブリックは何もない原っぱに座り込んだ。アルマも頷き、その横に並んで座る。
こんな地べたに座るのなんて、何年ぶりだろう。お城でだったら、はしたないと怒られたはずだ。村娘だったアルマには、日常茶飯事だったのに。
「……本当はお前を一人で行かせてやるべきだったんだろうな。ケリ、つけたかったんじゃねーの?」
ぽつりとブリックが囁くように呟いた。アルマはコクリと頷く。
「でも、ジェイドがついていくみたいだったから、なんかこうなる気がしたんだよな。……でも、悪かったな、話し合いたかったか?」
「いえ……私、たぶん、あそこにいても何も言えなかったから……」
ショックだった。しかし、なんでショックだったのかが、いまいち理解が追いつかない。
帰りたいと、懐かしいと、そう思う気持ちだってあるのに。この村への恋しさはあるはずなのに、いざジェイドの口から提案されたときに「嫌だ」と思ってしまった。
すでに村には帰らないと決めていた心に水をさされたからだろうか。いや、そんなことではない。
「私、よくわからなくて」
「どうしたいか、が?」
「……ジェイド様は、私がここにいた方がいいと思ってるんですよね」
「あいつはな。でも、アルマ、お前が決めていいんだぞ」
赤褐色の大きな瞳がアルマを見つめる。
「お前さんが城にいられなくなって、オレたち魔族のところに来たのは、エレナのせいなんだろ? オレはあの兄妹ほど事情はわかってねえけど、お前がアイツに遠慮しなくちゃいけない理由、なくないか?」
アルマはしばし考え込む。
エレナのせいで、魔族の内通者と疑われて国を追われた。もうこんな国、と呆れ果てて、それならいっそ魔族のところに行こうとした。それでジェイドに会った。城を飛び出した時点で、アルマはこの村も含めて、人の世は捨てようと思っていた。
しかし、ジェイドは「帰ってみてもいいんじゃないか」といい、アルマも「帰りたい」と言った。
でもそれは、別れを告げるためにだった。
(やっぱり、帰らないことにしておけばよかったのかなあ)
一度決めたことを覆すと、よくないなとアルマは学んだ。今まで自覚がなかったけれど、自分はどうも優柔不断らしい。
「私、ここに、この村にいてもいいんだって発想、全然なくて」
「そうか」
「本当は、この村にも帰る気なくって、でも、これが最後のチャンスだと思ったら……また、お別れが言えないんだと思って」
「……ケジメつけに来たんだな」
ブリックが目を細める。ハスキーな声が優しくアルマの耳を掠めた。
「……私、たぶん、何かを選ぶ……って、下手くそなんですよね。急に選択肢が増えちゃったから、なんか、ビックリしちゃって……」
「そりゃしょうがねえよ」
さっきから、ちっともまとまったことが言えなくて、ボソボソと話してばかりで、アルマは自分が情けなくてしょうがなかった。
「今、お前がすることは選ぶことじゃない。まず、落ち着くことだ」
「ブリックさん……」
アルマの拙いお喋りにも、ブリックはずっと優しい眼差しを向けてくれている。アルマはじんわりと胸が熱くなってきていた。
「……なんでそんなに優しいんですか?」
「まっ、オレも色々あったからな。優しいってわけじゃねーんだ。好き勝手に振り回されるのも、それを見てるのも嫌なんだよ」
アルマはきょとんと首を傾げた。ブリックはあー、と気まずそうに声を漏らして、ガシガシと硬い毛質な髪をかき混ぜた。
「オレは封印される前、死ぬ寸前だったんだ」
「死……!?」
「オレは魔族だけど、魔力を持ってなかった」
「えっ、でも」
ブリックにも魔力はある。アルマには感知できている。暖炉の中の薪のように、パチパチと燃えているような魔力の塊が。
「まあ、正しく言うと、魔力はあるんだが、その力を外に出せなかったんだな。たまにいるらしい『欠陥品』だ。魔族としてはありえない出来損ないでな、しばらくはイジメられてたんだが」
苦笑していたブリックだが、ピタリと笑みを消して真顔で小さく、呟いた。
「どうも、魔力が外に放出できずに体内に溜まり続けるせいで、身体能力が異常に上がることに気付かれた」
彼の中できっとこの事が大きな転機だったのだろう。赤褐色の瞳の先にあるのはただの草むらだが、語る彼の眼は違うものを見ているようだった。
「それがわかってからは手のひら返したみたいにチヤホヤされたよ。そん時は魔族と人間で戦争してたからよ。何しても大体死なねえし、便利に使われた」
「……ブリックさん……」
「……だけど、体内の魔力が貯まるのにも限界があって、魔力がパンパンになったらオレたちは死んじまうんだ。風船みたいに、弾け飛んで」
ブリックが胸の前で拳をギュッと握った。
「最後は爆弾扱いだぜ。いつ破裂してもおかしくねえからって、単身で最前線に送り込まれたりな」
「そうだったんですね……」
「そういうわけで、良いように使われてるのはウンザリなんだよ。そういうのを見てるのも」
良いように使われる。たしかに、それは、その通りだった。アルマも力があったから、周りにもてはやされて、魔族と戦わされたり、一国の王子の婚約者にされたりした。『聖女』になるために、村から城に自分の意思に関係なく引き取られていった。周りから求められることばかりを懸命にやってきた。
王太子から婚約破棄と国外追放を言い渡されたあの日のことを思い出す。彼らはアルマを良いように使ってきたくせに、こんなアッサリと掌を返すのか。そういう気持ちも、あった。だから、あんなにアルマは呆れ返っていたのだ。
そういうのをふっきりたい。
そう思って、アルマは城を飛び出した。
「オレたちみたいなのは死ぬ直前が全盛期なんだよな。限界ギリギリまで溜まった魔力が無尽蔵のパワーと、鋼の体を与えてくれる……」
ブリックは当時を思い出してか、虚しそうに目を細めた。
「ま、しかし、パンパン状態だったおかげでオレは封印されてもガス欠起こさず生き残っていたわけだ。結局のところは、自分の体質に感謝だな」
話している間、ずっと真剣な表情だったブリックはそれを吹き飛ばすかのように、ニッと笑ってみせた。
ジェイドから語られた魔族の歴史は、アルマの知るそれとは大きく違っていた。
アルマは知りたいと思う。魔族のことを。
「……私、本当は迷うことなんてないんですよね」
この村に着いた時に感じた、張り詰めた空気。ここには、自分の居場所はないのだと、アルマはそう感じていた。
とっくに決めていたのだ。
人の世は捨てる、と。たった一つの心残りであるこの村には別れを告げるためだけに来たのだ。
「私、もう一度村長の家にいってみます。それで……話して来ます」
「そっか。もういいのか?」
アルマは大きく頷いた。ブリックの大きな手のひらが背中をポンと叩く。
「オレ、ついてった方がいいか? 一人のがいい? どっちがいい」
「私、一人で行きます」
「わかった、行ってこい。気をつけてな」
「ブリックさん、ありがとう!」
アルマは笑った。ブリックはきょとんとした顔を一瞬浮かべて、すぐにまた歯を見せて笑う。
「笑ったの、初めて見たけどかわいいな」
「また、すぐそう言う」
二人で軽く声をあげて笑い合う。
そういえば、こんなふうに笑うのなんて本当に久しぶりだった。