12話 空の旅
グリフォンの背中はとても広く、長身の男が二人と中肉中背の女の三人を乗せても余裕だった。
こんなに大きな生き物が空を飛ぶのだから、誰かに見られるのではとアルマは心配したが、いわくグリフォンの姿とその背に乗った人物たちは魔力を持っていないとみえないらしい。
空を飛ぶのは初めてだが、風がとても心地よい。そして、グリフォンの背の温かい体温も気持ち良い。
「……かわいい顔してるな」
「えっ」
「あー、わるい、また言っちまった」
気持ちよくて背中に頬ずりしていたのが恥ずかしい。慌ててアルマは姿勢を正した。
さきほどから、ブリックはなにかにつけて「かわいい」「かわいい」と言ってくる。
「あの、あまり言われ慣れていないので……」
「はあぁ? 嘘だろ、聖女様で、王子様の婚約者もやってたんだろ? そんだけ人目についてて言われてこなかった?」
「容姿を褒めてくださる方はいましたけど、でも、褒めてくださっているのは服装とか、その時の髪型とかですから……」
「マジかよ」
はあ、とブリックが大きくため息をつく。呆れられてしまったのだろう。でも、私はその程度なのだ。どこにでもいるような、茶色い髪と、生意気と言われがちなつり目と、とりたてて目立たない平均的な体型。髪の毛は侍女に手入れされて、長く伸ばしていたから、綺麗であるとは思うが。
しかし、とりたてて容姿に恵まれているわけではないアルマには聖女であることと、王太子の婚約者であることしか評価できるところはないのだ。
今となってはそのどちらの称号となくなってしまったので、いままでアルマのことを美しいと煽ててくれていた人たちはきっと誰もアルマのことなど気にもとめないだろう。
「着飾ったら、そりゃもうべっぴんなんだろうってのはわかるけどよ。アルマ、お前さんは顔がかわいいんだ、自信を持ってくれ」
「はあ……」
ブリックの赤褐色の瞳は真剣で、一切揺らぐことなくアルマを見つめてくれているが、アルマにはピンとこない。
「オレが何度でも言ってやる。アルマ、お前はかわいいよ」
「あ、ありがとうございます……」
自分がかわいい、というのはよくわからないが、ブリックも例に漏れず顔がいい、というのはわかる。魔族はやはり、美形しかいないのかもしれない。
ブリックは鼻筋が良く通り、眉がキリッと整っていて、瞳は大きく目力が強い。パーツの一つひとつが派手な印象があるが、顔のバランスがよくてゴチャゴチャはしていない。ブリックは身体も大きいから顔つきも派手なくらいで丁度いいのかもしれない。
(美形……ってよりもイケメン、って言った方が近いかな……?)
しみじみとブリックの顔を眺めてしまうが、ブリックもアルマを見つめ続けているので、アルマの視線は気にしてなさそうだった。
「ウブな感じ、いいんだけどよ、こんなにかわいいのにかわいいって言われてこなかったなんて勿体なさすぎるぜ。なあジェイド、お前もかわいいって言えよ」
「えっ!?」
まさかジェイドにまで『かわいい』の話題を振るとは思わなかった。いつも涼しげな顔をしたジェイドのイメージには合わないようなポカンとした様子で、一瞬だが目を丸くしているところをアルマは目撃してしまった。
気まずい。
「ブリックさん、かわいい……というのは強要するものではないのでは?」
「でも、アルマ。お前はこれからこと朴念仁と一緒に生活するんだろ? てか、お前がこれから色んな人と出会っていくならいくらでもかわいいって言われる機会あるだろうけど、そうじゃねえだろ? 身近な人からかわいいって言われなくちゃダメじゃん」
──謎理論だ!
語るブリックの大きな目はキラキラとしていて、ふざけて言っているわけではないことはよくわかる。それだけにタチが悪いというか、曖昧に流して誤魔化しづらい。
「なんでみんなかわいいって言ってこなかったんだ?」
「アルマは王太子の婚約者だったんだぞ。その立場の女性を口説くことはありえない」
「それにしても、かわいいくらい言うだろが」
「あの、もう十分ですから……」
というよりも、勘弁してほしい。耳まで熱くなってきてしまった。
おかしい。久々に帰る故郷で、色々と思うところとか、葛藤があったはずなのに、ひたすらかわいいと言われ続けたせいで頭から吹き飛んでしまった。
グリフォンが飛ぶのはとても速くて、朝に出発し、太陽が空の真上に来るよりも前に村に到着してしまった。
空の上から見下ろすと、本当に小さな村だった。
点々と並んだ家に今も住んでいる人たちはどれくらい居るだろうか。アルマがいた時からすでに、空き家は多かった。
「アルマの家はどれなんだ?」
「私は村長さんに引き取られて育ったので……一応、あの、一番大きな家です」
小高い丘の上の平家をアルマは指さす。
グリフォンは魔力がない者には見えないとのことだが、羽ばたきや着地の振動はわかるらしいので、村から少し離れた林に降りてもらった。
「魔物の巣も近くにあるんですが……」
「コイツを襲おうとする魔物なんかいねーよ」
ブリックがグリフォンの嘴をコンと小突くと、グリフォンも同意するようにピュウと高い声で鳴いた。
林を出てしばらく歩くと、荒れてはいるが人の手が入っている道に出る。王宮から定期的に馬車が来ているはずなのに、相変わらず道が悪い。アルマが村から王宮に連れて行かれる時の馬車もガタガタとひどく揺れていたのを思い出す。
(帰ってきた……)
小さな村の名前はトモルと言った。村の背後には険しい岩山がそびえ立っている。ここで生まれ育ったアルマだが、この岩山の向こうには海が広がっているのを、グリフォンの背に乗って初めて見た。
トモル村。マルルウェイデンの最南端の辺鄙な村だ。
アルマがゆっくりと歩を進めるのを、男二人が見守るように、静かにあとをついていった。