1話 婚約破棄、追放
「アルマ! まともな予知ひとつもできない偽聖女め! 貴様との婚約は破棄して、私はこの真なる聖女、エレナと婚姻する!」
王太子レナードが突きつけた指の先にいるのは、間違いなく自分だった。そして、彼のそり返った人差し指の向こう、王太子の背後に見える、たおやかに笑う白い装束を纏った女性。
──いや、コイツこそが偽聖女なんですが!
呆れ果てて、声も出なかった。
場所は王の間。この国の王と王妃が並んで王座に座り、アルマを見下ろしていた。
事前に、王太子からこの宣告については話に聞いていたのだろう。いたって落ち着いた様子でいた。息子を止めようという気配は全くないので、彼らも納得しているということだ。
一国の王としてはそこまで愚かではないはずなのだが、この夫婦はとことん息子に甘い。
周りには王宮の兵士たちが囲み、手に持った槍が立ち並ぶ様は、まるで監獄のようにも感じられた。彼らもまた、王太子に同調し、アルマを断罪しようとしている。
「……王太子殿下、何度も申し上げましたが、そのエレナこそが聖女を騙る……『魔族の娘』なのですが……?」
「──貴様、この後に及んで!」
王太子は整った顔を歪めて、大きく叫んだ。
「お前にそう言われるたび、エレナがどれだけ心を痛めたことか……!」
「レナードさま……っ」
エレナがひしと王太子にしがみつく。その彼女の肩と腰を抱き返し、王太子はかぶりを振った。
「このような可憐な娘が魔族であろうか? いや、あるわけがない!」
エレナの白すみれ色のふわふわヘアーに頬を寄せながら、王太子は力強く言い切った。
このやりとりも何度見たことだろう。うんざりする。
しかし、この場において白けきっているのはアルマだけで、王たちも兵士たちも、大臣もみんなエレナちゃん可哀想ムードだった。
このエレナが現れてから、しばらくは私に味方してくれる人もいたんだけどなあ、とアルマは残念な気持ちになる。
だが、こののれんに腕押しの告発を何度も繰り返すアルマに、次第に貼られていったレッテルは『悪女』だった。
アルマの言葉は全て、婚約者の王太子と微笑ましいやりとりを交わす美少女に嫉妬するいじわる娘の戯言と捉えられるようになっていった。
エレナは可憐と呼ばれるのにふさわしい容姿をしていた。細く華奢な身体、鮮やかな黄緑の瞳、髪の色も肌の色も、とても薄い色素で儚げであった。
対してアルマはというと、どこにでもいそうな粟色の髪に、健康的なだけで特徴のない中肉中背、目つきはどっちかというと「キツめ」と言われていた。
いろんな前提条件を抜きにして、婚約相手のお嬢さんを自由に選べますよ! とだけ言われて初対面の殿方の前に2人で並べられたら、絶対に負けるだろうという自信がアルマにはある。
それから、エレナは性格も人懐っこく、可愛げがあった。王宮の中でもファンクラブがあるとか、ないとか。
アルマの方がこの王宮で暮らしている期間は長いけれど、ある日突然現れたエレナの方が人気はあるはずだ。
アルマには、悪い関係の相手もいないが、特別ものすごいいい関係の相手もいないのである。
「婚約を破棄したいということはわかりました。でも……それだけじゃないですよね?」
「そうだ。相変わらず、察しはよいな?」
こんなに物々しい雰囲気で取り囲まれていたら誰でもわかるだろう。
「『偽聖女・アルマ』、聖女を騙った罪により、貴様を国外追放する」
……わかっていた。偽聖女と呼ばれた瞬間から、こういう流れになるだろうということは。自分で私は聖女ですなんて言ったことないのに。祀りあげてもてはやしたのは、彼らだというのに。
もはや、王太子の顔など一切見ずに、その後ろのエレナの様子をじっと伺う。目が合っても、にくたらしい微笑みがみじんも揺るがない。
(ああ、もう、本当に呆れた)
この場にいる全員、この国の中枢部に携わる全員が、アルマが偽聖女で追放されるべきなんだと納得しているらしい。王様も、王妃も大臣も、王の間の近衛兵たちも。
「私がいなくなった後は、この国の守りはどうするのです?」
「真なる聖女エレナがいれば問題ない!」
王太子は弾んだ声で即答した。
「エレナは魔族が出没する地域や時間までハッキリと予知することができるんだぞ」
それはこの女自身が魔族に「いつどこで襲撃してね」って命令してるからです。
「破邪の力ひとつとっても、エレナはお前よりよっぽど強い力を持つぞ! 危険を承知でこの可憐なエレナが戦地に赴けば、聖なる力に魔族はたちまち戦意をなくし、退却するんだ!」
それはこの女が下級魔族を束ねる上級魔族で、予め段取りを組んでるからです。無闇に同族を攻撃してダメージを与えるよりも、撤退してみせた方が下級といえど、同胞の数を減らさずにすんで効率的だからです。
『私も聖女の力を持っているのです』
自らそう言って、この城を訪れた時も、ものすごいタイミングよく魔族が城に侵入したんだっけかな。でもって、訝しむ兵士に追い出されかけていたエレナが侵入した魔族をやっつけて、力を見せつけて……そして、自分をもう一人の聖女としてこの城に置くように進言し、取り入ったのだ。
アルマは、エレナを一眼見た瞬間から全身がぶわっとあわだち、この女が強大な力を持つ魔族だということに気が付いていた。でも、それを信じてもらうことはとうとう出来なかった。
信じて協力してくれた魔族の生態を調べている学者さんや、王宮の兵は気付けば城から遠ざけられるか、もしくは「アルマさまの考えすぎですよ」と言うようになっていた。
(もう少し、私もうまく立ち回りできていれば、変わっていたのかしら)
ウキウキでエレナ自慢をする王太子に、アルマはもう何も言わなかった。
だって、いままで散々言ってきて、一回も信じてもらえなかったから。
「これは決定事項である。貴様は1週間の猶予の後、我々が用意した馬車で、監視と共に北の関所から国外へと向かうこととなる。一番近い街までは送ってやるから安心しろ」
1週間の猶予、監視兼護衛付きの送り、温情だと言いたいのだろう。王太子が目を細め、アルマを見下ろしてくる。
「ただし、二度とこの国の領地は踏めぬように『契約』をさせてもらう」
「……それは」
「──貴様が、魔族と通じているという噂もあるのでな?」
念入りなことだ。『契約』という言葉を聞いて、さすがに驚いてしまう。
エレナは「まぁ……」と小さな口に手をあてて、目を丸く見せている。ああ、この愛らしい少女こそが魔族だというのに。
再三、エレナが魔族であると訴えてきたことが、アルマを魔族と通じているのかもしれないと思わせてしまったようだ。
『契約』とは、この国において、罪人への処罰に行われる行為だ。罪人の身体に特別な聖器具を用いて刻印を刻むことで、特定の行為を制限する効力がある。
たとえば、妻や子を虐待していた夫に対しては契約で決めた距離以上に妻子に近づけば身体が硬直するようにしたり、盗みを働いていたものに対してはやましい考えが頭に浮かべば、すぐさま激しい頭痛を与えたりといった効力がある。
ただし、刻印を刻むことができる聖器具は国宝であり、代替は存在しない希少なものだ。よって、実際に『契約』を施されるというのはよほどの悪か、特別な事情がある場合だけだ。
聖器具は、この国──マルルウェイデン──が代々受け継いできた国宝らしいのだが、あまりにも長い歴史があり、その出自は明らかではないそうだ。はるか昔には、この聖器具を用いて人を裁く事は珍しくなかったそうだが、国に住まう人間が増えていくにつれ、使われなくなっていったと聞く。
聖なる力を持たないものでも、聖なる力を発揮できる特別な道具、らしい。
この国で聖女と呼ばれてきたアルマでも、国宝であるそれを直接見たことはなかった。
「レナードさま、罪人扱いというのはさすがにいきすぎでは……?」
「エレナ、君は本当に心優しい人だ。大丈夫、この国の領地に足を踏み入れない限りは彼女は契約に害されることはないし、特例として、普通に生活していればまず目に入らない部位に刻印を施すようにしよう」
エレナちゃん優しいポイント加算のためのぶりっ子演技とはいえ、「刻印を刻むそのこと自体が罪人の扱いだから可哀想だわ」と言ったエレナに対し、とんちんかんなことを言って返す王太子。さすがのエレナも「そうですの……」と小さくこぼしながら、哀れみの目を私に向ける。
偽聖女の魔族にまで同情されてしまった。
このとんちんかんの面倒を見るのは貴女の仕事になるのよ。つい顔を顰め、半目でエレナを見つめてしまった。
「私との婚約破棄、王宮および国内からの追放。1週間後に『契約』を執り行い、そして貴様は国外へ出る。以上のこれは決定事項である。貴様の抗議は一切認められん」
王太子はバッと勢いよく腕を振り上げ、張り上げた声で宣言した。
静かな王の間に声の余韻が響く。
ああ、そうですかとアルマは心中で毒づいた。もしも「はい!さあ、では反論をどうぞ!」と言われたとしても、何を言う気にもならなかったけれど。
槍を持った兵士たちが数人、近づいてきて取り囲まれる。体格のいい男たちに囲まれて、アルマの視界が暗くなった。
もう、芯から呆れ果てているアルマは、とにかく何もかもどうでもよくて、ボーッとガシャガシャ音を立てる鉄の鎧の音を聞きながら、自室まで連れて行かれるのだった。
◆ ◆ ◆
アルマの生まれは平民だ。父は生まれてすぐに他界し、母親も物心つく頃には亡くなってしまった。村長の家に引き取られて、村の人々に育てられた。
たまたま生まれながらに授かった予知と破邪の力を見込まれて、王宮に招かれて、そこで出会った王太子に気に入られ、婚約することになった。
王太子と婚約をすれば、生まれ育った小さな村にも手厚い支援をすると言われたので、アルマはそれを受け入れた。
国としても、魔族の襲撃から国を守るために聖女を囲っておくのに、婚約は悪くないという考えがあったのだろう。そうでもなければ、平民との婚約など許されるはずがない。
実の所、王太子という身分の人間から求められるというのも悪い気はしなかった。王太子はルックスは悪くない。それどころか、求婚された当時の王太子といったら、サラサラのブロンドヘアー、透き通った碧眼、長い手足の恵まれた体躯、涼やかな声と絵に描いたような美少年であった。今でもアルマは、外見だけはとても素晴らしい男性だと思っている。
カッコいい王子様に、平民なのに、求婚されちゃった! とはしゃぐ気持ちは正直あったのだ。
それも数年のうちに枯れ果ててしまったが、代わりに情は芽生えていた。
ダメだコイツ、なんとかしないと、という情が。
でも、その情ももはや消え去ろうとしている。婚約破棄も、国外追放も、この王太子自体にも未練はないし、もうどうでもいいやと思うのだが、この情が消えてしまいそうなことだけは寂しいな、と思った。