3.
『お忘れかもしれませんが…』
伝えられなかった言葉を、噛みしめた。
アイリエヌは姉である。
愛情深くキィーリスを育てたのはそう歳も変わらぬアイリエヌであった。
キィーリスが生まれて間もなく、母は亡くなり。
厳格な父に後継者としての努力を求められたキィーリスは親の愛情には恵まれたとは言い難い。
そんな弟を幼心に不憫に思ったのか、優しく世話を焼き、
キィーリスと過ごす時間を多く作る心の優しい少女だった。
領土から仕官するため、一人城へ入ったとき。
大好きな姉と離れた悲しみを上回る衝撃がキィーリスを襲った。
姉を守るためには城と言う名の、悪の巣窟で戦い抜かねばならぬのだと。
中でも、一段と華やかなエディーガ。忘れもしない。
愛らしい表情と仕草で周りの女性の関心を奪う、あの天性の女たらし。
「殿下に取られたくなくば、知られないことですね」
キィーリスが、姉に向ける愛情が深いことを知ったディルギの冗談とも言えない忠告を信じ。
存在をひた隠しに、隠すキィーリスを笑いつつも周りの従者は皆協力してくれていたのに。
「キィーリス。お前、姉がいるとなぜ教えなかった?」
ある日、天使のような微笑みを浮かべながら、無邪気に素直に詰られ、キィーリスは笑えるほど狼狽した。
「キィーリス?」
蒼白になったものの、次の瞬間心を鬼にしてエディーガの目を真っ直ぐにとらえて話した
アイリエヌの性格が悪い、見目も悪いやら。
「殿下の好みではないですね。
残念ながら政治の駒にもならない女です」
醒めた口調で、そういうキィーリスにエディーガも興味をそがれたのか。
「おまえがそこまでいうとはな。だから、今まで話にも上がらなかったのか。」
姉弟仲が悪いと数年かけ定着させ。
王にまで布石を敷き、徹底した。
だから、姉の話がタブーだと誰も話さなくなり、キィーリスも油断してしまったのだ。
あの油断が…悔やまれる。思い出しただけでギリと奥歯を噛みしめた。
ある日、ほんとに何の前触れもなくその日は訪れた。
どういう経緯でか、アイリエヌの美貌を盗み見たエディーガが後宮に迎え入れると宣言した悪夢のような日が。
怒りのあまり、いっそエディーガに剣を向けてしまおうかと、思った。
いや、今でも胸に湧き起る殺意を誤魔化している。ディルギあたりは察知しているようだが。
怒りを堪え、キィーリスが陛下に謁見を願い出たことすらエディーガは知らないだろう。
ましてや、そこで話された内容、かつて交わされた約束、キィーリスの最大の布石も。
「アイリエヌ姉上」
後宮を遠くに呟く。
お元気ですか。姉上、さびしくお過ごしではありませんか。
エディーガの興味がとうの昔にそれていることを、嬉しく思うべきか、悲しく思うべきか。
ここ最近 開かれた宴や、式典。いずれもアイリエヌは出席していない。
あまり体調もよくなければ精神状態も芳しくないと聞く。
お待ちしていますと文を送れば。是と簡潔に帰ってきた書状を開いた。
次の機会はきっとアイリエヌは出席する。弟のために、家のために。
陛下よりもはるかに規模の大きなエディーガの女宮、決して平穏な場所ではなく
怪我人がたびたび出ることもあれば、公にはされない不審な死人も出ると聞く。
そんな場所でアイリエヌが楽しい時を過ごしているとは思えない。
「姉上、そこから出して差し上げたい。」
昏い瞳を伏せて、キィーリスは宮に背を向けた。