長月想話 3:長い夢
長い夢を見ることがある。
夢の中で、何時間も。あるいはもっと長く、日を経過する様な、長い夢である。
しかし勿論、現実の世界では一夜の、一睡の出来事に過ぎない。夢を見るのは夜ばかりでなく、ほんの一時間ほどの昼寝でも見ている。ともあれ、短い時間である。
そして、書物などによれば、実際に夢を見ているのは、目を覚ますほんの数分前であるそうだ。その他にも、眠りの深さによって、夢を見る時間帯と見ない時間帯があるなど、いろいろ書かれている。いずれにせよ、少なくとも「寝ている間、ずっと夢を見ている」わけではない。
という事は、夢を見ている時間は睡眠時間の一部という短い間であり、その間に長い夢を見ているのだ。
となれば、夢の中では、現実よりも長い時間を過ごしていることになる。
また、命の危険が生じた際に「走馬燈を見る」様な、時間が現実よりゆっくり流れる等、同様の事例はいくつか聞いた事がある。となると、やはり実際に長い夢を見ているのだろう。
そして、自分自身でも、現実よりも明らかに長い夢を見ていると感じる事が、時折あるのだ。
この事を踏まえて考えるのは、この現象を意図的、自発的に起こすことができれば、自分の意思で「長い夢」を見ることができれば……とても役に立つのかもしれないということである。
夢の中はコントロールできない事が多いが、それが可能となれば、夢の中で「自分の時間」として確保する事が可能となる。そしてそれが「長い夢」となれば、自分の時間を増やす事が可能となるのだ。
勿論夢の中から物を持ち出す事はできないが、記憶を持ち出すとは可能だろう。この段階まで可能になれば、自分にとって非常に有用なものとなるはずだ。
更に突き詰めて、努力や修行で「長い夢」の時間をもっと長く、数日や数ヶ月、果ては数年まで延ばす事ができれば、事実上、自身の寿命を延ばす事に繋がるのではないだろうか。
そして更に、数十年まで期間が延ばせる様になれば、夢の中に、もう一つの人生を構築する事が可能となる。
そして、更に更に「夢の中で夢を見る」事ができれば、多層化された人生を生きる事となるし、事実上、永遠に生きる事が可能となるのではないだろうか。
想像が膨らむ一方で、ここまで書いていて感じるのは、「夢の中で、あるいは非現実の中で長い時間を過ごす」といった系統の話は既に数多くあり、自身の創作作品に生かす余地はあまり残ってなさそうということである。
それは残念であるが、いずれ何かの創作の種になるかもしれない。そんな事を考えつつ、思いついた事をつらつら書き連ねているのである。
そして、創作に生かすだけでなく、「長い夢」について自分自身で試す、自分の夢を伸ばしてみるという余地は残されている。これからは夢を見る度、より長く見られないか試してみようと思う。
(もしかして、その結果、寝坊してしまうかもしれないが……)
しかしここまで書いてもう一つ感じるのは、現在私たちが生きているこの世界が、そもそも既に「夢」である可能性である。となると、今の自分が見ている現実の、そして夢の世界とは何なのであろうか。
ここまで来てしまうと、胡蝶の夢、あるいは邯鄲の夢の様な、哲学の領域に入ってしまう感じであるが、ともあれ、まだまだ夢の世界は様々な意味で未開拓であり、開発の余地が残されているのではと感じたのであった。