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5.面と向かって悪口を言ったって、本当に嫌っているわけではない

 凌太先輩が俺たちに全てを暴露してから1週間経ち、再び学生にとって踏ん張りどころの金曜が訪れた。最近の俺の人生はいつも金曜日に何か大きな出来事が起きている印象があるのだが、今日も今日とてビッグイベントが控えていた。

 すでに放課後を告げるチャイムは鳴り終わっており、俺自身もすでに学校を後にして、いつもの最寄駅まで戻ってきている。

 普段なら夕飯の献立でも考える時間帯なのにも関わらず、今日の俺は兄妹たちを放ったらかしていつもの御用達の洋食ファミレスに足を運んでいた。いや、正確には俺が家から放り出されたというか。まあそんな細かいことはこの際どうでもいい。

 アルバイトにしてはやけに気合の入った笑顔を見せる店員が、すでに1人座っている席へと俺を通す。先客は俺の顔を確認しただけでとくに話しかけてくることはなかった。

 そのまま注文内容を聞こうと店員が俺の隣にピシッと立っていたので、とりあえずドリンクバーを頼んでおく。というのも、今はまだ日も出ていて日が暮れるにはそれなりに時間があるからだ。本来ドリンクバーを頼むという行為は、羽を伸ばしてゆっくりするという俺のリラクゼーションの象徴なのだが、今日のドリンクバーはむしろこれから始まる戦いが長くなることを予兆するものになりそうだ。

 先客は本を読んだまま俺に構う様子を一切見せないので、俺も話しかけることもせずさっさと飲み物を注ぎにいく。これから始まるであろう出来事に一抹の不安を感じながらもコップに氷を運んでいると、あの元気のいい店員の挨拶が店中に響き渡った。その店員とのやり取りをする声だけで誰が来たのかは容易に察しがついたが、その声の方向にはあえて目を向けずに炭酸飲料がシュワシュワと音を立てているコップを片手に元の席に戻る。

 そして先客と向かい合うように座ってからほんの数秒後、あの店員が目の前の少女と同じ制服を着た美少女をこの席に案内してきた。


 「お待たせ、2人とも。」

 さっきまで明るい調子で店員と話していたはずのその女子生徒は、俺の対角線上に腰を下ろすと、気まずそうにしながら一言かけてきた。

 「私はいないものだと思っていいから。2人で好きなだけ話せばいい。」

 本から全く視線を外すことなく、目の前の美少女は不参加の意を示す。

が、これは事前の交渉で承認してしまっている以上、文句は言えない。

 「不服申し立てがないってことは、すでに礼華ちゃんと打ち合わせ済みってことかな?」

 「そんな大層なもんはしてねえよ。俺が吉川に頼んだのはあくまで、この場の設定だけだからな。」

 そう、吉川がこの場に同席している理由は、別に仲介人としての役割を果たしてもらうためではない。

 なんなら、今日はこの人の出番が来ない方がいいとまで言える。

 「今更どうして君から私に話をしたいなんて言ってきたのかな?君と私の契約はてっきりあの電話で解消されたと思ってたのに。」

 「任された仕事を正当な理由なく途中で投げ出すのは俺のポリシーに反するからな。」

 「あれは正当な理由って言ってもおかしくないと私は思ってたけど。」

 「俺が正当だと認めなかったから続けた。」

 我ながらなかなか強引な理由だとは思っている。というより実際問題、俺は先週のあの日まで、それを正当な理由にして途中で投げ出す気満々だったんだから。

 「だから俺には、あんたにその仕事の成果を報告する義務がある。今日はそのための場だ。」

 「・・・別にそれを私が望んでいないと言っても?」

 「それが嘘だとわかるくらいには、あんたのことを理解してるつもりだが?」

 「だったら当然、あんなひどいことを言われた私の気持ちだって理解してくれてるよね?」

 委員長としての、クラスの中心人物としての白瀬美桜が決して見せることのない顔が今、この学校から遠く離れたファミレスでたった1人の男に向けられている。

 先週までの俺だったら、その顔を見るなり逆上していた自信があるが、この場のセッティングを依頼した今の俺には、そんなことをする動機が全くなかった。


 「わかってる。だからこそ俺は今ここにいるんだ。―――せめてもの罪滅ぼしのためにな。」


            *     *     *


 「大丈夫、海斗君?」

 「大丈夫だ。ただちょっと取り乱しちまっただけだから気にすんな。」

 「いや、全然ちょっとじゃなかったよ?」

 時刻は23時過ぎ。当然、太陽はとうの昔に沈んでおり、家の外は夜の帳に包まれている。

 そんな暗闇への扉を凌太先輩が開けて、いまだ香ばしいピザの香りが残るこの栗生家から出て行ったのはこのわずか数十秒前の出来事だった。

「面と向かってあんな風に怒ってる姿、私初めて見たかも。」

 「・・・なんか最近、自分らしくないと思うことが多いんだよな。」

 「確かにここ最近の海斗君は、今までの海斗君とは違うよね。」

 「どうしてか、感情の制御ってもんができなくなっちまってる。」

 「でも、今の海斗君の方がよっぽど人間らしいと思うけどな。いいか悪いは別として。」

 励まそうとしているのか、はたまた素で言っているのかはわからないが、藍波は微笑みながらそう返す。

 「悪いだろこんなもん。自分で自分のコントロールができないなんて、ただのやばい奴だろ。」

 「そういう言い方をするなら、普段の海斗君も結構やばい奴だよ?いいか悪いかは別として。」

 今度は嘲笑うようにそう返してきた。

 その言い方と顔でなんとなく、どっちをよく思っていてどっちを悪く思っているのか、伝わってくるわけだが。

 こういう時にいつも口を挟んでくるチャラ男は凌太先輩の見送りに行ってしまったから、俺と藍波のどっちが合っているかを決めてくれる人がいない。

 「ま、海斗君がああして怒ってくれなかったら多分私が怒ってたと思うし、今日はあれが正しかったと思うよ?」

 「なんだ、お前も怒ってたのか?」

 「海斗君とは本質が違うとは思うけどね。私はあくまで、美桜さんの気持ちを知っても、あんな態度をとり続けることに対して怒ってるって感じ。」


 凌太先輩の依頼っていうのは、やはり俺の想像通り白瀬と距離を置きたいっていう内容で、何とか白瀬を諦めさせるように俺から説得してほしいっていう話だった。

 そこで、どうしてこんなことになったのかを説明してほしいと言ったところ、凌太先輩のこれまでの人生の系譜を聞くことになった。あの人の家のこと、幼稚園時代、小学校時代、中学校時代、そして本格的に兄貴と関わり始めた高校時代。つまり白瀬が知りたがっていた箇所についての話も、図らずとも聞くことになったというわけだ。

 とまあここまでは俺の想像通りの展開だったわけなんだが、ただ1つ予想外だったのはその過去の内容の中身だった。


 『あんたは、あいつの気持ちを少しでも考えたことがあるのか!?あいつがどれだけ必死に、真剣にあんたの言葉に向き合ってきたのか、あんたにはそれがわかるか!?』


それを聞いて思わず真正面から凌太先輩に罵声を浴びせてしまうくらいだ。今になって思えば、そこまですることはなかったとも思うが。

 それでその俺が乱した空気の中でいたたまれなくなってしまった凌太先輩は、泊まっていくはずの予定を変更して家を飛び出して行ってしまった、というのが今の状況だ。

 「でも海斗君はきっと違うでしょ?あの時の海斗君、まるで美桜さんが今まで何をしてきたかを全部知っているって感じだった。」

 「んなわけあるか。俺が知っているのは、せいぜいあいつの高校デビューと性格の悪さだけだ。」

 「ふふ、なにそれ。」

 ケタケタと藍波が笑うと、ほんの少しこの場の空気が和んだような気がした。

 「それじゃあ、逆にどうしてあんなに怒ってたの?」

 「俺は誰かを裏切るような奴だけは絶対に許せないだけだ。」

 「ふふ、そっか。」

 俺は至極真面目に答えたはずなのに、藍波はなぜかまた笑いだした。それも今回はさっきよりも長めに。

 「何か変なこと言ったか?」

 「いいや、あれだけ最近は自分らしくないとか言ってたくせに、やっぱり海斗君は海斗君だなーって思っただけ。」

 俺の顔を見て、なおもニヤニヤとしている藍波。はたから見ると、俺がただ妹に笑われているだけのこの状況だが、笑われている俺自身の気持ちは、なぜだか少し嬉しさと恥ずかしさが入り混じっているような感じになっていた。

 「なにせ海斗君は正義の味方だもんね!」

 「そんないいもんじゃねえよ。」

 「でも正義を振りかざすには、ちょっと目つきが悪すぎるよね!」

 「うるせえ。」

 「それに、私の知ってる正義のヒーローってもっと明るくてみんなに好かれている感じだし!」

 「いきなりグサグサと心を刺してくるんじゃねえ。」

 すっかりと藍波のペースになったこの家の空気は、すっかり食後の時のような穏やかなものに戻っていた。俺の苛立ちもこの空気に感化されて、徐々に鳴りを潜めていってくれた。こういう癒しの場を自然と形成してしまう能力は、藍波が持つ最大の長所だろうな。

 「いいんだよ、どのみち正義感を振りかざしたことなんて、一回もないんだから。」

 「じゃあ、さっきのはなんだったの?」

 なんだった、か。たしかに怒りのトリガーになったのは、凌太先輩の白瀬に対する行動だったんだが、きっと俺が怒ったのは、純粋に凌太先輩を糾弾したかったからではないと思う。

 じゃあいったい何にそこまで怒っていたのか。あの時は無意識に怒りを発散していたんだろうけど、冷静になった今ならわかる気がする。


 「―――八つ当たり、だな。」

 

            *     *     *


 テスト返却が始まった翌週の月曜日。

 クラス中の生徒はそれぞれの答案用紙を見せあいながら一喜一憂しているようで、特に大きな輪を形成しているお隣さんからは、ひときわ大きな感情の嵐が巻き起こっている。

 「なんで、他人の気持ちもよくわかってないお前が、現代文でそんないい点取れるんだよ。」

 「文章をよく読めば、必ずどこかに答えが載っているからな。あとは記憶力がそれなりにいいからだな。」

 「うーわ、萎える返しだわそれ。」

 62点の答案用紙を俺の机の上に乗せて不満げに俺を見るヒロ。その隣に置いてある98点と書かれた俺の答案用紙に納得がいっていないようで、謎のやっかみを受けている。

 「朝からずーっと白瀬さんに話しかけるタイミングを窺っている程度の男がなんで・・・。」

 「うるせえ。それとこれとは話が別だっつの。」

 「そもそもここまで関係を拗らせたのは、お前が白瀬さんの気持ちをよくわかってなかったからだろうが。」

 「現実は決して創作物のような優しい作りになってないからな。こうして過ちを犯すこともあるんだよ。」

 「そうやって自分の罪を正当化する暇があったら、さっさと謝罪の一つでもしてこい。」

 テストで俺の方が点数が高かったのがそんなに気に食わなかったのか、やたらと俺に対するあたりが強い。というかこの場でその話をするのはやめてもらいたいのだが。

 「それで、なんでまた急にそんな謝りたいモードに入ったんだよ。」

 自分が間違えた箇所の隣に俺の解答を赤字で書き込みながら、俺の方を見るでもなくそんなことを聞いてくる。

 「週末に色々あったんだよ。」

 「・・・最近のお前の週末って、何事もなく終わったことなくね?」

 「先週は何事もなかっただろ。」

 「週明けにお前がゾンビみたいな顔で登校してきたのを忘れたとは言わせねえぞ?」

 ああ、そういえばそんなこともあった。と言っても、実際に俺のその顔の変化に気づいた人間は兄妹とヒロだけだったわけだが。いや、気づいてたけど誰も何も言わなかったってだけの可能性もあるか。

 「そこまでお前の態度が変わるってことは、さては本当のことを知ってしまったとかか?」

 「・・・まあそんなとこだ。」

 「それで、やっぱり自分の早とちりだったって気づいて、謝りたい衝動に駆られてると。」

 「も、文句あるか。」

 悔しさを噛み殺しながらそう言うと、ヒロは走らせていた赤ペンを止めて、殴りたくなるような笑顔をゆっくりと俺に見せてきた。

 「そういう素直なところはお前の長所だよなあ、海斗。」

 「わ、悪いと思ったことは素直に謝らないとこっちが気分悪いだろうが。それに今年いっぱいは同じクラスなわけだし、そういう気まずいのはさっさと解消しねえとやりづらいんだよ。」

 「はいはい、そうやって急に饒舌になるとことか、わかりやすくて俺は好きだぜ、海斗。」

 我慢の沸点を超えた俺は、その赤ペンを握っている右腕を、爪と爪でギュッと抓ってやった。

 痛みに耐えかねて思わず叫び声をあげたヒロが、一瞬だけクラス中の注目を集めたのはそれなりに面白かった。


            *     *     *


 あれからさらに4枚の答案用紙が返ってきたが、点数はどれも自分が予想していたくらいのものだった。まだ残り数枚あるが、周りの反応を見る限りだと、多分このクラス内で上位3人には入れるくらいの総合点を取っているんじゃないだろうか。

 高校初回にして、コンディションが最悪な状態で臨んだ割には満足のいく結果だ。

 「白瀬ちゃん!帰りにどっか寄っていこうよ!」

 「お、いいね!行っちゃおう行っちゃおう!」

 ついさっきまでうな垂れていたクラスメイトたちも、終礼が終わるとすっかり元気を取り戻し、放課後の青春を謳歌しようとしている。

 「いや見送ってんじゃねえよ!」

 「さすがにあの流れをぶった切って、謝罪する勇気は俺にはない。」

 当初の、終礼が終わった瞬間に声をかけるという予定は、白瀬の前に座っている女子生徒の手によってあっけなく崩れ去ってしまった。

 「何が終礼が終わった瞬間だ。10秒くらいカバンを掴んだまま硬直してたくせに。」

 「前から思ってたけど、なんで前の席に座ってるくせに後ろに座っている俺の動きを毎回毎回把握してんだよ。」

 どんなマジック使ってんだ、気持ち悪い。後頭部に第3の目でもつけてんのか。

 「あーあ、俺にかまけてる間に行っちゃったぞー?」

 「仕方ない。また明日だな。」

 「お前、それ絶対明日もうまくいかないパターンの台詞だからな?」

 「そんなパターンがあるって誰が決めたんだよ。」

 「数多ある先例に基づいた自論だ。つまりあれだ、フラグってやつだ。」

 「お前の勝手で、俺の発言をうまくいかないフラグに置き換えるんじゃねえよ。」

 どうしてこいつは、いつもいつも俺の意気を挫くような物言いしかできないのか。肝心なところでは味方してくれるくせに、こういうところではとことん邪魔をしてくるのなんとかならんのか。

 「まあ、いつも通り俺は部活があるからよ。」

 「相変わらず真面目だな。」

 「そんなことはねえよ。・・・そんなことはねえはずだ。」

 「なんで2回も言ったし。」

 「なんでって、大事なことだからな。」

 んじゃ!と片手を上げて、ヒロはいつも通りの足取りで教室を後にした。

 テスト前期間でも毎日練習してた人間に真面目って言って謙遜されたら、他のサッカー部員たちは全員不真面目ってことになりそうだけどな。


            *     *     *


 「さて、今日で水曜日だけど、何か申し開きの言葉は?」

 「・・・こんなに隣人に話しかけるのってハードル高かったっけ?」

 なるほど、目の前で大きな溜め息をつかれると、意外と心にくるもんなんだな。今まで自分の専売特許だと言わんばかりに使ってきたけど、これは覚えておく必要がありそうだ。

 などと言っている場合ではない。まさか3日も連続で話しかけるチャンスがないとは予想外だった。今日に至っては、朝礼の前でもいいという決心までしてきたというのに、あの女、1人でいるタイミングが一瞬たりともない。

 「でも確かに最近、不自然なくらいに毎日取っ替え引っ替えで誰かといるよな。」

 「俺に話しかける隙を与えないっていう、あいつの作戦かもしれないな。」

 それも、まるで自分の交友関係が広いのを見せつけるかのように、毎日違うクラスメイトと帰っている。

 「私を敵に回してこのクラスでやっていけると思うなよっていうメッセージだったりしてな。」

 「別にうまくやっていこうというつもりはないが、クラス内で肩身を狭くして過ごさないといけなくなるのは面倒だな。」

 馴れ合いは好まないが、かと言って敵を作りたいわけじゃない。

 話しかけられないと言っても、話す必要がないから話しかけられないのと、話しかけたくないと思われているから話しかけられないのでは、似て非なる違いがあるのだ。

 今まで一部の人間からウザ絡みをされても、決して突き放したりせずほどほどに付き合ってきたのは、今回のように敵を作ってしまった場合に、ネズミ講のように敵が増えていくという事態を防ぐためだった。

 でも今回はどうやら完全にやらかしてしまったらしい。高校生活が始まってわずか1ヶ月の出来事である。

 「最悪お前に頼って生きていくわ。」

 「おいおい。いくら俺でも、クラス全員から敵認定されている奴と仲良くしてるなんて評判流されるのは嫌だぞ。」

 「あくまで事態が最悪のところまで進行したら、の話だ。このまま俺もただ指をくわえて見ているつもりはない。」

 「見事に2日連続でフラグ回収して、俺からの信頼もどん底ってことは伝えておくぞー。」

 ま、せいぜい頑張れよ、と言葉を残して今日もヒロは部活へと向かう。少しは協力してくれてもいいだろと思う反面、こんなことであいつの部活皆勤賞をフイにしてしまいたくないと思う自分もいる。

 とは言っても、そもそもあいつがあの日、白瀬と吉川をあの喫茶店に呼ばなかったら、こんな面倒なことになってなかったかもしれないという気持ちが、ほんの少しだけ心に根ざしてしまっているせいで、ほんの少しだけ文句を言いたい気持ちが俺の中で燻っている。

 それにしても、もし本当に向こうが俺を完璧に避けているのだとしたら、今やろうとしている方法ではどうやっても白瀬に近づくことはできない。

 席が近いことを利用して、何かメッセージ的なものを書いて机の上にサッと置くっていう作戦も思いついたが、万が一第三者の目に映ったら一巻の終わりだ。同様の理由で、下駄箱に何か細工をするという案も却下だ。話しかけることすらできない以上、メッセージを直接手渡しすることもできないし、こういうアプローチは無駄だろうな。


 ・・・ん?待てよ。メッセージと言えば・・・。


 「自分の頭がアナログ過ぎて泣けてくるなあ、おい。」

 今時の若者なら当然のように行っているはずなのに、どうして今までこの手段に気がつかなかったのか。

 答えは簡単だ。

 兄妹とヒロ以外の人間とLINEをするという思考が、最初から存在していなかったからだ。


            *     *     *

 

 『話がある』


 そう送ったメッセージはいまだに既読がつかないまま、木曜日の終礼は終わりを迎えた。

 「あいつ、シレッとした顔で普通に授業受けてたんだが?」

 「未読スルーか。これは相当怒らせてるんじゃねえのお前?」

 もちろんあいつは、今日も今日とて、終礼が終わると同時にクラスメイトの誰かの元に駆け寄っていた。

 今更言うことではないかもしれないが、見事に避けられているな、俺。

 「こうなったらもう恥を覚悟で、堂々と集団の中に割り込んでいって白瀬さんを連れ出す以外になくね?」

 「それはそれで別の問題が発生するだろ。白瀬に言い寄ってるとか言いふらされたらたまったもんじゃない。」

 おまけにそんな博打に出て、白瀬に無視されたらそれこそ終わりの始まりだ。

 「でもこれは、それなりのリスクを負わないと修復不可能ってことなんじゃねえの?」

 「確かに、俺1人でできることはもうないかもしれん。」

 誰にもバレずに当事者間だけで丸く収める、というのは夢物語になりつつある。昨日のうちにLINEに既読がつかなかった時点で、薄々俺もそれは気がついていた。

 「ただ、それでもリスクの大きさは選ばないとな。」

 「そんなこと言ってる場合か?これはもう笑って済ませられる話じゃなくなってきてるって自覚ある、お前?」

 「最初から笑ってるのはお前だけだっつーの。流石にこの3日間で、俺も学習しているんでな。こういう展開になるのは予想済みだ。」

 だから昨日のうちに、ちゃんと次の一手は用意してある。これまた失敗する可能性を多分に孕んだ一手ではあるが。


 それでも今、一冊の本を手に持って教室を出て行く1人の同級生の姿を確認したことで、その作戦が成功する可能性は3割から5割くらいまでには上がった。

 「ふーん。ま、色々と策を巡らすのが得意な海斗のことだ、なんか考えてんだろ?」

 「策って言えるほどご立派なもんじゃねえけどな。手駒が自分しかいない以上、無茶もきかねえし。」

 「自分以外の人間がいたら平気で無茶させるってか。」

 「人的資源が増える分、やれることの幅が広がるって意味だ。」

 「物は言いようだな。」

 苦笑いしながら、ヒロはいつも通りカバンを肩にかけて部活に向かう素ぶりを見せる。

 「明日の今頃に期待してるぜ。」

 「今日のうちに布石は打つ。明日こそは、月曜に立てたフラグをへし折ってやるよ。」

 他人事だと思ってワクワクしているヒロに、俺は八つ当たりするでもなく、むしろその期待を増幅させるような言い回しで部活へと見送る。

 「こんな浅い川じゃ、背水の陣を敷いたなんて言えないかもしれないけどな。」

 俺もまたカバンを肩にかけて教室を出る。

 

 その足が向かう先は、第2の家だ。


            *     *     *


 まだこの高校に通い始めて1ヶ月半ほど。この学校の中で足を運んだ場所ランキングで1位を飾るのが自分の教室になるのは当たり前として、堂々の2位入賞を飾るのはこの図書室だろう。

 最初の頃は、ヒロの放課後の用事(部活見学とか)が済むのを待つために利用していたのに、いつの間にか居心地がよくなって、宿題をやるようになったり家に帰っても誰もいない時とかの暇つぶし場所に使ったりするようになった。

 そしてここで、夕暮れをバックにスヤスヤと寝息を立てる吉川を目撃し、俺の運命の歯車が急加速するようになった。

 ・・・この場所が果たして俺にとって縁起のいい場所なのかわからなくなってきたな。


 「図書室に異性を呼び出すって、冷静に考えたら少し問題よね。」

 「基本的に話すのを禁止されている場所を話し合いの場にするのは、確かに少し変か。」

 「そういうことを言いたいんじゃ・・・、いえ、なんでもないわ。」

 なぜか退屈そうに視線を逸らされる。なんて答えるのが正解だったのか、住む世界というか次元が違うこの女の心を読むのは、おそらく俺には一生無理だ。

 「言っておくけど、もともと今日はここに来る予定だっただけだから。別にあなたからのメッセージを見たから来たわけじゃないから。」

 「なんだよ、じゃあ完全に無駄骨だったってか。」

 「・・・この前のお返しをしただけなのに、どうして真に受けるのかしら。」

 「お返し?」

 「・・・なんでもない。」

 一瞬視線が合ったと思ったら、また急に逸らされてしまった。あの変な眼鏡をかけているせいで、たとえ目が合ったところでどういう顔をしているのかなんてわからんのだけどな。

 けど、なんとなーく愛想を尽かされたんだろうなってことだけはわかった。その理由はもちろんさっぱりだが。

 アイスブレイクには見事に失敗したが、とりあえずこの場を用意できたこと自体は悪くない展開だ。これだけで、この不甲斐なかった3日間よりも成果を残していると言える。

 今日の朝、後ろのドアから教室に入って、他のクラスメイトにバレないようにこっそりと、吉川の机の引き出しの中にここへ呼び出す紙を入れた苦労は、どうやら報われなかったようだが。


 「それで、だな。折り入って頼みがある。」

 「私は読書をしにきただけ。話すなら勝手にどうぞ。」

 カバンの中をガサガサと漁りだし、中から2冊のラノベらしき本を出す吉川。ブックカバーのせいで表紙が見えないからか、最初のページをめくりどっちが先に読む方なのかを確認しているが、それが終わるとそのまま本の世界へと入り込んでいってしまった。

 その間、一度も俺の方を見ないというサービス付き。完全にいないものとして扱う気満々のようだ。

 なんかこれだと、独り言を言ってるような気分であまり気が乗らないが、逆に気は楽かもしれない。

 いいだろう、そっちがその気なら俺も遠慮なく話してやる。


 「俺と白瀬がもう一度話し合える場所を作って欲しい。」

 「・・・・・・」

 「認めたくはないが、俺があいつに言ったことは間違いだった。凌太先輩から全てを聞いた今ならそれがわかる。」

 「・・・・・・」

 「白瀬の気持ちは今もわからないし、あいつのやり方が正しいのかと問われてもわからないと答える。はたから見たら、あいつのことをストーカーだと言って本当に罵るやつもいるのかもしれない。」

 「・・・・・・」

 「だが少なくとも俺は、背景を全く知らないまま勝手にあいつを悪だと決めつけた。それだけは確実に間違っていた。だからそれだけは謝らせて欲しい。」

 「・・・・・・」

 「謝る機会が欲しいのに、あいつは最近ずっと俺のことを避けてくるせいで、その機会すら窺えない。LINEだってしたのに既読すらつけてくれない。大事にしたくないと思うと、もうこれ以上俺から打つ手はない。」

 「・・・・・・」

 「あんたに俺なんかを助ける義理がないのはわかってる。ここで頼みを断られたところで、あんたを恨む理由なんてどこにもないことも自覚している。でも今俺にできることは、あんたの良心に訴えかけることだけだ。」

 「・・・・・・」

 「頼む、力を貸してくれないか。」

 「・・・・・・」


 言いたいことは全て言った。言わないといけないことも全て言い切った。

 それでも吉川は本から視線を外すことはなかった。


 「・・・ねえ。」


 だが口を開かないということはなかったようだ。

 「あなたのやっていることが私には理解不能なのだけど。」

 まるで本に話しかけているような奇妙な絵面ではあったが、その問いは確実に俺に対してのものだった。

 「あなたは美桜のことが嫌いだった。考え方もまるで違うと主張していた。巻き込まれたくないと嫌そうにずっと言っていた。」

 それは間違っていない。俺は別に、自分の発言が間違っていたと気づいてしまっただけであり、決してあいつのことが嫌いじゃなくなったわけではない。

 「そして、望み通りの展開とはいかないまでも、晴れてあなたはずっと嫌がっていた美桜から解放された。なのに今は、自ら再びその望まない世界に戻ろうとそこまで奮起している。」

 白瀬に謝罪をするということは、散々嫌がっていたあの作戦に自分から参加するという意思表明をしているともとれる。

 いや、一応白瀬からの依頼はクリアしているのだから今以上に巻き込まれることはない。・・・と信じたいが。


 「あなたって・・・、」

 「言っておくが、白瀬のことが気になっているとかそういう・・・」

 「マゾなの?」

 「違うわ!!!」


 反射的に大声を出してしまったことで、他のテーブルに座っていた生徒からの視線を一斉に集める。周りの迷惑にならない程度のボリュームでなら会話はありというルールになっているこの図書室でも、今のは余裕でアウトの領域だ。

 すかさず黙り込むことで、なんとか様子を見にきた図書委員の目をごまかすことはできたが、次はないだろうな。

 「じゃあなんなの?このまま黙っていればあなたの望み通りの日常が返ってくるのよ?理解不能だわ。」

 「それは違うな。このまま行けば目下の問題は解決するかもしれんが、残りの高1生活、下手したら高校生活そのものが脅かされる危険性がある。」

 「それはまた壮大な被害妄想ね。美桜にあなたの人生を破滅に導く力があるとは思えないけど。」

 「悪い想像というのは、悪ければ悪いほど損はしないんだよ。」

 軽く見積もって想像以上のダメージを負うよりも、重く見積もって想像通りまたはそれ以下のダメージを負う方が気持ち的には楽なのである。それに重い方の想像への対策を練っておけば、必然的に軽い方の想像は解決するはずだからな。

 「仮に美桜と仲直りができたとして、その後のことはどうするの?それからまた面倒なことに巻き込まれるかもしれないわよ?」

 「そうなったらその時にまた考える。それよりあいつを敵に回すデメリットの方が大きいっていう判断だ。」

 「じゃあそれこそ今回も、美桜が敵に回って実際に困り始めた時に考えればいいんじゃないの?」

 相変わらずこちらを一瞥もしないまま、吉川は淡々と俺の言い分への反論を並べ立ててくる。正直言って、結構鬱陶しく感じるレベルで。

 「なあ、あんたは俺が白瀬と仲直りしてほしくないのか?」

 「そんなこと一言も言ってないわ。」

 「じゃあなんでそんな執拗に俺に反論してくるんだよ。・・・そうか、もし俺があんたを頼ってきたら諦めさせるように白瀬から言われてるんだな?」

 「いいえ、きっと美桜はあなたとの関係改善を望んでいるわ。」

 「じゃあなんなんだ。なんであんたはそんなに突っかかってくるんだよ。」

 いかん、少しずつまた声量が大きくなってきてしまっている。抑えないと。

 でも吉川の言っていることが本当なんだとしたら、この吉川の問答はますます不可解なのだ。ただただ時間の無駄でしかない。

 「最初から言ってるじゃない。あなたの行動が理解不能だからだって。どうしてあなたが美桜と仲直りしたいのか、今の答えだと腑に落ちないのよ。」

 「別にあんたの腑に落ちようが落ちまいが、俺にはどうでもいいんだがな。」

 「協力を求める相手にする発言ではないわね。自分の立場、理解してる?」

 「だからと言って、そこまであんたに言われる筋合いはない。」

 これは協力する気は無いと見る他ないか。でもそれにしては、拒絶するような雰囲気がないのが不思議なんだよな。

 ああもう、本当にわからん。なんなんだよこの人。

 「今のままだと、仲直りしないほうがあなたの今後にとっていい方向に転がる可能性が高いって言ってるの。いくら美桜がクラス委員であなたが冴えない一生徒という身分だからと言って、美桜にあなたの評判を下げるようなことはできないし、きっとしないわ。」

 「それはどう言う根拠で?」

 「あの子は絶対に波風を立てるようなことはしない子だからよ。―――今までどれだけクラスのやつからいじめを受けても、あの子は一度もやり返そうとはしなかったように。」


 いじめ。


 その単語を聞いた瞬間に、俺は急に背筋が急激に冷えきっていくような感覚に襲われる。


 「あのお人好しは、どれだけ相手に恨みを抱こうが、決してやり返すことを考えるような心の持ち主じゃないのよ。―――それはあなただって知ってるはずでしょ?」

 読みかけていた本、おそらく開いてから1ページもめくっていないであろう本を閉じて、吉川はその特徴的な眼鏡越しに俺の顔を睨んできた。 

 眼鏡越しでも強烈な威力を持ったその視線は、実際に裸眼で見つめられていたら神話のゴルゴーンにも匹敵するような威圧感を放っていることだろう。


 ・・・俺の中の記憶が勝手にその痛みを増幅させているだけかもしれないが。


 「平穏な生活という願いを叶えたいなら、このまま黙っていた方が賢明。それなのに仲直りしようと必死なものだから、私にはわからないと言っているの。」

 白瀬がそんな人間だなんて知らなかった、なんて冗談を言えるような空気ではなかった。実際、吉川が言うように俺はそれを知っているわけだしな。

 ただ、それだと吉川は小学校時代の俺のことを覚えているということになるが。これだけ他人に興味を示そうとしない人間が、小学校時代の同級生のことを覚えているとは考えづらいんだけどな。


 「それを踏まえた上で聞かせて。どうしてあなたはそれでも美桜と仲直りしたいの?」


 まあここまで来たら、本当の理由を話さないわけにはいかないか。隠すつもりはなかったんだが、どうもこれを吉川に話すと負けのような気がしたから言いたくなかったんだがな。

 でもま、これで吉川の協力を取り付けられるんだとしたらむしろ安いもんか。くだらない意地はさっさと捨て去ることにしよう。

 

 「―――元はと言えば、あんたが言い出したことだ。」


             *     *     *


 「罪滅ぼしって・・・。どういう風の吹き回し?」

 「言葉の通りだ。この前ひどいことを言ったお詫びをしにきた。」

 白瀬と対立していると、もしかしたら今後の高校生活が俺にとって思わしくない方向へと繋がるかもしれないから。

 それを恐れる気持ちもあるが、それだけじゃない。

 「凌太先輩から全部聞いた。それで少なくとも、あんたは俺が思っていたような人じゃなかったってわかった。だからこうして罪滅ぼしをしようと思ってだな。」

 「それは・・・うん。でも、私が今まで君に迷惑をかけ続けてきたのは事実だし、そこまで謝られると私の方がかえって申し訳ないというか。」

 「まあそうだな。俺もストーカー呼ばわりしたことについては謝るが、他人の感情を理解できていないって言ったことに関しては謝る気はないしな。そこは充分に反省してもらいたい。」

 俺はあくまで自分が間違っていると認めたことに対しては謝るが、間違ったことを言ってないと思ったことに関しては、微塵も謝る気は無い。

 「あ、いや、うん。まあその通りだから何も言えないんだけど、立場逆転するのがちょっと早くないかな?」

 「今までの積み重ねの結果だな。身から出たサビだと思って受け入れろ。」

 「ひどっ!って言える立場ではないけど、とてもこの場のセッティングを頼んだ人の台詞じゃないよねそれ!?」

 まあ確かにそれは一理ある。俺も別に喧嘩を売るためにわざわざ呼んだわけじゃないし。

 「言い合ったらどうせきりがないだろうから、さっさと本題に移るぞ。」

 「えー、全然仲直りの空気じゃないじゃんこれ!」

 「別に俺はあんたに嫌われてさえいなければ、空気なんてどうでもいいんだよ。」

 「え、最初から私は栗生君のこと嫌ってなんてないけど?」

 キョトンとした顔で、白瀬はそう答える。

 「いや、そこで嘘をつく理由がどこにある。」

 「だから嘘じゃないって。そりゃ少しはムッとしたこともあったけど。」

 「でも完全に俺のことを避けてただろ。LINEだって無視しやがったし。」

 「だって今度私から話しかけたら間違いなく君は怒ったでしょ?LINEだって、『話がある』としか書いてなかったから、また何か嫌なことを言われるんじゃないかと思って・・・。」

 あ、あー。そう思われても不思議ではないか。

 というか実際問題、喧嘩した直後は確かに話しかけるなオーラを出しまくってたし。

 「だからね、礼華ちゃんから3人で話しをしたいって言ってるって伝えられた時は正直びっくりしたよ。まさか君の方からアプローチがあるなんて思ってなかったからさ。」

 「そうしないといけないと思っただけだ。・・・罪滅ぼしなんて言ったが、半分は俺のエゴも混じってんだよ。」

 「エゴ?」

 そう、これは利己主義的な行動。

 半分は本気で白瀬に対して申し訳ないという気持ち。もう半分はこの事実を隠しておきながら白瀬の恋の行方を見守ることへの申し訳なさから解放されたいという自分本位な行動なのだ。

 「それは礼華ちゃんが言ってた、凌太君についての話ってやつ?」

 「そうだ。俺が本人から直接聞いた、あんたがずっと知りたがっていた話だ。」

 白瀬はそれを聞いて、一度大きく深呼吸をした。その話がとても大事な話だということを理解している証拠だろう。

 「―――聞かせて。」

 「元からそのつもりだ。」

 だから俺もまた大きく深呼吸をする。

 今から言う言葉が、この場の空気を大きく変化させることを自覚しているからだ。


 「―――あの人は、あんたを裏切った如何しようも無いクズ野郎だ。」


*     *     *


 俺と白瀬とおそらく吉川がいた5年3組。

 あのクラスには俺たちの学年を牛耳っていたボス的な女がいた。

 あいつはスポーツ万能で頭脳明晰。人望もあって求心力も抜群だったが、自分とは違う価値観を持つものを許さないという、最大にして最悪とも言える欠点を持つ人間だった。

 そんな女王様の不興を買ってしまったのが、当時は陰キャを極めていた白瀬だったのだ。

理由はおそらく、クラスの話し合いとかにも参加しなかったり、授業中の本読みの声が小さかったりという、小さなことの積み重ねだったんだと思う。俺はそのいじめには一切関与していないし、その女王ともそんなに話す仲じゃなかったからそこらへんはよく知らない。

教師にバレないように陰湿に行われていたいじめ。クラスの人心を握っていたのは女王だったし、逆に白瀬の味方は吉川と当時一緒にいた女子1人だけだったから、誰もこの行為をチクるようなこともなかった。クラスの治安自体が壊滅状態だったと言えるな。


「そんな時にあんたを救ってくれたのが凌太先輩だったんだろ?」

「そう。あの辛かった時期に、礼華ちゃん以外に唯一味方してくれたのが凌太君だったの。」

 そんな白瀬の精神が壊れる直前とも言えるタイミングで救いの手を差し伸べたのが、あの凌太先輩だった。

 ここで、なんで急に凌太先輩が出てくるんだ?って思ったが、理由はいたってシンプルだ。

 「まさかあんたらの家が隣同士だったとはな。」

 「別に隠してたわけじゃないんだけどね。でも凌太君はもう・・・」

 「学校の近くで一人暮らししてるのは知ってた。むしろそのせいであんたらが幼馴染だっていう可能性を考慮することができなかったわけだしな。」

 最初はただ校内で優しくされただけで、それ以来ずっとひっそりと想い続けているとかそういう類の話なのかと思っていたが、見事に予想を外した。


 だからこそ。幼少期からのかなり長い付き合いだったからこそ、その裏切りが余計にクズさを増加させていると感じてしまった。


 「―――だがあの時にはすでに、凌太先輩はあんたのことが嫌いだった。」

 白瀬の表情が固まる。こちらの会話に全く興味を示していないように見えた隣の吉川ですら思わず俺の方を見ていた。

 「中学生になって何もかもがうまく行き始めて調子に乗ってたあの人にとって、あんたの存在は言わば黒歴史の象徴だったんだよ。でも自分より充実した学校生活を送っていると思っていたあんたが実はいじめられていて自分に助けを求めてきたことが、あの人の心に邪悪な優越感を掻き立たせた。」

 言葉を選ばずに、白瀬にとって最も辛い現実を突きつける。もしかしたらもっとダメージが少なく済むような伝え方があったのかもしれないが、きっと俺の技術では色々言葉を選んだ挙句、もっと傷つけてしまうような気がしたから、あえてオブラートに包むことをしなかった。

 ただ、それが果たして正しい判断だったのか、目の前に座る白瀬の顔を見ると思わず不安になってきてしまう。そんな気持ちが湧き上がってくるほどに、白瀬は虚飾だとバレバレの笑顔を浮かべているのだ。

 罪滅ぼしと題してこの話をしているのに、この話をしていること自体が新たな罪を生み出しているのではないかと思わずにはいられない。

 「・・・美桜?」

 「大丈夫だよ礼華ちゃん。もしかしたらそうなんじゃないかっていう予想はしてたからさ。」

 「だったら、もう少し平気そうな顔をしてよ。」 

 「それは・・・少し時間が欲しいかも。」

 珍しく本気で心配そうな声をかける吉川を安心させようとするが、それはその不安を余計に増幅させているようだった。

 それでも必死に悲しみを堪えようと、白瀬は俺に強がった笑みを見せる。

 「それでもまだ可能性はあるんでしょ?」

 「可能性?可能性って・・・あんた、まさかまだ凌太先輩のことを諦めてねえのか?」

 ゆっくりとではあったが、白瀬はその俺の問いかけに首を縦に振った。

 「美桜、流石にそれは・・・。」

 「ねえ、教えて栗生君。本当に凌太君は心の底から私が嫌いって言ってたの?」

 「・・・さあな。それは本人のみぞ知ることだ。」

 これだけ無理やり作ったような笑顔を見せているくせに、その眼だけはいつものあのギラギラとした、獲物を狙う肉食獣のような獰猛さを宿している。

 それが原因だったのか、俺は曖昧な答えを返すことしかできなかった。

 ―――その白瀬の問いに対する明確な答えを俺は確かに持っていたのにもかかわらず。

 「どうしてまだあの人のことを好きでいられるの?今の話を聞いてたでしょ?あの男は美桜が苦しんでいるのを見て、心の底では笑ってたのよ?」

 「でも私には凌太君が本気で私を拒んでいたとは思えないの。当時の彼の環境とか色々なものが混ざり合って、結果的にそうなってしまったんじゃないかって。」

 「まだ信じるっていうの?それだけひどいことをされて、2回もあんなひどい振られ方をされて。それでもまだあの男のことを・・・。」

 「うん、信じる。―――だって彼は、私に今の全てをくれたヒーローだから。」

 吉川の言葉を遮ってまで口に出した言葉は、見事に吉川にその先に続く言葉を飲み込ませた。いや、その言葉に呆然としたのは俺も同じだった。

 なにせ俺は9割方、この話をしたら白瀬はショックを受けて長年の恋に終止符を打つと思っていた。ここで10割と言えなかったのは、心のどこかでこの展開を予測していたからなのだろうが、それでもまさかここまで気持ちがブレないとは予想外だったと言わざるを得ない。

 

 だからこそ、俺の心中はあまり穏やかではなかった。

 このまま白瀬が今まで通り凌太先輩のことを好きでい続けることが、どんな結末を生み出すのか、俺は知っているから。

 知っているからこそ、やっぱり俺はそれを彼女に伝えることができなかった。


 「やっぱり俺にはあんたがさっぱりわからん。」


 そう一言、悪口のような何かを絞り出すのがやっとだった。


            *     *     *


 「やっぱり君も覚えていたんだね。」

 この集まりの主題が予想外の結末を迎えて数十分後。この重苦しい空気を破るために一度晩飯の時間を挟もうという話になったので、各々腹ごしらえを済ませた。そうして飲み物の補充を終えて再び落ち着いた頃、白瀬が不意にそんなことを俺に呟いた。

 主語がなく、これだけ聞いても何のことかピンと来なさそうなものだったが、なぜか今の俺にはそれが何を指している呟きだったのかを瞬時に判断することができた。

 「覚えていたって何もいいことはないけどな。」

 「あはは、私も凌太君がいなかったら同じことを言っていた自信がある。」

 「あんな話をしたら、あんたも俺と同じことを言うようになるって思ってたんだがな。」

 けど実際はそうならなかった。今でも白瀬の中にとって5年3組のあの酷い事件は、心に決して癒えない深い傷を刻んだと同時に、凌太先輩への気持ちを恋へと昇華させてくれたという、正負両面を持った出来事だという認識であり続けているようだった。


 そんな気持ちを知ったからか、俺はずっと聞くのを恐れていたあの質問を、なぜか一切恐れることもなくぽろっと口に出していた。

 「あんたらは俺のことを恨んでないのか?」

 「なんで私たちが君を恨むの?」

 「俺はあんたらがいじめられているのを知っていたのに一切助け舟を出さなかった。それはいじめへの加担と同義だとされて非難されても不思議じゃないだろ。」

 「あの女と全く接点のなかったあなたが行動を起こしたって、きっと何も変わらなかったわ。あなたへのクラスのあたりがより酷くなっていただけよ。」

 まるでそうなる世界線を見てきたかのようにはっきりと吉川がそう答える。その退屈そうな顔からは、俺を断罪するようなオーラは微塵も感じなかった。

 あの頃のことで妙な恨みを買ってなかったことは素直に安心だ。出来るだけ敵を作らないという自分のルールに抵触しなかったことへの安堵ではなく、単純に自分があのクラスのいじめを黙認していたことに対して罪に問われることが怖かったのだ。それほどまでに、俺の頭にはあの時5年3組内で起きていたあの異常な光景が強く脳裏に焼き付いているのだ。もちろんマイナスな思い出として。


 ただ、それとは別で今の発言には気になるところがある。

 「『より』酷くなる、か。」

 「・・・ごめん、今のは私でも無神経だったって思った。」

 吉川のその口ぶりだけで、この2人は俺のことについてもある程度知っていることがわかる。

 「あんたらに隠そうとしたってやっぱ無意味か。」

 「・・・うん、君には悪いと思ってるけどね。」

 「お互い様だろ。なんならあんたらの方が受けた仕打ちはよっぽど酷い。」

 「それはそうかもしれないけど、受けた傷の深さは君の方がきっともっと深い。」

 「・・・それはなんとも言い難いな」

 しばらく考えた結果、俺は敢えて曖昧な答えを返すに留めた。他人にわかったようなつもりで、当時の痛みの大きさを勝手に推測されるのが一番イラっとする気がしたから。

 「それでも君は今でもその時の痛みを抱えているでしょ?」

 だからそういう同情もまた、場合によってはただ神経を逆撫でするような行為にしかならないことが多い。現に、今までそういう薄っぺらな慰めの言葉をかけてくる人間に何回殴りかかろうと思ったことか。いや、実際1回殴ってしまったこともあったか。


 でも今回改めて思った。

 それがたとえ同じような境遇にあった人からの言葉でも、感じる思いは同じだということを。

 「だったらなんだ?同じ感情を抱いて生きてきた者同士仲良くなれるってか?」

 「それは少し違うかな。だって私はもうあの頃の傷を引きずってないもの。」

 下手くそな傷の舐め合いでも始めるつもりかと強く白瀬を睨んでやったら、あろうことかその視線を受けてそいつは楽しそうにニッと笑ってみせた。

 「私は君とは違うよ?気持ちはわかるかもしれないけど、考え方はもう違うもの。」

 「じゃあなんだ、いつまでもそんな過去のことを引きずってる俺を嘲笑ってんのか?」

 「それも違う。てか君の中の私の評価ってそんなに酷いの?」

 「この1ヶ月のせいで色々とめちゃくちゃだ。」

 「それってつまりはプラスかマイ・・・」

 「マイナスだ。」

 「まさかの即答!?」

 むしろどこにプラスの要素があると思ったんだ。いくら過去の話があるからと言って、俺をこんな面倒ごとに巻き込んだ罪は消えるわけじゃないことを理解しろ。

 そんな気持ちでいるのに、どうしてか目の前に座る顔だけはS級の同級生は全く悪びれたような様子もない。なんなら少し嬉しそうな顔をしているくらいだ。

 「でも、私はこうして君と接点を持てたことが嬉しいんだけどな。」

 「そりゃあんたにとって俺は、都合のいい駒だろうからな。」

 「そういうつもりじゃないよ。私は本当にこうして君と礼華ちゃんとこうして3人でこういう時間を過ごせているのを喜んでるんだよ?」

 表情だけを見ていると、本当に裏表のなさそうな良い笑顔を向けてきているが、どうにも信用ならない。端麗な顔をして実は相当悪知恵が働くということをよく知っているからというのもあるし、単純に俺と接点を持とうとしてくる理由がわからないというのが大きいか。

 「って言っても今の君には信じてもらえないよね?」

 「よくわかってるじゃねえか。そうやって俺をおだてておいて、また新しいお願いでもしてくるんじゃないかと身構えているところだ。」

 「あはは・・・。あながちその予想が間違ってないのが苦しいところかな・・・。」

 苦笑いしながら、聞き捨てならないことを言い出したぞこの女。この期に及んでまた何か面倒ごとを持ち込む気か?

 いつの間にか会話から外れてこっそりと活字をなぞっていた吉川の視線も止まっている。

 「そ、そんな露骨に嫌な顔しないでよ。私だって傷つく心はあるんだよ?」

 「当たり前だろ、せっかくこれで俺の仕事はほぼ終わりだと思ってたんだからよ。」

 「美桜、本当に言うの?」

 「うん、こうなったら言うって決めてたからね。」

 これでもかというくらいに嫌そうな顔をしていたら、なぜかいきなり白瀬はモジモジとし始めた。なぜか顔も少し赤みがかっている。え、待て。なんで?

 「待て、今回は騙されないぞ。そうやってまた恥をかかせようとしてるんだろ。」

 「ち、違うよ。そもそもこの前だってそんなつもりじゃ・・・。」

 またなんか謎の照れみたいなものを前面に出して来やがった。だからそのちょっと恥ずかしそうにするのをやめろ。

 「じゃあなんだよ、言ってみろ。どうせまたしょうもないことなんだろ。」

 「わ、わかったよ、言うよ!」

 無理やりこんな流れで言わされることを不服そうにしながら、なぜか上目遣いでこちらを見てくる。

 するとなぜだか急に俺の心臓が跳ねたような感覚が訪れる。待て、前と同じ展開だぞこれ。

 「あのね、栗生君。」

 「な、なんだよ。」


 「―――私は君とお友達になりたい!」


 「いや、断る。」

 「また即答!?」


 前と同じ展開だったからこそ、意地でも頭を落ち着かせようとした結果、予想以上の切れ味を持った言葉が反射的に口から零れ出した。

 「ほ、ほら、もっと冷静にじっくり考えて欲しいな!私と友達になったらどんないいことがあって、どんな風に高校生活が変わるかなーとか!」

 「またいきなりよくわからないイベントに強制参加させられることでストレスが溜まるようになって、俺の高校生活がめちゃくちゃになる。」

 「めっちゃネガティブ!?」

 「何度でも言わせてもらうが、自分の胸に手を当てて今までの行いを振り返ってみろ。」

 なんでここまでネガティブな回答が返ってくるかという理由を本人はまるで理解していない。

 「そ、そんなに私といるのが苦痛?」

 「やりたくもないことを無理やりやらされて、その結果クラスの関わりたくないと思っていたうるさい奴らからの注目を少しずつ集め始めたという結果に対する見返りはゼロどころかむしろマイナス。それに何の得を見出せと?」

 側から見ると、こんな美少女2人と秘密の会議をしたりして一緒の時間を過ごせるということ自体が見返りであり、むしろ俺のこのポジションになりたいという人間の方が多いらしい(ヒロ論)。実際、この2人のどちらかがテレビとかで大人気女優として紹介されてても全く疑わないし、熱愛報道とかが出たら彼氏に対して前世でどんな徳を積んだんだとか言ってると思う。

 「礼華ちゃんもそう思う?」

 「むしろどうして栗生君がそれを受け入れると思ったのかを聞きたいレベル。」

 「そんなに私って嫌われてたんだ・・・。」

 「これが普通の反応だと思うよ。クラスであなたの友達を名乗ってる人たちはあなたのその第2の性格とビジュアルに惹かれて寄って来てるってだけで、万人受けするものではないし。」

 うん、やっぱり吉川はよくわかっているな。ここまで理解している親友がいるのに、どうしてここまで道を踏み外せるのか逆に聞きたいレベルだ。

 「ただ、それでも仲良くなりたいと思う理由がちゃんとあるんだから、それを伝えれば?」

 「ちゃんとした理由?」

 「そう。あなたには悪いけど、それだけでも聞いてあげてくれない?」

 どうせロクでもない理由だろうとは思ったが、吉川がそれを披露する場をわざわざ整えるくらいだ。少しくらいはまともだと信じたい。それで何かが変わるという訳でもないと思うが。

 とりあえず聞くだけ聞いてやる、という意思表明とばかりに白瀬の方を見る。

 

 「私、君にはとても感謝してるの。」

 「これだけやって感謝されてなかったら、いよいよブチギレるレベルだ。」

 「今回の依頼のことはもちろんだけど、それ以外のことも含めてだよ。」

 「それ以外?」

 「そう。いじめのことを知ってるのに、それでも普通に私たちと話してくれるでしょ?」

 普通にって言われると何が普通なのかわからなくなってくるけどな。少なくとも俺はこの2人とまともな会話ができていると思ったことはない。

まあ、そういうことを言ってるわけではないのだろうけれど。

 「そりゃな。別にあんたらがいじめてたわけでもないし、非があったわけでもないだろ。」

 「・・・その考え方って普通じゃないんだよ?」

 一瞬笑ったと思ったら、なぜか少し悲しそうな顔をする白瀬。いまいち言われてることが理解できなくて、どうしてそんな反応をされるのかがわからない。

 どんな顔していればいいのかわからず、俺はつい吉川の方へ視線を逸らす。

 「―――いじめられたっていうレッテルは、こちらに何の非がなくてもずっとつきまとうものなのよ。」

 「いじめが終わった後でも、話すのが何となく気まずいという理由で避けられたり、いじめられる人間にもそれなりの理由があると言ってなぜか非難されたりしてさ。中学になってからも小学校時代の私たちのことを知ってる人が多かったせいで、新しく友達を作る前に謎の距離感を作られるようになっちゃっててね。」

 果たして本当にそんなことがあり得るのか。そう思い自分に起きた境遇を思い出してみようとするが、そもそも自分は誰にも話しかけようとしたことがなかったから参考にならない。

 「あの女王は中学受験したからいなくなったはずだろ。」

 「それだけ心に植え付けられたイメージが根強かったんだと思う。それに、私自身もそんな簡単に他人に話しかけられるようなメンタルをしていなかったし。」

 中学は吉川とも別れて、完全に1人でのスタート。周りは最初から若干アウェー。そりゃ中学時代は控えめになるわけだ。

 そう思うと、中学3年間ずっとヒロと同じクラスだった俺は相当運がよかったのだと感じる。

 「それで知り合いがほとんどいないこの高校に来て、一からやり直そうって?」

 「礼華ちゃんに勉強を教えてもらって、頑張って少し上のランクだったこの高校を目指したの。ここならうちの地域からは相当離れてるし、あの中学からここを目指す人はいないと思ったから。」

 「そしたらあの頃のことをよく知っている俺がいたと。」

 その話を聞くとほんの少しだけ申し訳ない気持ちになるな。せっかくあの頃の記憶を払拭させようとしてここに来たのに、まさかその過去を知ってる人間が隣に座ってるとか不幸すぎる。

 「最初は驚いたけど、別に君ならいいかなって思った。勝手に君には仲間意識みたいなものを抱いてたし。ただ、急に印象をガラッと変えた私のことをどう思うか気にはなってたよ。」

 「その感想は、ちょうど数週間前にここでばったり会った時に伝えたな。」

 ここでようやくいつもの笑い声が聞こえる。隣の吉川はニコリともしていないが。

 「私の過去を知っていても態度を変えない君の存在はすごくありがたいし嬉しいんだよ。」

 「変える理由がないからな。」

 あの頃のことに同情する気持ちはあるが、だからなんだって感じだな。

 「・・・私、怖いんだよ。いつかあの頃の噂が広まって、みんなから向けられる視線がまた冷たいものに変わっちゃう日が来るんじゃないかって思うと、さ。」

 「別に広まったところで変わらんだろ。昔は大変だったんだねで終わりだ。俺の知ってる限りでは、同じ小学校だったのは俺とヒロとそこの吉川ぐらいだしな。問題ないだろ。」

 「それはわかってるけど・・・。」

 まあ不安になる気持ちが全くわからないわけではない。あれだけ酷い仕打ちを受けて、それを中学時代までずっと引きずってたって言うんだから、臆病になるのも無理はない。


 「なるほど、それで俺に白羽の矢が立つわけか。すでにあんたの過去を知ってる俺ならそれを心配する必要もないし、さっきの話だと勝手に仲間意識まで持たれているらしいしな。」

 「あとは単純に、君がいい人だってわかったからだよ。」

 「あんたにいいように使われる犬の素質があるとでも思ったか?」

 「そんな酷いことは思わないよ!?でもほら、私って君をこうして散々に振り回しちゃってるのに、それでも君は色々優しくしてくれるじゃない?」

 「は?それはただの勘違いだ。悪いがあんたに優しくしようと思ったことは一度もない。」

 「そ、それはそれなりに傷つく返事だなあ・・・。」

 そんなこと言われても、俺は本気で心当たりがない。優しくしないといけないと思ったことはただの一度もない。恨んだりイライラしたりすることはあったけどな。

 「じゃあ何でこうして私と今話してくれてるの?」

 「あんたが理由を聞いてほしいって言ったんだろ。」

 「普通、嫌なら聞く耳持たずに帰ると思うよ?」

 言われてみれば確かにそうか。何を言い出すのかと思ってつい聞いてしまっているのがこういう妙な勘違いを生んでしまっているわけだな。

 「それに、私のことが嫌いだったらこの場のセッティングなんて普通はお願いしないよ?」

 「だからそれは俺の気が済まないからで・・・」

 「なら一言謝ってそれで終わりにしたらいいじゃない。なのに君は律儀にこの前無理やり結ばせた約束を果たそうとしてくれた。話す側も気が重くなるような辛い話だったはずなのに、私のためを思って言ってくれたんでしょ?」

 「あとでグチグチ言われたくないからな。」


 「―――違うよね?わざわざ言いたくもないことを言ってまで、このまま凌太君を好きでい続けていてもいいことがないって教えてくれたんでしょ?」

 一瞬背筋が反射的にビクッと動いてしまったが、それを悟られまいとすぐに椅子に座り直す。

 「それはあんたのただの妄想だ。」

 「仮に凌太君から聞いた話が私にとっていい話だったのなら、そもそも話してないでしょ?だってわざわざそれを言う理由がないもの。」

 真面目な顔をしてまっすぐ俺の心を見透かすようにそう話す白瀬。

急に心が落ち着かなくなる。何を言っても墓穴を掘る気がして何も言えない。

「それだけじゃない。あれだけ私と気が合わないって言っておいて、私が振られたショックで学校を休んだ時は家までわざわざプリントを渡しに来てくれたでしょ?」

「あれは吉川に来いって言われたから・・・」

「でも先生からプリントを最初に受け取ってくれたのは栗生君だったんでしょ?」

「だからそれはあとで吉川に・・・」

「普通、自分が憎んでいる人間のためにわざわざそうやって気を回すことなんてしないよ。」

それは前に吉川からも似たようなことを言われた。それをしたことで、俺が白瀬と似てるとか言われたっけか。結局あの言葉の意味は分からずじまいだったけど。


「―――君は優しい人なんだよ。だから私は、君ともっとこうして何気ない会話ができるような間柄になりたいなって思ったの。」


それはこの数週間の間で見たものとは確実に何かが違う笑顔だった。その違いが何なのか、それをうまく言葉に言い表すことはできそうにないし、何ならそれを言葉にすることすら無粋に思うくらいだった。

そんな無意味なことを考えてしまうくらいに、今の白瀬の笑顔はとても綺麗だった。


だからこそ、今の白瀬に聞いてみたいと思った。

 「何であんたはそこまでしてまた人と関わりを持とうとする。いくら凌太先輩に振り向いてもらうためとは言え、そんな簡単にまた誰かとつながりを持つなんて普通はできないだろ。」

 「簡単ではないよ。4年の歳月を費やしてるんだから簡単ではなかった。」

 その指摘は確かに間違いではない。中学時代全てを犠牲にしてようやく踏み出せた一歩は、決して軽い歩みではないだろう。

 だがそれでも俺の感覚では4年という歳月はまだ軽い。未だに何一つ考えが変わっていない、いや、変えようとしていないし変えたいとも思っていない俺にとっては。

 「・・・忘れられなかったんだよ。楽しかった思い出って、辛かった思い出と同じくらいに心に深く刻まれちゃうから。だからどうしても、他人と関わらずに生きていく未来を描くことが私にはできなかった。」

 「また1人にされる可能性があるってわかっててもか?」

 「今度はそうならないようにするの。もうあんな酷いことを起こさせないために、今度は私が上に立ってみんなを守るの。」

 「あんた1人がそんな理想を掲げたって、あんたを憎む奴が出てきたら終わるぞ?そうやってこの社会はできているんだ。あんた1人が頑張って背伸びをして、目が届くところ全てを救おうとしたって無理なんだよ。」

 「大丈夫だよ。最初は私1人だったけど、こうして今はいろんな人が周りにいてくれてる。」

 「信じるに値するかどうかは別の話だ。あの事件が起きるまでは仲良かった友達にも、あれ以降は距離を置かれたんだろ?なら・・・」

 「―――仮にそれでみんなに愛想尽かされちゃっても、君と礼華ちゃんがいるじゃん?」

 ニコッと小悪魔のような笑いを向けられる。一瞬心拍が急加速して息苦しくなる。

 「何でさらっと俺を入れてんだよ。」

 「だってそれだけ心配してくれるんだもん、いつか私がクラスで独りぼっちになっちゃった時でもきっと助けてくれるって信じられる。」

 「勝手に買いかぶられても困る。言っただろ、俺に何のメリットがない。」

 「ふっふっふ、あるよ!今なら自信を持ってとびっきりのやつがあるって言える!」

 この短い付き合いでもわかる。この笑い方をする時は、何かバカなことを考えてる時だ。


 「―――君に最高の高校生活をプレゼントしてあげる!」

 「却下だ。」

 「もはや真面目に取り合ってもくれないの!?」

 まるで俺がそういうのをわかっていたと言うように高らかに笑いながら答える。

 「あんたみたいな馬鹿には付き合ってられん。」

 「え、えー!ここまで乙女に言わせておいてダメなパターンとかあるの!?」

 「そもそもあんたには、他人の気持ちを理解する能力が致命的に欠如してる。」

 「じ、自覚はしてるさ。だから今からそれを直そうと・・・」

 「それにあんな高尚な目標を掲げておいて、俺をクズみたいなやり方でこき使いやがった。」

 「そ、それは本当に申し訳ないって思ってるよ。」

 「―――だが、少しは尊敬できるとは思った。」

 俺と同じ境遇、いやそれ以上のどん底の世界を見ても、それでもまた前を向いて進もうとするその意志だけは馬鹿にできないと思ってしまった。

もう2度と傷つかないようにルールという殻を作って、その中から引きこもって指一本すら出そうとしなかった俺には、その在り方がとても眩しく映ってしまった。

「じゃ、じゃあ!」

「でも友達を名乗るとまた色々と面倒が起きそうだから嫌だ。」

「何それ!?じゃあどうしたらいいの?」

「まあ適当に同盟相手とでも名乗ればいいんじゃねえの?」

「ダサっ!」

「おい、流石に今のは傷ついたぞ・・・。」

「いや、そのセンスはさすがにどうかと・・・。」

「てめえ、別に一言も今までの仕打ちを水に流すとは言ってねえからな?」

「ほら、同盟とか言ってるんだったら徳政令を出してチャラにしてくれてもいいんだよ?」

「来週学校行ったらお前の黒歴史を全部暴露してもいいんだぞ?」

「そうなったら被害を受けるのは君も同じだからね?私たちは5年3組同盟なんだから!」

「はあ!?てか何ちゃっかり俺の同盟発言に便乗してんだよ!」

「あはは!ほら、地味なダサさが癖になる的な?」

「てめえ、覚えてろよ・・・。」

満足そうにゲラゲラと笑う白瀬と、読書をしているふりをしながらもずっと心配そうにこちらの会話に耳を傾けている吉川。


正直自分でも馬鹿だと思う。ここでこいつの口車に乗せられたら、もう元の生活には戻れないってわかってたはずなのに、掴んでほしいと差し出された手を振り払うことができなかった。

趣味も考え方もまるで違うトラブルの塊のような人間なのに、なぜかその手の先に自分が長い間追い求めていた、形のない何かが見えたような気がしてしまったから。

「あはは、君って笑うと急に愛想が良くなったように見えるね!」

「・・・ほっとけ。」

「ずっと笑ってたら、多分友達いっぱいできるよ!」

「うるせえ黙れ。そういうところを直さねえと口聞かねえからな。」

「やばい、褒めたのに同盟崩壊の危機だよ礼華ちゃん!」

「うるさい巻き込まないで。」

「あれ、仲間がどこにもいない!?」


・・・それが手に入る前に俺の頭がおかしくならなければいいんだがな。


            *     *     *

 「やっぱりあなたってとんでもなくマゾよね。」

 「2人きりになった瞬間に言う台詞がそれか。」

 すっかり太陽が沈みきり真っ暗になった道を吉川と2人で歩く。最初に3人で白瀬を家まで送り、その後に吉川を送るという流れだ。白瀬が無駄にニヤニヤしていたので、おそらくこれは計画的に作られた状況なんだろうと思い身構えていたら、この第一声だった。

 「あれだけ美桜と関わるのを嫌がってたくせに、まさか友達になるなんてね。」

「友達じゃない。あくまで協力関係だ。」

「それ何か違いがあるの?」

「親しくなったわけでもない人間を友達と呼ぶのは違和感があるだろ。」

「相変わらず変なところにこだわりがあるのね。」

さっきまでとはまるで違った温度感の違う会話。無駄に気障ったらしい例え方をすると、白瀬が太陽で吉川が月。白瀬には明るいが落ち着きがなく、吉川は無表情で落ち着きすぎている。

「でもまあ、あなたならそうするだろうってわかってたわ。」

「そいつはまた素晴らしい推測力で。んで、その理由は?」

「前にも言ったでしょ。あなたと美桜はよく似ているって。」

前回吉川を家の近くまで送っていた時に言っていたやつか。

「俺が先生からファイルを受け取ったのがそんなに大事だったのか?」

「結局あの時あなたが私か美桜のどちらに気を遣ったのかは知らないけど、少なくともあなたはあの時誰かの助けになろうとして行動したでしょ?」

「それの何が問題だったんだよ?」

「問題なんてないわ。むしろあなたは一般的には褒められるべき行動をとった。」

「なんか棘のある言い方だな。一般的にはってことはあんた的にはそう思わないってか?」

「そうは言わないわ。ただ、過去にあれだけ他人から酷い仕打ちを受けておいて、それでも自己犠牲という手段を使ってまで他人を気遣うその姿勢が、美桜と重なっただけ。」

顔色一つ変えず淡々とそう語る吉川。そもそも自己犠牲だと思ってあの時行動したわけではない、と反論しようと思ったが、おそらくこの話の核はそこにはないのだろう。


―――あんな仕打ちを受けておきながら、まだよく他人のことを気にすることができるな。


それが吉川の言いたかったことなんだろう。裏を返せば、自分にはそんなことはできないししようとも思わない。そもそも気になりもしないってことなんだろうな。

「だからきっとあなたなら、美桜のやりたいことを理解してあげられる。あの子のいいパートナーになってあげられる。きっと私よりもうまくあの子を支えてあげられる。」

「それは買いかぶりだな。考え方が似てるのと気が合うっていうのはまた別の話だ。あいつの考えを理解するという点においてはもしかしたら俺の方が得意かもしれないが、心に寄り添って支えるってのはあんたにしか無理だ。」

行動指針が同じでも思想までもが同じとは限らない。同じ人を気遣うという行為でも、100%の善意からそれをする人と、後々その気遣いへの見返りを求める人とでは全然違うように。

おまけに支えるという点においては、あいつと俺の趣味は全然違うからまるで役に立たない。

「ま、今更何を言おうと、あなたはもう引き返せないところまで足を踏み入れてしまったわけだけど。」

「すぐに後悔する日が来るだろうとは自分でも思ってる。」

「あの子の面倒を見るのはすっごく疲れるわよ?」

「少しは後悔しなくても済みそうな情報をくれ。」

「・・・見た目が可愛いこと?」

「外見じゃなくて中身の話が知りたいと言ったら?」

「・・・・・・・。」

「ないんかい。」

そこは嘘でも色々言って欲しいところだったんだが。一番あいつと付き合いの長い吉川にこうして口を噤まれると本気で心配になるぞ。


「それで、結局あなたが仲直りしたがっていた目的は達成できそうなの?」

「・・・ま、その糸口は掴んだってところか。なかなかの荒技ではあったけどな。」

「そうね、むしろそのために友達になったようなものだものね。」

「友達にはなっていない。」

「細かい男はモテないと思うわ。」

「別にモテなくて結構だ。」

結局その目的を白瀬に打ち明けることはなかったが、伝えたところでどうせまた目をキラキラさせてはしゃぐだけだから、言わない方がマシだろう。

「まあせいぜい頑張って。」

「急に投げやりだなおい。」

「だって私には関係のないことでしょ?」

それは確かにそうなんだが・・・。まあこの人にとって関係のないことは本当に関係のない話として、カケラも興味を示さないからな。仕方ない。

 などと言っていると、この前別れた分岐路へと辿り着いた。前回同様ここで吉川が足を止めて『ここまででいい』と言ったので、俺もそれに倣って足を止める。

 「それじゃ。」

 「お、おう、とにかく今日は助かった。ありがとな。」

 今日の会合は吉川の助けがなかったら実施できなかった。その会合の結果がどうであれ、ここは素直に礼を伝えるのが道理というものだろう。

 そんな気持ちを込めて素直に感謝の言葉を口にしたが、吉川は全くそれを気に留めた様子もなく、俺に背中を向けて歩き出した。

 そのいつもと変わらない塩対応に少しが顔が引きつりそうになったが、これもまあ吉川らしいかと無理やり心を納得させる。


俺もそんな吉川に背中を向けて、おとなしく帰路につこうと思っていたその時だった。



 「―――ありがと。君が美桜の友達になってくれて、素直にすごく嬉しい。」


 ちょうど背中を向けた方向から、小さな声ではあったがはっきりと俺の耳にそう聞こえてきたのだ。

 でもそれを聞いてすぐに振り向いた時には、すでに吉川は再び自分の家の方向に向かって歩き出していた。

 

 「・・・友達にはなってないって言っただろ。」


 すでにそれなりの距離が開いていた彼女に果たして届いたかはわからないが、とりあえず訂正が必要だと思ったから返事はしておく。

 が、どうやらこれ以上の言葉は、この心臓の圧迫に妨げられて出せそうになかった。


 ・・・白瀬の面倒を見ることで得られる一番の見返りは、この一瞬にあるかもしれないな。


            *     *     *

 

共通の趣味を持っていると、それだけでその人との距離を詰めるスピードを段違いに早めてくれるし、その人の記憶にも残りやすい。性格や考え方が違えばその限りではないが、強い絆というのはその共通の趣味がある人たちの間で生まれやすいものだろうと俺は考えている。

 裏を返せば、共通の趣味がなければその人と仲良くなるのは途端に難しくなるし、友達のその先を目指すことはほぼ不可能と言っていいだろう。せいぜい「よっ友」くらいで止まるのがオチだ。広く浅い交友関係を望むならそれでもいいんだろうけど、よっ友はよっ友で扱いに困るから、増やしすぎるとかえって面倒くさい。

 つまり、共通の趣味、百歩譲ってもその趣味に興味があるくらいのレベルじゃないとその人と深い仲にまで進展することはできない。そういった仕組みが働いているから、自然と人間というのは自分と共通の趣味を持つ人間に惹かれ、グループを形成していくのだ。

 逆にこの理から外れ、無理やり全く趣味の合わない人間と付き合おうとすると痛い目を見る。そもそも会話自体が成り立たない可能性だってある。そんな人と仲良くなろうとするなんて、茨の道を行くが如しだ。


 俺がこのルールを自らに課したのは、ただ自分自身を守りたかったから。これさえ守っていれば、必要以上に自分が傷つくこともないから。

 ではなぜこんな万能で素晴らしいルールが、ヒロを始めとした他の人間になかなか理解してもらえないのか。本当はその理由を俺は知っていた。いや、何度も言われ続けていた。なのにそれを拒み、聞かなかったことにし、今まで全くとりあってこなかった。

 それは単純に、俺にとってそれがデメリットだと感じていなかったから。

ただ、こうして白瀬美桜、吉川礼華という2人の人間に出会ってしまったことでその気持ちに揺らぎが生まれてしまった。

『―――ねえ。あなたは本気で何かを成し遂げたい、何かを欲しいと思ったことはある?』

 『そう。だから、あそこまで必死になれる理由が私にはわからないのよ。』

 『それでも美桜は楽しいって言う。これが適当な誰かの発言なら聞く気もないけど、他ならぬ美桜が言うなら・・・って思うとね。』

本気で数年もかけて自分をあそこまで変える努力をして、それでその結果今は人生を謳歌している人間を見てしまった。それも少し前までは俺と同じかそれ以下の生き方をしていると思っていた人間が。

そんな人間を見てしまったが故に気づいてしまったのだ。


―――今の俺の人生ってきっと楽しくないんだ、と。


あの日差し出された手の先に見えたものは、きっと今の俺の人生に足りないもの。

そう思ったから、俺はきっとあの時あの手をとったんだ。


 「ねえねえ栗生君!」

 「おい栗生!」

 「君が栗生君ー?」


 「おい、白瀬?なんで教室に入っただけでこんな熱烈な歓迎を受けてるんだ?」

 「いやー、君の面白エピソードを話してたらいつの間にかこんな騒ぎに・・・。まあここは同盟相手の誼と言うことでどうか1つ手を打って・・・!」


 「即刻同盟破棄だアホ!!!!!」


 これはそんな、一生懸命背伸びをして本当に背を伸ばしてしまった女に振り回される、ある1人の不幸な男の高校生活の話である。


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