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3.興味がないからと言って、気にならないわけじゃない

 俺は雨の日が大嫌いである。

 まず、傘などという本来不必要な荷物が一つ増えてしまうこと。その荷物の扱いに困ること。傘を差していても、結局どこかしらの部分は濡れてしまうこと。

 そして決定的なのが、登校中の学生たちが全員傘を差すことによって生じる歩道の渋滞。見渡す限り傘ばかりで、その傘同士がぶつからないように一定のスペースを空けて歩くことを余儀無くされる。するとこのように駅から素早く出られなかった人間は、こうして傘の集団の中で歩くことを強いられるのだ。これで前を歩く集団がとんでもなく歩くのが遅かったりすると、ストレスがマッハでたまっていく。

 「いやー、電車に乗る前より雨脚強くなってね?」

 朝練が始まる最初の週だと言うのに、朝から振り続けるこの雨のせいで早速朝練が潰れてしまったヒロ。でもなぜかそこまで落ち込むそぶりを見せることなく、そう感想を口にする。

 「今日は1日中降るみたいよ。雨の日は髪の毛が湿気のせいで整わないから苦手なんだけど。」

 駅の改札口を出た先で俺たち2人を待っていたのは榛名志織。今日はちゃんと俺たちより先に駅に着いていたようだ。

 ヒロは、自分を待ってくれていた彼女に軽い挨拶をすると、そのままいつものように左右に俺と榛名を連れて歩き出した。横並びに歩くと邪魔になると思ったのか、榛名は一歩後ろに下がって俺とヒロの後ろを歩く形になったが。

 「お前らは相合傘とかそういうベタなことはしないんだな。」

 「人目があるところでそんな見せつけるようなことはしたくないんでな。」

 「大衆の目があるところでそんなことをしたって、全く楽しくないじゃない。」

 「ああ、そうですかい。」

 なぜか榛名からは睨まれる始末。そんな変なことを聞いたつもりはなかったんだが、何かいけないことでも聞いたのだろうか。

 ま、昔からヒロも榛名も2人きりで登校するのは気が引けるからという理由で俺を呼んでいるくらいだ。人目を気にするタイプのカップルだと知っていながら聞いた俺も悪いということだろう。


 あの日以来、俺は漠然と恋愛について考えるようになった。

 今までの俺は、興味がないわけじゃない程度の認識でしかなかった。だがどうしても、プラス面よりもマイナス面ばかりが頭に浮かんできてしまうせいで、恋愛というものに前向きな思考を抱くことができずにいた。

 自分のことを認識してもらうことからスタートし、仲良くなるためにあの手この手を尽くす。それで今度は自分のことを好きになってもらうために、時には自分を偽って気に入られようと頑張る。そしてようやく告白するわけだが、相手の答え一つで今まで自分が築き上げてきたものが無駄になり崩壊する恐れも含んでいる。おまけに告白が成功して晴れて恋人同士になったところで、価値観が合わなかったり、他の異性とのやり取りで嫉妬があったりで、結局長続きする可能性もそこまで高くない。これの何が楽しいんだってずっと思っていた。

 でも白瀬はそんなことを気にもせずに、ひたすら凌太先輩に近づくために人生をも捧げる勢いで突っ走っていた。あれを見ていると、逆にどうしてあそこまでできるのか気になってきてしまったのだ。


 と同時に、今度はヒロと榛名の関係に意識が向かった。ヒロは、榛名との恋愛話は絶対に俺には話さない。単純に俺がそんなお惚気話には興味を示さないことをわかっているっていうのもあるだろうし、仮にあんなことやそんなことがあったところで俺には話さないように榛名から圧をかけられているのかもしれない。とりあえず仲は良好そうだから俺はあまり口出ししてこなかった。

 だから今、無意識に相合傘の発言をポロッとしてしまったのは、あの2人にとっても意外だったに違いない。冗談や嫌味でいじることは今までも何度かあったが、素のトーンでああいうことを口走ったことは、俺の記憶の限りでは一度もなかったはずだから。

 「そういえば、結局あんたの言ってた女の子、同級生だったらしいじゃない。」

 「また勝手に話したのか、ヒロ?」

 「いやあ、どうせこの場の話題に上がるだろうと思ったからな。志織もずっと気になってたみたいだからよ。」

 「これだけ捻くれた人間が素直に賞賛するくらいだから、よっぽどの子なんだろうと思ってたけど、まさかあの吉川さんだったなんてね。」

 「吉川のこと知ってるのか?」

 「だってあの人有名よ?いつもよくわからない眼鏡をして教室の隅で本を読んでる、物静かで不気味な女子生徒がいるって。」

 そんな噂が流れてるとは、俺も知らなかったな。クラス内でそういう話が出るのはまだわかるが、まさかクラス外にまで伝わっているとは。

 でもその噂について話す榛名の顔を見ても察しがつくが、あまりいいイメージのものではないようだ。

 「噂は噂に過ぎなかったけどな!なあ、海斗?」

 「何でそこで俺に振る。」

 「大丈夫だって。一昨日のことについては志織に大体説明してあるからよ!」

 「それお前が言いたかっただけだろ。」

 ヒロは後頭部をかきながら、バレた?と茶目っ気たっぷりに言ってきた。大事なことは死んでも言わないくらい口が固いのに、こういうことに関しては前もって口止めをしておかないとすぐ榛名の耳に入ってしまう。

 「あんたが散々美少女2人に遊ばれたってエピソードを延々と聞かされた私の身にもなって。」

 「知るか。てか、どういう話の伝え方をしたんだお前は。」

 「ん?ありのままだぞ?喫茶店に2人で入ってから吉川さんたちが合流して、最終的に一緒に店を出た話をしただけだ。」

 「お前の脚色が入ると、簡単に事実がねじ曲がるから聞いてんだよ。」

 このお調子者は彼女に話をする時に、面白いと思って欲しいという欲求が勝るのか、だいぶ話を盛ることがままあるのだ。そのせいで、たまにこうして榛名と会話をする時に、予想だにしない一言が飛び出ることがある。

 おまけに榛名は、ヒロの話を何も疑いを持たずに聞く習性があるので、ヒロが話したことは全て事実として捉えてしまう。本当は嘘だってわかっているものもあるのかもしれないが、表面上は全て信じている素振りを見せる。

 「あれだけご執心だった彼女に、いざ実際に会ってみると誰だか認識できなかったって。笑っちゃうわね。」

 「気が動転してて気づかなかっただけだ。」

 「でもそのあとは何度か話す機会があったんでしょ?鼻の下が伸びてたって、ヒロが笑っていたわよ。」

 こいつ、本当にいらんことしか言わんな。

 「何だよ、事実だろ?吉川が笑うたびに少しビクっとしてるの、俺はずっと見てたんだぜ?」

 「はあ?んなことするわけない・・・」

 と言い切ろうとして躊躇った。というのも、心当たりがないでもなかったからだ。

 実際、吉川が少し表情を緩めるだけで、脳内で心を落ち着かせようとあれこれ考えるようにしていた節はある。ということは、もしかしたら俺の体は無意識にそういうことをしていたのかもしれない。

 だとしたらヒロの場合、それを認めさせるために具体的なエピソードを出してくる可能性がある。となると断固否定の構えを取ると、ますます面倒なことになる。

 「と思ったが、もしかしたらそうだったかもしれない・・・。」

 「な、志織。あの海斗が自分で認めるくらいだぜ!?」

 「確かにそこまでとなると、私もあの眼鏡をとった吉川さんの顔を一度見てみたくなるわね。」

 こう答えておくことが、被害を最小限に抑える手段としては最適。ヒロの性格を知っているからこそ取れた防衛手段だ。

 「それにしても、吉川さんと白瀬さんが親友同士っていうのも私からすると意外だったのだけれど。」

 「ああ、それに関しては俺も予想外だった。まあ中学時代の白瀬さんを知ってる俺らからすると、その驚きも少ない方かもしれないけどな。」

 ヒロと榛名は楽しそうに、土曜日にあった話で盛り上がっている。いつの間にかヒロは俺の隣にいたはずなのに、徐々にペースを落としていったと思えば、榛名の隣にちゃっかり移動していた。

 やっぱりなんだかんだ言って、こうして一緒にいるときくらいは2人きりで話したいのだろうな。今後こうして一緒に居られる時間は限られてくるわけだし、こんな日くらいは2人で楽しく過ごしたいと普通なら感じるものだろう。

 

 雨粒が傘に当たる音を聞きながら、俺は再び自分の世界へと入っていくことにした。


            *     *     *

 

 雨はやはり1日中降るのか、全ての授業が終わった今もまだ外は暗いままだった。窓から見えるグラウンドには大きな水溜りができている。これは、いくら雨の中でやるスポーツだとは言え、サッカー部の活動も屋内に限られるだろう。

 そんなことを思いながら、今日1日の学校活動を締めくくる終礼に耳を傾けていた時だった。

 「終礼が終わったら、倉田君、栗生君、吉川さんは私のところに来てくれる?」

 クラス内ではあまり目立たないようにしている俺が、高校に入って初の先生からの呼び出しを受けたのだ。

 「俺たち、なんかやらかしたか?」

 同じく名前を呼ばれたヒロも心当たりがないようで、俺に確認してきた。

 「いや。でも吉川まで呼び出しを食らっているってことは、何となく理由はわかった。」

 「お、さすが。んで、名探偵栗生の推理は?」

 「少なくともお叱りを受けるわけではない、とだけ言っておく。」

 「何だよ、教えてくれたっていいじゃねえか。」

 「心配するな、お前には関係のないことだ。」

 担任の新井先生の解散の一言で、クラス内が一気にざわつきだしたので、その喧騒に紛れるように俺も立ち上がる。ヒロは俺の態度に若干不機嫌そうにしていたが、俺の予想が的中していたとしたら、これから話される内容についてはヒロは本当に無関係なのだから、わざわざ説明するのも無駄だろ。

 俺の後ろに続くようにヒロも教壇にたどり着く。それから少し遅れて吉川も到着し、先生が招集をかけたメンバーが揃う。

 「わざわざごめんね。用っていうのは、君たち3人のうちの誰かでいいから届け物をしてあげてほしいの。」

 「届け物ですか?」

 「ええ。今日は白瀬さんが欠席しているでしょう?普段ならこんなこと頼まないんだけど、中間試験も近いから、今日やった授業のプリントだけでも渡してあげられないかと思ってね。」

 この新井先生という人は、教師にしては物腰がとても柔らかく、生徒一人一人にも真摯に向き合う態度を持ち合わせていると個人的には高く評価している。今回も中間テストに出遅れると可哀想だからという理由で、今日の授業の範囲を白瀬に伝えられないかとお願いしてきている。

 幸い、このクラスは性格のひん曲がった生徒がいなさそうだから、この人のやり方はうまくいくだろうが、これが問題児だらけのクラスだったらどうなるのか少し心配になるくらいのお人好し加減だ。

 さて、先生が言うように、実は白瀬は今日欠席していた。朝礼の時点では体調不良だと聞かされたが、正直のところ本当にそれが原因なのか疑わしい。

 「あなたたち3人は家が近いって聞いたから、もし白瀬さんの家を知っていたらお願いしようかと思って。もちろん無理強いをするつもりはないけれど、どうかしら?」

 誰から聞いたんだっていうツッコミはさておき、もし俺たちが白瀬と家が近いってことを知らなかったとしたら、これは個人情報保護の観点的にどうなんだ。

 「あーすいません、俺はこの後部活に行くんで2人に頼んだ方がいいかもしれないっす。」

 やっぱりこいつはそう言うだろうと思っていた。だから俺はあえてヒロには何も言わなかったのだ。部活という口実(部活がなかったら特に嫌がることないと思うが)を使って1人だけ離脱するのが目に見えていたから、さっきは少し八つ当たりをしていたってわけだ。

 俺たちも部活っていう口実を使えればヒロも他人事にはできなかっただろうが、あいにく俺もおそらく吉川も放課後はフリーだろう。新井先生も、それなら仕方ないと言ってすぐにヒロを解放してしまった。

 そもそも、吉川が二つ返事でこれを承諾してくれればここまで俺も過剰に反応する必要はないんだけど。だが、吉川が二つ返事でこれを了承するとは俺は最初から考えていなかった。

 「栗生君は学校ずっと一緒だったし、白瀬さんともそれなりに話すよね?」

 そして実際、吉川は淡々とそう言って俺にその仕事を擦りつけようとしてきた。こちらを見る目はやはりどこか退屈そうで、というよりその意味のわからない眼鏡のせいで感情がイマイチ伝わってこない。

 とりあえず吉川は行きたくないという意思が先生には伝わったようで、あっさりとターゲットを俺に絞ろうとする。この動きの早さから察するに、最初から先生も吉川には期待していなかったのだろう。

 「お願いできないかしら、栗生君。」

 無理強いをしないとか言っておいてその頼み込む目をするのはどうかと思う。そんな断りづらい眼差しを向けられたら、嫌だとは言いづらいだろ。

 「・・・わかりましたよ。この紙類を白瀬に届ければいいんですよね?」

 「やってくれる!?ありがとー、助かるわ!」

 パーッと満面の笑みを浮かべて、教壇に置いてあった今日1日分の書類が入ったクリアファイルを手渡してきた。この反応を見る限り、俺もまた望み薄だったのだろう。

やんわりと断るのも手だったのだが、このクラスが開始してまだ間もないんだ、ここで教師からの印象を良くするのは悪い手ではないと判断した。

 それじゃよろしく、と肩の荷が下りたと言わんばかりのフットワークの軽さで、新井先生はすでに大半の生徒がいなくなった教室を後にした。

 「まさか、お前が引き受けるって言うとは思わなかったぞ海斗。」

 俺の返事が予想外だったのか、ヒロは若干興奮気味だ。

 「まさか本当に白瀬さんのことが気になり始めてきてるのか、このこのー。」

 「違う。・・・あんなもん見せられてそんなこと思えるか。」

 「ま、それもそうか。」

 お互い妙な沈黙を残してこの会話を切り上げる。そのままヒロは笑顔で部活に行ってくると言って教室を後にした。

 終始無言で俺たちのやり取りを見ていた吉川も、解散の流れを察知したのか自分の席に戻ろうとした。

 が、俺は逃すまいとその背中に向かって彼女の名前を呼びかけた。

 「・・・何?」

 振り向くこともせずに、吉川はだるそうにそう答える。一昨日のカフェの時と話し方は変わらないのに、さっきといい今といい、教室で言葉を発する時は妙に刺々しい印象を持ってしまう。おそらく意図的だろうが。

 「名目上、これで俺が渡すことになったはずだ。あとはあんたが渡してやってくれ。」

 「あなたが届けるんでしょ?私の仕事ではないから。」

 自分のクラスでの立ち位置上、やりますと言えなかったんじゃないかと思ってわざわざやると代弁したってのに、この女、平然としらばっくれてきた。

まだ数人教室に生徒が残っているのが原因だろうか。そこまでして尻尾を掴ませたくないってことかよ。

 「はあ・・・。本当めんどくせえな、あんたら。」

 「安請け合いしたのはあなた。やると言ったからには頑張って。」

 吉川は一度止めた足を再び動かして、自分の席に戻る。引き出しの中をさっくりと整理し終えたら、そのままさっさとカバンを持って教室を後にした。

 去り際に、あからさまにカバンから本を出す仕草だけを残して。

 そしてそのジェスチャーが何を表しているのか、俺はすぐにその意図を理解した。

 「・・・本当めんどくせえよ、あんた。」

 俺もまた、立ち去る吉川の後ろ姿を見送ると、自分の机の上に置いておいたカバンを持って図書室へと向かった。


 嫌々という雰囲気を表面上は出しつつ、心の奥が少しだけ暖かい気持ちになっていることに気づいていたが、敢えてそれに気づかないふりをした。


            *     *     *


 俺はあの日以来、どうにもスッキリとしない日々が続いていた(とは言ってもたかだか2日だが)。

 放心状態で立ち尽くす白瀬と、その白瀬を抱き寄せる吉川。

 涙すら流すことができないくらいのショックを受けていた白瀬の姿がどうしても心をザワザワと掻き立てる。

 自分でも、どうしてここまで気になっているのか不思議でしょうがない。

 断片的ではあるが、白瀬の計画を知ってしまったから?いや、きっとそうではない。俺はその計画に危うく巻き込まれそうになって怒っていたじゃないか。

 人が初めてフラれる姿を目撃をしたから?いや、多分そうでもない。普段の俺なら友達でもなんでもない人間がフラれたところで、全く気にも留めないはずだ。

 じゃあフったのが、俺もよく知る人物だったから?これはないとは言えない。兄に振り回されているところばかり見ているせいで、イマイチ俺の中で凌太先輩の評価が高くないが、顔だけ見ると決して悪くない。これがそこそこのブサイクだったら、なんでブサイクの分際であんな美少女を傷つけてんだよって思っていただろう。

 ちなみに、あの後帰ってきた兄に凌太先輩のことを聞いてみたが、焼肉の場では何も話そうとはしなかったらしい。何か事情があることだけはわかったってところか。

 とまあ、こんな感じで色々俺の中で考えてみてはいるが、はっきりとした答えは出ていない。それがより気持ち悪さを増幅させている。


 気を紛らわそうと思ってひたすら脳内でこんなことを考え続けていたが、隣に吉川がいる今の状況で考える内容ではなかったかもしれない。

 「雨、止まないな。」

 「・・・・・・。」

 「本当に一日中降ってるな。」

 「・・・・・・。」

 隣を歩く女子からは相変わらず返事がない。今のが本当に耳に届いたのか疑いたくなるくらいの無反応っぷり。

 それでもまさか、こうしてクラスの女子と2人きりで下校するなんてイベントが発生するなんて、流石に自分でも驚きを隠しきれない。それも相手はあの吉川礼華ときたもんだ。先週の金曜日以前なら、どうしてこうなってしまったと後ろ向きな意見が飛び出していたところだろうが、真の姿を目撃した今となっては、妙なドキドキを感じてしまっている。

 だが、一昨日のことや、今の彼女の見た目が影響しているのか、心は思った以上に静まっていた。

 それに、図書室を出て以来一度も吉川は俺と会話をしようとしないせいで、居心地の悪さが半端ない。百歩譲って、学校から駅までの道のりでそれをされるなら周りの視線も気になるだろうし無理もないと納得もできる。電車でも隣同士に座らないというのもまあ納得できる。でも、電車降りてから白瀬の家に向かうこの時間まで無言は流石に勘弁してほしい。


 そもそもどうして俺が吉川と一緒に白瀬の家に行くことになっているのか。それは、

 『ちょうどよかった。私もあなたと2人きりで話したいことがあったのよ。』

 誘い込まれた図書室に顔を出すと、開口一番吉川がそう口にしたからだ。ここだと誰かに見られる可能性があるし、図書室で話しこむという行為自体あまり褒められたものじゃないからという理由で、話は帰り道で聞くということになったのに、どうしてこう無視され続けなければいけないのか。

 「もうそろそろ話してくれてもいいんじゃねえの?もう誰もいないだろ。」

 遠回しに聞くのも逆効果だと思い、俺は直球を投げつける。すると、ようやく相手をする気になったのか、でか眼鏡をかけた女子がこちらを向いた。

 「あなたってあれね。1人でいることに苦痛は感じないくせに、2人でいるときは沈黙が苦痛でしょうがないってタイプの人なのね。」

 感情が窺えない声色で、吉川は数十分ぶりに声を発した。

 「他人の顔色を気にしていないようで、人一倍気にするタイプ。私とは似て非なるタイプね。」

 「ようやく相手してくれる気になったかと思えば、嫌味か?」

 「ううん、あなたがどういう人なのかを分析していただけ。それ以上の意味はないわ。」

 そう言うと、また吉川は何事もなかったように前を向いた。本当にその言葉通りのことしかしていないんだろうが、俺にはその態度がどうも受け入れられなかった。

 「あんたのそのでかいお眼鏡にはかなわなかったってことか?」

 「あなたを不快にさせるつもりはなかったのだけれど。」

 「受け手がその言葉をどう受け取るかで全て決まるんだよ。あんたにどんな思惑があったのかなんて関係ない。」

 「・・・じゃあ、私は今言葉の選択を間違えたということかしら?」

 「残念ながらそういうことだな。俺からの好感度は下がったと思ってくれていい。」

 自分でもなかなかきつい言葉を浴びせたという自覚はあるが、これくらいは言わせてもらってもいいと思う。俺は何度も歩み寄ろうと頑張った方だというのに、その善意を向こうから無駄にしてきたんだからな。

 そう自分に言い聞かせて、何とか襲ってくる罪悪感から逃れようとしていたのだが。

 「・・・そう、やっぱり知らない人との会話は難しいわね。」

 隣を歩く吉川はさっきよりも少し俯き気味に、歩幅も心なしか少し狭くなっていた。相変わらず表情は読めないが、全身から悲しそうな雰囲気を俺でも感じ取れるくらいに撒き散らしていた。

 その明らかな変化に、俺の良心がズキズキと痛み始める。いや、まさかこれほどダメージを受けると思ってなかったっていうか。これじゃまるで、俺が悪者みたいじゃねえか。

 「わ、悪い。今のは少し言い過ぎたかもしれん。忘れてくれ。」

 罪悪感に押し潰されそうになり、俺はつい謝罪の言葉を口にしてしまった。こんなことを言うつもりは毛頭なかったのに、彼女から悪い評価を受けるのだけは避けたいと思う自己防衛本能が自動的に働いてしまったみたいだ。


 だがそれから白瀬の家に到着するまで、俺と吉川の間に新たな会話が生まれることはなかった。


            *     *     *


 「ここなのか?」

 当然ながら俺は白瀬の家が俺と同じ学区内にあるという情報しか知らないため、ここまでは吉川の足取りを無言で確認しながら歩いていた。次どっちに行くのかとか聞きたかったが、空気を決定的に悪くしたのは俺だったからどうも話しかけづらかった。

 そしてようやく辿り着いたのが1つの一軒家。見たところ、普通のよくある2階建ての家だな。それが何軒も並んでるんだから、これはまさに住宅街というやつだろう。

 一応確認を取ろうと吉川に話しかけてみたものの、やはり返事をすることはなく彼女は家のインターホンを鳴らした。ちゃんとインターホンの上に「白瀬」の表札があるから間違いないだろうが。

 『え、えーっと、どちら様ですか?』

 なのに、インターホンから聞こえてきたのは困惑の声。

 「おい、どういうことだ?」

 これには吉川も少し焦っていたが、すぐにその原因がわかったようで、その特徴的な眼鏡を外した。

 「失礼しました。私です、礼華です。」

 どうやらその行為一つで全てが解決したようで、それから数秒と待たずに、玄関の扉が開いた。

 「ごめんなさい。てっきりインターホンに美桜が出ると思ったのかしら?」

 そう言って軽く笑みを浮かべているのは、おそらく白瀬の母親だろう。柔らかい笑顔が印象的だ。

 「そういうわけではないです。美桜が体調不良で学校を休んでいるのは知っていますから。」

 「でもいつもならこの時間に私がいないことくらい、礼華ちゃんなら知ってるじゃない。」

 そうですね、と軽く微笑み返す吉川。眼鏡というキーアイテムを外したことで、一気にどこかあどけなさすら感じる美少女に早変わりしている。

 「ところで、そちらにいるのはお友達かしら?」

 突然美少女へと変貌を遂げた隣の少女に動揺していると、突然話題が俺へと投げられる。

 「あー、俺は白瀬の・・・って違うか。み、美桜さんのクラスメイトです。今日欠席していた分のプリントを届けにきました。」

 「あら、それはわざわざありがとね!どうぞどうぞ、お茶くらい飲んでいって!」

 「い、いや、俺はただプリントを渡しにきただけなので・・・。」

 「こんな雨の中立ち話っていうのもなんだし、遠慮しないで!それに、美桜もきっと2人の顔を見たら喜ぶと思うわ!」

 そう言って白瀬母は俺たちの傘を半ば強引に受け取り、家の中に客2人を招き入れた。なんというか、兄貴とは別ベクトルだがどこか同じ匂いがする・・・。

 このあまりの急展開に助け舟を求めるように吉川を見たが、「いつものことだ」とでも言うかのように目配せを送ってきた。眼鏡がなくなったことで、ようやく少し意思疎通を図れるようになったのは喜ばしいが、救いの手を差し伸べてくれる気はなさそうだ。いや、吉川の力を持ってしても無理なのだと捉える方が正しそうだな。

 中に入っても、外見通りの普通の一軒家だ。玄関を抜けるとすぐに2階へと上がる階段があり、左に曲がると大きなLDKスペースがある。

 てっきり俺たちはそのスペースに通されるのかと思っていたのだが、母親は階段を登るように勧めてきた。ここで階段を登るっていうことは・・・多分そういうことだよな?部屋直行コースってことだよな?

 本当に大丈夫なのか、と許可を請う目を吉川に向けてみるが、やはり先ほどと同様の目配せが返ってきた。流石に本人の許可なしに上がりこむのはまずいと思うのだが。

 と言うより、俺は妹の部屋以外に女子の部屋に入ったことなんて一度もないんだぞ。これが百歩、いや一億歩ほど譲って交際中の彼女の部屋だって言うならまだしも、仲が決して良好ではない人間の部屋だぞ?普通に考えて怒られるだろ。

 「美桜ー!礼華ちゃんたちが来てくれたわよー!」

 そんな心配をよそに、白瀬母はツーノックをすると、そのまま中からの応答を待たずに平気で部屋のドアをこじ開けた。・・・控えめに言ってドン引きだ。

 そんなプライバシーのかけらもない動作の餌食となった白瀬はと言うと、

 「やっぱりあれだけ不幸なことが起きたら少しはいいことが起きるものね、礼華ちゃ・・・」

 あろうことか、ベッドで胡座をかいてゲームをやっていやがった。完全にリラックスモードじゃねえか、と内心でツッコミを入れたのもほんの一瞬。なにやらいつもと様子が違うことを察したのか、白瀬が急に扉の方、つまり俺たちの様子を確認してきた。

 そこでようやく、白瀬と俺の視線が交わる。


 「え?・・・え?・・・・・え?」

 「・・・言っておくが、俺だって不本意だからな?」

 目を真っ赤に腫らしながらも喜びの鼻声をあげていた白瀬美桜は、俺と吉川と母親の顔を何度も何度も見ていたが、ついに何度目かの俺の顔を見るターン。


 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」


 すでに所々真っ赤になっていた顔が全体に浸透していったかと思えば、布団の中に潜り込んでいった。

 「それじゃ、ごゆっくり〜!」

 そんな娘の様子を何一つ意に介することなく、俺と吉川を部屋の中に閉じ込めていく白瀬母。

 「めちゃくちゃすぎだろこの家族・・・。」

 俺は天井を見上げ、また一つ大きなため息をついた。


*    *     *


 およそ5畳半ほどの女子の部屋に半ば強引に侵入させられ、案の定、部屋の主から強烈な拒絶を受けたこの状況。

 こういう時にはどんな行動を取るのが正解なんだろうか。こればっかりは、俺の経験値不足が原因ではないと思うのだが、隣に立っている吉川礼華は呆れた表情を全く隠そうとしない。こういう時だけ露骨に表情を出してこなくてもいいと思うのだが。

 そして真の部屋主を差し置いて、畳まれていた小テーブルを慣れた手つきでテキパキと組み立てる。ものの数秒で完成させると、ベッドを背もたれにしてテーブルの傍に腰掛けた。

 「こうなった以上、どうしようもないでしょ。とりあえず座れば?」

 こんな状況でもいつもと同じように淡々としている吉川に謎の頼もしさすら感じてしまうが、自分の存在がこの場にそぐわないことくらい俺だって理解しているつもりだ。言われるがままに座るのは気が引ける。

 「ねえ、美桜。多分だけど、お母さんは盛大な勘違いをしてると思うわよ。」

 提案を受け入れず入り口に立ち尽くす俺を見るなり、吉川は背後のベッド内で蹲っているであろう白瀬に声をかけた。

 するとその言葉がちゃんと届いたのか、布団がわずかにもぞもぞと動いた。

 「あの感じだと大方、あなたが栗生君に告白してフラれたとでも思ってるんじゃないかしら。彼を見るなり、あの人の目の色が変わったもの。」

 吉川の言葉のあとに、わずかばかりだが布団の中から声がした。何と言っていたのかまではわからない。

 「そう、これは言うなれば不慮の事故よ。それを踏まえた上で、彼の処遇を決定してあげて。」

 処遇という物騒な単語が飛び出しているのが気になるところだが、布団の中からは何の応答もない。ただ、布団が少しずつ吉川の方に接近しているあたり、何か言葉を交わそうとしていると見ていいだろう。

 しばらくの間、吉川の相槌と布団の中からの識別不能な声を黙って聞く時間が続いた。白瀬がどんな対応を求めているかはよくわからないので、相槌を打つ吉川の顔から事態を把握するしかないのだが、残念ながらやはりあの表情からは何も情報は得られそうにない。

 そのままぼーっと入り口で突っ立ったまま進展を待っていると、わかったと一言呟いて吉川が立ち上がった。

 「俺の処遇は決まったんですかね?」

 「うん、とりあえず一緒に来て。」

 こちらに近づいてきた吉川は、そのまま俺の袖を掴むと部屋の外へと連行していく。袖を掴まれた際に変な声が出たのはご愛嬌だ。

 連れ出された後で何か説明がされるのかと思ったが、彼女は部屋の扉を閉めると、無言で今度は扉を背もたれにして座り込んだ。

 「しばらくかかると思うし、あなたもいい加減座れば?」

 上目遣いで俺にそう催促すると、制服のポケットからスマホを取り出す。どうやら提供される情報はこれで全てのようだ。

 とは言えどういう状況なのかは、座ることを促した今の発言と、後ろから聞こえるドタバタという音で何となく察することはできた。必要最低限の言葉で済まそうという謎のポリシーでもあるのかは知らんが、これ以上根掘り葉掘り聞くのは躊躇われたので、素直に隣に腰掛けて静かにしていることにした。


 そのまましばらく、俺たちは無言で扉を背もたれにして床に座り込んだ。

 相変わらず吉川は何も言おうとする気配がなかったが、これは仮に何か会話をしていたとしても、後ろから聞こえる音が邪魔だったな。

 それに、どちみち会話らしい会話なんて俺たちには無理だ。単純にお互い会話のキャッチボールが下手くそすぎる。

 おまけに、至近とまでは言えないがそれなりに近い距離で一緒に座っているということも大いに問題だ。何せ、うちの制服のスカートは何もいじらなくてもデフォルトの長さが膝上丈くらいなのに、平気で体育座りのような姿勢を隣の彼女はするのだ。その様子を見て俺がどう思うかということを少しは意識してもらいたい。・・・なんかの雑誌の表紙にでもしたら、飛ぶように売れそうな一枚絵だ。

 そんな柄にもなく男子高校生のようなことを悶々と考えて10分くらい経っただろうか。ようやく、中から慌てた感じで『どうぞ』の一声がかかる。

 その一言で、行きの道ほど心地悪くはなかったが、心臓には悪かった沈黙の時間が終わった。


            *     *     *


 改めて今度は自分の手で部屋の扉を開くと、そこにはさっきまでとは違う光景が待っていた。

 さっきまではベッドの上やテレビの周りがごちゃごちゃっとしていたが、しっかりと整理整頓されている。机や棚の上に置いてあった、どこか見覚えのあるキャラのグッズもこの数分の間に姿を消している。ただ、なぜかテレビに表示されている勝利画面だけは消えていない。俺たちを帰した後もやる気満々ということだろうか。

 白瀬自身も、さっきちらっと見たときは半袖短パンのラフな部屋着スタイルだったのに、しっかり来客仕様になっている。とはいえ半袖短パンという防御力低めの格好なのには変わりなかったので、こちらも目のやりどころに困る。さっきから目のやりどころに困ってばかりだな。こいつらは俺が男だという自覚をもう少し持って欲しい。

 「お騒がせしてごめんなさい。今お茶でも出すから適当にそこらへん座ってて!」


 すっかりスイッチが入ったのか、学校で見るいつものハキハキとした調子で俺たち2人を招き入れる。まだ涙の跡は残っているし、普段と違って化粧もしていないので見た目は違うが。

 「まだ無理をしてるわね。」

 入れ替わるように部屋から出ていった白瀬を見て、吉川がそう呟く。

 「そうか?俺には最近よく見る白瀬に見えるけどな。」

 「だからよ。学校での美桜は本当の美桜じゃないって、あなたならわかるでしょう?」

 いやわからん、と咄嗟に言い返しそうになったが、冷静に考えたら俺でもわかる話だ。

 自分でも『最近』よく見る白瀬だと言ったばかりなのに、危うく気づかないふりをするところだった。

 「あんたら同士で積もる話もあるだろうし、やっぱ俺は帰った方がいいんじゃねえのか?」

 「それを決断するにはもう遅いわね。そうするなら、部屋の外で待っている間に帰るべきだった。」

 「・・・おっしゃる通りで。」

 確かに、なんであのタイミングで帰るという発想が出てこなかったのか。考え込むこともなく、あっさりとその答えにたどり着いた。

 あの状況に俺の気が動転していたからだな。我ながら情けない話だ。

 「それに、あなたが今ここにいることは、美桜にとってむしろ良いことでしょうしね。」

 「最初俺の顔を見たときは結構な拒否反応だったと思ったけどな。」

 「あまり親しくない男子が、アポなしで部屋に上がり込んできて、あんな姿を見られたのだから当たり前でしょ。」

 「・・・おっしゃる通りで。」

 ようやく吉川と比較的まともな会話ができてきたところで、階段を上がってくる音が聞こえてきた。

 「お待たせー!」

 手にしているお盆には、3人分のグラスとクッキーが乗っている。勝手に女子の部屋に上がり込んだらクッキーが出てくるイメージを持っていたが、どうやらそのイメージは正しかったようだ。

 そんな白瀬は、一度顔を洗ってきたのか随分とすっきりとした表情で帰ってきた。

 「女子のスッピンを見て失望でもした?」

 「少しスッキリした顔をして帰ってきたから、居心地が良くなったと思っただけだ。」

 「さ、さっきの顔は早く忘れて!というより、最初に見たものは記憶から消して!」

 しかし、この程度の扱いで今のこの状況を受け入れようとしているのは素直にすごいな。怒ってさっさと家から追い出されても全くおかしくない状況だったと個人的には思っていたんだが。

 「いくらそのつもりがなかったとは言え、悪いことをした。」

 「あっははは・・・。お母さんの勢いに押し負けたんでしょ?じゃあ仕方ないよ。」

 「ごめん美桜。あれは私にも止められそうになかった。」

 「あの状態のお母さんを止められる人間なんて私しかいないよ。気にしないで。」

 この場にいる全員にこんな引きつった顔をさせるなんて、白瀬母は相当な曲者だな。

 「そういえば、結局栗生君はどうしてここにいるの?・・・まさかとは思うけど、私を励ましに来てくれたとか???」

 「違う、これを渡しに来ただけだ。」

 あっという間に、ニヤニヤとこちらをいじろうとする学校モードの白瀬へと早変わりしたが、俺はお構い無しにカバンの中から新井先生に渡されたファイルを手渡す。

 「え、これって今日の分のプリント?ありがとー!とても助かるよ!!!」

 「もうすぐテストが近いからって、新井先生から預かったんだ。礼ならあのお人好し教師に言うんだな。」

 「うん、そうする!でも、これを届けてくれた君にも感謝だよ!もちろん、礼華ちゃんにもね!」

 「はいはい、どういたしまして。そんな猫かぶった状態で言われてもイマイチ心に刺さらないけどね。」

 「むう、意地悪!」

 白瀬はすっかり元気を取り戻したようにハイテンションでいるが、対照的に吉川のテンションはずっと低いままだ。こちらも学校モードということか。喋るだけマシだが。

「ここには私と栗生君しかいないんだから、無理してそう気張らなくていいんじゃないの?」

 「え、無理なんて全然してないよ?」

 「私に嘘が通用すると思ってるの?だとしたら相当愚かよ?」

 「・・・礼華ちゃんこそ、約束破るんだ。」

 「栗生君ならいいじゃない。ずっと前から美桜のこと知ってるんだし、何より凌太先輩のことだって共有している協力者なんだから。」

 「それは・・・そうだけど。」

 「待て、誰も協力者になると言った覚えはない。」

 ここで割って入るのは無粋だと思ったが、このまま話が進むと厄介なことに巻き込まれそうな気がして思わず声が出てしまった。

 「ここに来たということは、その意思が少しはあると私はにらんでたんだけど。」

 「それはあんたに一緒に来てほしいって言われたからだろうが。」

 「栗生君が勝手にそのファイルを先生から受け取ったからよ。あなたが受け取らなかったら、私が職員室に行って受け取るつもりだったもの。」

 「だったら尚更1人でここに来ればよかっただろ。俺を巻き込む必要はどこにもなかった。」

 「それは違う。あなたは自分から巻き込まれにきたのよ。」

 全く根も葉もない情報を、まるでこれが真実だと確信を持った口調でそう主張してくる吉川。張本人がそうじゃないと言っているのに、よくこんなに堂々と言い切れるもんだ。

 「えーっと、その時の状況がよくわからないけど、要は新井先生が私にこのファイルを持って行ってくれる生徒を募集していて、栗生君が名乗り出てくれたってことでいいのかな?」

 「先生が私と彼と倉田君を呼び出したのよ。それで私と倉田君が名乗り出なかったから、代わりに栗生君が行くと言った。本当に巻き込まれたくなかったら、名乗り出る必要なんて全くなかったはずなのに。」

 「それは、あの場であんたが名乗り出るとクラス内の評判に関わるかと思って気を利かせたんだろうが。」

 「あの場で名乗り出るつもりは最初からなかったわ。あなたの早とちりってやつね。」

 おい、俺は多少は感謝されるんじゃないかって思ってたんだが、なんでこんな風に言われないといけないんだ。お礼を言われたいがためにやったことではないにしろ、この扱いはさすがに納得がいかん。

 「私はその行動を見て、あなたも美桜の様子が気になっているのかと思ったのよ。」

 「どうして俺が気にする必要がある?」

 「そんなの私がわかるわけないでしょ?答えはあなたの中にしかないのだから。」

 実に乱暴な意見だ。これだと、自分の中で確固たる根拠がないのに、勝手に俺の気持ちを邪推して巻き込んできたということになる。

 「まあまあ、過程は私は気にしないよ。どんな形であれ、この場に礼華ちゃんと栗生君が来てくれたのは素直に嬉しいし!」

 「だからその空元気を・・・」

 「これは空元気なんかじゃないよ。自分の感情を伝えるのが、昔よりも上手になっただけ。」

 真剣な眼差しで、吉川の言葉を遮るように語る白瀬。その様子だけを見ていると、俺の知っている白瀬とはやはり違うという感想を抱くのだが、おそらく白瀬が言いたいのはそういうことじゃないんだろうな。

 「・・・でもここでは、無理して大袈裟にリアクションするのはやめる。これでいい、礼華ちゃん?」

 「別に美桜が一番楽な状態でいてくれたら、私はそれでいい。」

 「あはは、そっか!」

 明るく笑ってみせる白瀬だったが、さっきグラスを持って現れた時に見せた笑顔とは少し違う気がした。どこがどう違うと説明することは難しいが、なんというか・・・、柔らかくなったとでも言うのが適切だろうか。

 

 「さて、せっかく重要人物が揃っているんだから、今後の作戦会議でもしよっか!」

 「だから待て。俺は協力するなんて一言も言ってない。」

 「じゃあお願い、協力して!」

 「断る。」

 こいつ、立ち直ったと思ったらいきなりまた俺を使おうとしてきやがった。どれだけ図太い神経してんだ。

 「え、なんで?」

 「する理由がない。」

 「じゃあ、私からその理由を提示したらいい?」

 「・・・はあ?」

 堂々巡りが始まるのかと思いきや、白瀬は何やら訳のわからないことを言い出した。

 「君には2つ、私に協力しないといけない理由があるって知ってる?」

 ドラマに出てくる悪役のような意地悪い笑みを浮かべて、こちらの瞳を覗き込んでくる白瀬。

 果たしてどんな理不尽な理由が飛び出すのか、聞くだけ聞いてやるとするか。

 「まず、経緯はどうあれ、女子の部屋に勝手に上がり込んで、あろうことか私の泣き顔と趣味丸出しの部屋を見た。」

 「どうして経緯が無視される。罪に問うべきはお前の母親。さらに言えば、学校を欠席したお前自身。もっとひどいことを言うと、俺をここに遣わせた先生であって、俺は被害者だ。」

 「うーん、それはその通りだね。それに、休んだ私にわざわざファイルを届けにきてくれたのだから、それを罪に問うなんて真似は、流石に恩知らずと言われても仕方がないか。」

 ごめんごめん、と両手を合わせて謝罪の意を示す。その割には心の底から謝っているようには見えないが。

 それに、こいつは2つとか言ってきた。ということはこの1つ目はこれで俺をうまく丸め込めたらラッキー程度のものだとみるべきだろう。

 とすると、本命の2つ目はこれよりもっと面倒なものを用意しているということか。


 「―――もう1つの理由は、君はすでにこの話とは無関係でいられない立場にあるってことだよ。」

 と思ったら、これまた訳のわからない理由をこじつけてきやがった。

 「どうしてそうなる。あんたの色恋話に俺は関係ないだろ。」

 「確かに私個人の問題だとしたらそうかもしれないね。でももし、同じような相談が凌太君の方からも来たら、どうなるかな?」

 そんなの、もっと関係ない。


 そう言ってあっさり一蹴しようと思ったが、あのこちらを試すような白瀬の顔があまりにも自信に満ち溢れていたので、念のためシミュレーションだけはしてみることにした。

 ・・・

 ・・・

 おい、こいつマジか・・・。

 「ねえ、今君の中ではどんなシナリオが描かれているのかな?」

 「・・・相当面倒なシナリオだ。まさか、あの場で行動に移したことすらも計算の内だったとか言わねえよな?」

 「それはあり得ないよ。でもその様子だと、どうやら君も私と同じ考えに至ったみたいだね。」

 満面の笑み、というよりは同情の愛想笑いを向けてくる白瀬。ここまで事態を面倒にした張本人からそんな顔をされたところで火に油だっつーの。

 「私にもわかるように説明してもらえる、美桜?」

 さすがにこれだけだと、俺たちの事情に疎い吉川には俺の怒りの理由にまでは行き着いていないらしい。でも本来ならばこれが普通。これに俺よりも早く気づいた白瀬は、相当な切れ者だと言わざるをえない。

 「礼華ちゃんは私の諦めの悪さはよく知ってるよね?」

 「そりゃあ、ね。栗生君ですらそれはもうわかっていると思うけど。」

 「じゃあその諦めの悪い私が、このまままた凌太君にアプローチを続けるとしたら、凌太君はどうすると思う?」

 「困るでしょうね、当然。それで困った彼はきっと誰かに助けを求める。」

 正確には、兄貴に相談してその兄貴から俺に凌太先輩が助けを求めていることを伝えてくるって流れだろう。

 「それだけでも充分面倒な話だ。あの場に居合わせてしまった俺に、凌太先輩から何かしらの話を持ちかけられるのは目に見えているからな。」

 「今の凌太君ならきっと、私に諦めるように伝える役目を栗生君にお願いする。でも、もちろん私は諦めが悪い女だから諦めない。そしたら、必然的に栗生君もこの騒動に長い間巻き込まれることになる。」

 凌太先輩だけならまだしも、兄貴が関わってくるなら無視し続けるのも面倒がつきまとう。だから俺は、どうやっても穏便にこの件から身を引くことはできそうにないってことだ。

 となると、不本意ながら俺がこの先色々と何か行動を起こさないといけなくなる未来が待っている。問題が長期化すればするほど拘束時間が長くなるという悪魔のような性質を持った未来が。

 「栗生先輩に私たちが一緒にいるところを見られているせいで、栗生君はこの一件とは関係ないと言って白を切るのも難しい・・・か。」

 「だから彼がこの件から早く解放されるには、私に協力して凌太君の口から真実を引き出すしかないの。それが私に協力した方がいい理由だよ。」

 どう?と言い、ニコッと笑って吉川を見る白瀬だったが、吉川は俺と同じような顔をしていた。

 「いや、ドン引きね。」

 「えーなんで!?」

 「そのロジックを笑いながら話せるところとか、平気で栗生君の平穏な日々をぶち壊そうとしているところとか。」

 「あっははは・・・、そこは否定できないかも・・・。」

 そう、明るい感じでこの話を俺に持ちかけているあたり、こいつはまあまあのクズである。

 情で俺の協力を得ようとして失敗したから、今度は理で俺の逃げ場を防いできたというわけだ。相当な悪魔だぞこいつ。

 「残念だけど、美桜に目をつけられた時点でドンマイって感じね。」

 さすがの親友もこれにはドン引きしている模様。片方だけでもまともな感性の持ち主だったことで、少しは心が救われた気持ちにはなるが、それが俺の助け舟になることは期待できそうにない。

 「悪いとは思ってるし、こんな形で助けを求めることになるのは私としても不服だけど、やっぱりどうしても君の協力が必要なの。」

 「俺が引き合わせるまでもなく、勝手に撃沈したあんたに今更何を協力することがある。凌太先輩を心変わりさせてくれって頼んでくるようなら、前もって無理だとはっきり言っておくぞ。」

 仮にそんなことを頼むつもりなら、いくら何でも荷が重すぎる。俺と凌太先輩はあくまで、兄を介した関係でしかない。そんな間柄の人間にできることなんて限られている。

 「ううん、そんな無茶なことを頼むつもりはない。栗生君には、私の影をちらつかせないように凌太君のことを探ってもらうだけでいいの!」

 無茶な願いをするようなら即座に突っぱねて帰ってやろうかと思ったが、提案された内容は絶妙に俺でもできそうなラインをキープしてきた。これでは、即座に突っぱねるのも難しい。

 「俺にスパイ紛いのことをしろと?」

 「スパイなんてやらなくてもいいよ。さっきも言ったけど、凌太君の口から真実を引き出してもらえればそれでいいの。」

 「真実?」

 真実と言われても、あの人は今やただの兄の親友であり、腰巾着であり、奴隷。それが真実だ。

 「栗生君が凌太君に出会ったのはいつの話?」

 「いつって、兄貴があの人を最初に連れてきたときだから・・・。2年前だな。」

 俺が中学2年になり、兄が見月原高校に進学したとき。新学期が始まって1週間も経たないうちに連れてきたはずだ。

 あの時は、兄にしては珍しくあまり社交的じゃない人を連れてきたことに驚いた記憶がある。今はだいぶそのキャラが変わったように思えるが。

 「その当時の様子って覚えてる?」

 「最初の頃はあんまり話す機会がなかったが、なんか明るい人なのか暗い人なのかよくわからない人が来たっていう印象だったな。」

 「ちなみに先輩と凌太君が仲良くなったのは高校からだったの?」

 「だと思うぞ。中学は全部違うクラスだったって言ってたはずだ。」

 「じゃあやっぱり栗生先輩が直接的な原因ってわけじゃなさそうね・・・。」

 腕を組んでうーんっと呻き声をあげる白瀬。この反応的に、白瀬が知りたいのは中学時代の凌太先輩ってことだろうな。

 となると白瀬と凌太先輩は、多分小学校時代か、それより前からの関係ってことになるか。

 ってこうして冷静に分析してしまっている時点で、すっかり協力する気になってるじゃねえか。まんまと空気に乗せられてしまった。

 とは言え流れ的に、凌太先輩の中学高校時代さえ探ってしまえば、俺はこんな面倒からおさらばできそうか。それだけで済むとは思ってないが、それ以降はもう協力しなければいいだけの話。それならもういっそのこと割り切って、さっさと仕事を終わらせた方が楽か。

 「高校時代の話なら兄貴に聞けば簡単にわかるだろうし、中学時代の話を聞き出すことが俺の任務。それが終われば晴れて自由の身ってことでいいな?」

 「私からお願いすることはそれだけだと思う。あとはちょくちょく相談のLINEをするくらいで済むんじゃないかな!」

 「さらっと要素を追加してんじゃねえよ。」

 おまけに『だと思う』なんていう不安定要素抜群の言い回し。計算高い人間であることが判明した以上、こういう言い回しを許すと碌なことにならない。

 「LINEくらいは、同じクラスなんだし許してくれたっていいじゃない!」

 こういう時だけ、トップカーストの女子高生らしいことを言わないでほしい。

 そもそも個人でLINEが飛んでくることなんて、基本的には家族かヒロくらいなものなんだぞ?

 「それに、自分で言うのもなんだけど、ここで私に恩を売っておけば、いつか君がクラス内で困った時に力になれるかもしれないよ?」

 「本当、自分で言うのもって話だな。よっぽど自分に自信がおありのようで。」

 「ふふ、それなりにうまくやってる自信はあるからね!みんながいい子ばっかりで楽しいよ!」

 「はいはい、それはようござんした。」

 あっさりと聞き流したが、確かに1ヶ月このクラスを観察した限りでは、良くも悪くも普通の想像していた通りの高校生のクラスって感じだ。それなりにうるさいグループや大人しめのグループが混在していて、その中に全てのグループをまとめるトップカーストのグループが男女それぞれ一つずつある構図。クラス内で最初に声をあげたのが白瀬だったため、女子の方が若干発言権が強い感じではあるが、特に男女間のいざこざがある様子もない。

 自分で言うだけあって、白瀬は見事に俺たちのクラスをまとめていると言えるだろう。蓋を開けるとこんな人間なわけだが。

 「はあ・・・。とにかく、情報をつかめばあんたにLINEで送る。それで満足か?」

 「うん!とても助かるよ栗生君!」

 「いつか借りは返してもらうからな。」

 「うん、善処します。」

 そんなやりとりを最後に、俺はゆっくりと立ち上がる。それでお開きの流れになると他の2人も悟ったようで、同様に腰を上げる。

 話している間にちゃっかりウェルカムドリンクを飲み干していた俺は、少しだけ残ったクッキーの皿ごとお盆に乗せて持っていこうとするが、家主に後はやっておくと言われたので、そのままにして吉川とともに部屋を後にする。


 母さんに捕まると面倒だという意見に賛同した俺たちは、バレないようにそーっと廊下を抜け、玄関の扉を開けた。

 「申し訳ないとは思ってる。けど、これからよろしくね、栗生君。」

 「よろしくされる筋合いはない。俺は平和な日常を取り戻すためにやるだけだ。」

 最後の最後に玄関先で、改まった様子で謝罪を口にする白瀬。去り際になって急激に罪悪感が襲ってきたのか、表情は少し暗めだ。

 でもそれは、すでにあたりが夜の様相を呈しているからそう見えるだけかもしれない。唯一ここに寄ってよかったことは、話し込んでいる間にすっかり雨が上がっていたことだろうか。

 「帰る間際で申し訳ないんだけど、礼華ちゃんのこと頼んでいい?」

 「私のことは気にしなくていい。最近は図書室で本を読んで帰ってるとこれくらいになってるし。」 

 これまた急な申し出だったが、正直いてもいなくてもそんなに変わらないし俺はどっちでもいい。どうせ会話をすることもないだろうしな。

 外も暗くなっているし、ここは素直に送ると言っておいたほうが印象がいいか。

 「まあ、送るくらいはする。吉川が嫌じゃなければだが。」

 「・・・どちらでもいいって言うとあなたが困るか。じゃあ、お願いしようかしら。」

 意外な展開だな。あれだけ1人を好んでいる人なんだから、1人で帰らせてほしいとでも言うかと思ったが。でもまあいいか。

 わかったと返事をし、そろそろ行くと目で伝える。

 「2人とも今日は本当にありがとう!おやすみなさい!」

 部屋に無断で侵入した時のあの表情が霞むくらいの眩しい笑顔を向けて、白瀬は俺たちを送り出してくれた。


 あれだけここに来たことを後悔していたというのに、あんな笑顔を見せられると、来てよかったと少し思ってしまうのだから不思議なものだ。


            *     *     *


 「ねえ。」

 想像の斜め上の事態に巻き込まれ、どっと疲れを抱え込んでいた夜道。あとは行きと同じように、無言で吉川を家まで送れば、ようやく俺の今日のミッションは終わる。

 そんなことを思いながら歩いていた俺は、またもや予想外の展開に巻き込まれた。

 「今度はあんたから話しかけてくるんだな。」

 「・・・迷惑ならやめる。」

 「いや、そういうわけじゃない。それで何か言いたいことでもあるのか?」

 予想外ではあったが、吉川から話しかけられるのは決して歓迎しない出来事ではない。行きの失敗を取り返すチャンスだと思って今度は頑張ってみるとしよう。

 「あなたは今の美桜をどう思う?」

 「今の白瀬?」

 今の白瀬、ということは昔の暗かった時代の白瀬と比較した感想を問われているってことだよな。

 これは言葉を選ぶべきだろうか。いや、多分下手に本心を隠してもこの人には見抜かれるだろうし、素直に思ったことを言うことにしよう。

 「一言で言うと、めちゃくちゃだな。」

 「・・・ふうん。」

 足を止めてじーっと3秒くらいこちらの方を見てきた。その行為の真意は計りかねるが、やはりこうしてまじまじと見つめられると、どうも心が落ち着かなくなる。

 「もっと酷い評価が返ってくると思ったけど、あなたはもしかしたらラブコメ主人公の素質があるのかもしれないわね。」

 「ラブコメ主人公?なんだそりゃ?」

 なんだかよくわからない単語が出てきたが、これも一つのオタク用語か?果たしてこれが褒め言葉なのか貶し言葉なのかが字面だけでは判断し難いところだが、吉川のこの少し明るめの言い方を考慮すると、少しは褒めるよりのニュアンスだと考えて良さそうだな。

 「忘れてくれていいわ。私があなたの立場だったら、とんでもない地雷女に捕まってしまったと頭を悩ませているだろうって思っただけ。」

 「親友相手に辛辣な発言だな。」

 「一番近くで見てきているからこその評価よ。でもあれが美桜の良い点でもあるとも思ってる。」

 「良い点ねえ・・・。」

 巻き込まれてるこちらからすると、ただただ迷惑な点だとしか言いようがないが。


 「―――ねえ。あなたは本気で何かを成し遂げたい、何かを欲しいと思ったことはある?」

 急な質問だとは思ったが、何がきっかけかは言うまでもない。

 「・・・さあ、どうだろうな。あったかもしれないし、なかったかもしれない。」

 いつも通り『ない』と言い切ってしまうのは簡単だったが、俺は敢えてしばらくの沈黙の後にこう答えた。

 「私はきっとないわ。―――ううん、ないと断言できる。」

 吉川の質問の意図まではよくわからないが、これが吉川にとって何か大事なことなんだろうということは、なんとなくだが察しがつく。

 もしかしたら、図書室で言っていた話したいことというのはこれのことだったんじゃないか。そんなことを思いながら、吉川の言葉を待ってみる。

 「私は美桜の味方。その気持ちに嘘はないけど、私には美桜の気持ちはわからない。」

 「自分がそういう気持ちを抱いたことがないからか?」

 「そう。だから、あそこまで必死になれる理由が私にはわからないのよ。」

 「いや、あんたじゃなくてもあれはわからん。」

 新しい人格を形成して、俺みたいな人間を振り回してまで成し遂げたい理由なんて、普通の生活を送っている人間には分かるはずがない。ましてや俺やおそらく吉川のように、あまり人と関わって生きてこなかった人間には尚更だ。

 「それでも美桜は楽しいって言う。これが適当な誰かの発言なら聞く気もないけど、他ならぬ美桜が言うなら・・・って思うとね。」

 少し興味が湧いてはいる、か。その感覚は俺にもわからなくもないかもしれない。

実際にヒロが榛名と付き合い始めたことで、俺も漠然と恋愛について考えた時期があったしな。というか、第2期が今現在到来しているし。

 「んで、それを俺に伝えたのはどういうことだ?」

 「特に理由はない。ただ、あなたと私が似た者同士だと言うなら、私の言い分を理解してもらえるのかと思ってね。」

 「似た者同士かどうかは知らんが、気持ちはわからなくもない。」

 「そう。だから何って話だけどね。」

 「同意を求めておいてその返しはないだろ。」

 「理不尽なところは、美桜とよく似ているのよ。」

 この一連の会話で初めて少しだけ笑顔を見せた吉川。それは今日一日の中で見た誰のどの笑顔よりも破壊力があったと言える。

 「あんたもそんな冗談言えたんだな。」

 「嘘は言ってないつもりだけどね。それにきっと、私よりもあなたの方が美桜に似てるわ。」

 「それこそ冗談だろ。」

 「あなたがどう思うかはあなたの勝手。ただ、今日あなたが先生からあのファイルを受け取ったことで、私はそう思うようになった。」

 「またその話か。あれはあんたのためになると思って・・・」

 「その行動に至った経緯をよく考えてみたら少しは見えてくるんじゃない?」

 まるで俺のことは何でもわかっているとでも言わんばかりの口ぶりだ。ただ、その内容があまりにも理解不能だが。

 そもそも俺と直接言葉を交わす機会もそこまでないくせに、いったい何を知ったというのか。

 「俺のことを何も知らないくせに、知ったような口をきくんだな。」

 「・・・確かに柄にもないことを言ったわ。ごめんなさい、今のは忘れて。」

 自分でも少し突っ込んだ話をしてしまったという自覚があったのか、また吉川は行きと同じように俯いてしまった。返しの一言が少しきつい言い方になったかもしれないが、今回はそこまで自分でもやらかしたとは思っていないんだが・・・。


 「私の家、この十字路を曲がってすぐだからここまででいいわ。」

 そしてこの空気から逃げ出そうとするように、吉川は一歩前へと進み出した。

 とは言え、そう言われると俺からもそれを止める理由もない。今日はここらでお開きにするしかなさそうだ。

 「わかった。じゃあまた。」

 「ええ。」

 そう言って吉川は振り返ることなく歩き出した。


 という展開になると思っていたのだが、一歩踏み出したところで吉川はその足を止めた。

 何か問題でもあったのだろうかと思い、俺も踏み出そうとしていた足を止めて、その動向に注目する。


 「・・・送ってくれてありがとう。それじゃ。」


 こちらを向こうとしてやっぱり気恥ずかしくなったのか、ほんの少しだけこちらを向いて、どこか言い慣れていなさそうにお礼の一言を告げ、今度こそ吉川は歩き出した。

 雨上がりの匂いを運ぶ涼やかな夜風。それがくるりと背を向ける彼女の短い髪とスカートをわずかに揺らす。


 「・・・それは反則だろ。」


 最後の挨拶に返事ができなかった俺は、小さくそう呟いてその後ろ姿を見送ることしかできなかった。


            *     *     *


 心を暖かくさせる余韻に浸りながら歩く一人きりの帰り道。昨日まではそれが当たり前だったというのに、どこかいつもとは違う気持ちで歩く帰り道。

 そんなどこか地に足がついていないような感覚でいると、携帯から聞き慣れたような聞き慣れていないような効果音が、何度も繰り返し聞こえてきた。

 「なんだよ、急に・・・。」

 その鳴り止まない効果音の正体を確かめようとスマホの画面を覗いてみると、


 『海斗君遅い!もうお腹が空いて死にそうだよ!!!』

 『おい海斗!俺たちを飢え死にさせるつもりか!早く帰ってこい!!!』


 という文と、何通もの『スタンプが送信されました』の表示で埋め尽くされていたのだった。


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