18 肝試し
朝比奈さんがこちらに向かって手を振っている。「蒼真!」と言いながら響花さんは朝比奈さんに向かって手を振り返している。
ああ、なんかこの辺……胸の辺りが痛む。そっか、今日は朝比奈さんも参加する予定だったんだ。
「へへ、サプライズだよ。私の彼氏の蒼真です」
「ごめんね、遅くなっちゃった。本当はみんなよりも早く来て準備する予定だったんだけどね」
本当に爽やかな笑顔だ。タンクトップの上からシャツを羽織った朝比奈さんは、コンロとグリルを持参してくれていた。風で髪がなびくたびに、耳についたピアスが見え隠れする。
「そこの男の子たち。ごめんだけど、ちょっと手伝ってくれる?」
「あっ、はい」
返事をしたのは侑。朝比奈さんの元に向かう侑の後ろを、俺はついていく形となった。「これ、持てる?」と言いながら、網などを渡してくる朝比奈さん。
相模まつりのときも思ったけど、近くで見ると本当に顔が良い。肌がなめらかで、すべてのパーツが整っている。太陽が目の前にあるかのように眩しい。
「あ、えーと、光稀くんと侑くんだったよね?」
「そ、そうです」
「あ〜よかった。名前教えてくれたのに間違えたら失礼だからね」
朝比奈さんは手を胸にあて、ホッと撫でおろしている。何だかそんな仕草ですら、めちゃくちゃかっこいいと思える。
しかも、こんな高校生の俺らに対しても子供扱いせずに、なんて優しく接してくれる人なんだろうか。
「朝比奈さん、やっぱすっげぇかっこいいな」
侑が耳元で囁いてきた。侑も俺と同じことを思っていたらしい。
「そうだな」
さっきまでのテンションが出ない。まつりで会った時、あの短時間ですらあんなに心が痛かったのに、お似合いの2人の姿を今日1日中見なくちゃいけない。
もちろん2人は付き合っていて、お互い好き同士なんだから、そこは俺がとやかく思う権利はどこにもない。
「じゃあとりあえず、グリルの準備をする班とテントを張る班に分かれようか」
朝比奈さんはたった今合流したばかりだというのに、すぐに俺たちに馴染み、その場の指揮をとり始めた。迷いのない指示に、誰もが自然と言うことを聞いてしまう。
「じゃあ俺はこのままグリルの準備して火起こしするね。テント班に男の子ひとり手伝った方がいいね。侑くんできる? テントの張り方はここに書いてあるから、その通りにしてくれればいいよ」
朝比奈さんは侑にテントの張り方が書かれたメモを見せながら説明をしている。ああ、イケメン2人が並ぶと本当に絵になる。
「じゃあこっちも準備始めようか、光稀くんと……」
「未来」
「未来ちゃんだね。よろしく。これは重いから、最初俺たちに任せてくれたらいいよ。あそこにある炭の箱軽いから、こっちに持ってきてくれるとありがたいな」
「うん」
パタパタと炭の箱目掛けて走っていく未来。その後ろ姿を呆然と見つめている俺。
「光稀くん?」
すると突然かっこいい顔が目の前に現れた。俺は思わず「うわぁ!」と声を出し、尻餅をつく。
「あっ、ごめん。驚かせてしまったね。はい、立てる?」
「あ……、はい」
尻餅をついて朝比奈さんを見上げる俺に手を差し伸べてくれた。
「こら〜蒼真、光稀くんいじめちゃダメでしょ!」
「あはは、ごめん響花」
こんな人にやっぱり俺なんか到底及ばない。テレビや雑誌でよく特集している理想のカップル、それはまさにこの2人のことを言うんだろう。
「光稀くん、それこっちに」
「はいっ」
「テント班どう?」
「こっちももうすぐできそうだよ」
朝比奈さんの的確な指示により、バーベキューの準備は難なくスムーズに終わった。爽やかに登場して、まるでリーダーのように周りをうまく使う。
「できたぁー!」
「完成しましたね」
「よかった。みんなのおかげで早く準備終わったね。もうお肉焼いちゃう? みんなお腹空いてるかな?」
「みっくん、川でちょっと水浴びしようよ!」
「お肉焼くなら私、お手伝いします」
そして、それぞれの時間が始まった。
トーコは俺の腕をひっぱり、川へ連れて行く。
侑と響花さんは、持ってきた折りたたみ椅子に座り2人で休憩している。
泉ちゃんと未来と朝比奈さんはバーベキューの準備をはじめた。野菜を切ったり、肉の準備をしたり、未来はせっせと飲み物を紙コップに注いで、侑と響花さんに渡しに行っている。
みんな、すごく楽しそうだ。俺は空を見上げる。あたり一面木に囲まれているが、俺の立っている場所からは太陽が丸見えで、暑い日差しがまっすぐ俺に照りつける。それがとても目に差し込んでくるので、俺は片手を上げ太陽を遮った。
響花さんの周りでは、とても素敵な人や出来事が多い。それが人を惹きつけ、その人の心に強く根付いていく。俺もそのひとり。
そして俺は響花さんにとても特別な感情を持っている。異性に対する恋愛感情。響花さんに出会って、とても楽しい時間を過ごして、いっぱいドキドキして、幸せな時間を過ごしていた。
でもそこに現れた、朝比奈さんの存在。本当に全部がかっこよくて、響花さんと同じく自分の店を持って、成功して、本当に素敵な人だと思った。そして今回一緒にバーベキューの準備をしたこの短時間で見せつけられた俺との圧倒的な人生経験と力の差。
好きだという気持ちは大事にしたい、それに俺は大好きな響花さんの恋を邪魔することはあってはならない。父さんにも誓ったじゃないか、応援するって。
でも、やっぱり2人を目の前にすると、やっぱりつらい。見ていたくないと思ってしまう。
俺は侑と話をしている響花さんの方に視線をやった。俺、何しょんぼりしてるんだろ。今日はせっかくのバーベキューなんだから楽しまないと。
「みぃーっくん!」
「おわぁ!」
俺の世界が傾いた。突然トーコが飛びついてきたのだ。俺はそのまま後ろに倒れ、川の中に思い切り背中をつけた。浅い川で良かった。両肘を底につけ、上半身を軽く浮かせる。浮力があったから痛みはほとんどなかったが、驚きのあまり心臓がバクバクしている。
「みっくん何ボーッとしてんのよ。水遊びしよーよ」
「いてて、あのなぁトーコ。そのボーッとしてる俺に突然飛びついたら、あぶな――」
俺は目の前のトーコの姿に目を見開いた。俺のへそあたりで馬乗りになっているトーコ。俺と一緒に倒れたせいか服が濡れていて、その、ティーシャツから、し、下着が……透けて……っ。
「みっくん。顔、赤いよ」
「ばばば、ばか! 服濡れっ、濡れて! 風邪ひく、ひくから早く着替えろよっ!」
顔が赤いと言われ、余計に恥ずかしくなり目を背ける俺。しかし目のやり場がない。トーコはショートパンツを履いているので、足がむき出しになっている。更に馬乗り状態のため……ああっ、とにかくどうしようこの状況!
「みっくん。こっち向いてよ」
「は?」
いやいや何を言ってんだトーコは。そんなじろじろと見れるわけないじゃないか。
「ねぇ、響花さんじゃなくて、こっち向いてよ」
「え?」
俺はその言葉で、思わず顔をトーコに向けた。
トーコは、これまで見たことがないくらい悲しい顔をしていた。
「どうして、あたしじゃないの?」
「ト、トーコ?」
トーコの眉は垂れて、いつもくりっと開いた目は半分しか開いていなくて、とても泣きそうな表情をしていた。そんなトーコの顔を見たのは初めてで、俺はなんと言えばいいのか分からず、名前を呼ぶことしかできなかった。
――どうして、あたしじゃないの?
俺の心臓が、大きく高鳴った。
「あ〜、透子ちゃんが光稀くん押し倒してる」
朝比奈さんの言葉で、俺の意識は現実に戻ってきた。「はぎゃっ!」と悲鳴をあげて周りを見ると、両手で顔を隠しながらも隙間からこちらを見ている泉ちゃん。未来の目を隠しながら笑っている朝比奈さん。「透子ちゃん大胆っ」と言いながら笑っている響花さん。そして、下を向いている侑。
「へへへ〜、みっくんあたしのお色気攻撃に心打たれたって顔してるよね」
「ちょ、バカ! は、早くどけよっ!」
俺は何とかトーコに退いてもらい、息を整えた。何だか、いろんなことが一気に頭をよぎる。トーコの言葉。あれはまるで、トーコが俺のこと。
「お肉焼けてきたよ。早い者勝ちだから、食べたい人はおいで!」
「あ、朝比奈さん、あたし食べた〜い!」
俺の前からトーコはいなくなったが、その場から動くことができない。考えすぎか? 自意識過剰なのか?
――どうして、あたしじゃないの?
何度も頭の中で繰り返されるさっきの言葉。
そういえば随分前にトーコに好きな人がいるのかと訊いたことがあるけど、何度も誤魔化され、はぐらかされてきた。
以前俺が響花さんのことを好きだと言ったあの日、トーコは化粧が落ちるほど泣いていた。
普段はあんまり当たらない俺の予想が、頭の中でどんどん膨らむ。
「みっくん」
「はっ、はい⁉︎」
意識を現実に戻すと、肉を乗せた皿を持ったトーコが俺の近くにちょこんと座っていた。
「シャツの下で透けてるこれ、下着だと思ってるでしょ?」
「ばっ、ばか。そういうことは、そそそんな簡単にっ」
目が回る。「うん」なんて言えるわけないじゃないか。そもそも派手すぎる、しっ、下着がっ。それに白いシャツなんて着てっ、ぬぬ、濡れたら透けるに決まってるじゃないか。
「これね、水着だよ」
トーコは本当に、俺の気持ちをかき回す天才かもしれない。
・・・
俺たちはグリルを囲んでの食事タイムを堪能した。響花さんと朝比奈さんが食材をたくさん持ってきてくれたこともあり、とても豪華なバーベキューとなった。
育ち盛りの俺は肉にがっついた。しかしトーコが俺の皿からどんどん肉をかっさらっていくから、もはや戦争のようになっていた。
バスケ部エースの侑は、食が細そうに見えて結構食べる。無心で肉をかき込む姿に、思わず笑ってしまった。
泉ちゃんは未来にお肉をとってあげている。未来なんてすっかり甘えてしまい、ずっと泉ちゃんの隣をキープしている。
響花さんと朝比奈さんの2人は、クーラーボックスから缶ビールを取り出し、2人で嗜む。大人の楽しみ方か。それが一緒にできる朝比奈さんがうらやましい。俺も早く、大人になりたい。
そうしているうちに、辺りはだんだん暗くなってきた。朝比奈さんは用意していたライトをセッティングし、明かりを灯してくれる。虫が集まるため、虫除け対策も欠かさない。
俺はまたもや空を見上げた。今日は月がとても綺麗にまんまるの形をしている。この辺りは民家も少なく光がほとんどないため、星がとても美しく輝きを見せる。夜も光に溢れる都会ではあまり分からない満天の星空。感動する。なんて綺麗なんだろう。
「星、綺麗ですね」
ぼんやり空を見つめていた俺に、泉ちゃんが声を掛けてきた。
「うん。きれいだね」
それ以上の言葉はいらない。俺はただ素直にそう思った。
この星空を俺に見せてくれたのも、響花さんだ。俺は、響花さんにたくさんのものを貰ってばかり。なのに俺は響花さんに何もしてあげられていない。そんなことを考えながら、泉ちゃんと空を見上げた。
そして俺はまだ気づいていなかった。泉ちゃんに注がれている、ある視線に。
「ふぅ〜。お腹いっぱいだね」
「うん」
結構食べた。お腹が膨れてそんなに動けない。それでもまだまだ食材は余っているというので、明日食べることにした。使用した紙皿や割り箸は用意したゴミ袋に捨てて、軽く片付けを始める。
そんな時、トーコが口を開いた。
「ねぇ響花さん。この辺って、肝試し的なのできないんですか?」
トーコの提案。それは肝試しだった。
「そうだねぇ。じゃあ、親戚のおじさんが、この林を抜けた先に魚を取るため仕掛けを組んでいるところがあるんだけど、そこまで行って戻ってくるのはどう? 距離的にもそんなに遠くないし、ちゃんと人が通れる道もあるし、肝試しにはもってこいだと思うんだけど」
「まぁそれくらいなら、いいかもしれないですね」
「いいですね! そうしましょう!」
ぴったりのいいコースが見つかって嬉しいのか、トーコは侑の腰に抱きついたというか、飛び込んだというか。侑が「ぐえっ」と声を出している。
トーコのやつ、侑にもああやって抱きついているじゃないか。やっぱり、俺の考えすぎだったのかな。
肝試しコースは片道5分程度の林の中を抜ける道。林を抜けると、小さく開けた場所があり、そこに親戚のおじさんが魚を捕らえる網を張っているらしい。そこまで行ってまた戻ってくる。ちょうどアルファベットのU字のような道になっているため、他の人と被らずに戻ってくることができるという。
しかし肝試しと聞くと、昼間は幻想的に見えていたそびえ立つ林が、一気にホラーな空間に見える。虫や動物が動くたびに聞こえる葉っぱが擦れる音も、すべて恐怖心へと変わってしまう。吸い込まれるのではないかと思うほどの暗闇。
トーコは言い出しっぺの割に「よ、余裕よ!」と言いながら足をガクガクさせており、泉ちゃんは「ううーっ」と小さく悲鳴をあげ、誰もが認めるほどほどテンパっていた。
俺と侑はこういうの、あまり怖いとは思わない方なのでそんな2人の様子を見ながらにやつく。
未来は、どうなんだろう。ホラー映画とか無表情で見ているから、実際どう思っているのかは正直疑問だ。
響花さんも楽しみなのか、笑顔でペアを組むためのくじを割りばしで作っている。
「俺は留守番してるよ。ないと思うけど、もしみんなの貴重品とか盗られたら大変だからね」
朝比奈さんはみんなの荷物番を率先して希望した。なるほど、大人はこういうのを買って出ないといけないのか。さりげない優しさと、みんなが楽しめるような気配りが大事ってことか。勉強になる。
「よーし、じゃあちょうど6人いるし、2人ずつペアになろう。はい引いて引いて」
響花さんが握られている部分に番号が掛かれた割りばしをみんな順番に引いていく。これで響花さんとペアになれたら運命を感じるけど。
「みんな引いたね。それじゃあ番号お披露目~」
みんな一斉に番号が書かれた方の先端を見せ合う。響花さんは、3番か。俺は1番。
「あの……」
「ん?」
「私、1番です」
「おっ」
俺に1番の割りばしを見せてきたのは、泉ちゃんだった。超怖がりであろう泉ちゃんとペアになるなんて。
他のペアはどうなった?
「2番2番……あっ、あっくんと一緒ね。し、仕方ないからあたしが守ってあげるわよ!」
「そんな泣きそうな顔で言われても」
侑とトーコがペアか。トーコはさっきから膝の震えが止まらない。
「未来ちゃん、よろしくね」
「うん」
響花さんは、俺の妹未来とペアになった。未来なんだか嬉しそうに目キラキラさせている。分かってるのか? 今からやるのは肝試しだぞ。
「そしたらこのくじの番号順に行こっか。まずは光稀くん、泉ちゃんペアからね。3分後に次のペアが行きましょう。準備ができたらいつでもどうぞ」
響花さんが俺たちに順番の説明をし終わった後、さっそく行こうと足を踏み出す。すると俺の斜め後ろから泉ちゃんの変な声が聞こえてきた。
「みみみみ光稀さんっ。わたわた、私は、いい、いつでもっ」
ああ、もう半泣き状態だ。何だか気の毒に思えてしまう。
「いい行きましょう。いき、いき、行きましょう!」
意を決したのか前に進み始めた泉ちゃん。けど、右手と右足同時に出てる。しかも「アハハハ」と泣きながら笑っている。
「だ、大丈夫……泉ちゃ」
「だ、だだ大丈夫ですお、こっ、これくらい!」
だめだ。本当に心配だ。
そんな超心配な泉ちゃんと一緒に、俺たち2人は林の暗闇に吸い込まれていった。