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やじるし  作者: 猫楊りこ
第2部 夏
15/44

15 奇跡のであい

 響花さんに連絡をした翌週、俺は非常に緊張していた。

 風呂場の鏡で髪の毛を整える。変じゃないだろうか。服のチョイスはださくないだろうか。


 今日は響花さんのお店、SoLの予約日。今日は元々バイトが早く終わる日だったため、帰宅してすぐシャワーを浴び、念入りに体を洗って私服を着替えなおす。

 バイトに行く時は適当なティーシャツにジーパンだが、響花さんに会いに行くとなるとそうはいかない。全力で服を選ぶ。

 ちょっと奮発して買ったシャツにチノパンをロールアップして合わせる。手首にはいつもの黒いG-SHOCKの時計を装着し、鏡の前で髪の毛にワックスをつける。


「おや光稀。デートかい?」

「デッ⁉ ち、ちがっ!」


 洗濯物のかごを持ち、偶然通りかかった母さんが俺におちょくった。ビックリした俺は顔を真っ赤にし、口をぱくぱくさせながら母さんを見る。


「はいはい。そんな気合入れんでも変じゃないよ。あんたはあたしと父さんの息子だからね」


 と、母さんは笑いながら俺の視界から消える。母さんの『変じゃない』は信用できない。ああ、不安だ。


「わんっ」

「あ、ワタアメごめん。行こうか」


 俺はワタアメを散歩に連れて行き、その帰りにSoLに寄ろうと思っていた。いつもの散歩グッズに線香を突っ込み、俺は家を出る。


 梅雨は明けたのか、カラッとした天気。今年はそこまで雨が続かなかった印象がある。台風も発生したけど、大きく逸れた。

 夏に向けてどんどん気温も上がり、強い日差しが照りつける中、俺は一瞬にして体のだるさが増す。


「あぢぃぃ」


 ワタアメと一緒に歩き始める散歩コース。アスファルトをジリジリと照らす太陽により、薄っすらと蜃気楼が見える。木々の葉はすっかり緑一色となり、雨により落ちた葉っぱたちが道路の端に集まっている。

 通り過ぎる数名の学生はアイスを頬張り、雫のついたペットボトルを傾ける。手を繋いで歩く母娘は、母が団扇で仰ぐ風で子供を涼ませている。娘は首からぶら下がっている小さな水筒に手を伸ばし、渇いたのどを潤そうとしている。


 ワタアメはもこもこした毛に覆われているくせに暑がることもなく、てってっと前進する。まるで俺の方がワタアメに引っ張られているようだ。

 せっかくセットした髪は汗で乱れ、前髪は額に張り付く。手の甲でいくら拭っても吹き出す汗に、俺は嫌気がさした。


「待って、ワタアメ。歩くの早い」


 そんな俺を気にもせずに今にも走り出しそうにグイグイと俺を引っ張るワタアメ。首輪で首が締まって苦しくないかと不安になるほどの勢いで角を曲がろうとする。たしかにいつもはこの角を曲がるのだが、俺はそのまままっすぐ進んだ。

 SoLのある大通りではなく日陰の多い裏道を歩く。このように塀や木に囲まれた道の方が涼しく歩くことができる。汗まみれとなる体を少しでも冷やしておきたい。もちろん響花さんに『やだ光稀くん、くさーい』なんて思われないためのせめてもの対策。


 ワタアメは名残惜しそうにじっといつものコースを見ていたが、すぐに俺の後をついてきた。そして近所の麦藁帽子を被った腰の曲がったお婆ちゃんとすれ違う。「こんにちは」と頭を下げてくれたので、俺もすかさず挨拶を返す。お婆ちゃんは首からタオルを掛けており、ときたま流れる汗をそれで拭きあげる。


 そういえば父さんもよく夏場は首からタオルを掛けていた。父さんは建築関係の仕事をしていたから夏は日焼けして真っ黒だったのをよく覚えている。

 キンキンに冷えたビールを『ぷっはぁぁ!』と美味しそうに飲む姿が、つい昨日のことのように鮮明に頭に浮かぶ。


 あまりにも美味しそうに飲むもんだから、俺も将来お酒が飲めるようになったら父さんと一緒にビールを飲むのが密かな夢になっていた。

 でもそれはもう、叶わない。初めてのビールは父さんとが良かったけど、こればっかりはどうしようもない。


 俺はワタアメと一緒に、いつもの墓に到着した。いつもの散歩コースとは違ったけれども、墓が近付くにつれ、ワタアメもぐいぐいと強く駈け出そうとしているのが伝わった。

 ワタアメも、きっと分かっているんだ。ここに、俺たちの大切な家族が眠っていること。


 そして俺は父さん、越前 健夫の墓に線香を立てる。誰か来てくれたのかな、花が綺麗に片付いている。父さんはすごく人当たりが良くて、みんなの人気者だったからいつも誰かしら来てくれているのかな。よかったね、父さん。


 今日は父さんに報告があります。

 この前話をした、俺の好きな人、実は彼氏がいたんだ。本当に残念。あんなに幸せそうなあの人の顔見せられたら、俺なんかじゃ到底敵わない。

 しかも相手の男性、めちゃくちゃイケメンだった。雲泥の差とはこのことだって思って、一瞬あの人のことを諦めようかとも思ったんだけど、俺に与えてくれたひとつひとつのものが、俺にとって本当に大きくて、感謝の気持ちも大きい。

 でもそれ以前にやっぱり俺はあの人のこと好きなんだなぁって感じた。それにあの人は俺の原動力になっている。将来の可能性を教えてくれた響花さんに感謝しながら、自分のやりたいことをもっと見出していければ、あの人への恩返しもできるし、それで完全に吹っ切れそうな気もするんだ。


 ごめん、長くなっちゃった。ビールが美味しい季節になったよ。今後は差し入れにビールでも持って、また来るね。


 俺が目を開けると、ワタアメが膝に前足を置き、舌を出して「ハッハッ」と鳴いている。俺が長く目を瞑っていたから心配したかな。

 俺は立ち上がり「あっつ」と小さく呟くと顎に溜まる汗を、手の甲で拭った。


 俺は心に中で父さんに響花さんのことを話しながら、同時に自分の気持ちの整理をしていたような気がする。


 片思い、それはとてもつらく苦しい。しかも俺の好きな人には彼氏がいるという状況。

 付き合うなんて奇跡でも起きない限り無理な話だけど、これで好きをやめたら俺は響花さんへの想いはその程度だったっていうこと。

 もちろん奪い取るなんていうことはできない。幸せな響花さんを応援したい。響花さんが幸せでいてくれることが、俺の幸せ。そのためにも俺は将来の目標をきちんと見出そうと強く誓った。


 父さんの墓参りを終えた俺は、G-SHOCKに視線を落とす。予約時間まであと15分。ここからだと余裕で間に合いそう。


 俺はワタアメに「行こう」と声を掛けると、ワタアメも「わんっ」と鳴いて応えてくれる。俺たちの足は、迷うことなくSoLへ向かって進み始めた。


「あ、光稀くん。いらっしゃい」

「あ、は……はい。きょ、今日は、よろ、よろ」


 今日も最強に輝かしい笑顔を見せてくれる響花さん。SoLに到着すると同時にドアを開けて出迎えてくれた響花さんに俺は速攻で心臓をずきゅんされた。

 ワタアメなんて俺の腕の中から響花さんに飛びつこうとしてすんごい速度で足を動かして暴れている。両サイドにふんわりした編みこみをしていて、ものすごく可愛い。

 あれ、前髪……。


「ま、前髪……き、切ったんですか?」


 少しまっすぐ切り揃えられた前髪。たしか相模まつりのときはもう少し長かったような気がしたのでそう尋ねてみた。


「あっ、気付いてくれた! 嬉しい!」


 響花さんは本当に嬉しいようで、俺の両手を掴んで上下にぶんぶんと振る。

 ああっ、手がっ、やわらかいっ、あったかい。


「前髪自分で切ったんだけどね、気付いてくれたの光稀くんだけなんだよ。蒼真すらも気付いてくれないんだよ。彼氏のくせにね」


 心がずきんと鳴いた。やっぱり、ああ宣言はしてみたものの、朝比奈 蒼真さんの名前が出ると心が痛い。しかも呼び捨て。でも彼氏なんだから、それは仕方ない。なんか俺の反応、女の子みたいだな。


「はい、どうぞ。荷物はこちらに置いてくださいね」


 そう言って接客をしてくれる響花さん。本当に笑顔を絶やさない。この人が真顔になったり、悲しい表情をしたのを俺はまだ一度も見たことがない。どうしていつもそんなに素敵な笑顔を維持できるんだろうか。やっぱり、すごい。


「今日はどうする? ここで待つ? それとも中で施術するの見る?」

「え? 見れるんですか?」


 響花さんの言う『ここ』とは以前ティートリコをごちそうになったあのソファのある空間。俺が大泣きをしたところだ。思い出すだけで恥ずかしい。


 しかし待つことも出来るし、実際響花さんが仕事をしている姿を見られるなんて。そんなの見たいに決まっている。

 ワタアメには申し訳ないが、綺麗になっていくワタアメではなくて、響花さんの姿が見たいがために見学を希望した。


 SoLではまずカウンセリングを行い、わんこのカルテを作っていくらしい。カウンセリングではとても丁寧に念入りに、家族の要望やその日のメニューを決めていく。それだけじゃなくて、その日のわんこの体調や持っているアレルギーなど細かな相談もすべて聞いてくれた。


 そして施術室にワタアメが連れて行かれる。響花さんに抱っこされているワタアメは本当にいつも気持ち良さそうにしてる。なんてずるいやつだ。

 その後ろを俺はきょろきょろしながらついていく。


 施術室には見たことのない機械がたくさん並んでいた。ここでシャンプーするのかなと思わせる大きな水道や、ドライヤーやハサミなどを乗せた動くカート。

 その部屋の真ん中に位置する、響花さんの腰の高さほどあるテーブルにワタアメを乗せると、何かを取り出した。


「まずは爪切りからしようね、ワタアメ」


 そう行って響花さんはワタアメのもふもふを探り、爪を捜索する。


「爪綺麗に整ってるね。光稀くんがやってるのかな?」

「あ、はい。あとは母さんも」


 また褒められた。やっぱり響花さんに褒められると、すごく嬉しい。


 しかしワタアメの爪を切っているだけだというのに、その仕事をする姿は本当に綺麗だと思った。真剣な表情から笑顔に変わり、そして集中した表情へと変わる。その繰り返しに、俺はワタアメではなく響花さんに夢中になってしまった。

 慣れた手つきでワタアメの爪を整えてくれる。ひと通り切った後はやすりで更に滑らかにしていく。


 お次は耳掃除。ぺろんとワタアメの耳をめくり、これまた見たことのない道具で耳を掃除していく。気持ちがいいのかウトウトしているワタアメ。


「健康的なわんこのお耳はそれほど汚れないんだけれど……うん、ワタアメは綺麗だね」


 うう、響花さんが褒めているのはワタアメのことなんだけど、何だか俺が褒められているようで恥ずかしいな。


 というかトリマーとしての響花さんから、目が離せない。本来であれば綺麗になっていくワタアメを見るべきなんだろうけど、働く女性ってどうしてこんなに輝いて見えるんだろう。本当にかっこいい。


「さて、じゃあバリカン行くよ」

「バッ、バリ⁉︎」


 響花さんの口からバリカンという単語が出て、俺は思わず反応してしまった。そして響花さんはワタアメの足裏を俺に見せてくれる。


「ほら。毛がボーボーでしょ? 硬い小石とか異物から足裏を守るためにある程度の毛は残しておいた方がいいけど、伸びてる毛はちょっとだけ刈っちゃうんだよね。全部刈っちゃうとツルツルしてフローリングで滑っちゃうし」


 俺はフローリングでツルツル滑って前に進まないワタアメを想像して「ぷっ」と吹き出してしまった。


「あははっ、光稀くん笑った」

「いや、そのっ。ワタアメの想像したら、あはは」

「いい笑顔だね。ホントひまわりみたいだ」

「……ッ!」


 俺は体をくねらせ笑っていたにもかかわらず、響花さんの言葉に変な体勢のまま体が硬直した。


「ずっと思ってた。光稀くんって名前の通り。本当に光り輝く笑顔を持ってる」

「え、と……。お、おと……は、さん」

「自信持って。光稀くん、キミすっごく眩しいよ。光稀くんはひまわりみたいにとても大きくて、あたたかい人。あたしは、その笑顔に惹かれている人がキミの絶対近くにいると思う」


 なんだろうこの気持ち。抑えきれない。あなたへの想いが、溢れて止まらない。心臓が痛くて、苦しい。


 あなたはそうやって、いとも簡単に俺を夢中にさせるんですね。響花さんの何気ない言葉も、俺にとっては全部宝物だってこと、知っていますか?

 朝比奈さんがいるっていうのに、どうして……どうして響花さん。


「光稀くん?」


 響花さんの手が止まる。

 俺は無意識に響花さんのエプロンを掴んで、引っ張っていた。はたから見ると、まるで子供がお母さんの服を掴んでいるような、そんな光景。

 俺は恥ずかしさのあまり熱く火照った顔を隠すように俯いていた。


 そして響花さんはもう一度、ぷるぷると手が震えている俺の名前を呼んだ。


「光稀くん、どうしたの?」

「あっ、あの! ご、ごめんなさい……っ!」


 俺はそこでとんでもないことをしでかしていたのではないかと驚き、飛び跳ねた。エプロンを掴んでいた手を引くと、後ろに一歩後退りした。


 顔を上げた瞬間響花さんの背後にあるトリミング用の大きな鏡に俺の顔が映る。

 顔……真っ赤だ。困り顔に八重歯がむき出しになっている。本当、男らしさが全然ない。


「ん? 何かあった?」


 変な顔をせず、馬鹿なガキだとも思わず、にっこりと微笑んで心配してくれる響花さん。優しい。本当に優しすぎる。


「悩み事があったら、お姉さんが話聞くよ?」


 ワタアメはパタパタとしっぽを振ってこちらを見ている。応援、してくれてんのかな。

 響花さんは俺の顔を覗き込んでくる。ち、近い。恥ずかしい。


「覚えてる? あたしの言葉」

「え、と……」

「重たい荷物はね、1人より2人で持つと軽くなるっていう言葉」


 それ、俺の好きな言葉。響花さんが俺に言ってくれた大切な言葉。


 俺の笑顔を太陽みたいって言ってくれた響花さん。

 俺がどれだけあなたの言葉に心踊らされ、喜んでいることか。


「……あ、あの」

「ん?」

「もし……、響花さんが、か、片思いしてて……それが叶わない恋だと知ってしまったとき……、響花さんは、ど、どう思いますか?」


 俺はなんて馬鹿なことを訊いているのかと思った。鏡に映る自分の姿が嫌で、下を向いた。それでも響花さんだったらどうするか、訊いてみたかった。


「うーん、そうだね。大事にするかな」

「え?」

「その人を好きだと思う自分の気持ち」


 響花さんワタアメを撫でながら話を続けた。


「この地球にはね、本当にたくさんの人が住んでいるの。そんな中男女が出会って、恋に落ちる。それって当たり前のことかもしれないけど、とても素敵なことだと私は思ってるんだよね」


 俺は俯いていた顔を上げ、響花さんの表情に見入った。


「その場所で、その時間……どの瞬間もぴったりとタイミングが合って人と人は出会い、巡り合う。少しのズレがあるとなかったかもしれない奇跡の出会い。私はそんなタイミングで出会った人たちとの出会いを本当に大切にしているんだ」

「奇跡の、出会い……」


 そう考えると、俺は相模原市の数ある学校の中で、あの学校に入学したからこそ侑に出会って、トーコに出会って、そしてfrappéで働く泉ちゃんに出会って、響花さんと出会った。


 そっか。これは全部、これまでの人生のタイミングが合っていたからこそ、出会うことができた奇跡なんだ。


「そう、人の出会いってそんな運命と偶然の巡り合わせなの。そんな中で誰かが誰かに恋に落ちるって、本当にロマンチックなお話じゃない? だからこそ誰かを好きになったこの気持ちは、大事にしたい。たとえ叶わない恋だったとしても、その人を好きになった気持ちに、嘘はないから」

「その人を好きになった気持ちに、嘘は、ない……」

「あはは、ごめんね。たくさん喋っちゃったよ」

「いえ、とても……とても参考になりました」


 やっぱり響花さんには、俺は色んなことを教えてもらっている。それは目先のことだけじゃない、この先の人生においてもすごく大事なことを勉強させてもらっているんだ。


 響花さん。俺は、あなたを想うこの気持ち、やっぱり大事にしていいってことなんですね。


「参考? へぇ~光稀くん。誰かに片思いしてるの?」

「へっ⁉︎ あ、いや、あのっ!」


 しまった。変なこと言ってしまった。


「もうそこまで言っちゃったんだからそのまま恋の相談にも乗るよ~。さぁ白状しなさい」

「えええっ、えと、それはダメなんです、あの、だめ!」

「いひひ。言わないとお姉さん襲っちゃうぞ~。ほらほら――きゃっ」

「響花さんっ、危な……っ!」


 俺に迫ってくる響花さんが何もない床に(つまづ)き、俺に向かって倒れ込んできた。俺は無心に響花さんの名前を叫んでおり、気付けば両手を伸ばして、それを迎える体制となる。


 そして響花さんが俺の体に被さると、俺はよろめいてしまってすぐ後ろの壁に背中をぶつけて尻もちをついた。


 一瞬であり必死な状況。響花さんをうまく受け止められたか不安な俺の思考は徐々に動き始める。


「あいててて……、み、光稀くん、ご、ごめ――」

「いえ、響花さんこそ、大丈夫で――」


 俺たちは2人で顔を見合わせ、動けなくなった。

 その顔の距離は、お互いの息がお互いの顔に当たるほど近付いていた。

 響花さんの長い睫がぱちぱちと上下に動いており、ぷるんとした唇がすぐ目の前にある。


 俺は壁を背にしゃがみ込んでおり、その上から覆い被さるように響花さんが壁に片手をついている。俺の片手は床についているが、もう片方の手は響花さんの細い腰に回されていた。


 ワタアメは心配そうにこちらを見ているが、高いテーブルから飛び降りることができずに、その場をぐるぐると回っている。


 さすがの状況に響花さんの頬が染まる。「あ……っ」と声を漏らし、恥ずかしそうに俺から目を背ける。

 瞬きすることを忘れた俺の瞳は、そんな響花さんから目を逸らせなくて、腰に回した手に自然と力が入る。

 俺より6歳も年上の女性が俺の上に覆い被さり、顔を赤らめ恥ずかしがる姿に、俺の心臓は飛び出しそうなほどに高鳴った。


「ご、ごめんね光稀くん……」

「あ、いえ……俺の方こそ、すみません……」


 響花さんはゆっくりと俺から離れていく。小さな声で謝ってきたから、なぜか俺も謝ってしまった。

 その場にぺたんと座り込む響花さん。エプロンをぎゅっと握りしめ、未だ顔をそっぽに向けている。


 俺はそんな響花さんを見つめながらさっきの状況を思い返すと、とんでもなく密着状態だったことを思い出した。

 俺は「あわっ⁉︎」と悲鳴を上げ、噴火したように顔が爆発する。「み、光稀くん⁉︎」と心配してくれる響花さんを他所に、俺は顔の穴という穴から煙を上げているのを自覚していた。


「お、俺っ、響花さんに何てことを!」

「違うよ、光稀くん! あたしがおっちょこちょいだったから!」


 やはりなぜか自分に責任を感じ、煙を噴き出しながら必死に土下座をする俺。

 そんな俺を慌ててなだめる響花さんと、相変わらずそこに参加できずにテーブルの上でぐるぐる回っているワタアメはそこで「わんっ」ひと声吠えた。


「ほんっとうにごめんね」


 俺に向かって両手を合わせ、詫びる響花さん。

 でも、さっきは本当にやばい状況だった。あれはま、まさに逆壁ドン。

 あああっ、思い出しただけでも全身が火照って、心臓がまじでやばい。


 あの後響花さんは気を取り直してワタアメの施術の続きを始めた。俺は心の涙を流しながら失態の反省をしていたが、響花さんも何やら落ち着きのないようにソワソワしているようにも見えた。

 引き続きワタアメのシャンプー、カットを行い、ブローまでとても手際よくしてくれた。すべて終わったワタアメはまるで本物の綿あめのようにふわっふわに仕上がり、俺は感動のあまりその体に顔を埋めてうりうりと顔を動かした。


「それで、お詫びと言ってはなんだけどね」

「いえそんな、お詫びだなんて」

「いいのいいの。あのねSoLがオープンしてもうすぐ一年経つんだけど、いつも来てくれる常連さんに向けて今後何かイベントをやりたいと思っているんだ」

「イベントですか。いいですね」

「でしょ? それで夏は夏らしくバーベキューでもしようと考えているんだけど、いきなりぶっつけ本番だと段取りとか分からないから、よかったら勉強も兼ねて一緒にやらない? バーベキュー」

「えっ⁉︎ い、いいんですか⁉︎」


 とても嬉しい響花さんからの提案。なんとバーベキューのお誘いだった。SoLの常連さん向けのプレイベントとはいえ、これは本当に嬉しい。


「費用はお店で持つから気にしないでね。良かったらこの前まつりで紹介してくれた光稀くんのお友達も呼んでおいで。えっと、侑くんに透子ちゃんだよね」

「は、はいっ。あいつらも絶対喜びます。ありがとうございます!」

「もちろん他にも誘いたい人がいたらぜひ誘って。あんまり増えるのは予算の関係もあるけど、あと2人くらいなら大丈夫だよ」

「じゃあ他の子にも声を掛けて、また連絡してもいいですか?」

「もちろんだよ」


 嬉しい。響花さんと会える時間がまた増えた。ああ、あそこで躓いてくれてありがとうございます。泉ちゃんとか来るかな。誘ってみよう。


「あれ?」


 俺は店の外に視線をやる。もうすっかり暗くなって街灯が街を照らす中、店の外の大通りに見たことのある2人の姿が歩いているのが見えた。


「あれは侑と……泉ちゃん?」

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