10 あなたがいるから輝いている(side.泉)
今日は春の日差しが眩しい、とてもいいお天気。私は窓から差し込む光の線で目を覚ますと「んーっ」と背伸びをする。こうすると頭がすっきりして気持ちがいいんです。
「お父さんお母さん、おはよう」と挨拶をすると、「あら泉、早いのね」と笑って返してくれました。私が起床する時間にお父さんは会社に行くため家を出ます。
お父さん、いってらっしゃい。今日も1日頑張ってね。
私はパートの準備をするお母さんに代わりに、いつものように家事を引き継ぎます。朝食の後片付け、家族全員の洗濯、家中の掃除などなど。私の朝は、とても忙しいのです。
私は瀧本 泉。今年17歳の女の子。大好きなお父さんとお母さんの間に生まれたひとり娘です。
私はとあるカフェでバイトしています。いわゆるカフェ店員というものです。
私が働いているカフェはfrappéといいます。相模原市の端の方にある都会のカフェも顔負けの、とっても素敵でお洒落なカフェ。私が大好きな居場所です。まだお若い店長さんはとってもいい方で、こんな中卒の私でも快く雇ってくださいました。もう感謝の気持ちでいっぱいです。
ひと通りの家事を終えた私はお店に出勤するための準備をします。顔を洗って化粧水をぱちぱち。お顔にクリームを塗ってお粉をとんとん。
アイシャドーは春らしくピンク色をチョイス。ちょっとラメとかのせてみたらいいことあるかな。
ビューラーで睫毛をぐぐーっと上げて、マスカラ下地を塗ります。これをしないと私の睫毛はすぐにへこたれてしまうんです。
乾かしている間にアイブロウで眉毛をかきかき。そして濃茶色のマスカラを睫毛に塗って、ピンクのリップを唇の上で滑らせて最後に唇を合わせます。このリップは透子さんに教えてもらったものです。見た目も可愛いのでとてもお気に入り。
何だか気分が良くなってきました。私は鼻歌を歌いながら、コテを使って髪の毛を巻きます。くるくる。今日はいつもより緩めにして、更にサイドに三つ編みを作ります。そしてその三つ編みを後ろでくるくるっとして。完成しました。
あ、今日は何だかメイクも髪型も良い感じ。
洋服に着替えなくちゃ。白いブラウスにスカートを履きます。今の流行はシャツインです。これでちょっとは足長効果ありますでしょうか。私は短足なので必死です。
茶色の小さなショルダーカバンを肩にかけ、春らしい白いパンプスを履いて、小さな声で「いってきます」と家の中に挨拶をして、さぁ私も出勤です。
frappéまでは歩いて通勤します。片道30分はかかるのですが、私はこのお散歩中の景色を見るのがとっても好きなんです。
今年の桜もとても綺麗でした。
あ、ここにはタンポポが咲いていますよ。
ちょうちょさんもひらひら飛んでいて綺麗です。
……ハッ、いけないいけない。いつものくせでまたぼんやり惚けてしまいました。過去に何回これで遅刻をしてしまったことか。
私が歩くこの道は、過去私が通っていた高校の通学路でもあります。私は高校を中退しました。でもこれは、私の精神的な弱さが原因です。
クラスの女子からいじめを受けるようになってしまった私は、学校に行くと机を隠され、時には花瓶に生けられた花を飾られ、下駄箱にゴミを詰め込まれ、ロッカーにはコンビニ弁当のゴミなどをひっくり返されてゴミだらけになっている日もありました。お母さんが作ってくれたお弁当が捨ててあったり、SNSではありもしない噂を拡散させられました。
だんだん保健室登校になっていった私でしたが、ついに学校に行くのもとても苦痛になっていきました。お父さんお母さんはすごく心配してくれて、『学校を辞めたい』と泣きながら相談した私の気持ちを否定することなく受け入れてくれました。
本当に私は親不孝ものです。
それから私は通信制の高校に通っています。ほとんど学校へ行く必要がないので、基本的にバイトをしながら卒業を目指して頑張っています。
あの高校を辞めてから1年経ちましたが、私はたくさんの人に恵まれて、立ち直ることができました。親孝行のために始めたfrappéでのバイトでは、優しい店長とスタッフの皆さんに恵まれて、失敗の多かった私を見捨てることなく今日まで働かせてくれました。本当に感謝しています。
お客様もとてもいい方が多く、こんな私に温かい声を掛けてくれます。時間は最大のお薬だといいますが本当にその通りで、当時私をいじめていた元クラスメイトもお店によく来てくれますが、きちんと謝罪をしてくれて、今では仲良く話しをしています。最初はドキドキしていたけど、たまにLINEでやりとりして遊びにいくこともあるくらいです。
私はfrappéに出会ったことで、クヨクヨしてちゃいけない、こんなにみんなが温かく接してくれるのにへこんでちゃいけない、過去を振り返らずに前を向いて生きようと、少しだけ強くなれた気がするのです。
そんな中、私のことをとても良くしてくれる3人のお客様がいます。侑さん、光稀さん、そして透子さんの3人の先輩たちです。
皆様は、私がfrappéに入ってすぐにお客様として通ってくれるようになりました。
私に対してとても優しく話しかけてくれる光稀さん。
おんなじ女の子の先輩として後輩の私にいろんなことを教えてくれる透子さん。
そして……、すごく素敵な、侑さん。
侑さんは第一印象からとてもクールな方だと思っていましたが、それは今でも変わっていません。背も高くて、バスケ部のエースで、そして何と言っても本当に整った顔立ちをされています。こんなに素敵な人とお近づきになれただけでも私は本当に幸せ者。
でも、侑さんは本当に人気のある方だと思いました。お店に来る高校生の女の子たちが口を揃えて『侑くんかっこいいよね!』と言っているのをよく耳にします。私はその言葉を聞くたびにしょんぼりしちゃいます。
だって、競争率が激しすぎるし、私なんかが他の方に敵うわけがないんですから。それにここまで人気のある侑さんが、こんな私の事なんて相手してくれるはずもないんです。とほほ。
でも、あの時の侑さん、本当にかっこよかった。
私を引っ張って助けてくれた温かい手と、守ってくれた大きな体。侑さんはとってもクールに見えますけど、実はとってもとっても温かくて優しい人なんです。絶対そうなんです。
私はそんなあなたを、好きになったんです。
侑さん、どんな女の子がタイプなのかな。私、透子さんから鬼のような特訓を受けて、ある程度のメイクはできるようになったんです。髪だって自分でセットできるようになってきたんですよ。
いつ侑さんが来てもいいように、いつでも、ほんの少しの時間でも、私のことを見てほしいから、1日だって手を抜いたことはないんですからね。
何を考えてるんだろう私、恥ずかしい。
今日もfrappéは通常営業。明るく元気に頑張ります。
・・・
「もうこんな時間かぁ」
時計を見ると、もう17時を回っていました。今日は平日に関わらず回転が早くて、時間が過ぎるのがあっという間。私の勤務が終わるまであと1時間もありません。
「えへへ……、今日もダメだったか」
今朝うまくお化粧ができたから、なんだかいい事ありそうって思ったけど今日もハズレの日だったみたい。
しょうがないです。もうこの寂しさには慣れていますし、お財布事情もあるので、そんな毎日3人で来てくれるわけないのです。
シャイな侑さんは絶対にひとりでは来ないので、光稀さんか透子さんが引っ張ってきてくれないとお店に来ないことも把握しています。
でもまだあと1時間。きっと望みはあります。このテーブルを綺麗に片付けしたらもしかしたらとってもいいことがあるかもしれません。
「あ、ひとりなんだけど、席空いてる?」
「いらっしゃいませ。おひとり様ですね。どうぞこちらに……」
私は目ん玉をひん剥いて声を上げました。
「ふにゃあああああああっ‼」
ゆ、夢でしょうか⁉
あああ、ま、幻なんかじゃないですよね⁉
だってそこには、私がずっと会いたかった侑さんが立っているのですから!
「泉ちゃん?」
ああああ、侑さんっ⁉︎
おひとり? どうして?
うう、すごく嬉しい。
私はトレイで顔を隠しながら侑さんを見つめました。ああっ、目が離せない。かっこよすぎます。今日やっぱりいいことあったよぉ。神様、ありがとうございます。
「あの〜……、泉ちゃん?」
「はっ。はい、ただいま! お、お席まで! お席はこ、こちらのっ!」
私緊張しすぎて変な動きになってしまいました。まるでロボットがカクカク歩いているみたいです。
ハッ、しかも右手と右足同時に出ていました。私の馬鹿馬鹿!
「大丈夫?」
「だ、だいじょ……ふあああああっ‼︎」
侑さんの顔が、私の顔を覗き込んで、息がっ、当たる、近い、うあぁっ、し、心臓が止まってしまいます!
「こ、こちらへ……どど、どうぞ……っ」
「あ、ありがとう」
私は何とか自分を抑え込み、接客をしようと試みます。抑え込むのに、本当に必死です。
私は制服姿の侑さんをお店のカウンターへ案内しました。ドリンクを作るカウンターの目の前に座る事ができて、座り心地の良い椅子に、ひとつひとつの席を照らす照明が天井から垂れているおひとり様用の特等席です。
「い……、いつもの……にしますか?」
私はカウンターの中でもじもじしながら侑さんに尋ねました。侑さんがいつも頼むもの……いちごシェイクか、ふわふわ苺ラテ、あとはいちごたっぷりフレンチトーストなどなど。
ともかく大のいちご好きの侑さんは、いちごのメニューに目がないです。その中でも割といちごシェイクを頼んでくれるイメージがあります。
「いや。今日はレモンティーにしようかな」
レモンティー?
うちのレモンティーは大変人気ですが、いつもレモンティーを頼むのは透子さんのイメージがあります。侑さん、いったいどうしちゃったんでしょうか。
私はオーダー票にレモンティーと書いて、キッチンへ持って行きました。キッチンを隠すカーテンからチラリと侑さんを見てみるのですが、何て言えばいいんだろう。元気がないように見えます。
「お待たせしました」
「ありがと」
私はレモンティーを侑さんの目の前まで運びます。カウンター越しに、カップやお湯と茶っ葉の入った透明なガラス製のポットを並べながら、チラッとまた顔色を伺いましたが、やっぱりいつものクールさとは違う雰囲気を感じます。今日侑さんに会えてとってもとっても嬉しいのですが、今日の侑さんはとってもとっても心配です。しかも、いつもは絶対に3人で来るのに今日はおひとりだなんて。
「いえ。今日は来てくれてありがとうございます。私はもうすぐ上がりなんですけど、ゆっくりして行ってくださいね」
「え、泉ちゃん上がり?」
私なんかが侑さんのひとりの時間を邪魔してはいけないと、そっと声を掛けたつもりでしたが、侑さんはまるで飼い猫のようにこっちを見ています。
あう、そんなに見ないでください、恥ずかしい。
「もし時間大丈夫ならさ、これレモンティー、一緒に飲まない? ひとりだと飲み切れないかも」
「へっ⁉︎」
「あ、忙しいなら無理しなくていいよ」
「あっ、違うんです! あの、そのっ!」
まさか侑さんからお茶に誘ってもらえるなんて思っていなくて。泉、感激です。
「う、嬉しいです。こんな私でよければ……喜んで……」
「よかった。じゃあ、待ってる」
侑さんだめです。そんな笑顔見せちゃ。
私、もっともっとあなたのこと、好きになってしまいます。
それから私はバイトが終わるまでのちょっとの時間、全く集中できませんでした。オーダーを違うテーブルに持って行っちゃったりと久しぶりにイージーミスをやらかしちゃいました。
うう、侑さんが来ているのに、こんな姿を見せちゃうなんて。もう本当私、好きな人の前だとだめだめだなぁ。
「…………っ」
バイトを終えた私は、更衣室で着替えを済ませて侑さんの近くに立って俯きながらもじもじしています。ブラウスもっと可愛いのあったのに何でこれにしちゃったんだろう。スカートももっと良い色あったのに。靴だって。
「ど、どうしたの、泉ちゃん」
「いっ、いえ!」
「良かったらお隣どうぞ」
「ああああっ、はいっ!」
侑さんの隣にちょこんと座る私。あぁ、侑さんの隣に並ぶ日が来るなんて。私は何という幸せ者でしょうか。恥ずかしすぎて顔が見れない。心臓がトクトク鳴っています。
私が持って来た小さなカップに、侑さんがレモンティーを注いでくれています。何だか慣れてないというか、ぎこちないというか。いつも完璧で、みんなからモテモテの侑さんのそんな姿が見れるなんて。
「はい。淹れ方とかある? こんなんでよかった?」
「はい大丈夫です。ありがとうございますっ。いただきます」
ん~、やっぱりここのレモンティーは本当においしいです。
「レモンティー、初めて飲んだけどおいしいね」
「ほ、本当ですか? うちのレモンティーは、お店の看板メニューのようなものですからね。本当に人気なんですよ」
「…………」
「…………」
む、無言の時間。私が話を止めてしまいました。何か侑さんでも分かるようなお話にしなくちゃ。
あ、侑さんって何が好きなんだろう。大のいちご好きということしか知らないです。あわあわ。
「泉ちゃんって、通信行ってるんだったよね? そっちの方はどう?」
「あっ、あの、はい通っています。学校に行くことはほとんどないんですけど、今のところテストも順調で」
侑さんはこんな私に話題を振ってくれました。本当に優しいです。ただ、やっぱり元気がないのは、気になります。
「侑さん、その……」
「ん?」
「今日は、どうしてレモンティーなんですか?」
「うーん……何て言えばいいかな。甘いのに、ちょっと飽きちゃってさ」
「えっ、飽きちゃったんですか?」
「嘘。飽きてはないんだけど、なんだかちょっと今、酸っぱい気持ちだから。レモンで更に上乗せしてやろうって思って。半分やけくそ」
「も、もっと酸っぱい気持ちになろうって思ったんですか?」
「そう」
どういうことなんでしょうか。酸っぱい気持ち? たしかにレモンはいちごよりも酸っぱいですが。
「泉ちゃんはさ、誰か尊敬する人とか目標としてる人いる?」
「えと、そうですね。お父さんとお母さんでしょうか。私迷惑ばかり掛けてきたのに、何も言わずに支えてくれる……。私も、そんな大人になりたいと心から思っています」
「そっか。泉ちゃんらしい」
「あ、ありがとうございます」
侑さんに褒めてもらえた。すごく嬉しい。
私は緊張を誤魔化すために、カップに口をつけました。
「ち、ちなみに」
「ん?」
「ちなみに侑さんは、いるんですか? その……、尊敬する人とか」
「俺? いるよ」
私は、その時の頭さんの表情から目が離せませんでした。
「光稀」
やんわりとした笑顔から溢れる光稀さんの名を呼ぶ侑さん。でも、どこか寂しげのあるその瞳。
私はそんな侑さんから、どことなく艶っぽい雰囲気を感じてしまい、高鳴る心臓をグッと片手で握り締めました。
「あいつはさ、俺なんかより良いところすっげーいっぱい持ってんの。俺の周りで光稀を嫌う奴なんかいないんだよね。泉ちゃんも知ってると思うんだけどさ、光稀って、眩しい奴なんだよ。俺なんかより何倍も輝いて見える」
侑さん。光稀さんのこと、すごく自慢なんだ。
「友達思いでまっすぐっつーか。昔から曲がったことは嫌いなんだよな。あいつはさ、どんな人にも『ありがとう』と『ごめん』がホント綺麗に言えるんだよね」
光稀さんを思う気持ちが、私にもちゃんと伝わる。光稀さんと一緒にいられて、とても幸せなんですね。
でも……でも、ごめんなさい。私今から、とても図々しいこと言います。
「あ、侑さん……。たしかに光稀さんは、すごく素敵な方だと思います」
「泉ちゃん?」
「でも、光稀さんには光稀さんのいいところが……、侑さんには侑さんのいいところがあります。私はずっと仲良くしているお二人がすごく羨ましく思う時もあるくらい、本当にいい関係だと思うんです」
「…………」
「光稀さんと自分を比べて落ち込まないでください。光稀さんの足りないところを侑さんが補って、侑さんの足りないところを光稀さんが補って……、そうやってお互いの足りないところを補いながら、バランスの良い素敵な関係を保っているのは、光稀さんと侑さんのお二人だからできることなんだと私は思います。光稀さんが輝いているのは、侑さんが傍にいるからではないでしょうか」
「……そっか」
ハッ! し、しまった!
調子に乗って言いすぎてしまいました!
あぁ終わった。私の勝手な片思いが終わってしまいました。でも一緒に並んでレモンティー飲めたし……我が人生悔いなし。
「そっか。ありがと、泉ちゃん」
「あっ、い、いえ。すみません。私ってば、すごく失礼なことを」
「ううん。ちょっと元気になった」
「よ、よかったです」
そう言って頂けて、安心しました。嫌われる覚悟は出来ていたからホッとしました。
あ、元気になった、ってことはやっぱり元気なかったんですね。
「泉ちゃん、あのさ」
「?」
「LINE、交換しない?」
「へっ?」
神様、今日は何という日でしょうか。
私、幸せすぎて息が止まりそうです。