アルル・リリヤ Ⅷ
更新が遅くなってすみません。
今年も少しずつでも進めていけたらなと思います。
よろしくお願いします。
それから大事をとって幾日か日を見てから、聖女様の体調が安定したのを確認してアルル・リリヤを経つことになった。
聖女様とはあれから一族の話をすることはなかった。一度オーウェンがなにかを言ってこようとしたけど、拒否するように話題を避ければオーウェンもそれ以上は踏み込めないと悟ったのか、引き下がってくれた。あの話はなかったことのようにいつもどおりに接する私、それが私の出した答えだった。
聖女様もなにか思うところがあったのだろう、あっちから時折じっと視線を向けられることはあるけど、その視線を頑なに避ければ蒸し返してくることもなかった。
自分から問い詰めておいてなんだけど、知りたいことは大方知れたし、もうこの話は終わった。またこの話をされたら私は今度こそ、あのソフィア・ランドルフのように聖女様に冷たく当たってしまうだろう。だから、これ以上は触れないでいてくれる聖女様にどこか助かった気持ちでホッとしてもいた。
出発前夜、私はオズワルドに呼び出されて夜の庭園にいた。
「とうとう明日出発だな」
四阿に佇んでいた彼は、私の姿を見つけると薄く微笑んだ。
「あなたに会えてよかった。俺は自分が何者なのか、ずっと一人で考えていたから」
「いえ……結局あまりお力になれず」
「いいや、そんなことはないよ」
オズワルドに促されて隣に座る。
「それに黒の一族に会えて嬉しそうなリンランディア様も見れてよかった。それもあなたのお陰だ」
オズワルドは手に握っていたものを差し出してきた。
「これは俺専用の魔術鳩だ。もしも助けが必要なときは遠慮なく言うといい。それと、一つ提案なんだが」
わずかなランプの灯りに照らされたオズワルドが、表情を強張らせた。
「聖女様の浄化の旅が終わったら……共に仇を探す旅に出ないか」
「仇……ですか」
「ああ」
オズワルドが俯くと、豊かな睫毛の影が頬を陰気に彩る。
「俺はなぜ両親が殺されなければならなかったのか知りたいんだ。両親を殺した奴が最後に俺になにを囁いたのか……俺は両親のためにも知らなければならないと思っている」
正直、私はオズワルドよりも自分のルーツや両親についての興味が薄かった。
知れば知るほど知らないほうがよかったとしか思えないことも相まって、黒の一族とか両親の死とか、今はこれ以上考えなくてもいいかなという境地でいた。
「あなたと俺の境遇はかなり似ている。これは根拠のない勘だが、あなたの両親に手を下した奴と俺の両親に手を下した奴は同一人物じゃないかと、俺はそう思っている」
それは私も考えてみた可能性、だけど。
「旅が終わってからでいい。一度考えてみてくれ」
頷くだけに留めて、オズワルドの魔術鳩を受け取る。
そのとき、後方の生垣から物音がした。
「誰だ」
すぐにオズワルドは振り返って、硬い声でそう言った。
ややあって、生垣の後ろからぞろぞろと人が姿を現す。その姿にオズワルドはびっくりしたように目を丸くした。
バレてしまったかとぞくぞくと出てくる人影に、思わず呆れの声が出ていた。
「揃いも揃ってここでなにしてるんですか、オーウェン?」
ルナにオーウェン、ライルにブリジットさんが並んだ。
「なにって……ソフィ、それはちょっと夜の散歩をだね、」
「夜の散歩って、ルナが体を冷やしたらどうするんですか」
「いや、そこは彼が万全を期すからと……」
よりにもよってライルも共犯者とは。ブリジットさんがライルを指差しながら気まずそうに目を逸らす。その視線の先のライルに呆れた目を投げかけるも、彼は肩を竦め返しただけだった。
「……そうですか。それならほどほどに楽しんでください。私たちはこれで」
「あ、えーと、ほら、せっかくだからみんなで回らない? ここ見た目だけは立派だし、景色くらいしか堪能するものないし、最後の夜くらいいいじゃない」
「オーウェン、オズワルドに聞こえてますよ」
どこか目の泳ぐオーウェンを訝しげに見るも、彼は一緒に見ようと譲らなかった。
「オズワルドくんも一緒にどう? 一緒に異文化交流しよう!」
「異文化交流、って」
明日出発の今さら感ある発言に呆れていると、オズワルドは「俺は構わない」と首を振ってくれた。
「オズワルドくんもこう言ってるし、たまにはみんなで息抜きしよ。ね、いいでしょ?」
やけに食い下がるオーウェンに押し負け、渋々と頷きを返した。
夜の庭園の中をゆっくりと進む聖女様とオーウェンを見守りながら、私はその後ろをついて歩いていた。あちこちに建っている街灯型のランプに魔術で火をつけながら、聖女様たちの行く先を照らしている。隣を歩くライルは聖女様が体を冷やさないように構築文を絶えないように維持していて、そのせいか私たちの間にはしばらく会話はなかった。
「その、すまなかった」
やがて疲れたのか、聖女様とオーウェンは庭園の噴水前のベンチに腰掛けたので、私たちは少し離れたところで見守るように足を止めた。そのタイミングでライルが謝ってきた。
「……?」
「この間、君の言い分も聞かずにルナを優先させた」
「ああ……」
今となっては終わったことだ。「気にしないで」と話を終わらせようとして、ライルに食い下がられた。
「なにがあったのか、聞かせてくれないか」
「…………うーん……そうだね、また今度でも…………」
「……」
何度も言うが、今はもうこれ以上この話をしたくなかった。過去になにがあったって今の自分は聖女の護衛で、私はただ彼女を守るだけだ。それで話は終わったのだ。
ライルの視線が聖女様たちのうしろでブリジットさんとぽつぽつ言葉を交わしているオズワルドへと向けられる。
「彼は知っているのか」
「……。うん」
むしろ自分たち黒の一族のルーツを知りたがっているのは彼のほうだ。彼に伝えるのは当然だろう。
「そうか……」
振り向いて仰いだライルの瞳が珍しく暗く沈んでいたものだから、思わずじっと見上げてしまう。
灯りに淡く薄まった夜闇に、その美貌は浮かぶ。いくら見慣れているとはいえ、翳りを添えた眼差しが瞬きと共に沈む光景は、惹きつけられて離さない独特の愁いを放っていた。
「君を知る機会を、ふいにしてしまった」
「……」
「自業自得だな。なにせ今の私には君とゆっくり向き合う時間さえとれない」
なんとなく、その先のライルの言葉を聞きたいような、聞きたくないような変な心境だった。
「もしもこの任務についていなければ、私はもっと君のことを知ることができていただろうか」
もしもこの任務についていなければ。私たちは選ばれることもなく、ブライドンの研究機関でルイと一緒にあくせく働いて、ノア先輩やクロエ先輩たちと次の旅行先について計画を立てている。そんな未来を辿ることができていたのだろうか。
「そんな言っても意味のないことを言ったところでどうしようもないとわかってはいるけれど。でも……私はただ、いつだって君のことを理解したいと思っていることには違いないんだ」
もしもこの任務についていなければ。私は仲睦まじく帰還するオーウェンと聖女様を、遠くからルイとライルと一緒に眺めながら笑顔で祝福していただろうか。
「出会ったそのときからずっとその背を追いかけて憧れて、でも君のことを知りたいと足掻いて足掻いて近づけば近づくほど――君は遠くなる」
夜闇に浮かぶ灯りに、伏せられた長い睫毛が淡く光る。
「今はどう伝えても伝わらないだろう。それでも私が君に近づきたいと思っていることは事実だ。君のことをすべて、ほかの誰よりももっと、どんなことだって知りたい。理解りたい。私はそれほどまでに君のことばかり考えているのだから」
「それは……」
それ以上言葉が出てこなかった。ライルが今まで私のことを気にかけてくれていたのは、仲のいい友人だと思ってくれているからに違いなかった。
――だけどその言葉はまるで、愛の呪詛を込めた告白のようにも聞こえた。
戸惑っている私を、ライルはなおも見つめてくる。
闇を孕んだ夜の空気。ふっと途切れた言葉のあと。静かな夜の空気は冷たくも感じる。
「……ごめん、今は放っておいてほしいんだ」
ライルはそれでも視線を外さなかった。
「正直に言うと、今はライルの言うこと、どうしても心からは信じられない。理由があるんだ。この旅が無事に終わるまでは、どうしても……。だから今は私を揺さぶらないでほしい」
ライルの言うことを純粋に信じられたのなら。でも今の私じゃ、すべてのことをこの旅の物語へと繋げてしまう。信じたいと思うのに、信じてはダメだと思う自分もいる。
ライルはそれ以上なにも返してこなかった。ただそっと私を見守り続けている。
それ以上この話を続けたくなくて、敢えてその視線から外して応えなかった。オーウェンと隣同士ベンチに座って話している聖女様の様子をぼんやりと見つめる。
聖女様は思い詰めた様子でオーウェンになにかを話していた。それから聖女様はオーウェンに項垂れて――オーウェンはその肩を慰めるようにそっと撫でた。
二人の後ろ姿を見守りながら、ふと思いつくままに構築文を練り上げ、噴水の水に浮かべる。
湧き上がる噴水から水で象られた兎が数匹飛び出し、水面を駆ける。枝が伸び、花が咲き誇り、そこから小鳥が飛び出してはパシャリと崩れていく。
ライルが追いかけるように追加の構築文を飛ばす。
水の精が水面をダンスし、跳ね上がっては小気味にリズムを刻む。魚がその周りを跳び上がり、小さい虹を彩らせる。
聖女様は驚いたようにこっちを振り向いた。聖女様があまりにも情けない顔をしていたので、それに思わず――笑ってみせる。聖女様は私の笑顔を見て、泣きそうな顔で笑い返してきた。
辺りは暖かい風が聖女様を守るように舞っていた。ルイが作ってくれた、あの繊細なそよ風を思い出す。今はここにいない友人を思い、視線を伏せる。ライルは随分とルイの構築文を再現するのが上手くなった。
噴水を眺めている二人を守護するように、暖かなそよ風は止むことなく辺りを守っている。
「ねぇ……ライル。私たちって本当、護衛に選ばれてなければ今ごろなにをしてただろうね」
この護衛に選ばれなければ、こんなにたくさんの醜い感情、知らなくて済んだ。
自分のルーツも、覚えていない両親の死も、なにも考えも知りもせずに生きていけた。
「もしもあのままブライドンにいられたのなら、今もただ魔術とだけ向き合えていたら……」
オーウェンなんか、私の知らないところで勝手に聖女様と結ばれていたらよかったんだ。
全部全部、私の知らないところで勝手に終わってくれていたらよかったのに。
「……なんて、言っても意味のないことを言ったって仕方ないね」
そう言って笑った私を、ライルはただ見つめていた。




