アルル・リリヤ Ⅶ
すみません、改稿しています。
――あの日はちょうど夜更け過ぎ、俺が勤務明けのときだった。街外れの家が燃えてるってんで、俺は帰路についていた足を急遽プリムローズ邸に向けなければならなくなった。同じく非番だった奴らや知らせを受けて駆けつけてきたランドルフ隊長も出てきて、当時としてはかなり大規模な事件だった。
プリムローズ邸に着いたときには、俺は目を疑ったね。プリムローズ邸はそこまで大きな家ではなかったが、二階建ての庭付きのそこそこ裕福な家庭の家で、その立派な建物が今考えると異常なほどの勢いで業火に呑み尽くされ、燃え盛っていた。
とてもじゃないが誰も近づけるような状態じゃなかった。俺たちはただなけなしの水をかけながら、その火が収まるのを待つしかなかった。
火は一晩中燃え続けた。幸い街外れで隣に民家もなく、火はほかに燃え移ることもなかった。朝日が昇るころまで、俺たちは為す術もなくただ手をこまねいてその光景を見守っていた。ただ、そのころになると、あれだけ燃え盛っていた業火は急に嘘のように引いていき、やがて舐めるように吹き出していた火はひっそりと姿を消して、辺りは急にシンとした静けさに飲み込まれた。
そんな中、ランドルフ隊長が中を確認しに行くと言い出したんだ。どうも子どもの泣き声がすると。んなバカなって、俺たちはみんな必死に思い留まるように説得した。まだ熾火が残っているかもしれないし、レンガ造りの建物の中はどうなっているのかよく見えない。隊長が踏み込んだタイミングで建物が崩壊したら? そもそも、なにを燃やしたらあんなに燃え上がるのか不思議なほどに火は激しかったというのに、生きている子どもが中に残っているはずもない。
でもそう必死に説得する俺たちを置いて、隊長は焼け跡の家の中へと踏み込んでしまった。俺たちは気が気じゃなかったさ。これでもしもランドルフ隊長になにかあったら、止めきれなかった俺たちは全員、夫人に申し訳が立たない。
隊長はなかなか出てこなかった。なにをしているのかやきもきしていた同僚が、俺たちも中に入ろう、そう言い出したとき、やっとランドルフ隊長が戻ってきた。
その腕の中を見て、俺は正直……ぞっとした。ランドルフ隊長の腕の中には、幼い女の子が泣き疲れた様子で眠っていた。
誰一人動こうとしない俺たちに、ランドルフ隊長は言った。
『おそらく魔術の才があるのだろう。ご両親は助けられなかったが、彼女だけでも……』
隊長はそうして、一人きりになってしまった幼い女の子を引き取ることを決意したんだ。
セヴランさんはそこまで言って、口を閉じた。
「これが俺が見た当時の様子だ」
セヴランさんの話は、自分にとってまるで他人事のようだった。聞いたからといって、残りの記憶が蘇ってくるわけでもない。
「また聞きたきゃいつでも話すよ」
あくまでもセヴランさんの口調はいつもどおりだ。
唇を噛み締める。
――おそらくセヴランさんが疑っているとおり、プリムローズ邸を焼き尽くしたのは私の魔術の炎によるものなんだろう。
私が得意な、火の魔術。他人に恐怖を与えるほど強い才、……でもだったら、記憶に残るあの白い手は?
私に伸ばされた、あの白い手。……あのときたしかに私はその手を見て、そしてその手は私の首を掴んだ。
記憶違いかもしれない。それは、そうかもしれないけど。今まで無意識に封印していた記憶。全部思い出せたわけじゃない。
それでも、あの首を締められる感触。伸ばされた大きな白い手。躊躇いもなくぶつけられた悪意。
それら全部が、果たして私の思い違いだろうか?
思わず両手を首にかけた私を、セヴランさんは相変わらず観察するように眺めている。
「ソフィ?」
「あのとき、たしかに居たんです……」
あえぐように言った私に、セヴランさんが手を伸ばしてくる。
「大きな大きな、骨ばった白い両手でした。たしかに私を殺そうと、この首に伸ばされてきたんです」
「ソフィ、わかったから一旦落ち着こうか」
セヴランさんのごつごつした手が背中に触れ、なだめるように擦られた。
「セヴラン」
響いた声に顔を上げる。振り返った先にライルがいて、セヴランさんは顔を顰めた。
「なーんだ、結局おまえさんたちも来たのか」
ライルが視線を遣る。その先には蒼白な顔の聖女様と、オーウェンとブリジットさん。
「ああ、まぁ……ルナがな」
「はぁ……そうですか。おまえさんたちもご苦労なこった」
ライルはじろりとセヴランさんを眺めた。
「それでセヴランは今なにをしていた。誰もいないのをいいことにソフィの背中なんか撫で回して」
「あのねぇ! 見てわかるでしょ。慰めてたんだよ!」
「慰め? セヴランがか」
「みんな揃いも揃って俺のことなんだと思ってるの?」
「そうだな……いや、今はそんなことどうでもいい。そこを代わってくれ」
「はぁ?」
見下ろすライルの表情は硬かった。
「なんだって?」
「代われと言ったんだ」
セヴランさんはライルと私を交互に見ていたけど、やがて頭をかきながら渋々立ち上がった。
「言っとくけどすぐあっちに戻れよ。俺たちはまだ休憩中なんだからな」
「わかってる。ちょっと話すだけだ」
ライルはセヴランさんがいたところに座り込んだ。
ライルは少し躊躇っていたが、すぐに切り込んできた。
「なにがあったか知らないが、ルナが君をひどく傷つけてしまったんじゃないかって……思い詰めている」
握り締められている拳には、いつもと違って必死さを表すように力が込められている。
「ソフィ、君をないがしろにするわけじゃない。でも今はとりあえずルナの話を聞いてやってくれないか」
目を見開くと、さらに握る力が込められた。
「浄化の後ということもあって、ルナも不安定だ。あまりルナを追い詰めるとまた体調を崩してしまう。私でよければそのあといくらでも君の話は聞く。だから……」
真っ直ぐに向けられてくるアイスブルーの瞳。
それを振り切るようにして、私は立ち上がる。
「ルナ」
聖女様は今にも倒れそうに、オーウェンに掴まっていた。
「ソフィ、さっきは……本当にごめん」
聖女様の目は涙を零しそうに潤んでいる。
「わざと黙っていたわけじゃないの」
綺麗なライラック色の瞳が頼りげに揺れるその様はあまりにも儚げで女の子らしくて、地味でボロボロな私と全然違って本当に綺麗だと思った。
「この世界に来て……ソフィと初めて会ったとき、もしかしたら私はソフィに疎まれるかもしれないって思ってた。でもソフィは親切にしてくれて、仲良くしてくれて、どんなときでも私を守ってくれて……ソフィと仲良くなれて本当に嬉しかったよ」
それは……ただ、そうしなければ物語の強制力が働くかもしれないって思っていただけだ。
「でもそれはソフィが白の一族の青年のことを知らなかっただけだったから……だから、なおさら知られるのが怖かったの。知られたら今度こそソフィに疎まれるんじゃないかって思ったら、どうしても言えなくて……」
「ううん、ルナ、私のほうこそごめんなさい」
作った笑顔はいくらでも出てくる。だって私のこの旅はずっとそうだったから。
「さっきは言いすぎました。顔も知らない先祖のことなのに、ちょっと過敏に反応しすぎましたね。それに今だって別に落ち込んでいたとかいうわけじゃないですよ。休憩時間だし、きれいな庭園なのでちょっとお花見していただけです」
「ソフィ……」
「ルナもゆっくり見ていくといいですよ。いい香りと素敵なお花に囲まれたら、少し気分もよくなるかも。あまり無理はしすぎないでくださいね。また午後の任務時間になったら顔を出します」
「ソフィ、それにもっとちゃんと聞いてほしいことがあるの。白の一族の青年は、彼らは……!」
「もういいです!」
顔を背け拒絶した私に、聖女様が息を呑んだ。
「……もう充分わかりましたから。これ以上この話はなしにしましょう。正直、もうお腹いっぱいで……」
そのまま足早に立ち去ろうとして、ライルに引き留められる。
「ソフィ、」
ライルの顔は見れなかった。
「私のことは気にしなくていいよ。もう話は終わったから」
「ソフィ……」
別になんだって平気だ。
知らない自分の祖先のルーツも。覚えていない両親の死に様も。他人事のような死の恐怖も。そういう事実があったのかと確認したかっただけで、知ったからといって今さらどうにかなるわけでもない。
終わったことは、終わったことだ。事実を確認したところで、私のすべきことは変わらない。
この旅を無事に終わらせる。ただそれだけだった。




