アルル・リリヤ Ⅵ
寝込む聖女様の看病をして早一週間。いつもよりも回復の遅い聖女様にヒヤヒヤしたけど、皆の献身的な看病のおかげもあってか幸いにも彼女の体調も良いほうへと向かってきた。
今日は聖女様の顔色もいい。ベッドから起き上がって談笑できるくらいには体調は戻っている。
その日の昼過ぎ、交代で休憩のため部屋から出ると、偶然少し行った廊下の先でリンリールさんと出会った。
「ソフィ、お疲れ」
気安く話しかけてくるリンリールさんは、しかし今日は随分と顔色が悪く体調が悪そうだ。
聖女様といい目の前のこの人といい、儚げな見た目のとおり体は強くないらしい。
「ここでの浄化ももう終わったね。順調そうでよかったよ」
今日も降ろされているローブのフード。そこから覗く白く華奢な首に目を遣る。痛々しいほどに広がる火傷の跡はこの間目撃したとおりだ。
「そういえば、聖女様から黒の一族と白の一族について聞いた?」
「ええ。私たちの先祖は元は聖女様の世界にいたってことは伺いました」
リンリールさんは緩くヴェーブを描く白髪を揺らして頷いた。
「酷いよね。黒の一族を駆逐するなんてさ」
「でもそれは黒の一族が戦争を止めなかったからですよね」
リンリールさんはしばらく私の顔を見つめていた。
「……もしかして全部聞いてないの?」
「なにがですか?」
リンリールさんの顔がいやに無表情に見える。
「戦争を止めたがらなかったのは、白の一族の青年も一緒だったんだよ。白の一族では異端だった彼は黒の一族を駆逐することに愉悦を見出して止められず、そのまま戦争を続けるために、己の行為を邪魔されないように、好戦的な黒の一族を道連れにしてこの世界に足を踏み入れたんだ」
聖女様の説明とは違う内容に、疑問でいっぱいになる。
「この世界で圧倒的な力を奮う白の一族の青年に駆逐され、力及ばず逃げ惑うしかない黒の一族たちの絶望がいかほどのものだったか。その一族の末裔である彼女と君が一緒にいるなんて……」
リンリールさんはそこまで言うと、私の目を覗き込んできた。
「嘘だと思うなら聖女様に確かめてみてよ」
言い捨てるだけ言い捨てておいて、リンリールさんはにっと笑うと背を向けて去っていってしまった。
休憩のために出ていった私が再び戻ってきたことに、部屋の外にいたライルが訝しそうに話しかけてこようとした。そのライルを制して中に入ると、聖女様とブリジットさん、そしてオーウェンは目を丸くした。
「どうしたソフィ。なにか忘れ物か?」
「聖女様に一つ尋ねたいことがあるのを、思い出しまして」
聖女様。その言葉に起き上がっていたルナは顔を硬くした。
「聖女様、この世界にいた白の一族の青年についてはご存知ですか」
何気なく響いた私の声に、頼りない淡いライラック色の瞳が揺れた。まるで私がいじめているみたいだ。
「どうしてそれを……」
「エルオーラ手記集に載っていました。彼は複数の時代に跨って目撃されており、いずれも黒の一族を追う様子が描かれていました」
聖女様の顔面が蒼白になる。ブリジットさんの顔に心配そうな色が宿った。その目には止めないかとありありと書いてある。オーウェンは戸惑った顔で私を見つめていた。
「そう……そうなんだ」
「彼も戦争を望んでいたって本当ですか。黒の一族を屠るのを楽しんでたって。そのために、自分の愉悦を満たし続けるために黒の一族を道連れにこの世界に来たって。聖女様は……その一族の末裔だって」
私を宥めようとしたブリジットさんに首を振りながら、聖女様は重い口を開く。
「本当は……いつかはソフィには伝えないといけないことだから」
聖女様は縋るような目を私に向けてきた。
「うん、そうだよ……白の一族の青年も争いの継続を望んでいたことは、本当のことだよ。そして私が彼の一族の末裔であることも……」
そこで聖女様が言葉を切る。いやな沈黙が覆った中、私は無情な冷笑を浮かべることを止められなかった。
「それは……知ってて敢えて、この間説明しなかったんですね」
「ソフィ、あの……それはね、でも最後まで聞いてほしいの……!」
聖女様は敢えてその存在を私たち黒の一族に隠した。私とオズワルド。そしてライルと……オーウェンに。
さも私たち黒の一族だけが悪いかのように説明した。それをずるいと思ってしまった。
「ソフィ……!」
背を向けて部屋を出ようとして、聖女様に呼び止められた。立ち止まった私に、オーウェンが追うように畳み掛けてくる。
「ソフィ、ちょっと待ってよ……!」
「……お話ありがとうございました。また任務の時間になったら戻ってきます」
なおも呼び止めようとするオーウェンを遮るように、早口でそう告げる。どうせみんな聖女様の護衛で誰も追いかけてなどこない。それをいいことに私は逃げるように部屋をあとにした。
オズワルドに教えてもらった最上階の王宮の庭園の片隅にある四阿で、私は項垂れていた。
別に聖女様が悪いわけでもあるまいに、八つ当たりするような冷たい態度をとってしまった。
これじゃ今まで抗ってきた努力が水の泡じゃないかと頭を抱えていると、隣に誰かが座る気配がした。
「よっ、ソフィ」
「セヴランさん?」
顔を上げた先の意外な人物に目を丸くする。
「休憩中に話しかけてくるなんて珍しい……」
「おまえな……俺をなんだと思ってるんだよ」
セヴランさんは割り切っていて、任務以外のことで関わってこようとすることはほとんどない。だからこういう休憩中に話しかけてくるのは本当に珍しかった。
「そんなに私……変な顔をしてますか」
「ああ、まぁな」
セヴランさんに心配されるなんて末期だな。
それはそれで落ち込んでいると、セヴランさんからポンと頭を撫でられる。
「ケンカするのはいいけど、任務に支障をきたすなよ」
「きたしませんってば。っていうかケンカってなんですか、ケンカって」
ケンカなんかしていない。私が一方的に冷たくしてしまっただけだ。
「なにを悩んでんのか知らないけど、ソフィはソフィってことでいいじゃないの、みんなそう言ってんだから」
「わかってます。別にそんなことで悩んでません。おじさんのお節介なんて必要としてませんからお構いなく」
「ああ? かわいくねぇなぁ……ソフィも言うようになったじゃねぇか。反抗期か? 俺はおまえの親父じゃねぇぞ」
「私だってセヴランさんのこと欠片もお父さんだなんて思ってませんから」
第一身近にネイサンのような高潔な人物がいるのに、こんなだらしないおじさんを父と仰ぐわけない。
「……セヴランさん」
ややあって声をかけた私に、セヴランさんの鋭い視線が向けられた。
「やっぱりあの日の出来事、教えてくれませんか」
セヴランさんはしばらく黙っていた。
「色々と抱え込んでいる今のソフィに聞けるのか?」
「だって旅が終わったらセヴランさん、もう話してくれなさそうだし」
それに。
「それに、ここまできたらいっそなにもかも知っておいてももういいかと思って」
オズワルドの両親が亡くなったときの状況と、なにかつながりがあるかもしれない。
「……そうかよ」
セヴランさんは一呼吸置いて、淡々と話し始めた。




