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アルル・リリヤ Ⅴ

 

 この国の浄化の神殿は、豊かな森から流れ落ちる滝の、その裏の洞窟にある。そこは神殿というよりも、ただの禊場だ。

 今回は今までのように近くに休める部屋はない。浄化が終わればあの見た目だけは華やかなトロッコに乗って、最上階の森の王宮の部屋まで運ばなければならない。


「近くの部屋を借りることはできないんですか」


 オーウェンがそうフォンテインさんに交渉してみたが、下層の部屋に聖女様を休ませることなど決して許されないと頑なに首を振るばかりで、そこにこの国の闇を垣間見た。

 そのために私とライルは申し出て、聖女様の体調を整えるためにも浄化を一日遅らせてもらって、その間にできるだけの準備をしようということになった。


「聖女様に提供された禊着の生地は珍しい森林種のコットンだから、一般的なものよりも保温性は高い反面、柔軟性はちょっと落ちるね。あと魔力親和性はない」

「タオルのほうもそうだな。数は増えてしまうが、いくつか特徴を分けて種類を用意しておくしかないな。こっちのには吸水の構築文をできるだけ描き込んでおいて、こっちは保温用、あとトロッコに敷く用にも軟性と吸収もか……」


 二人で手分けしてあらかじめ用意してくれていた禊着やタオルなどに片っ端から構築文を書き込んでいく。一日しか猶予がないので深夜までの作業だ。その分護衛の手も空いてしまうので、ブリジットさんたちの負担も増えてしまう。

 それでも浄化のあとに必ず体調を崩してしまう聖女様のためならば、ライルが文句を言うはずがなかった。


「ソフィ、そっちはどうだ?」

「禊着がもう少し」


 汗を拭いながら顔を上げると、いつの間にか深夜ももう過ぎたころだった。


「そうか、少し手伝おう」


 ライルは顔を上げずにそう言った。


「ありがとう」


 そばへと寄ってきたライルが禊着を確かめようとして、かすかに指が当たった。


「……」


 弾かれたようにライルが顔を上げ、覗き込んできた。

 不意を突かれて黙り込む。そういえばこの国に来てからライルとあまり話していない。まともに言葉を交わしたのはいつが最後だっけ。


「……」


 ライルは少しの間、そうやって私を見つめていた。

 きらめくアイスブルーの瞳が、薄明かりに照らされて頼りなく揺れている。

 まるであの夜みたいだ、と思った。幾度となくこうして一緒に時を過ごして、その都度積み重ねてきた二人きりの時間。


「……君はまだそのポケットに、私のブローチを入れてくれているのか」


 ふと囁くように問われた問いに、一気に頬が赤く染まる。


「そ……それは……っ!」


 一人意味もなく慌てる私を見て、久しぶりにライルが微笑みを浮かべた。


「そうか。……ならいい」


 微笑むライルから目を逸らし、余計な思考を蹴散らすように目の前の禊着へと構築文を描き込む作業に戻る。

 その後は会話もなく、更けた夜が明けるまで作業は続いた。








 翌日、無事に準備を整えた私たちを伴って、聖女様はトロッコで荒野へと降り、滝壺の水辺へと立つ。そこからぐるりと滝壺の裏まで歩いていって、やっと洞窟の入り口が見える。今までと比べるとなかなかに遠い距離だ。


「ルナ、大丈夫?」


 気遣うオーウェンに聖女様は気弱に微笑み返して、まるで縋るようにオーウェンの手を握り締める。今にも吹けば飛びそうな風情に、ライルの心配そうな視線も聖女様から離れない。

 聖女様はオーウェンの助けの元、なんとか禊場まで到着した。

 ひんやりと薄光る洞窟内は禊着一枚の聖女様にとって寒かろう。すでに唇の色を失っている聖女様は心配そうなオーウェンに「大丈夫だよ」と一言言いおいて、静々と湧き上がる泉の中へと入っていった。

 もうお馴染みになったあの奇妙な構築文だ。聖女様は怖いほど微動だにせず、構築文を練り上げては湧き出る泉へと流している。

 そうしてしばらく経った後。

 いつものように二段目の構築文が流される段になって、いつもと様子が変わった。聖女様が流している構築文が、流れきる前にところどころ光っては焼き切れているのだ。

 そのいつもと違う様子に一歩聖女様に近づく。聖女様は震えている。白く強張った手を胸の前で握り締めて、彼女は耐えている。


「オーウェン」


 小さく呼びかけた私に、そばにいたオーウェンが身じろぎした。


「今日のルナは恐らく今までにないほど体調を崩します」

「ソフィ……?」


 どうしてそんなことがわかるんだ、そう言いたげなオーウェンの言葉を制して、彼を一瞥した。


「もう終わります」


 そう言った途端、聖女様の体が傾いた。


「ルナ……!」


 間一髪でその体をオーウェンが抱きとめ、ブリジットさんが素早くタオルをかぶせる。ライルがすぐに手に持っていた構築文を展開し、辺りがほのかに明るく暖かくなる。

 オーウェンは聖女様を抱えているというのに、とんでもない速さで駆けていった。そのあとをブリジットさんとライルが追いかけていく。私とセヴランさんはその様子を黙って見守っていた。

 私たちは後片付け係だ。どちらにしろ聖女様を寝かせて運ぶには私たちまでトロッコに乗ったらスペースが足りない。そのために事前にトロッコに幾重にもタオルや寝具を敷いてきた。

 今ごろあの変に遅いトロッコに揺られて上階に向かっているころだろう。

 ああ、こんなことならトロッコにも手を加えられないかリンリールさんを通じて申請しておけばよかったな。


「俺たちも行きますか」


 辺りに投げ散らかされたタオルの山を拾って、セヴランさんは嫌そうに言った。


「あのトロッコ遅すぎるんだよな。降りてくるのを待ってる間にここら一帯散歩できそうだ」

「そうですね。こっそり構築文を描き加えておけばよかったです」


 その途端、驚いたようにセヴランさんに仰ぎ見られた。


「あの真面目なソフィがそんなこと言ってる」

「くそ真面目で悪かったですね。さ、行きますよ」


 拾ったタオルを全部セヴランさんに押し付けて、足早に歩き出した。








 もう先に向かっていたと思っていた三人は、トロッコのところで立ち往生していた。


「どうしたんですか?」


 慌てて駆けつける。ライルがトロッコの動力部分を開いて、そこの構築文を見ている。フォンテインさんも眺めているが、具体的な解決には至っていないようだった。


「こんなときに限って故障だよ」


 聖女様を抱え込んだオーウェンはイライラしていた。


「この国はいったいどうなってるんだ。体裁体裁って見た目ばっかり取り繕って、中身はちっとも伴ってない」

「まあまあ落ち着け、オーウェン。我が国随一の魔術師がここには二人も揃っているだろう」


 ブリジットさんに過剰な期待を添えられて、私もライルの隣に並ぶ。問題の箇所はすでにライルが見つけていた。

 トロッコの水を溜めたり捨てたりするところの切り替えの合図を出す構築文が、擦り切れて消えかかっている。


「あまりにもお粗末なもので笑う気にもなれない」


 ライルもイライラしていた。


「こんなものに乗せられていたなんて、この国は私たちを舐めているのか」

「まあまあ。ライルならどの言語を選ぶ?」

「今は応急的なものしか出てこないな」 


 ライルがいくつかの構築文を試している間、ふと目についたところの構築文を一部変更して描き加えてみた。


「ソフィ?」


 それに気づいたライルが眉を吊り上げる。


「余計なことをして大丈夫か」

「大丈夫大丈夫、それより急がないと」


 その証拠にフォンテインさんはなにも言ってこない。それをいいことにさっさとブリジットさんとライルに乗り込んでもらい、スイッチを押してもらう。その途端、動力部の水瓶に急速に溜まるたくさんの滝の水。


「ソッッ……!!」


 ライルが怒る暇も与えずに、聖女様を乗せたトロッコは速やかなスピードで急上昇していった。


「……。ちょっとやりすぎたかな」

「嘘だろ。あれに乗るのか……?」


 見送っていたセヴランさんは顔が青くなっている。


「冗談だろ。やめてくれ。俺はまだ死にたくない」

「セヴランさんこそ冗談でしょ。あんなものじゃ死ねませんよ」


 セヴランさんは鬼でも見るかのような目で私を見た。


「よかったですね。散歩する暇もなくトロッコが到着しましたよ」


 あっという間に到着したトロッコをくいっと指差すと、セヴランさんは天を仰いで悪態をついてきた。









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