アルル・リリヤ Ⅱ
ろくに部屋の確認もとれていないというのに、立て続けに部屋の扉がノックされた。
「今度はなんだというんだ……」
ボヤくブリジットさんが扉を開けると、そこにはニコニコのリンリールさんと無表情のフォンテインさんが立っていた。
「せっかくこの国に来てくれたから、ソフィの時間を少しもらいたいなって思って」
呑気なリンリールさんの言葉に、思わず頭を抱える。
「あのですねぇ……」
フォンテインさんはまたあの神秘的な眼差しで、じっと私のことを見つめている。
正直、この国の人たちの視線は苦手だ。
「私は今聖女様の護衛中なんですよ。いくらなんでもそれはできません」
「だからフォンテインを連れてきたじゃない」
なんでもないことのように言うけど、他国の護衛に任せっきりというのもどうなんだろう。
「この国に聖女様を傷つける理由なんてないよ。なにせ、この国は昔から白の一族が大好きだからね」
リンリールさんの言葉に怪訝な顔をするけど、それ以上説明してはくれなかった。
「聖女様、別にソフィ一人ぐらい借りてもいいよね? ソフィを貸してください!」
「私は大丈夫ですけど……」
聖女様は凛とした声で「あとはオーウェンに確認を取ってください」と告げた。
「とにかく、今はまだ着いたばかりで無理です。仕事が溜まっていますから。休憩の時間ならあるいは……」
「じゃあまた声をかけに来るよ。フォンテインはここで引き続き聖女様の護衛がんばってね。じゃまた」
ひらりと手を振るリンリールさんに、フォンテインさんはまたもや黙って深々とお辞儀する。
「あの、彼はいったい……?」
そのフォンテインさんに恐る恐る尋ねてみると、一拍遅れてから返事が返ってきた。
「……知り合いなのでは?」
「いや知り合いでは、知り合いというほどの仲でもありませんので」
私の返事にフォンテインさんからは特段なんの反応も返ってこなかった。
「リンランディア様は特別相談役でございます」
「特別相談役?」
「ええ」
フォンテインさんはたおやかに頷いた。
「リンランディア様は役職に縛られるのを厭います故。しかしこの国の行末を決める重要な政に、女王陛下はリンランディア様の言の葉を頼りに采配を振るわれます」
へぇ、あれでいて結構に大役を任されている人なんだ。
そこまで偉い人だったなんて思ってもみなかった。そんな偉い人と実の母が知り合いだったと言われても、ピンとこないものはこない。……というか、リンリールさんの本当の名前はリンランディアっていうんだ。それすらも知らなかった。
これ以上リンリールさんのことに興味を割く余裕もなく、私は無言で部屋の前に立ち尽くすフォンテインさんを尻目に部屋の中を片付けようと扉を閉めた。
次の日の昼過ぎ、リンリールさんは休憩中の私を誘いに来た。
「前に言ってたでしょ、エルオーラ手記集の話。実はここの書架にあるんだ」
王宮の廊下を優雅に歩きながら、リンリールさんは微笑んでみせた。
「さすがに禁書室に入れるわけにはいかないけど、エルオーラ手記集を取ってくることはできるよ」
リンリールさんは手に取った鍵束を見せてくれ、軽くウインクした。
辿り着いた王宮の書庫はたくさんの窓にモザイクガラスが嵌められて、陽の光で溢れかえっていた。そのうちの一つの窓をリンリールさんが開けると、柔らかな風がレースのカーテンをふんわりと揺らす。
「見てごらん、ここからの景色」
リンリールさんに促されて窓際に立つと、外の崖下の様子がよく見えた。
はるか崖下には広大な演習場があり、そこでこの国の魔剣士たちは鍛錬を行なっている。豆粒みたいに小さく見える彼らがちょこまかと動く様子がよく見えた。
「ここの書架室は本当に景色がいいよね。本の保護という観点ではこんなに明かりを取り入れてどうなんだろうって思うけどね」
リンリールさんはそんなことを言いながらも、鍵を片手に奥まったところにある小さな扉へと手をかけた。
「ちょっと待ってて」
外の景色を眺めて待つこと、しばらく。リンリールさんは一つの古びた本を手に戻ってきた。
「あげるよ、この本」
突然投げかけられた勝手な言い草に、さすがに慌てた。
「えっ!? これ、禁書庫の本ですよね?」
「そだよ。でも君にあげる」
「あ、あげるってどういうことですか。そんな勝手なことをしていいんですか。そもそもリンリールさんにそんな権限あるんですか!?」
「あるよ」
リンリールさんはつまらなさそうに言った。
「女王は僕の言ったことは全て肯定してくれる。この国では僕が肯と答えたことは全て“肯”なんだ」
なんだその理論、と背筋が冷たくなった。
リンリールさんはいつかの食事を分けてくれた気安さで私に本を押し付けてこようとする。
「ちょっと……やめてください。こんな本もらえません」
「どうして? この国では誰もこんな古びた本なんか興味ない。一冊や二冊なくなったって誰も気づきやしないよ」
「そういう問題じゃないです。困りますから」
「そぉ? 別に誰も気にやしないけどなぁ」
リンリールさんは押し返した本を私にぎゅっと押し付けてきた。
「僕の黒の一族好きは周知の事実だ。その僕が君のことを贔屓してたって、いつものことだって誰も気にも止めないよ」
そう言われても。
困り果てている私に、リンリールさんはさらに爆弾を落としていった。
「あ、そうそうそう言えば、聖女様なら黒の一族と白の一族についてもう少し詳しく教えてくれるかもね。彼女は知ってるから」
呑気にもそう言い捨てて、リンリールさんは鍵を持ったまま立ち去ってしまった。
本当に掴みどころがなくて自由な人だ。
仕方がないのでとりあえず読めるところは読もうと重厚なテーブルに本を置いて、ふかふかのソファへと腰かける。
もしかしてリンリールさんがくれたメモの話もこのエルオーラ手記集に載っているものなのだろうか。そう思ってパラパラと捲っていると、目的のページを見つけて少しの間読み耽った。
……リンリールさんにもらったメモは、たしかにこのエルオーラ手記集から抜粋されたものだった。
ふとそのとき、再び書架室の扉がギィと音を立てて開いた。
「リンリールさん、やっぱりこの本……」
リンリールさんだと早とちりして捲し立てた先の人物に、言葉が途切れる。
「……待ち人でなくてすまなかった」
そこに佇んでいた予想外の人物に、憤っていた勢いも萎んでいった。
「いえ、こちらこそすみません……」
そこにいた人物、オズワルドは、私を見ると近づいてきた。
「……? なにかご用ですか」
「鍛錬場視察にあなたは同行してこなかっただろう」
なるほど、確かに先の時間は聖女様たちは鍛錬場の方へと行っていた。
「黒の一族のことについて、」
オズワルドは私の隣に腰かけてきた。
「俺が知っていることを教える。だからあなたが黒の一族について知っていることがあれば、教えてほしい」
静かな語り草からは想像もできないほど、その漆黒の瞳の中には様々な感情がぐるぐると駆け回っていた。




