アルムフーサ・Ⅷ
長らくお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。
待っていてくれていた皆さん、本当にありがとうございます!
今日からまた完結まで、ゆっくりと進めていきたいと思います。
滞在最終日、この日は朝から聖女様の旅立ちを祝福するために、アルムフーサの有力者たちが再び集まっていて、それはまたどんちゃん騒ぎの宴会の様相を呈していた。
この国の人たちはなにかあればすぐに集まって騒ぐのが好きなようだ。やれお酒だ踊りだと、次から次へと賑やかにお祭り騒ぎをする。今日も今日とて相変わらず陛下たちは楽しそうに、飲めや歌えやの大騒ぎをしている。
そんな中、ラーニャたち踊り子がしゃなりしゃなりと広間の真ん中へと出てくると、楽団の奏でる曲が変わった。
ラーニャはおもむろに床へと座り込むと、彼女は祈りを捧げるようなポーズをとった。そのまま束の間静止すると、それからしなやかな体を転回して、今度は伸びやかに跳ね上がってみせる。
彼女の舞を皮切りに、祈願の舞が始まった。
これは浄化への苦難の道を歩む聖女様を讃えるための、聖女様に捧げる舞だ。ラーニャ演じる聖女様に舞の中で様々な困難が立ち塞がってくるが、それを彼女が打ち破って、無事に最後の神殿まで辿り着くまでの物語。
――物語上でもラーニャが行動に出たのは、滞在最終日、聖女様の旅の無事を祈願する舞のときだった。舞の中での様々な困難を現す魔術が行き交う中で、ほかの魔術を隠れ蓑に、わざと聖女様に向けて炎の魔術を展開して、そしてそれが知らんぷりのソフィア・ランドルフのせいであわや間一髪、聖女様は火傷を負うところだった。
……でも今回は陛下のお気に入りはブリジットさんだし、だからラーニャが本の中の行動通りに聖女様にちょっかいをかけてくるかはわからない。もしかしたらブリジットさんにはなにかしてくるかもしれないけど。でもそれを含めても、今回は珍しく聖女様やオーウェンを巡る恋愛のごたごたはなかったし、そもそも私がラーニャのそんな行動を許すはずがない。だから、もしかしたらこのままなにも起こらずにこの国を去ることができるかもしれない。
ラーニャたち踊り子は見惚れるような優雅な動きで、縦横無尽に大広間の中を舞っている。激しいほどの炎の旋律が、踊り子たちの両手から次々と吹き出してくる。まるで聖女様の浄化の文言がこの世界に染み渡っていくかのように、その炎はこの空間に染み渡っていく。
――祈願の舞では炎の魔術を展開してその旅を表現すると、事前に聞かされていた。この国では、炎は浄化のシンボルでもある。静かに滾々と湧き出てくるオアシスとは対照的な、荒々しくも美しい、踊り子たちの炎の魔術。
「……っ!」
ラーニャの展開したたくさんの鳥を模す炎の魔術が、こちらの頭上すれすれを飛んでいった。思わず反射的に聖女様たちの周りに風の障壁を張る。
「ソフィ?」
「念のためだよ、念のため。ちょっと近かったから」
「まぁ、たしかにそうだな」
ライルも納得したのか、同様に風の魔術を展開してくれた。別になにも起こらないのならそれならそれでいい。でも念には念を入れていたって、なにも悪いことはない。
踊り子たちの炎の魔術は、ときには観客の頭上を飛び交いながらも、決して触れてはこなかった。その精緻なコントロールさは彼女たちが並大抵の訓練をこなしてきたわけではないことを物語っていた。
浄化の旅を模した祈願の舞も、終盤に入ってきた。踊り子たちの動きは一層躍動感を帯び、それとともに飛び交う魔術もよりに苛烈になっていく。
あまりにもたくさんの魔術で構成された、圧倒的に壮観で、力強く烈しい炎の演出。
そんな中、ラーニャは一人大広間の中央へと蹲ると、まるで祈りを捧げるようなポーズをとった。それから彼女がふわりと手を解くと――その手から解き放たれたのは、宙を揺蕩う幾多もの炎の羽だった。
視界が一気に赤く染まる。まるで火事が起こっているかのように、室内が真っ赤に染まる。火の粉が散り飛んでいくように、爆ぜるような音があちこちで聞こえてくる。
目の前にふわりふわりと炎の羽が落ちてくる。聖女様やオーウェンたちの上にも飛んでくる。ライルがそれを迷惑そうに風の魔術で追い払った。そのうちのいくつかが目の前に落ちてきて――パチリと爆ぜた途端、炎のとぐろが視界をうねり、思考まで真っ赤に染まった。
――燃え盛る炎の渦。誰かの泣き声。狂ったように響く怒声、怨嗟の羅列。段々と弱くなっていく、私を呼ぶ声。
「なんだこれは……ちょっと危なくないか。ソフィ、怪我は?」
「ああ、ブリジットさん。少しびっくりしましたけど……大丈夫ですよ……」
本当になんでもない。だからまずは呼吸を落ち着かせよう。それから、ずっとこの耳をつんざいている叫び声を無視するんだ。ここはアルムフーサだし、私は今は聖女様の護衛。六歳のときの、あのころの私じゃない。
「ソフィ?」
ライルの声もどこか遠い。ああ、また目の前に炎の羽が落ちてきた。性懲りもなく爆ぜるそれに息が止まって、そしてため息が出る。
もう我慢がならなかった。小細工みたいにしつこく目の前で爆発してくる炎の羽も、それにいともたやすく脅かされる自分にも。
祈願の舞は、すでにクライマックスへと入っている。あんなに大広間を埋め尽していたたくさんの炎の魔術は一旦鳴り止み、舞台上にはもうラーニャしかいない。そのラーニャはというと、聖女様のほうを向いて頭を垂れ、また祈るように跪いている。
その手に構築文を持っているのは知っている。大方またあの炎の羽の魔術でこの大広間を埋め尽くすつもりなんだろう。
ラーニャがその手を掲げた瞬間、彼女の使える最大級の構築文なのだろう、数え切れないほどのたくさんの炎の羽が広間中に浮かび、まるで花火が花開くようにあちこちで弾けては儚く消えていった。その中を、一際大きくて豪奢な火の鳥がこっちを目掛けて、聖女様に向かって飛び駆けてくる。
「ライル、ごめん。お願い」
ライルは返事の代わりに、また別の風の魔術を展開して火の鳥の軌道を変えた。頭上すれすれを飛んでいった火の鳥から、細かい火花がパチリパチリと飛び落ちてくる。それらも含めて、動揺に掻き消えてしまった私の魔術の代わりに彼が聖女様を守っていることは、わざわざ確かめなくてもわかっていた。
呼吸を整え、なんとか自分を取り戻そうと足掻く。顔を上げ、私は目の前に映った姿に息を呑んだ。
あの日のソフィア・プリムローズが――六歳のころの私が、炎に呑み込まれながら、虚無の表情で立っていた。
「ソフィ、あの爆竹みたいな派手なやつはもう終わったぞ」
冷静なセヴランさんの声に、我に返る。
「いい加減にその顔やめろよ。怖ぇぞ」
「え……」
そう言われて、無意識に全身を強張らせていたことに気づく。気づけばあの残像はもうどこにも見えない。
「大丈夫、ソフィ? ちょっと疲れちゃった?」
「ええ、そうですね……私には騒々しすぎました」
「少し休んでくる?」
「ではすぐ後ろで。すみません」
聖女様の許可をもらって、壁際へと下がる。
踊り子のラーニャの姿はもう見えない。
いつの間にか時間は少し経っていたようで、今は儀礼用の荘厳な装飾剣を持ったアルムフーサの騎士が数人、広間の真ん中で派手な剣撃の音を響かせながら見事な剣舞を披露している。
後ろの壁にもたれかかりながら、深い息をつく。
今は目の前の武骨な剣舞に見入っている五人を、ただぼんやりと眺める。
ライルを頼ってしまった。私の体たらくのせいで聖女様を危険に晒してしまった。それでも結果的には聖女様の身を守ることができたから良しとすべきだ。そう思おうとしても、落胆する気持ちは抑えられなかった。
視界はぼやけ、今にも崩れ落ちてしまいそうになるのを、奥歯を噛み締めて必死に堪える。どれだけ疲弊していても、物事は一切留まることなく、足取りの重い者を置き去りにして先へ先へと行ってしまう。
こんなにも苦しくて苦しくて、今にも崩れ落ちてしまいそうでも、私には立ち止まって俯いている暇なんてなかった。




