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アルムフーサ・Ⅶ

 

 アルムフーサの王は酒豪のブリジットさんをいたく気に入ったのか、やたらと訪問してきては何度も口説いていた。だけどブリジットさん曰く、自分よりも先に酔い潰れた陛下は“ない”のだそうだ。もちろん話しかけられれば愛想良く話はするものの、その態度は素っ気ないほどにあっさりと割り切っている。それでも懲りずに愛を囁きに来るアルムフーサの王に尊敬半分、呆れ半分の眼差しを向けていたのは私だけじゃないだろう。








 この国での浄化は今までとちょっと勝手が違っていて、浄化の神殿は王宮の横に併設されている。今までは地下に禊場があったが、この国の禊場はラハンの街を繁栄へと導いているオアシスの源泉だ。よって、王宮に滞在中に聖女様は浄化を行うことになる。

 従って、いつもよりも王宮へは長く滞在することになっていた。

 いつものように浄化のあとに体力を使い果たして、今は休まれている聖女様を見守っていた。あれからもう熱を出すことはなくなったけれど、ひんやりしてよく休めると御墨付きをもらって、未だに保冷タオルは聖女様に愛用してもらっている。

 もうすぐ交代の時間だ。最後に桶の水を冷たいものに変えておこうかな。聖女様のために改良に改良を重ねた保冷タオルは、今では程よい冷たさを随分と長く保てるようになり、それはもう抜群の性能を誇っている。これ、無事に旅が終わったら商品化とかできないかな。今度ライルにでも相談してみよう。

 そのとき、かすかな羽ばたきの音が耳に入ってきた。窓際に目を遣ると、なんと二羽の魔術鳩が留まっている。


「ルイからのピヨと、あれ……こっちの君はいったいどこから来た子かな?」


 よしよしと頭を撫でると、やたらと豪華な装飾を施された機械仕掛けの魔術鳩が手に乗ってくる。

 その足元には上等そうな紙質の封筒が結えられていた。いったい誰からだろう。

 訝しげに眺めていると、ルイからのピヨが急かすように鳴いたので、反対側の手も伸ばす。待ち構えていたようにピヨは私の手に飛び移ってくると、ぴょいとその片足を上げた。括り付けられていた分厚い手紙に瞠目する。珍しい、今回は音声ではなく手紙を送ってくれたみたいだ。

 ルイからの手紙を外すと、ピヨは空いている肩へと飛び移ってきた。


「……ソフィ……」


 聖女様のか弱い声に、顔を上げる。聖女様が目を覚まされたようだった。


「ご気分はどうですか。お水をどうぞ」

「うん。いつもありがとね、ソフィ」


 手紙を懐にしまい込みながら、特製の保冷水差しから程よい冷たさの水をコップに注ぎ、起き上がってきた彼女に手渡す。


「あれ、ルイくんからのピヨちゃん、来てたんだね」


 聖女様はこくりこくりと少しずつ水を飲み下しながら、両肩に魔術鳩を止まらせている私を見て目を丸くすると、ふわりと微笑んだ。


「ええ、今回は手紙でしたので、もしかしたらまたなにかブライドンで一騒動あったのかも」

「今度はなにかな。またソフィが気に入りそうなケーキ屋さんでも見つけたのかな?」

「もしもそうでしたら、ちょっと困りますね。そわそわして仕事が手につかなくなるかも」


 二人でクスクスと少しのあいだ笑い合ったあと、聖女様はふとどこか憧憬するように目を細めた。


「……ソフィの学院時代の話、また聞きたいな」


 聖女様にはそういうふうに友と過ごした時間なんてあるいはなかったのか、そう感じさせられるほど、表情にはうっすらと羨望が込められていた。


「いつもライルからは聞いてるんだけどね、ライルってほら、自分のことは話さないから。そういうところ、ちょっとソフィと似てるよね」


 そう笑いかけられて、曖昧に微笑み返す。


「ルナ、目が覚めたか」


 話し声が聞こえてきたのか、待機室からブリジットさんが顔を出した。


「ちょうどいい。ソフィ、交代の時間だ。あとは私が代わろう」

「でしたらルナがあとで食べられるように、食堂に行くついでになにか軽いものでももらってきておきますね」

「いつもすまないな」


 軽く手を上げたブリジットさんに頷きを返してから、聖女様に断りを入れて部屋をあとにした。








 聖女様に軽食を届けたあと、私は控え室に戻って懐にしまい込んだ二通の手紙を取り出した。

 まずは格式ばった装飾の施された封筒を手に取る。ちらりとシルヴィスのことが頭を過ぎり、やや警戒しながら慎重に開く。そこに記されていた名前を目にして思わず声が漏れた。

 マルクス・レモ・エルレッタ――なんと、エルレッタ国王からの私的な手紙だった。

 手紙には旅の安否を気遣う言葉から、蓄音再生機の件でようやく素材に適合する構築文が見つかったこと、これからとりあえずの一次的な録音のテストに入ることが記されていた。

 その事実に純粋に嬉しくなる。エルレッタ王と書庫内を大捜索したあの夜の出来事が脳裏に蘇る。あのときのほんの僅かなきっかけが彼の一歩に繋がったのなら、それはこれ以上ない知らせだった。

 手紙にはもう一つ、追伸が記してあった。


 “追伸

 旅の中で誰かいい人は見つかっただろうか。もしもまだいなければ、良ければうちの下の息子はどうだろう。自分で言うのもなんだが、妻に似て気の利く優しい子だ。息子も君が良ければ是非と言っている。考えておいてくれ”


 その文面に思わず苦笑する。……いくら世話になったからといって、そこまで私に気を使わなくていいのに。これはきちんと断っておかないと、エルレッタの王子にえらく迷惑をかけてしまうことになる。

 あとでくれぐれも失礼のないように返事を書かねばと、その手紙は一旦端に置いておく。

 次に懐かしい字の並ぶ、ルイの手紙を開く。


 “親愛なるソフィへ

 ミュルクウィスでは大変な目に遭ったね。ライルからも詳しい事情を聞いたよ。僕が隣にいたらそんな奴なんて絶対に近づけさせなかったのにな。むしろ僕のほうから近づいて、治癒魔術の話をこれでもかと聞いちゃうかも。ちょっと僕もその新しい瘢痕治癒魔術について納得いくまで問い詰めてみたかった”


 相変わらずの魔術好きな姿勢に思わず笑ってしまった。たしかにもしもあの場にルイがいたら彼の熱心なマイペースさに巻き込まれて、シルヴィスだって私どころじゃなかったかもしれない。


 “それで、送ってくれたリースグラスの種だけど、なんとクロエ先輩があの独特の魔術で発芽を成功させたんだ。これはブライドンの研究施設の長い歴史の中でも初めての出来事で、今はとんでもない騒ぎになってるよ。生育不可な環境でも魔術によって発芽させることが可能となれば、ほかにも色々な植物を育てることができるかもしれないからね。ああ、あのときの感動をソフィと共有したかったな! 今度旅が終わって帰ってきたら、またクロエ先輩に見せてもらおうよ。ソフィたちのために、こっそりと種は分けてとってあるんだ”


 ルイの手紙にはブライドンのみんなのことが詳細に書かれてあって、まるで束の間ブライドンに帰ってきたかのようだった。

 とんでもない注目を浴びているクロエ先輩、そんな引っ張りだこのクロエ先輩を皆に取られて、嫉妬のあまり不貞腐れてルイに怒られるノア先輩、相変わらず手芸にはまっていて、今はケイティの服すらも創作しだしたトール。ケイティはなんと、イケメンの同僚にデートのお誘いをされるという大事件が起きてしまって、それに悲観したトールがついに暴走してしまったとのこと。でもいつになく男らしく気持ちをぶつけてくるトールにケイティが惚れ直して、なんとかうまく収まった、と。それを一人で仲裁しなければならなかった心労まで綴られていて、それにも笑ってしまった。


 “それから、ソフィがミュルクウィスの魔術師からもらったあの薬のことだけど”


 その文面に、そういえばルイにシルヴィスから一方的に送りつけられてきた薬の解析を頼んでたんだったと思い出す。


 “あの薬剤はたしかに創傷治癒薬で間違いなかった。でも一般的に流通していない成分も混じっていて、それは今も解析中でまだ特定できていない。もしもそれが彼の言う瘢痕治癒成分なら、これ以上ない貴重な資料になるけど、でもどうだろうね。それに基材に混ぜられていた芳香成分なんだけど、あれがね、なんというか、その……とにかく言えないけど! 明らかにソフィに対する粘着質な執着を感じるものだったから! 今後一切、彼からの贈りものは受け取らないで。約束だよ”


 粘着質な執着を感じる芳香成分って……いったいどういうことだろう。まぁミュルクウィスに行く用事など現時点ではないし、彼に会うことも二度とない。けれどルイの言うとおりに彼には今後も気をつけておこう。


 “最後に、次は砂漠の国なんだってね! 僕には想像もつかないけど、きっととんでもなく暑いところなんだろうな。旅を続けるのも大変だろうけど、くれぐれも体調を崩さないように気をつけて、そしてこれ以上僕を心配でハラハラさせないでね! ソフィ、僕はいつでも君の無事を願ってる。愛をこめて ルイ”


 ルイの温かい気持ちのこもった手紙を抱きしめる。

 この手紙は色々なことを思い起こさせてくれる。ブライドン学院に在席していたあのころの決意。今は懐かしささえ感じる、オーウェンへの苦い想い。未来へと必死にもがいた渇望。そして絶望の中から掴み取った、新たな希望。

 改めて、私のすべきことはただ一つだと噛み締める。

 私は、ここにいるみんなの未来を守りたい。

 ……だけど一方で、先日から私を追い立て続ける過去の記憶がある。

 赤々しくうねり狂う大炎。誰かが泣いている。恨み辛みを投げつけては、狂ったように喚いている。私を呼ぶ声が、段々と弱々しくなっている……。

 そこまで蘇った記憶を慌てて追い出そうと首を振る。今はまだ、この記憶を完全に思い出してしまってはいけない気がする。余計なことを考える前に、二人に返事を返そうと筆をとった。








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