アルムフーサ・Ⅲ
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翌日、例のごとくアルムフーサの伝統衣装を着せられて身支度を整え終わると、今宵開催される宴へと案内された。
アルムフーサでは今までのような格式張った夜会ではなく、大理石のホールでは色っぽい踊り子たちが優雅に舞を踊り、それを遠巻きに囲うように有力者たちが豪奢な絨毯の敷かれた床に座って、すでに美酒や美味しい食事に舌鼓を打っている。
アルムフーサの若き王は聖女様を歓迎するように両手を広げると、自分の隣に座るよう指示してきた。
『アルムフーサの王は、女性に対して手が早い』
事前に聞いていた話を警戒して、やんわりと聖女様を守るように護衛たちがその周りにつく。
王はそれを気に留める様子もなく、しばらく聖女様と談笑していたが、やがて聖女様の元に各地のオアシスの治者たちがちらほらと集まってくると、くいと顎で示して今度は私をそばへと呼び寄せてきた。
「おまえ、黒の一族の者だろう」
そばに行って開口一番、なにを言われるかと思えばアルムフーサの王はそんなことを断定してきた。
「初めて会ったが、ここまで黒いとはな」
「いえ、あの、……」
首を振って後退る私に、しかし王は座れと容赦なく顎をしゃくる。渋々隣に座ると、王は反対側で侍っていた妖艶な女性たちを片手で追い払った。
「その曖昧な返事はなんだ。まさかそんな形で、黒の一族のことを知らないとでも言うつもりか?」
なんとも言いようがない。私にはまだ断片的な情報しかない。
「でしたら陛下こそ、その髪の房はなにか黒の一族と関係があるのでしょうか」
質問に答えずにそう返した私に、王はからからと笑った。
「黒い旅人の伝承をカイロスから聞いただろう」
その言葉に、カイロスにあの話をさせたのは王の意図であったことを知る。
「その昔、我が先祖は黒の一族の女に魅入られていた。『身も心もその魔術に溺れ切り、まるでなにかに憑かれたように女をそばから離そうとしなかった』そうだ」
口角だけを笑ませ、アルムフーサの王は私がどんな反応をするか、一つも逃しはしないとでも言うようにじっと見ていた。
「そうだ。以後アルムフーサのこの血統には、黒の一族の血が混じったまま。どんなに血を交えても薄まることもなく、まるで呪いのように受け継がれている」
陛下は、この人は黒の一族を憎んでいるのだろうか。私を含めて黒の一族のことをよく思っていないのだろうか。
「なるほど、だが話に聞いた魔性の様子はおまえには当てはまらないな。まるで生娘のように固まって、ただ震えているだけではないか」
「いえ……私なんかにはその、とんでもないことで」
王の威圧に負けないように、そう返すのが精一杯だ。
「……まぁいい。黒の一族の女がこんなものだとは思いもしなかったが。仕方がない、さっさと本題に入るか。私がおまえを呼び寄せたのはほかでもない、おまえに我が身に見えるものがないか尋ねたかったからだ。たとえば呪いのようなものは? 黒の一族は子孫になにを残した? あの女はアルムフーサの血にいったいなにをしたのだ」
アルムフーサの王に鋭い視線で促され、断ることもできずにおずおずと全身に視線を走らせる。何度も視線を往復させ、隅々まで注視してみる。
陛下の全身をそれこそくまなく探してみるが、特にそれらしき構築文などなにも残されてはいない。彼がいったいなんのことを言っているのかわからない。とりあえず特段怪しいものはないと首を振ろうとして、ふと陛下の目に視線が吸い寄せられた。
興味津々とこっちを見ている陛下の瞳の中に、なんだか懐かしいものを見た気がした。
「どうした? なにか見つけたか」
「すいません。少しの間、お静かに願えますか。動かないでください」
「ん? なんだ? さきほどと違って急に遠慮がなくなったな」
「あの、ちょっとだけでいいですから」
ずっと動いている口を制して、明るいアンバーの瞳を覗き込む。
瞳孔を囲むように虹彩に浮かべられていたのは、古の構築文。いや、魔術と呼ぶにはいささか幼稚な、まるでおまじないのような構築文だった。
「これ、呪いなんてものじゃないですよ」
初めて見る構築文なのに、どこか懐かしいのはなぜだろう。まるで母が我が子を想うように、子孫代々に受け継がれていったおまじない。
「そんな大したものじゃないです。むしろちょっとしたお守り、とでも言ったほうがいいのかな。我が子が悪いものに目をつけられないように、子の無事を願うおまじない」
聖女様のあの透き通るような清廉さを放つ構築文とはまた違う、どこか懐かしくて寂しい構築文。もう少しでその意味が読み解けそうで、思わず前に身を乗り出す。
そんな近づいた私の腰に、陛下はそろりと手を這わせてきた。
「……陛下、あの……」
覗き込んでいた構築文からアンバーの瞳に焦点を戻すと、陛下は悪びれもせずににやりと笑っている。
「いじらしい女子が勇気を出して迫ってきたのだ、これは受け入れるしかあるまい」
「いえ、その……それは失礼いたしました」
慌てて体を離すと、陛下の手もするりと解けていく。
「ええと、陛下、これは解こうと思えば簡単に解ける類いの構築文です。フックを外すように一箇所の引っかかりを解けば、あとは自然に消えてなくなるでしょう。……ただ、これは悪いものではないと思いますし、外してしまえばもしかしたら陛下の魔術の才にも影響を及ぼすかもしれません」
「ふぅん?」
「どうします? 解きましょうか?」
アルムフーサの王はしばらくの間、考え込んでいた。
「おまえ、これは呪いではないと言ったな」
「ええ、まぁ」
「言うなれば、なんだ?」
「言うなれば……」
頭の中には自然とその言葉が浮かんでいた。
「黒の一族に昔から伝わる、幸運のおまじない、です」
その言葉を聞いて、陛下は一瞬虚を衝かれたような顔をした。
「幸運のおまじない、か……だったらおまえもこのおまじないとやらを授けることができるのか」
「いえ、残念ながら」
なんだかその構築文から目を逸らせなくて、陛下の瞳を覗き込んだままぞんざいに答える私に、アルムフーサの王は声もなく笑ったようだった。
「これは見たこともない、というか……うーん、思い出せないというか……いずれにしても読むことはできても構築することは私にはまだ無理なものです」
「ふむ、だとしたら今ここでこれを解いてしまえば、永久に失われてしまうわけだ」
「はい。なので、陛下がそれを呪いだと疎んでいらっしゃるのなら、少なくとももう二度とその御心を煩わせることはなくなると思います」
アルムフーサの王は、長いこと思案していたようだった。
「いや、いいだろう」
やがて顔を上げた王は、少しだけ吹っ切れたような顔をしていた。
「おまえが悪いものでないと言うのなら、もうしばらく付き合ってやることにしよう」
「……そうですか。でも」
ふと、カイロスに言われた話を思い出す。
「アルムフーサでは、黒い旅人を忌み嫌っている人もいるのでは?」
王の体にその黒い旅人の痕跡とも言えるものが残っていて、だから陛下は私にこんなことを尋ねたんじゃないのだろうか。それをそのままにしていてもいいのだろうか。
アルムフーサの王は私の疑問に、大声で笑い出した。
「たしかにそう解釈をする者も中にはいるな。だが事実、我が先祖の血は絶えることなく、ここまで脈々と受け継がれてきた。腹違いの兄弟たちが病に倒れようと、凶刃に倒れようと、この黒の一族混じりの血は決して絶えることなく、アルムフーサを繁栄へと導いてきたのだ」
「……」
「結局は強力な力を持つ者が正しく平等に統治していれば、それで民は満たされる。違うか?」
「……。そうですか」
そう言って次の瞬間にはもうくつくつと含んだ笑いを浮かべた王が黒の一族についてどういう感情を抱いているのかは、私なんかには推し量れなかった。
「では用事はもう終わったようなので、私はこれで。御前失礼いたします」
「待て」
これ幸いとぺこりと頭を下げて退席しようとした私の手を、アルムフーサの王は無造作に掴んだ。
「今ので少しおまえに興味がそそられた」
突然の宣言に体を竦ませる。陛下は意味深な笑みを深めて、耳元で囁いてきた。
「今晩は先祖を虜にした黒の一族の魅力とやらを、私も味わってみようか」
頭が真っ白になって固まってしまった私に、王はケラケラと楽しげに笑っている。
「おまえにとっても悪い話にしない。砂漠の男の情熱はその身も心も蕩けさせると評判だ。決して後悔はさせないと誓おう。なに、難しく考えずに身を許してみろ」
この王様、本当に誰に対しても来る者拒まずなんだな。
頭を捻ってなんとか角が立たないような断り文句をと焦るけど、今までこんな誘いを受けたこともない人生だ。急にブリジットさんのようなスマートな振る舞いができるはずもない。
陛下はそんな私の様子さえもどこか面白そうに眺めている。目を逸らしながらもごにょごにょと誤魔化しの言葉を必死に呟いていると、ふわりといい匂いがして、一人の踊り子がアルムフーサの王にしなだれかかってきた。




