アルムフーサ・Ⅱ
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薄暗闇の向こうから覗き込んできたライルは、少しだけ心配そうな風情だった。
「えっと、ちょっとアルムフーサの伝承を聞かせてもらってて」
先ほどカイロスから聞いた話を掻い摘んでライルにも聞かせる。真剣な顔で聞いていたライルは、話が終わると盛大なため息を一つついた。
「どこに行っても、こうも言われるものなのか……」
そう呟いたきり、黙り込んでしまったライルの横顔を見つめる。
魔術師だから。平民だから。
そうやって何度も蔑まれてきて、憎悪に心を燃やして……でもそんな私でも、一人の魔術師として受け入れてくれた人たちだっていた。ブライドンで、今までの旅の中で、挫けそうなときにそんな人たちに何度も掬い上げられてきた。
だったらいい加減なんの関係もない人の言うことに振り回されるのは、もうやめたい。
「……でも私は私、だよね?」
いつだって私に向けられていたその薄いアイスブルーの目を、覗き込む。
「ライルなら、たとえ私が誰であっても、私は私だってそう信じてくれるよね」
ライルの見開かれた薄い瞳に、空に浮かぶ星々が瞬きながら映り込んでいる。
「もしも私がまた自分を見失ってしまっても、ライルなら思い出させてくれる? 私はソフィで、ブライドンの魔術師で、そして……」
私はソフィア・ランドルフなんかじゃないって。
夜空に浮かぶ星々を内包したライルの瞳は、いつだって私を真っすぐに見つけてくれる。
「ああ。君がどこでなにを言われようとも、ソフィはソフィだ。君が初めて会ったあの日、本当の私を見つけ出してくれたように、私だっていつだって君だけを見つける」
ライルの言葉にほっとして微笑むと、ライルもやっと微笑み返してくれる。
背後ではカイロスたちアルムフーサの騎士が、砂漠の夜を背景に見事な歌声を響かせている。パチパチと爆ぜる焚き火はそんな皆の姿を幻想的に照らし出していた。
数日後、過酷な砂漠の旅の終点、アルムフーサで最も巨大なオアシスの都、首都ラハンへと到着する。
これでやっと、休むことなく吹き付けてくる砂に悩まされることもなくなる。いくら風の魔術で整備されているとはいえ、やはりすり抜けてくるものはくる。ローブの下に溜まったじゃりじゃりした砂に思わず顔を顰めていると、ライルも同じことを気にしていたのか、顰めっ面で執拗にローブを叩いていた。きっと彼も不快だったんだろうな。
心なしか疲れた表情を見せていたほかの護衛の皆も、砂漠の中に突如現れた青々と茂ったオアシスの都に思わず感嘆の声を上げて目を輝かせていた。
ここで一旦馬車は待ち構えていたほかの騎士に預けて、オアシスの街の中を今度は全員馬に乗り換えて進んでいく。
聖女様はオーウェンの後ろに、同じく騎乗できない私はさて誰の後ろに乗ろうかという段になって、度々乗せてくれていたカイロスが親切にもまた名乗り上げてくれた。
「ソフィ、乗るか?」
「いや、ご親切ありがたいが、もう大丈夫だ」
それをライルは片手を上げて制すると、ご丁寧に断りをいれてきた。
「ソフィ、今度は私の後ろに乗るといい」
砂漠の旅では休憩以外、ライルとはほとんど顔を合わせることがなかった。久しぶりに二人で少し話せるかもとそんなことがちょっと過ぎって、思わず照れ隠しに視線を伏せる。
「どうやら俺はお邪魔だったようだな」
ニヤつくカイロスはすぐに引いて行って、そのせいで少しだけぎこちない雰囲気のまま残されてしまった。
「乗れるか?」
すぐにとりなしたようにライルは一つ咳をすると、勿体つけたように手をとってくれる。
「そ、そうか……ライルも馬に乗れるんだね」
「……。そうだが?」
「や、なんかちょっと意外で……」
「まぁ、それなりのことは一通り習わされたからな。当時はこんなものなんの役に立つと思っていたが、案外とあちらこちらで役に立つものだ」
ライルの視線がどこか懐かしいものを眺めるように、遠くに向けられる。
ブライドン学院に在籍しているときに、ライルの家族のことを簡単にだけど聞かせてもらったことがあった。
ライルのお母さん、アディンソン伯爵夫人とそのお兄さん、ガヴェイン卿は、魔術師に多大な偏見を持つ典型的なエスパルディア人そのものといった感じの人たちなのだそうで、ライルとはあまり仲が良くはない。
だけどお父さんのアディンソン伯爵は積極的に外国との貿易業に関わっているだけあってどこか考えが柔軟な人らしく、ライルが王立魔術学院に入学するのを勧めたり、ブライドン魔術学院に編入するのを許してくれたりするような人だった。
あとで聞くところによると、ライルがブライドン学院に行くことで国外とのよりたくさんの繋がりができることを期待していて、またライルが作った魔術具をどうにか商売に活用できないか考えていたと――アディンソン伯爵はエスパルディアの中でもかなり変わった考えを持つ貴族だった。
だからライルが聖女様の護衛に決まったときも、アディンソン伯爵夫人とガヴェイン卿は彼が魔術師だと知られることを相当嫌がったそうだが、伯爵だけは諸手を挙げて賛成してくれたそうだ。その魂胆は各国の要人との縁繋ぎだそうだが、今のところライルが積極的にそれを成し遂げているようには見えなかった。
「おいで」
先に騎乗したライルに手を引っ張られて、なんとか彼の背後に乗り上がる。
「ソフィ、これだけは約束してほしい」
前を向いたライルは、静かに言った。
「もしも嫌な目に遭うようなことがあったら、一人で我慢せずに必ず私に教えてくれ。いいな?」
こくりと頷きを返すと、ライルは今度こそ皆に続いてゆっくりと馬を進め始めた。
幸いにも聖女様一行を出迎えに集まってきたアルムフーサの民たちに、あからさまに私に嫌悪感を向けてくるような素振りは見られなかった。
「堂々としておけばいい」
出発前にライルに言われた言葉を思い出す。
「アルムフーサの逸話など、君にはなんの関係もない。ここには単にルナの護衛任務で来ただけだ。そんなとばっちりでこっちに八つ当たりしてくる奴らにソフィがわざわざ気を使ってやる必要はない。君はなにも気を病む必要はないんだ」
その言葉の通り背筋を伸ばし、まっすぐに前を見据えて民衆の前を通り過ぎて行く。
たくさんの人々の目に晒されるのはいつものことなのに、いつもよりもやけに緊張している。
「ソフィ」
前に騎乗しているライルが小声で呼びかけてくる。
「君は、君だ」
思わずライルのローブの裾をキュッと握りしめる。それ以上、ライルはもうなにも言わなかった。
ゆっくりと宮殿までの大通りを闊歩していくと、やっと目的地である、一際輝く黄金の宮殿へと着く。
そのまままずはアルムフーサの王の待つ謁見の間へと進む。
「歓迎しよう! 聖女よ! よくぞこの砂の国まで参られた」
鷹揚な態度で一段高い玉座の間に座っていた若きアルムフーサの王は、まさに威風堂々といった尊大な態度だった。
浅黒い肌、燃えるような長い赤い髪、その中に一房だけ混じる黒い髪筋。――たった一部分とはいえ、彼の髪は黒かった。
アルムフーサの王はただ堂々とした笑みを浮かべて、聖女様を歓迎する旨の口上を朗々と述べている。
過剰反応して王を見つめ過ぎた自分を恥じるように、視線を素早く床へと伏せる。
ただの偶然になにを早とちりしている。
最近黒の一族だの白の一族だのといった話を聞くことが多かったから。アルムフーサには彼のような髪色の人も多いのかもしれない。アルムフーサの王が偶然にも黒髪混じりだからって、はたして彼が黒の一族と関係あるなんてことがあるだろうか。
いまだ続く王の話が頭に入ってこないくらいには、私はその姿に動揺していたと言わざるを得なかった。




