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ミュルクウィス・Ⅸ

久しぶりですみません。改稿してます。

 

 鬱蒼と茂った森の中を、馬車はミュルクウィスの浄化の神殿へと向かって走っている。

 この旅が始まって以来、一番穏やかな気持ちかもしれなかった。








 休憩を取ろうと馬車が止まり、扉が開く。馬車を降りようとして、なにかの拍子に躓いて足がもつれる。そのままよろけて聖女様の上へとつんのめりそうになる。


「あっ……!」


 このままでは聖女様を押し倒してしまう。焦りのままに手を伸ばし――間一髪のところで焦ったライルに抱きとめられた。


「大丈夫か? 相変わらずおっちょこちょいというか、なんというか……」


 ちょっと顰められたその顔にお礼を返しながらも、何事もなかったことにホッと息を吐く。

 ちょっとした不幸が重なっても、思わぬタイミングで聖女様に迷惑をかけそうになっても、ライルが手を差し伸べてくれる。それが今の私にとっては本当に心強かった。

 もしかしたらこのままうまく乗り越えて浄化の旅を終えられるのかもしれないなんて、少し楽観視しすぎるほどの希望に縋っていたのかもしれない。








 休憩の終わり、皆が使ったコップを集めていたブリジットさんとセヴランさんに声をかける。


「これ、洗ってきますね」

「いつも助かるよ、ソフィ。お願いするよ」

「サンキューな」

「いえ」


 ほかの人にかからないようにと少し離れたところまで運び、水の構築文を発動させていると、唐突に声をかけられた。


「ソフィ」


 まるで、いつものように市中で偶然会ったときのような気安さで話しかけられて、心臓が飛び出すかと思うくらいに驚いた。


「ちょっとちょっと! 僕だよソフィ!」


 どこからともなく姿を現したリンリールさんが、私が咄嗟に浴びせかけた激しい水流を難なくいなして、その儚げな美貌に苦笑を浮かべて立っていた。


「リンリール、さん?」

「びっくりしたー……ソフィって結構過激だね」


 そう言う割に、リンリールさんには水滴一つついていない。

 どういうことだろう。彼は以前自分のことを“しがない魔術師”だと言っていたが、今の魔術捌きはとてもそんなふうには見えなかった。


「久しぶり、この間はごめんね。あまりのショックに挨拶もせずに先に帰っちゃって」

「い、いえ……でも、なぜここに?」


 次の構築文を素早く練って、握りしめた手のひらの中に隠し持つ。

 こんな森の奥深く、偶然会ったと言うにはあまりにも不自然だった。


「今日はソフィを追いかけてきたんだ。ちょっと伝えたいことがあって」


 リンリールさんはちらりと私の奥に目を遣った。


「でも、やっぱりそうだったんだね。もしかしてって思ってたんだ。ソフィって、浄化の旅のメンバーなんじゃないかって」


 心のどこかで燻っていた疑問が、はっきりと形になった瞬間だった。リンリールさんは知っていたのだろうか、私が聖女様の護衛であることを。


「それで? いったいなんの用ですか」

「ソフィ……そんな目で見ないでよ。別に取って食おうってわけじゃないからさ」


 肩を竦めて苦笑いを深めたリンリールさんは、私が警戒しているのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、いつも通りに気安くて人懐こい。


「今日はただ、これを君に渡したくて」


 リンリールさんは懐から乱雑に束ねられた紙束を取り出すと、私の手に押し付けてきた。ちらりと目を通すと、それはいつ書かれたものだろうか、古びたメモのようだった。


「これは……」

「読んで」


 リンリールさんは聖女様そっくりの澄んだ紫の瞳で見つめてくる。


「ベルエラのいない今、ソフィにこそ読んでほしいんだ」


 リンリールさんの透き通ったその目を見つめる。リンリールさんはそれ以上なにも言わずに、目を逸らすことなく見返してきた。

 一つため息をつく。手の中の構築文をもう一度確認する。いつでも発動できる状態だ。リンリールさんの様子を確認しながら、素早くメモに視線を流す。


【……その一族は、皆一様に漆黒の髪と目をしていた。どこから来たのか尋ねると、違う世界から落とされてきたのだと言う。まさかの突拍子もない答えに戸惑う。だが確かに、その一族は常人にはない特別な力が備わっていた。……】


 見上げたリンリールさんは、なんとも言えない顔をしている。


「これは……」

「エルオーラ手記集の一部を抜粋したものだよ。かつてエルオーラで魔術学が発生したとされる時代の、先人たちの手記を集めたもの。その中でもこれは多分、あまり知られていないやつだろうね。なにせ白の一族……聖女様の一族についても触れられているから。禁書庫にしか置いてなかったものだ」

「そんなものを、どうしてリンリールさんが」

「黒髪に黒目、それがベルエラの特徴だったからさ。もしかして彼女のルーツがわかるんじゃないかと思って、そのときはベルエラのために探してた」


 しれっと述べたリンリールさんに唖然としながらも、メモの続きに目を向ける。


【……なにもないところから火や水を出して見せた彼らは、自分たちを黒の一族だと名乗った。彼らは白の一族に故郷を追い出されてから、各地を放浪する終わりのない旅を続けているのだと言った。そして、ある白の一族の青年から逃げ続けているとも。彼の名前は……】


 ここで、名前の部分が空欄になっている。


【彼の名前は……というらしい。ここに訪れたことがないか尋ねられたので、否と答える。彼らはこの地が気に入ったそうだ。どことなく故郷に似ていると言う。ここに定住したいと願い出た彼らを、私たちは歓迎することにした。……】


「この記録を残した人は、どうやら黒の一族の人と結婚したみたいなんだ。かつてのエルオーラでは、そうやって黒の一族と婚姻して彼らの子孫を残した人も一定数いた」


 リンリールさんの補足に、ちらりと目を上げる。

 次のページには、それから少し経ったころのことが書かれていた。


【今日、ミカエラからやっと返事をもらった。待望の返事は肯だった。あまりの幸せにミカエラを抱きしめると、彼女は顔を真っ赤にして身を縮めた。黒の一族は皆一様に控えめで恥ずかしがり屋で、こういった愛情表現が苦手だ。だけどミカエラは恥ずかしがる素振りを見せながらも、決して拒むことはなかった。それは彼女が私を受け入れてくれたからだと、そう好意的に捉えておくことにする。……】


 唐突な始まりに混乱したが、どうやらこれはプロポーズ直後の話のようだ。

 さらにもう一枚捲る。


【……もうすぐ出産日というときになって、ミカエラは突如ここを出ていくと言い出した。あの男の気配が近づいていると。ここにはもう居られないと頑なに出ていこうとするミカエラに戸惑った。それに、ミカエラだけでない。この土地にすっかり馴染んでいたであろうほかの黒の一族の者たちも皆一様に旅支度を始めていて、なんと説得しようとも誰一人耳を貸してくれなかった。私はせめて子どもが生まれるまではここにいるようにと何度も思い直すように縋ったが、ミカエラはとうとう、ある日を境に姿を消してしまった。……】


 ここで、メモに書き写した手記は終わっていた。


「このあと結局、黒の一族たちはまるで幻だったかのように忽然と姿を消してしまって、その後結局、行方知らずのまま消息は掴めなかった。まるでその土地に根付いて生活していたのが夢だったかのように、彼らは一晩で全員姿を消してしまったんだ。黒の一族はその後散り散りになって、誰もその行方を知る者はいない」


 リンリールさんはいつもの気安さを消して、真顔になる。


「彼らが恐れていたのは白の一族――つまり、聖女様の先祖だよね」


 私たちの間を、ヒュウと風が通り抜けていく。


「ねぇ、ソフィ。僕はこれを読んで思ったんだけど。ベルエラって、つまりソフィもだけど、本当は黒の一族の末裔なんじゃないかって。ベルエラはね、それはそれは惚れ惚れするような魔術の才能の持ち主だったんだよ? あんな男に掻っ攫われたのがもったいないくらいに、本当に突出した才の持ち主だった」


 リンリールさんは瞬きもせずに、私をじっと見つめている。


「その黒の一族が異常に怯えていた、白の一族の青年。……白の一族って、本当は何者なんだろう? 聖女様はこの世界を浄化するっていうけれど、ねぇ、彼女は本当に浄化なんてしてるのかな?」


 リンリールさんはそのまま、その古びたメモを私に押し付けたまま、ひらりと手を振った。


「今日はそれを渡しにきただけだから、僕はもう行くよ」


 メモの内容に深い思考の海に沈む私を置いてきぼりに、リンリールさんはさっといなくなってしまった。


「ソフィ?」


 ぼーっとメモを眺めていると、私を呼ぶライルの声がして彼が姿を現した。


「こっちは出発の準備は整ったが、終わったか?」


 手元に残っているコップの山に、懐にメモを突っ込んで慌てて手を動かす。

 それと同時に目の前をサーッと影が横切って、見知らぬ魔術鳩が勿体ぶったような動きで私の肩にとまった。


「あ……あの。なんか、今見知らぬ魔術鳩が……」

「動くな、捕まえる」


 ライルはすでに不審な魔術鳩を鷲掴みにして検分しており、その足に括り付けられていた小箱を器用に外している。


「誰からだろう」


 とりあえず、このメモのことを相談するならこの魔術鳩の荷物と送り主を確認してからだろう。リンリールさんにもらった紙束はポケットへと乱雑に突っ込まれている。


「これは……」


 ライルから渡された小箱を開けると、中から綺麗なカードが落ちてきた。それを拾ったライルは露骨に嫌な顔をした。


【君のことが忘れられない。シルヴィス】


「なにが忘れられない、だ。始まってもいなかったくせに」


 ライルがいつになく毒づいている。

 箱の中にはもう一つ、キラキラと可愛らしく装飾された宝石箱のような薬入れが入っていた。

 薬入れの中には白色に輝く軟膏が詰められている。ほんのりと優しく香る香草の匂い。ミュルクウィスが輸出している一般的な創傷治癒薬とは違った、初めて見るタイプの魔術薬だった。


「怪しいな」


 ライルは胡散臭げにその薬入れをつまみ上げた。


「なんの薬かわからない。突き返してもいいが、一応ルイたちに解析を頼んでみるか?」


 あのシルヴィスからの贈り物というところが見るからに怪しいが、だからといってこれがもしミュルクウィス秘蔵の出回っていない魔術薬だったりしたらもったいない。

 好奇心に押し負けて一も二もなく頷くと、ライルは「ピヨが戻ってきたらルイに送っておく」と薬入れを自分の懐に納めた。ついでに添えられていたシルヴィスのカードも無造作に仕舞い、ライルはシルヴィスの魔術鳩をじろじろと眺めてから、それを彼の元に返すべく空に放った。

 残っていたコップを二人で手早く片付け、皆が待っている馬車へと戻る。


「どうした、ソフィ。腹でも痛くなったか?」


 相変わらずデリカシーのないセヴランさんをじろりと睨みつけると、ブリジットさんが「たとえそうだとしても、皆の前で聞く話ではないだろう」と窘めてくれる。


「違います! ただ、ちょっと……シルヴィスからの贈り物が届いて」

「なんだって?」


 御者台に登っていたオーウェンがぎょっとしたように身を乗り出してくる。


「あ、でも大丈夫です。ライルが対処してくれました。ね?」


 しらっとしているライルに同意を求めると、彼は渋々オーウェンに向かって頷いてくれた。


「そっ、そう……」


 オーウェンはなにか言いたそうにしていたけど、ライルの顔を見て呑み込んだようだった。

 みんなのやり取りを眺めながら、微笑ましそうに純真な笑顔を浮かべている聖女様。

 その聖女様が何者か。白の一族とは、黒の一族とは……。 

 どちらにせよ、問いただすのはこの旅が終わってからだとリンリールさんにもらったメモを服の上からギュッと押さえつけた。







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